CCCLXXI 熊男ヘンリー(ハリー)・ギルドフォード
目の前に広がるくまさんの肩は、広い。
それでも横から私達を興味津津で観察しているヘンリー王子と比べるとくまさんは威圧感がない。やっぱりどこか丸っこいフォルムのせいなのよね。これといって猫背でもなで肩でもないのだけど・・・
「くまさんのダブレット、ちょっともこもこしすぎているから脱いでくれる?」
「いいよー。」
膝立ちの格好で従順なくまさんはもごもごとオレンジと黒の柄物のダブレットを脱いだ。なにか内ポケットにいろいろ詰め込んでいるみたい。マントも山吹色だったし秋っぽい色合いが好きみたいで、下に着ているシャツみたいな薄着も落ち着いたクリーム色みたいな色合い。
「やはり脱いだほうが良いのだな、リディントン。」
「殿下は脱がないでください!!くまさんは肩のラインが見えづらかったからで、肌が見える必要なないです!」
私は裸族を牽制しつつ、ちょっと様子を探るように触ってみた。膝立ちの状態だとちょうどいい位置にくまさんの肩がくる。
「んっ・・・もっと強くして・・・」
くまさんはいつも注文が多め。
「これから強くするけど、なんだか昨日マッサージしたときより肩が凝っているみたいで・・・肩使うようなことした?」
「ううん、・・・んくっ・・・別に?・・・」
確かに、仕事をしなさそうなくまさんの肩が凝るってよっぽどだと思うけど・・・
「リディントン、『マッサージしたときより肩が凝っている』とはどう解釈したら良いのだろうか。」
目を輝かせてマッサージを見学しているヘンリー王子が口をだしてきた。
「治療したときよりも、むしろ肩の状態が悪くなっている、と言ったような意味です。肩の筋肉が凝り固まった状態で、血行がよくないようです。ちょっとまだ理由がわからないのですが、肩に負担をかけたままほぐさなかったのではないかと・・・」
「説明いいから、焦らさないでよお、・・・もっと強くう・・・」
くまさんみたいな人はマッサージしてももとに戻っちゃうタイプよね・・・
「なるほど、リディントンの説明は勉強になる。肩といえば、ハリーはいつもマスケットを背負っている。ひょっとするとそれで負担がかかっているのかもしれないな。」
「リディントンを信用しちゃだめです王子様っ!」
ヘンリー王子は珍しく端的に説得力のあることを言った。控えているコンプトン先輩は私を睨んでいるみたいだけど、可愛い顔で睨まれてもあんまり怖くない。
そういえば、廊下でくまさんをマッサージしたときに、倒れちゃったくまさんと荷物を動かそうとして、マスケット銃がけっこう重かったのを思い出した。
「なるほど・・・あんな重いやつを背負うから、少し肩が前に出る形になっているのかもしれませんね。肩に負担もかかるし、ヘンリー王子殿下と比べてくまさんがシャキッとしていないのもそのせいかもしれません。」
「・・・なんか僕ひどいこと言われてない?」
くまさんは不満そうだけど、そうしたらなんとなく解決法が見えてくる。
「くまさんは重いマスケット銃を右肩から掛けているから、両肩に分散するようにするといいと思う。あとベルトはもっと短く、太いやつにしたほうが一点に負担が集中しないから体も歪まないし。」
「うーん、よくわかんないけど、とりあえずモミモミしてくれるんだよね?」
私が一生懸命説明しているのに、くまさんはあんまり真面目に聞いてくれなかった。
「あまりモミモミしません。最初はゆっくり肩甲骨をよせていくから。」
「そんなっ、もんでっ!もんでよお!」
膝立ちのまま駄々をこねるくまさんをいなすと、私はゆっくり両方の肩甲骨を後ろに寄せていった
「んあっ・・・今バキって音したっ・・・こ、こわれちゃうっ!」
「大丈夫ですよー、そんな簡単に人間の身体は壊れませんから。」
ゆっくりやってみても、やっぱり少し巻き肩になっているのが分かる。
「肩の筋肉が立派だから猫背には見えなかったけど、やっぱり肩が前に出ていますね。」
基本的におとといの姫様と同じ症状だから、マッサージは同じ。
「それでは、まずはちょっと脇の大円筋をマッサージしていきます。」
「わ、脇?肩じゃなくて?ちょっと脇は・・・うひゃっ、くすぐったいっ、やめてっ!」
くまさんの巨体がふるっと震えると、振動が私に伝わってくる。
「頑張ってじっとしてください。くすぐったく感じるのはあまり状態がよくない証拠です。ちょっと我慢してくださいね。」
私はなるべく慣らすようにゆっくり大円筋を揉んだ。
「んう・・・まだちょっと・・・くすぐったいけど・・・あふ・・・これ、いいかも・・・ふあ・・・」
「そうですか。やっぱり少し体に歪みがありますね。後で背中もやりたいところですけど・・・」
ヘンリー王子にしてもらった、四つん這いになって背中を伸ばすストレッチをしてもらおうと思う。でも素直に言うことをきいてくれるかしら。
とりあえず大円筋のマッサージを続ける。
「・・・ひゃ・・・ま、まって・・・このままじゃ・・・ほあっ・・・く、くすぐったいの好きな・・・へ、変態さんになっちゃう・・・」
「・・・別にいいんじゃないですか?」
あくまでプロとして、くまさんの肩が治ってくれさせすれば、私はくまさんの性癖に興味がなかった。
「・・・ひあっ・・・きもちっ・・・くすぐっ・・・ひ・・・たいのに・・・これきもちいっ・・・んふぁ・・・くせになりゅ・・・あはっ・・・」
くまさんの体が弛緩してきたのは良かったけど、だんだんくまさんの上体が安定しなくなって、少しぐらぐらし始めた。
「くまさん、ちょっとじっとして、フラフラされるとちょっとやりづらいから。」
「・・・きもちい・・・いひっ・・・しゅごい・・・も、・・・あ・・・たまんなひ・・・」
「じっとしててってば!」
くまさんはなんだかだらしない顔になっていて、あまりじっとしていてくれそうになかった。
「リディントン、安定が重要なのであれば、ハリーをオットマンに寝かせてはどうだろうか。」
ヘンリー王子は長椅子を指さした。後で背中もいじろうと思っていたし、いいアイデアかも。
くまさんをマッサージするときって、だいたいは廊下で通行料を要求されたときだから、今までちゃんと寝そべってもらったことがないのに気づいた。
「そうですね、殿下がお許しくださるなら、そのほうがやりやすいのですど・・・・くまさんはちょっと重いので運ぶのは難しいでしょうか。くまさん、オットマンに寝そべってもらえる?」
「・・・あへっ・・・ひ・・・きもちいの、すき・・・うひ・・・」
「私が手伝おう。コンプトン、オットマンの配置を頼む。」
ヘンリー王子本人がくまさんを運んでくれることになったみたいで、私はぶすっとした様子のコンプトン先輩を手伝おうとして、一旦マッサージの手を離した。
「・・・ありぇ・・・きもちいの・・・とまっちゃやだ・・・やだ、やめないでよお・・・やめちゃだめっ!」
さっきまでとろんとしていたくまさんが、ヘンリー王子に抱えられながらじたばた抗議を始めた。
「はいはい、寝っ転がってくれれば続きをやりますからね。」
ヘンリー王子は怪力の持ち主らしくて、そんなに身長の変わらないくまさんをうつ伏せに寝かせるのはスムーズだった。
本当は大胸筋もマッサージしようかと思ったけど、今日のところは大円筋と、首の付け根から肩にかけてのマッサージで、そのあと背中をちょっといじろうと思う。
「さっきより少し強くいきますね。」
「やめちゃだめ・・・やめちゃやだ・・・あっ・・・きた・・・ビリビリきたっ・・・あはっ・・・これっ・・・きもちっ・・・」
右肩を重点的に。でも片方に負担がかかっていると左肩も凝るのよね。
「大丈夫ですか?」
「・・・はふっ・・・きもひっ・・・ひやっ・・・いひゅっ・・・これすきっ・・・」
大円筋はもみすぎても良くないから、僧帽筋のツボ押しに移行することにした。
「次はちょっとしびれるかもしれません、我慢してくださいね。」
「へっ?・・・がまんって・・・ふぎゅっ!!・・・しびれ・・・あっ、ビリビリくるうっ!!」
くまさんの全身が震えて私も思わず後ずさりしそうになった。
「大丈夫ですよー、ゆっくりマッサージしていきますからね。」
ここは結構注意しないといけない繊細な筋肉なのよね。
「・・・ビリビリっ・・・あひゃっ・・・きもちいのビリビリっ・・・きもちいのとまんないっ・・・あふああっ・・・と、とろけゆっ・・・」
うつ伏せのくまさんからくぐもった満足そうな声が聞こえてきた。ご機嫌みたい。
「・・・あはっ・・・もっとっ・・・そこすきっ・・・ふやぁっ・・・もっとついてっ!・・・」
ふと思ったけど、くまさんは私に仕事を押し付けといて自分はマッサージを堪能するのって、今更だけどアンフェアだと思う。たしか砲兵の閲兵、だっけ。
「くまさん、お願いをするなら、私のお願いも聞いてほしくて。例の砲兵の件だけど・・・」
「・・・ひへっ・・・と、とまんなひ・・・きもひいのむりぃ・・・とまんな・・・あっ、ひぁ・・・とんじゃふっ・・・」
「都合の悪い話を『きもちいい』とかでごまかすのはやめてください。私のリクエストも聞いてくれないとやめちゃいますよ?」
「・・・あひ・・・も、むりぃ・・・ふひぁ・・・きもひ・・・らめ・・・あ・・・」
「ほんとにやめちゃいますよ?さっき『やめちゃだめ』とか言っていたのに、やめていいですか?」
「・・・ふひっ・・・はぅぁ・・・ひゃふぅ・・・えひっ・・・」
「ルイス、ギルドフォードはもう・・・」
さっきまで気配を消すくらいに静かだった男爵が私に声をかけた。
「もう、ってどういうこと?」
私が男爵の方を向いて手を止めると、とさっと軽い音がした。振り返るとくまさんが糸が切れたみたいにだらんとして、ぺったりとオットマン上に伸びてしまっていた。
「えっ、くまさん大丈夫?」
「・・・えひっ・・・・・・はへ・・・」
くまさんは血色のよさそうな顔で満足そうな表情ではあったけど、目は涙でうるうるになっていて目線が定まっていなかった。
「大丈夫そう。じゃあ、せっかく大人しくなってくれたので、次は背中から・・・」
「リディントン、ハリーは満足しすぎてしまったようだ。次はコンプトンの肩の面倒をみてくれないか。」
別にマッサージって本人が満足したら終わりってわけじゃないと思うのだけど、ヘンリー王子としては満足しすぎるのはいけないことみたいだった。
「そんなっ、俺がこんなぐちゃぐちゃにされちゃったら、誰が王子様をお守りするんですかっ!?」
「そうです殿下、私としてもまだくまさんの治療がおわっておりませんので・・・」
コンプトン先輩は確かに肩が悪そうではあったけど、私としても本人が嫌がっているのにマッサージしたくはなかった。
「大丈夫だリディントン、それにこれ以上はハリーを壊してしまうだろう。」
「王子様っ、ギルドフォードはもうかなり壊れてますっ!こんなの危ないですっ!」
人間の体ってそんなやわじゃないと思うけど。くまさんも力が抜けているだけで体に悪い状態じゃないし。
「しかしながら殿下、先程くまさんの安定に苦労しましたように、本人の協力がないと治療は困難です・・・」
「心配ない。良いかコンプトン、リディントンの肩の治療は魅力的だが、まだ未知の部分が多い。前回コンプトンの腰の治療を先行して行ったことで、私としても心の準備を整えることができた。ここは私に貸しをつくると思って、体験してみてはくれないだろうか。リディントンの治療は折り紙付きだ。」
王子、コンプトン先輩を噛ませ犬にしていません?確かになんだか噛ませ犬っぽい雰囲気しているけど。
「でも王子様を守る人がいなくなっちゃいますっ!」
「コンプトン、いわばお前の役割は私の分身だ。私を守るために、先鋒をつとめるのが、私を守ることにも繋がる。コンプトンの肩にも良いことがあるだろう。それは私ののぞみだ。」
「うう・・・王子様の分身・・・名誉です・・・俺、頑張ります!」
なんだかコンプトン先輩は感動したようにヘンリー王子に敬礼した。
噛ませ犬というより生贄の羊って感じね。コンプトン先輩くるくるパーマで顔が逆三角形に近いから羊っぽさもけっこうある。
マッサージのプロとしては実験台を準備されるのは不満だけど、まあ一流のシェフにも王子に出す前に毒見がつくから、しょうがないといえばしょうがないのかも。
「じゃあ、どうしましょうか。くまさんを引きずり下ろして・・・」
「大丈夫だ、リディントン。予備のオットマンが控室にある。」
コンプトン先輩は自分が寝そべるオットマンを控室から引きずり出してきた。ちょっと低めでマッサージしずらそう。
「リヴァートン、俺をぐちゃぐちゃにしたらただじゃおかないからな。」
私の名前を間違えるのはコンプトン先輩にとってのある種の挑発みたいだった。
「コンプトン先輩次第ですよ。じゃあ上着を脱いでもらえますか。上着だけですよ、いいですね。」
コンプトン先輩が裸族かどうかはしらないけど王子の水浴びメンバーだし警戒しておいたほうがいいと思う。
「・・・ふっ・・・へぁ・・・」
「ハリーの息が苦しそうではないか。やはりシュミーズを脱がせてやったほうがね寝苦しくなくて良いだろう。」
「寝ている部下の服を脱がせるのはアウトです、殿下!」
かわいい水色の目で私をキッと睨みながら茶色い上着のボタンを外すコンプトン先輩を横目で確認しながら、私はくまさんの貞操を守るために声を上げた。