CCCLXIX 説得者ヘンリー王子
ヘンリー王子とくまさんに連れられて東棟に入った私は、さりげなく二人と別れて3階に行こうとしたところを男爵にさえぎられて、結局王子のゴージャスな私室まで帯同することになった。
相変わらず威圧感のある鹿の頭の剥製が、私達を見下ろしながら出迎える。
「ところでリディントン、昼に義姉上のところからプエブラ博士が使いに来て、西棟に『ルイザ・リヴィングストン』が滞在していると伝えてきたのだが、彼らとは交流があるのか。」
鹿以上に威圧感のあるヘンリー王子は、着ていた紅のマントを脱いでくまさんに渡すと、私を急に真剣な目で見てきた。きつくはないけどいつもより鋭い眼差しに少しびっくりする。
「ええ、キャサリン王太子妃殿下の脱走した飼い猫を捕まえたのが縁で、大変お世話になっています。」
西棟ではごちそうを振る舞ってもらえたし、マッサージも喜んでもらえたし、姫様たちとの交流は私が無事に引退したらいい思い出になりそうだった。マリアさんたちに化粧してもらったマリー・アントワネット風ルックは各方面に不評だったけど、あれだって一生に一度と思えばよかったかも。
「それについてだが、リディントンは、『ルイザ・リヴィングストン』として彼らと会った、ということで間違いないか。」
ヘンリー王子は金の装飾のついたギラギラしたブラックのベストを脱ぎながら、私に尋ねた。
「はい。といっても、私が誰であるかにあまり関心はなさそうでしたけど。特に身分も素性も聞かれませんでしたし。」
西棟の人たちはみんな大雑把だったのよね。一応私の西棟での名前は『ルーテシア・ラ・フォンテーヌ』だし。もともとは猫の名前だけど。
「いや、身分云々の問題でではなく、難しいが、リディントン本来の・・・いや、リディントンの生まれながらの性別を、義姉上達は知っているのかと・・・」
肩の張ったダブレットを脱いでくまさんに渡しながら、いつもはハキハキした王子は、なんとも言いにくそうに言葉を選んでいた。
生まれながらって・・・
「・・・殿下、私は生まれながらにして女です。今朝にも申し上げまして、未だに信じていただけていませんけど・・・」
「済まない、私の言い方が悪かった。リディントンの自意識を疑うわけではなく、ただリディントンと他の女性とは体の違いがあるわけだから、間違いが起こってしまっては問題になることを、指摘したかったまでだ。」
王子は私のことを心は女、体は男だと思っているらしいから、西棟に女性として滞在したら問題にならないか心配したみたいだった。そもそも姫様のところにはプエブラ博士とか男の人もいたし、偽証といってもちゃんと名乗らされてもいないから、実際に女だし何が問題なのかわからないけど。
「ご心配なく。間違いは起こりようがありませんから。それでは私はこれで」
「無論、リディントンを疑っているわけではない。機嫌を直してほしい。不快な話をして悪かった。もちろんリディントンのことを信頼はしている。その証左に、といっては都合が良すぎるが、西棟に行く際には、私の枢機卿への手紙を届けてくれないだろうか。」
枢機卿への手紙って、王子が書いているBL小説のことよね。私とかモーリス君が登場するやつ。実際は国外出張中の枢機卿じゃなくて姫様たちが愛読しているけど、いいのかしら。
「承りました。ですが、今朝申し上げた通り私はなるべく早い段階で辞職する心づもりですので、定期的にということでしたらお引き受けできません。」
「引き受けてくれて助かる。辞任についてはどうか考え直してほしい、リディントン。警備が手薄だったのは謝るが、いくらでも強化できる。待遇も改善する上に、東棟内での女装にも制限をかけない。正式に認証も受けた契約なのだから、しばらく様子を見てくれないか。」
王子はシャツのボタンを外しながら私を説得しようとしていた。認証はたしかにサインしちゃったけど身に危険が及んだ場合は無効にできるはずだし、そのほかの条件に劇的な変化はないけど。
「それは朝と同じ堂々巡りで・・・ちょっと待ってどこまで脱ぐ気なんですか殿下!!!」
いつの間にかヘンリー王子がかなり薄着になっていたのに気付いた。
「前回の腰の治療のときは寝間着一枚であれほど快かったのだから、今回はいっそ全部」
「ストップ!!『いっそ』って意味がわかりません殿下!!腰の治療は服を着ていないとできませんって昨日もいいましたよね!」
マッサージするって同意してないのにもう準備を始めていた殿下は、さも当然といったふうにトンデモ理論を振りかざしてきた。駄目、絶対。
私の横でさっきから黙っている男爵が怖い。王子が裸族なのも問題だけど、王子が脱いじゃうと男爵がスザンナを差し向けるからまた恐ろしいことになるのよね。
「リディントン、泉で屈強な男達に襲われかけた苦い思い出があると聞いた。心から同情する。だが、騎士たるもの遠征などで屈強な男達と体を清めることは避けられない。私がリディントンに襲いかかることは神に誓ってしないから、私の体は過去を克服するには最適だろう。」
そもそも騎士って名誉職だっていうから渋々引き受けたのに、なんで遠征することになっているのかしら。屈強な男性たちと入浴したら気まずい以前にその時点でアウトだから。
王子は目を輝かせて私の架空のトラウマを克服させようと粘っていたけど、そこまで自分の裸体をPRされても困るっていうか迷惑っていうか。
イケメンの笑顔が眩しいから断るのに一瞬怯む。でも、男爵で抗体ができている私は屈服しなかった。
「お断りします。殿下のお手を煩わせるような心の傷ではありませんし、騎士の位は返上する形になっても致し方ありません。」
「リディントン、それは推薦した人間はもちろん、騎士の位を授ける国王にとっても問題になる。それに、このままでは私と一緒に温泉に入ることに躊躇してしまうだろう。由々しき事態だ。」
「躊躇というか入りませんし、全然どうでもいい事態だと思います!!あと、さり気なく更に脱ごうとしないでください!!!」
私が脱ぎたがる王子と格闘していると、廊下から誰かが走ってくる音が聞こえた。
「王子様!コンプトンです!入れてください!」
コンプトン先輩みたいだった。たしか反マッサージ派だったし、この人に裸の王子様を押し付けてなんとか逃げられるといいんだけど。
「コンプトン、入って良い。開けてやってくれ、ハリー。」
王子がくまさんにドアを開けさせるのを見ながら、私は王子の脱ごうとする手が止まったのに少しホッとしていた。




