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CCCLXXV 中断者ヒュー・モードリン


「ロアノーク、何があった?」


私がごきげんに寝ている王子を揺り動かす間に、男爵はだらんと寝っ転がっているくまさんとコンプトン先輩を通り過ぎて、ドアを開けに行っていた。


「ドーキングとレザーヘッドの間で、陳情に来ていた大勢のヘンリー王子領ケルノウの住民が、殿下の代理人ウィリアム・コンプトンの解任、及びヘンリー王子殿下の悪政の改善を旗印に、簡単な武器を持って蜂起したようです。」


ドアが開くなりゴードンさんが廊下に立ったまま声を上げた。珍しく甲冑を着ているからトレードマークの口ひげはわからないけど。


「数は目測で600から800ほどです。少数の女子供を含みます。武器の多くは農具を改造したもので、馬や重火器は見られません。弓も今のところ確認されていません。」


「800?しかもレザーヘッドはここから南に12マイルぽっちだ。なぜ情報が今頃あがってくる?」


男爵もさすがに慌てているみたいだった。


1時間で3マイル弱くらい歩けるから、4時間ちょっとくらいかしら。逃げるなら早くしないと。


「殿下起きましょう!敵が近いですよ!」


「・・・うぅ・・・ごく・・・らく・・・」


私がさっき効いたツボを押しても、王子は気持ちよさそうな声を上げるだけで反応は薄かった。ここにいる誰もこの巨体を担ぎ上げられないけど。


「集団は王都の南方に分散していたようです。コンプトンと代表団の会談が決裂し、コンプトンが彼らに向けて剣を抜いたことがきっかけで集合し、彼の解任と王子殿下の圧政反対を唱えて蜂起したとの声明が出ています。」


「明らかに首尾が良すぎる。馬がいないのに即座に集合できるとなると、事前に周到に準備していたとしか思えないね。第一、困窮しているケルノウから600人もここまで陳情に来られるはずがない。路銀は誰が出したんだ。」


男爵の言いぶりからは反乱が起きても不思議じゃないのはわかったけど、確か王子の領地はかなり遠かった気がする。私が赴任したときも王子たちが狩りから帰ってくるのに数日かかったし。


私は王子の救出を一旦諦めて、オットマンにだらんと横たわっているコンプトン先輩に事情を聞きに行った。一応ツボを押してみる。


「コンプトン先輩、会談で一体何があったの!?」


「・・・あ・・・きも・・・ひ・・・」


コンプトン先輩は朦朧としていて、ちょっとだらしない顔になっていた。舌を噛んじゃわないか少し心配。


「剣を抜いたって本当?」


「・・・も・・・ら・・・めえ・・・」


「ルイス、諦めるんだ、コンプトンはルイスの魔法に堕ちてしまったから、当分戻ってこられないよ。」


男爵は訳が分からないことをいうと、ゴードンさんの手から多分鳩が運んできた手紙をひったくって、必死そうに読んでいた。ちょっと眉間にシワがよっても男爵の顔は一級品。


「でもコンプトン先輩もヘンリー王子もダウンしちゃっていたら、誰が対応するの?私達は逃げてもいいのよね?警備は?」


「国王陛下と近衛兵団のバウチャー子爵はグリーンウィッチにいて不在だから、各棟の責任者が衛兵を統括することになるね。」


そういえば火事のときにいろいろ責任問題がややこしかったのを思い出した。あのときも他の棟の衛兵はバラバラに活動していた気がする。北棟のサー・アンドリュー・ウィンザーとは少し協力できたけど。


「なんで全体を見られる人がいないの?非効率じゃない!」


「国王陛下も近衛団長もいない中で全体を統率できる責任者がいたら、クーデタが起きかねないよね?」


「そう・・・なの?」


私の生まれる前には大きな内戦もあった国だから、味方も完全に信用にはできないだろうけど。男爵はさも当然といったようにさらっと怖いことを言った。


「東棟の責任者は輪番制で、今日はヘンリー・ギルドフォードです。」


「ギルドフォード・・・って、くまさんよね、待って、くまさん!?」


ゴードンさんの衝撃発言に私は凍りついた。くまさんを見ると、こたつの猫みたいな満足そうな顔でむにゃむにゃいっている。


「くまさん起きて、出番よ!」


「・・・はへ・・・もっとぉ・・・」


一瞬くまさんのとろんとした目が少し開いた気がしたけど、また瞑ってしまった。


「ちょっと責任者でしょ!しっかりして!この給料泥棒!」


「・・・へふ・・・たまんなひ・・・」


くまさんがお気に入りの肩のツボを押してみても反応があんまりない。すごくいい笑顔で寝ているけど場違いなのよ。


「無理だよルイス、ギルドフォードも魔法堕ちしている。」


「・・・ねえ男爵、見ての通り東棟のトップは機能不全だから、反乱の対応は他の棟の衛兵に任せて、東棟の衛兵でこの3人を船で安全な場所に運びましょう。」


リッチモンド宮殿の北側に川があって、橋は少ないから船ならなんとか逃げられそうだった。馬で王子たちを運ぶのは馬がかわいそうだし。


「だめだよ、王子の領地の住民が蜂起したという知らせに、王子が気持ちよく寝ていて対応できず、快楽に緩みきった顔のままシャツ一枚で逃げざるを得なかった、などというデマが流れたら王子の政治生命が終わる。」


「デマというか事実だからしょうがないじゃない!顔はそんなにひどくないけど。」


私は物騒な環境で平和そうに寝ている王子を見て泣きたくなった。前世で暑い中エアコンが効いた部屋に入って生き返った人みたいな顔で、コンプトン先輩ほどひどくない。


この王子は誇り高きガーター騎士とかで、騎士の誇りを説きに私の沐浴の儀をわざわざ見に来たのに、肝心なときには役に立たない騎士様。


沐浴の儀・・・


「ハーバート男爵は?」


私は沐浴の儀の主催者で、朝の乱痴気騒ぎでブランドンを取り押さえていた騎士を思い出した。


「彼は不在だよ、ルイスの騎士叙任の準備でグリーンウィッチの陛下のところにいっているからね。」


私の騎士叙任なんて茶番のために働いている人が多すぎる気がする。ちなみに危機感のある男爵の顔はいつもの薄笑いよりグレードが高くて、けっこう引き込まれる。


「そんなどうでもいいイベントのために不在なの?・・・じゃあ男爵、北棟のサー・アンドリューに任せるのはどう?」


北棟の責任者はそれなりに有能そうだったし、私のことを評価してくれている感じだった。


「彼は王太子派だからね。鎮圧が王太子派の手柄になったあと、ヘンリー王子の悪政と対応のまずさを不当に糾弾する材料にされかねない。」


「実際にコンプトン先輩は王子の人選ミスだったし、私の沐浴の儀を見るために領民との会談をコンプトン先輩に投げていたことを考えると不当じゃないと思うわ。」


私はヘンリー王子の領地にいったことはないけど、モーリス君と王子が領地経営を巡って対立していたのを思い出した。


「ルイス、アーサー王太子がよく見られるよう、ヘンリー王子殿下には王太子領の隣の、かなり生産性の低い土地があてがわれているんだ。殿下がどれほど努力しても反乱が起きやすい土地ではあることをわかってほしい。」


男爵のいつになく真剣な目が私を真正面から見据えた。肌が綺麗なせいで切れ長の目がけっこう映えて、私はちょっとたじろいだ。


「・・・だ、男爵、王子の弁明は後で聞くから、残念だけど、鎮圧は王太子派に任せるしかないでしょうと言っているの。」


「ルイーズ様、男爵、おそれながら、言い争っている場合ではありません。」


ゴードンさんの掛け声で、私はちょっと危険な男爵の顔から目を離した。


「じゃあ、とりあえず東棟は指揮官が全員戦闘不能だから、私達は逃げるの一択よね!王子の政治生命より生命のほうが大事!」


「待ってくれないかルイス、陳情に来るには明らかに人数が多い上に、ここまで探索されなかったということは、何者かの内通があったかもしれない。王太子派が仕組んだ可能性もある。このまま逃げては罠にはまってしまうよ。」


私はなるべく男爵の顔を見ないようにしながら、なるべく冷たいトーンで話した。


「これが罠だったらもうかかってしまったの。負けを認めて潔く逃げるときよ。男爵が指揮するわけでもないでしょ?」


男爵の顔に傷がついたら嫌だから、出陣しないでほしいけど、男爵はそもそも武闘派に見えないからたぶん大丈夫。


「私は文官だから宮殿の外に衛兵を連れて行く権限がないんだよ。」


火事のときは私が男爵の代理ってことになっていたけど、いざ宮殿の外でトラブルが起きると男爵には権力がないみたいだった。


「そんな権限争いをしている場合なの?非常事態なのに?」


「非常事態だからだよ。こういうときは軍団の乗っ取りや裏切りが多発する。」


宮殿は思っていたよりさらに物騒なところだったみたい。今まで二回襲われているから全然意外ではないけど。


「ゴードンさん、東棟の衛兵責任者は輪番制なのよね、残りのメンバーはどうしているの?」


「チャールズ・ブランドンは朝の騒動で失神し安静にしています。トマス・ニーヴェットは王都方面から来客を迎えに宮殿から出ています。ジョン・ゲイジは・・・どこにいるかわかりません。」


そういえばブランドンは今朝王子との痴話喧嘩で騒いでいたけど、失神するくらいショックだったのかしら。話が通じて武道ができるトマスがいないのは、ちょっと痛い気がする。


「じゃあ、どこにいるかわからない白い人に任せるのね?」


「それしかないようだよ、ルイス。ゲイジは弓隊を指揮できる。反乱軍は飛び道具がないようだから、弓で遠隔から攻撃すれば宮殿の防御は簡単なはずだね。」


男爵は自分を納得させるような口調で呟いた。


「じゃあ、ゴードンさん、白い人を探してきて。外出届けは出ていないのよね?私達は避難の準備をしましょう。」


私は王子がシャツ一枚でひと目にさらされなくていいように、マントを探しにクローゼットに向かった。


「ルイーズ様、この危機の下で堂々とされているお姿、ご立派です。」


ゴードンさんは甲冑を着たままだけど、急に感動したような声を上げた。


「だって極端な話、私にはそこまで関係ないもの。」


王子たちが無事に避難できれば嬉しいけど、逃げたせいで王子が政治的な争いに敗れたって、私は辞任しやすくなるだけ。船までトランクを運ぶ人が確保できるか心配になってきたけど。


「ルイーズ様・・・ジョン・ゲイジは確かに反乱する民衆を鎮圧できるでしょうが、女子供を含めた集団に大きな犠牲が出ます。裏で糸を引く人間がいたのはほぼ間違いありませんが、彼らの大半は見た目からして素人です。」


「ロアノーク、何が言いたい?」


ゴードンさんに甲冑を着たまま話されるのって、表情が見えないから変な感じがする。男爵もあまり機嫌が良くないみたいだった。


「相手は要求を板に掲げて行進しています。交渉をすれば大義名分を奪えるかもしれません。集団のうち戦闘ができるのはごく一部です。残りの民衆を解散させられれば・・・」


「ロアノーク、武器をもった800人で平和的に交渉する気があると思うかい?集団になった素人は暴徒になりうる。甘く見ないほうがいい。」


男爵の言うことは珍しくもっともな気がした。


でも、前世でいうところのデモ隊みたいなイメージよね。武器持っているらしいけど、ゴードンさんが最初から鎮圧したくないのも分かる気がした。


「ルイーズ様、もちろん丸腰で交渉するわけではありません。軍団の保護の下でやり取りし、決裂した際には無念ながら武力で鎮圧することになるでしょう。暗殺のリスクなどを考えると、遠方に陣取ったまま交渉するのが適切でしょう。」


「あの、ゴードンさん、さっきからなんで私に向かって話しているの?あっ、甲冑でよく見えなかったりする?」


物騒な話を正面からされて、私はちょっと冷や汗をかいていた。この服、マダム・ポーリーヌがつくってくれたお気に入りなのに。


「ルイーズ様、軍団を率い、民衆と交渉し、大声で遠くからやり取りをする。ゲイジにはこのうちひとつしかできません。」


「もちろん、白い人はほとんど喋らないし、喋ってもぼそぼそ喋るし、交渉は無理でしょうけど・・・それじゃあ何、弁の立つウォーズィー司祭あたりが交渉するの?」


私はやたらと口が達者な男爵の悪友を思い出した。なんだか民衆をごまかせそうな気がする。男爵にはちょっと荷が重いかしら。


ゴードンさんは兜ですこし重そうな頭を振った。




「ルイーズ様、無用な血を流さずに、この危機を解決できるのは、あなただけです。」




え、私!?




「ロアノーク!!ルイスを危険に晒してはいけない!」


私が言葉を失っている間に、男爵がいつもより荒い声を上げた。


実をいうと男爵にさっきの全権委任状を持ち出されないか心配していたけど、男爵は白い人で鎮圧する方向に傾いているみたいだった。


「あの、ゴードンさん、私、女だし、もちろん、男女平等は大事よ、反乱した人には女性も混ざっているって聞いたけど、でもほら、私は素人中の素人、軍団に混ざっても足手まといになるだけだし・・・」


待って、ゴードンさんは本気で私を戦場に出す気なの?


「ルイスの言う通りだよロアノーク、それに武器を持って王宮に行進した段階で彼らは死罪が確定している。民衆に死者がでるのは残念には違いないが、彼らは死を覚悟で武器を持った。弓で射られるのは仕方ないことだ。」


男爵の言うように反逆罪は死罪。それは庶民も含めて誰でもわかっているはず。


わかっているはずなんだけど・・・


「ルイーズ様、男爵、手を尽くしたあとであれば、致し方なく弓で射ることにもなります。要求を無視して射撃し、女子供を含む多くの犠牲が出ては、王子の悪名が広がり、領地でより大きな反乱が起こることは間違いありません。」


ゴードンさんは民衆を救いたいのもあるけど、反乱第二弾を心配しているみたいだった。確かに、これがきっかけで大きな反乱になったら大変なことだけど。


でも、私は関係ない・・・はず・・・


「ロアノーク、女子供が遠く王都まで陳情に来るのは異例だ。ほぼ確実に鎮圧軍を悪くみせるための悲劇的演出でしかない。そこで動揺したら負けだよ。」


男爵もゴードンさんも、誰かが操っていることについては意見がそろっているみたいだった。


利用された人は・・・裁判になったらやっぱり死罪だとは思うけど・・・子供も?・・・


「・・・でもゴードンさん、だいたい何を交渉しろって言うの!?言っておくけど私、王子の領地のこと何も知らないから!コンプトン先輩をクビにするのはいいけど、悪政の改善って言われても何も約束できないわ!」


「残念ながら王子の周辺も領地のことをよく知らないのです。民衆の要求は極めて曖昧で、どうとでも解釈できます。少なくとも、ある程度事情をしっているブランドンよりも明らかに何も知らないルイーズ様が向いています。」


ゴードンさんは暗に、曖昧で玉虫色な口約束をするように私に勧めてきた。


できないわけではないと思うけど・・・


「・・・もし、白い人が反乱軍を包囲して、捕虜にした代表を私のところにつれてきてくれるなら、安全な場所で交渉してもいいけど・・・」


「彼らにとって数は力ですし、捕まったら情状酌量の余地なく死罪あるのみです。反乱軍から離されて捕虜になるくらいなら彼らは我々に突撃するでしょう。」


平和的な解決は無理そうだった。武器を持っている時点で交渉は無理そうな気がする。


「ロアノーク、ルイス、我々は交渉できる環境にないね。この反乱はジョン・ゲイジが鎮圧する。あとはルイスと私で広報戦略を考えるしかない。ヘンリー王子が犠牲者の墓の前で膝をつき、善政を誓うというのはどうだろうか、あるいは犠牲者の家族に花束と手紙を送る・・・いや、王都から送っては着く前に萎れてしまうね・・・」


男爵は第二の反乱を起こさないためのPR戦略に走っていた。それが男爵の仕事なのはわかっているけど。


「もう王太子派に任せるしかないわ。もし男爵が言うように内通しているなら、逆に犠牲なしで解決できるかもしれないし。どのみちヘンリー王子の評判が傷つくのは確定しているんだから。」


「ルイーズ様、王太子派はこの事件を活用して王太子に有利なストーリーを演出するために、都合の悪い関係者を皆殺しにしかねません。」


ゴードンさんは粘っていた。どっちのシナリオもあるとは思うけど・・・


「でもそれは仮定でしかなくて・・・」


「ルイーズ様、追い詰めてしまうようで恐縮ですが、火事に引き続き、ルイーズ様のお力で救える命があるのです。どうかお考えください。」


「ロアノーク、これはルイスの仕事ではないよね。それに王宮に向かっている反乱軍は、残念だが救いを求めていない命だよ。」


さっきからゴードンさんは上司の男爵をほぼスルーして私に訴えかけてきていた。


なんで、私・・・


「ゴードンさん、仮定が多すぎるわ。私は戦場みたいな極端な状況で交渉できる自信はないし、下手をしたら足を引っ張って味方にまで犠牲が出るかも・・・それに、これを言うとほんとに薄情な人間だって思うかもしれないけど、やっぱり男爵の言う通り、王子の失政による反乱は私の責任ではなくて・・・お力になれないのは残念ではあるのだけど・・・」


私は甲冑の間から垣間見えるゴードンさんの瞳から目をそらした。


ごめんなさい・・・


「ロアノーク、ジョン・ゲイジを探しに行く時間だよ。」


男爵がごくまっとうなことを言ったとき、廊下からさっきと別の靴音がした。


「殿下、男爵、モードリンです!」


今度はヒューさんだった。殿下がマッサージでダウンしちゃっているのは知らないみたい。


「鍵は開いているよ。」


男爵の声に応じてドアが開くと、やっぱり甲冑姿だけど兜はかぶっていないヒューさんが現れた。茶髪の長髪は甲冑とけっこう似合う。


「閲兵のために準備をしていた砲兵隊がただちにそのまま出陣できます。馬もつけられます。」


ヒューさんはゴードンさんを確認すると、反乱は伝わっていると思ったのか、いきなり細かい話をしてきた。


閲兵?・・・なんかさっき聞いた気がするけど・・・


「閲兵ということは、まさかギルドフォードの・・・」


男爵が息を飲むのがわかった。


「はい、ヘンリー・ギルドフォードは閲兵の間、ルイス・リディントンに軍団の指揮権を移譲しました。この権限は閲兵のみに限りませんし、砲兵隊のみとの指定もありません。ルイーズ様の指示があれば直ちに出陣できます。」



くまさんがマッサージを受ける間に私に押し付けていた仕事、そういえば閲兵だったような・・・


結局、閲兵ってなんだったの?



「あの、でも、私、何もサインしていないし・・・」


「殿下の従者の間では仕事のやり取りに厳密にはサインはいりません、殿下もルイーズ様も、ギルドフォードが委任状を書く現場にいらしたのですよね。」


いたと言えばいたけど、閲兵がなんなのかもあまりわかっていなかったのに・・・


「いたけど、でもほら、私、文官だから・・・」


「『ルイス・リディントン』は騎士に内定していますし、軍務卿サリー伯爵が今日、リディントン様に軍の将校格を与えています。」


私、伯爵に地下牢で睨まれてもサインしなかったのに!!なんで勝手に軍人にされてるの!!


「そんな、えっと、じゃあ、なに、私、責任者なの?」


私は助けを求めるように男爵の方を見た。男爵も唖然としているみたいだった。


「ルイス、落ち着こう、あくまで委託された責任者の一人でしかない。ジョン・ゲイジが臨時で軍団を指揮して鎮圧できるはず。」


男爵はあまり落ち着いているように見えなかった。ゴードンさんは白い人を探しにいったのか、奥の部屋に入っていった。


さっきまでの私だったら男爵のワイルド感の増した表情を堪能していたのに、私ももう心の余裕がなくなって・・・


「男爵、おそれながら総責任者ヘンリー・ギルドフォードがルイス・リディントンを指名した以上、厳密にはルイーズ様が責任者になります。」


ヒューさんは淡々と私を追い詰めにきていた。


「ヒューさん、私は実戦経験もないし、今けっこうパニックになっているし、不適格よ。白い人のほうが効果的に対応できると思うの。」


「東棟はジョン・ゲイジも含めて全員、実戦経験がありません。またゲイジはここ数日挙動不審です。衛兵を指揮した実績があるのは火事に見事に対応したルイーズ様だけです。」


白い人はあれがデフォルトなのかと思っていたけど、ここ数日は特に怪しいらしかった。それでも私よりは指揮できると思うけど。


「火事と反乱を比べちゃいけないと思うの。それにゴードンさんとヒューさんを除けば衛兵のみんなとはほぼ初対面よ?」


「ルイーズ様が名目上の指揮官になっていただければ軍団が宮殿の外に出られます。交渉が決裂した場合、実戦の指揮は我々が取ります。」


名目上の指揮官って、仕事はしなくていいってこと?


「まって、名目上のトップって、何もしなくても全部責任とらされるやつじゃない!私、弁護士の娘ですからね!そんな条件のみません!」


「残念ながら、ルイーズ様がすでに名目上の責任者でいらっしゃいます。」


なんで、なんでそんな・・・


「・・・今まで黙っていたけど、私、実は本物の『ルイス・リディントン』じゃないの。」


「ルイーズ様、こちらが殿下がヘンリー・ノリスのために作らせ、一度も使われたことのない甲冑です。サイズはぴったりなはずですので、念の為ご着用ください。弓はもちろん、弩も通さない高品質な鉄で、ノリス用に軽めに作られたミラン式の一級品です。」


ゴードンさんが私の必死の抵抗をスルーしながら奥の部屋から出てきて、ポールに掛けられたなんだか可愛いデザインの甲冑を見せてきた。


銀のベースに真鍮の細かい細工が、プレートの継ぎ目にフリルみたいに施された可愛いデザインで、ノリスくんにピンクのキュートなテニスウェアを着せようとした王子の好みが現れていた。そういえばあのテニスウェアも一度も使われていなかったような気がする。


兜の目の部分は縦に細かいスリットが入っていて、縦縞模様に景色が見えるみたい。


「スザンナはクローゼットに待機しています。奥の部屋でお着替えください。」


スザンナは今日も元気に王子の寝込みを襲う予定だったのね・・・


「ちょっとまって、私、着るっていっていないけど?交渉するだけでしょ?」


「ルイーズ様が前線に出る必要はありません。ですが指揮権のない人間は衛兵を宮殿の外まで率いることができないのです。万が一のために着てください。」


ヒューさんは有無を言わせない感じで私に迫ってきた。


「男爵・・・」


私は祈るような目でいつになく真面目な顔をした男爵を見た。


「ルイス、ジョン・ゲイジに委任状を書くんだ。」


その手があったのね!


私はベッドに転がっていた羽ペンを拾って、インク壺に押し込んだ。


「ルイーズ様、二重の業務委託は前例がありませんが、手続き的に最高責任者のヘンリー王子殿下の許諾が必要です。」


ヒューさんがまたショッキングな情報を出してきた。


私は今度は王子のベッドまで駆け寄って、王子のお気に入りのツボをおした。


「ほら、殿下、押してあげるから、『許可する』って言って。『きょか』、ほら!」


「・・・あぅ・・・う・・・」


「ね、みんな聞いた?今殿下『うん』って言ったよね、少なくとも許可しない感じじゃなかった!」


「ルイーズ様、時間がありません。お着替えください。」


ゴードンさんは私の手をそっと王子からどけて、兜越しに分かる真剣な顔で私を見つめてきた。




えっ、嘘でしょ?


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