CCCLXVII 救出者ウィンスロー男爵
*更新が長期間止まってしまい申し訳ありません。事情により部分的に再開しました。末尾にお詫びと説明を掲載しています。
登場人物を忘れてしまったかと思いますので・・・
この章の登場人物
*ルイス・リディントン: 主人公。本名ルイーズ・レミントン。地方都市ノリッジの弁護士の娘でマッサージの達人。ヘンリー第二王子の女嫌いを「治す」ため男装し従者として送り込まれる。最初は多少やる気があったが、アーサー王太子派に命を狙われたため今はさっさと辞任したい。イケメンをこよなく愛する一方筋肉に関心はない。男爵いわく「美少年のような少女」だが本人は体型に言及する人間を許さない。性別を見破られることが少ないのが不満。声は高めでよく響く。栗色の髪に大きな明るい茶色の目が特徴で、男装時のカツラは癖っ毛。
*ウィンスロー男爵レジナルド・ガイトナー: 通称「男爵」。国王侍従でヘンリー第二王子派。ルイーズ好みの彫りの深いイケメンだが、いつも似合わない薄ら笑いをしている。女嫌いだった知人のスタンリー卿がルイーズの「指魔法」に夢中になったのを見て、ヘンリー王子に女性慣れをさせようと企てる。マッサージは誘惑の魔法だと思っている。だいたい黒服に黒い帽子。焦げ茶の髪に切れ長の目。
*サリー伯爵: 軍務卿・第一大蔵卿。アーサー王太子派の重鎮。ルイーズ/ルイスのことをどれだけ知っているかは不明。王族と結婚し息子に継承権があるため、男爵からはヘンリー王子の子作り計画を妨害していると思われている。威厳のある声と顔立ち。
*伯爵の従者: 伯爵と共に「ルイス」を地下牢に連行したが、逃走しようとした「ルイス」に肩のツボを押され悶絶する。
*ヘンリー第二王子: 文武両道、健康で逞しい第二王子。徹底した女嫌いで半径20フィート以内に女性を寄せ付けない。従者チャールズ・ブランドンらと並々ならぬ関係との噂がある。ルイーズいわくラグビーをやってそうな、ヒーローっぽい見た目。裸族で水浴びが好きなため日に焼けている。話は格調高く無駄に長い。「ルイス」に腰のマッサージをされて気に入ってしまい、ルイーズが正体と性別を暴露しても信じようとせず、かえって外国との縁談を断るため「女装」した「ルイス」と偽の婚約を持ちかける。赤みがかった金髪に小さめの青い目。
*ヘンリー・ギルドフォード: 通称「くまさん」「ハリー」。宮殿の財務責任者の息子でヘンリー王子の昔からの従者。イケメンと言えばイケメンだがテディベアっぽい雰囲気と見た目で、呑気で飄々とした性格。顎が割れている。「ルイス」の本当の性別を見抜くが、ルイーズの肩のマッサージに陥落し、黙っている引き換えにマッサージを要求する。カールのかかった黒っぽい焦げ茶の髪。
この章で言及される人物
*チャールズ・ブランドン: 宮殿の馬丁の息子でヘンリー王子の昔からの従者。大の女好きだが、水浴び中のヘンリー王子と一緒の姿をルイーズに目撃され、王子と恋愛関係にあると思われている。「ルイス」のマッサージに喘ぎ声を上げる王子を聞いて勘違いをし、危険な間男の追放を図るが毎回失敗している。筋肉質な体格で王子より更に大柄な女たらしだが、ルイーズいわく雰囲気だけで顔はそれほどでもない。緑がかった不思議なダークブロンドで、ウェーブがかかった髪。
*トマス・ニーヴェット: 通称「トマス」。海軍将校の息子でヘンリー王子の最近任命された従者。ルイーズと地元が近く二人は以前から家族ぐるみの交流がある。馬上槍試合の大会で優勝しサリー伯爵の娘と結婚した。小顔でそこそこ整った顔立ちだが額が広い。常識人だが機転の効く方ではなく、ルイーズに振り回されがち。茶髪。
*ウィリアム・コンプトン: 通称「コンプトン先輩」。内戦で没した騎士の息子で、ヘンリー王子の身の回りの世話をする。新参者「ルイス」に王子の寵愛が移るのを警戒し、敵対視している。「ルイス」から敬愛する王子の貞操を守ろうと体を張るが、強引に背中のマッサージをされて忘我状態になってしまう。かわいい顔立ちで周りからヘンリー王子と深い仲だと思われている。黄土色のカールの髪で水色の目、頬がピンク。
*アーサー王太子: 第一王子。体が冷たくなっていく病に侵され、自分はそのうち世を去るものと達観していたが、医師「ルーテシア」に扮したルイーズにただの冷え性だと診断されて困惑する。王太子自身は優しい善人だが、自他ともに病弱で意思が弱いと認めているため弟王子を推す勢力との政争の種になってしまった。「ルーテシア」に足のマッサージをされ、顔色が良くなり蕩けてしまったことから誤解を生む。弟よりもくすんだ色のレッドブロンドで、顔色が悪く目の下にクマがある。
*ハーバート男爵: 王室副家令でウィンスロー男爵の悪友。宮殿の管理人で、架空の「ルイス・リディントン」の設定を司る。あまりイケメンではないが武闘派。
*スザンナ・チューリング: ウィンスロー男爵に恩義がある地方の宿屋の娘で、「ルイス」の女中。男性の体に興味津々で、本人もかなりグラマラスな体型でルイーズのコンプレックスを刺激する。女中の仕事はできるがルイーズへの忠誠心はゼロ。ルイーズのマッサージで恍惚とするヘンリー王子に襲いかかる任務を帯びている。鮮やかな赤髪が王子の髪色とやや似ている。
*シュールズベリー伯爵夫人: 宮廷女官長で、ウィンスロー男爵の後援者。身分の低いスザンナがヘンリー王子の子供を妊娠したら、ルイーズに妊娠の演技をさせてそのまま王妃にしたてあげようとしている。アーサー王太子が妃の実家「南の国」に操られることを恐れ、交渉材料としてルイーズの弟パーシーを宮殿におびき出す。
*パーシヴァル・レミントン: 通称「パーシー」。ルイーズの弟で寄宿学校ウィンチェスター校の生徒。見た目が愛らしく、性格も考えればルイーズよりもかわいいと評判。
「例えばだけど、お姫様がピンチにならないと登場しない王子様って、職務怠慢だと思うのよね。救出シーンはかっこよくても、誘拐されたり襲撃されたりして危険に晒された時点で心の傷がのこるでしょう?それでも失態を許した責任をとっている王子様なんて一度も聞いたことないわ。」
地下牢から宮殿に戻る帰り道、私はさっそうと前を歩く男爵を責め立てた。
「お姫様とは誰のことかな、ルイス?」
相変わらず顔がいい男爵は反省の色が見えなかった。ついさっきはこの飄々とした感じが妙に頼もしかったけど、今はまた憎らしくなってくる。
「例えよ!例え!さっきは助かったけど、私がサリー伯爵に連行されている時点で男爵の落ち度なんだから、『助けてくれてありがとう』、なんて絶対言いませんからね!」
「ルイスからのお礼は天気雨のようなものだからね、たまにあれば面白いけど、期待や要求などしないよ。」
黒服の男爵は、また彫りの深い顔に似合わないいたずらっぽい笑みを浮かべて、肩をすくめた。
「私のお礼が天気雨だとしたら、男爵の反省は蜃気楼ね。滅多にないし、あるんだかないんだかわからない。」
私は男爵の黒いローブに向けて文句をいうと、さっきまでのトラブルを思い出した。
『騎士になるにあたり、ルイス・リディントンの兵科はまだ決まっていないのではなかったか。火事の鎮火で見せたカリスマ、技術的な知識、よく通る大声、すべてをもってして砲兵にふさわしいと思われる。華奢な体で騎兵や槍兵は無茶だろう。砲兵隊は士官クラスのなり手が不足している。これ以上の組み合わせはあるまい。』
サリー伯爵は、私がツボを押した部下の方が倒れ込んでヒクヒクしているのを全く気にせずに、男爵に向けて淡々と話した。
この人の低い声は妙に重たくてそれっぽく聞こえる。でも、とりあえず大声って何よ、大声って。
『砲兵隊は職人気質の難しい面子が多い上に、他の部隊との連携にも課題が山積しています。ヘンリー王子殿下の従者を兼ねるルイスにとっては難しいポジションです。』
砲兵業界の話は知らないけど、男爵の話からは、なんだか人間関係が複雑で大変そうなのはわかった。そもそも騎士なんて名誉職だって聞いていたのにさっきから話が違う。
『何も兼任する必要はない。砲兵との訓練に専念すればよかろう。第二王子の従者は現状でも多すぎるくらいではなかろうか。砲兵の司令官は補充が必要だ。』
サリー伯爵の話からは、私をヘンリー王子から引きはなしにかかっているようにも見えた。伯爵は表情と声のトーンを変えないから分かりづらかったけど。
『ルイスはヘンリー王子殿下にとって替えが効かない存在ですから。』
『リディントンは今週からの赴任ではなかったか。新任でも代わりがいないのは、なぜかね。』
追及する伯爵の相手は男爵には荷が重そうだった。伯爵としては私とヘンリー王子の関係に探りを入れたかったのかもしれないけど。
私の出番だった。
『伯爵、先ほどからウィンスロー男爵にお話になっていますが、男爵は私の後見人でこそあれ、交渉代理人ではありません。私本人といたしましては、先ほど申し上げた通り目下私自身が引き受けたヘンリー王子殿下との契約を尊重し、それに不都合をきたすようであれば砲兵のお話はお断りさせていただきたく存じます。』
とりあえず新しい仕事は断る。辞めるときに複雑になるし。従者自体も契約解除して辞任するつもりだけど嘘は言ってない。
『騎士として、国家の安全のために働く、というのが基本だと思わぬかね。先程バス騎士としての宣誓をしたと耳に入れたが。』
宣誓ってまさか、騙されて連れて行かれた例の浴室でハーバート男爵がなにか読んでから私がとりえあえず『誓います。』って答えた茶番のことかしら、なんて思ったけど。
『私は戦場に出るには経験も足りませんので、ヘンリー王子殿下のもと精進させていただければと存じます。会計でも人事でも、国家の安全のためにこの弱い体でもできることから始めようとおもっております。人手が足りないのは砲兵だけではないでしょう?』
お子様なブランドンたちの様子を見ていた私には、軍隊が文官不足なんだろうなということは薄々わかっていたし、伯爵も否定できないのか少し気まずそうに咳払いした。
男爵が自分の存在をアピールするみたいに、無意味に一歩前に出た。
『ともかく、この場は明らかにふさわしくない。また機会を改めましょう。ルイス、ヘンリー王子殿下が呼んでいるよ。』
『そうですか、新しい職を受ける以前に、今の仕事に邁進しないといけませんね。伯爵、これにて失礼いたします。』
そこから私と男爵はサリー伯爵に形式的な挨拶をして、地下牢から脱出した。男爵は迷路みたいな内部をよくわかっていたみたいで、そんなに手間取らなかった。
私を連れてくるときにヘンリー王子の都合を一切無視した伯爵は、今度は強引に引き止めずに、目を細めて私をじっと見ていた。
私にツボを押されてからうずくまったままの侍従の方は、誰にもかまってもらえないままでちょっと気の毒だった。
――――――
「考えてみたら男爵が救出に来なくても私だけで脱出できた気もするけど。」
「どうだろうね、私が来たときは地下牢の廊下は厳重に見張られていたけどね。」
男爵はさらっと背筋が冷えることを言う。切れ長の目はいつもどおりいたずらっぽそうに光っている。
「男爵も、もうちょっとトラブルを未然に防ぐところにエネルギー使ってほしいんですけど。」
「防いでいるのだけど、ルイスに気づいてもらえないだけさ。さっきもルイスの弟くんをたぶらかして拉致したシュールズベリー伯爵婦人にはきちんと文句を言っておいたよ。」
ほんとに、男爵はさらっと背筋が冷えることを言う。
「やっぱりパーシーは人質だったのね!伯爵婦人は私の味方って言っておいてなんて手口なの!!」
パーシーのおねだりで私が子作りプロジェクトに協力する、という筋書きと聞いていたけど、このまま協力しないとパーシーは寄宿学校に帰れなくなる、みたいな展開はあるかもしれなかった。
「安心してほしい。機嫌を損ねたルイスの強さを私はよく知っているからね。人質がいて気持ちよく職務に集中できる訳が無い。今日にもウィンチェスターに向けて出発してもらう予定だよ。」
「・・・男爵の『安心してほしい』ほど信用できない言葉はない気がする。」
男爵は全く信用できないけど、私の安全のためにもきちんと辞任できるまでは敵にできそうにないのよね。
「それはそうとルイス、ヘンリー王子がルイスを探していたのは本当でね。」
私の非難が『それはそうと』で流されるのは相変わらず納得いかないけど。
「たしか数学のご進講、だったかしら。別に私が必要だとも思わないけど。」
「授業はもう終わったはずだよ。ギルドフォードがルイスに肩を弄ばられて気持ちが良かったと話したようでね、ヘンリー王子も同じ魔法をご所望らしい。」
くまさんがまた余計なことを言ったのね。私のことは黙っているってルールだったはずなのに。
「ヘンリー王子には腰のマッサージを昨晩したばかりだし、肩のマッサージをしたらまた懐かれて私が辞任させてもらえなくなるわ。」
「ルイス、宮殿は完全に安全ではないかもしれないけど、取りうる選択肢の中では一番マシだと言っているよね?それにヘンリー王子はもうすっかりルイスに堕ちている。辞任したルイスを追ってノリッジまで探しに行く勢いだよ?」
服装も内面もブラックな男爵はあくまで私の辞表をスルーするつもりらしかった。せっっかく顔がいいのにもったいなさすぎる。
「宮殿って立地だけじゃなくて、一年契約と言っていたのに伯爵夫人は王妃になれなんて言ってくるし、斬りかかってきた王太子派は結局誰だか確証がないし、王子は美男子好きな裸族だし、私が最初に飲んだ条件と全然違うじゃない。」
客観的に見たら私が協力する理由は限りなくゼロに近かった。魔女裁判で地元にいづらくなったくらいで宮殿仕えを承諾したのは改めてみると軽率だったと思う。昨日までは楽しかったのに。
ノリッジの社交界には男爵級のイケメンはいないけど、命が惜しかったらトマス級を眺めるだけで我慢しないと。『魔女』と結婚したい人はいないだろうから、ほんと眺めるだけだろうけど。
「ルイスの実績が予想以上だったということだよ。考えてもごらん。女を遠目に見るだけで顔を青くしていたヘンリー王子が、女性のふりをした男性とみせけた男性のふりをした女性に夢中。こんな天変地異が起きたら多少の混乱はさけられない。」
「別に『みせかけて』ないから!!!男爵が勝手にストーリーを作っただけでしょ!!??それに騎士が斬りかかってきたのに『多少の混乱』で済ませるってどういうこと!!??」
「・・・物理的に耳が痛い・・・ほらルイス、噂をすればヘンリー王子がわざわざお出迎えだ!」
私に弁論で勝てない男爵は大げさに辛そうに耳を抑えて、また気を散らそうとしてくる。
「リディントン!待っていた!」
前を向くと、真鍮の装飾の入った、相変わらず肩の張った派手な黒と赤の服をまとったヘンリー王子が、東棟と北棟の境目あたりで私に手を降っていた。爽やかな笑顔とレッドゴールドの髪も合わせてやたらと眩しかった。あの場所は女人禁制地区じゃないはずだけど大丈夫かしら。
王子の隣で山吹色のマントを着て護衛についているくまさんを睨みつけると、口の軽いくまさんは気まずそうにカールのかかった黒髪を掻いて横を向いた。
「ヘンリー王子殿下、お待たせしましまい申し訳ありません。」
「構わない。サリー伯爵から伝言があった。リディントンは砲兵隊に行きたいとのことだったか。数学の学びを一緒に分かち合えなかったのは至極残念だが、リディントンの未来のためなら我慢しよう。」
近寄ってみると今日のヘンリー王子は肌までピカピカしていた。コンプトン先輩がまた顔そりでもしたのかしら。
そしてサリー伯爵は早速ストーリーを捻じ曲げにかかっていたみたいだった。
「砲兵の件はお断りしました。今朝申し上げましたとおり、私は近く辞職する予定ですので。」
「どうか考え直してくれ、リディントン。安全の保障がおざなりだったことは心から詫びよう。火事の混乱によるものだったから二度と繰り返されることはない。どうか過去から学んだ未来の私を信頼してほしい。」
ヘンリー王子は嘆願調だったけど、堂々とした体格のせいかすごく自信満々に聞こえた。
「殿下、おそれながら、今朝私がお断りしたときと状況も条件も変わっておりません。辞任させていただきたい意思に変わりはございません。」
「リディントン、我々が何もしていないように見えたかもしれないが、これでも全力で捜査をしている。今朝斬りかかられたことについてだが、リディントンが・・・いわば、心のおもむくままの格好をしていたときだったと聞いている。」
女の格好、と言いたいんだろうけど、殿下はいらない気の遣い方をした。くまさんと男爵が同時に吹き出したのがわかる。
なんで心おもむくままに全裸になる王子に気を遣われないといけないの!?
「殿下!公の場では言えませんが、私の性別については今朝申し上げました通り・・・」
東棟のすぐ外で「女です」宣言をするわけにもいかないから、私は周りを見回した。
「安心してほしいリディントン。私は内戦後の、新しい時代の王族だ。たとえ心と体のずれがあったとしても、それもリディントンの個性として受け止め、リディントンが快適な姿で安全に宮殿を闊歩できるよう、最善を尽くそうと思う。」
ヘンリー王子のつぶらな目は希望で輝いていた。東棟のスタッフは男爵の手の下の人たちだから、私は今までも女の格好をしていたけど、そこは問題じゃなかった。
「殿下、素晴らしい志でいらっしゃいますが、新しい時代はまず臣下の話を聞くところからスタートされては。それらを鑑みてもなお辞任したいと私は申し出ておりますので。」
一向に私の主張を受け付けない王子に、私はちょっと声を低めた。
「リディントン、これはあくまで二次的な理由で、これがためにリディントンを引き止めたいと思っているとは、決して思わないでほしいのだが・・・一度リディントンが与えてくれた快感を味わってしまった私は、もう元には戻れない。」
「紛らわしいことを言わないでください!!あれは治療です!」
今朝みたいにまた嫉妬に狂った王子の恋人が乱入してきたら困る。
横を見なくても男爵の形の良い細い唇が弧を描いているのがわかった。
「わかっている。私の健康を考えてくれたものだと。おかげで現に火事から調子の悪かった腰が今日は快調だ。しかもリディントンの心のありようを考えれば、裸の私と触れ合うことも勇気がいることだろう。だが、それでもなお、私は至福の時間が忘れられないのだ。」
マッサージのときに王子はシュミーズを着ていたけど、勝手に裸の設定になっているのはなぜかしら。あと王子はよく『ふれあい』っていうけど一方的に私がマッサージをしているだけだし。
「殿下は先週まで治療なしでも元気にお過ごしでいらしたのですから、きっとすぐ元にお戻りになります。恐れながら、殿下のご主張はお酒で身を崩されるかたの言い分と似ていらっしゃいます。他者に依存しない、強い生き方を確立することが大事かと思われます。」
「リディントン、いままでの暴君は、なんらかの心と体の不満足があった者が多かった。内戦を引き起こした先代の国王は、骨の異常で肩の痛みを生涯にわたり抱えていた。失政でこの国を危機に陥れた九代前の国王は、臣下との許されざる愛に身を焦がしていた。リディントンが私の体を満足させてくれることは、世の太平についてもきっとポジティブな効果があるだろう。」
スケールが大きくなったけど、青い目を輝かせるヘンリー王子はいたって健康だし、臣下との許されざる愛って私にはどうしようもないけど・・・
「殿下、それでしたら、明らかに心と身体にお悩みを抱えていらっしゃる、アーサー王太子殿下のところにこそ私は行くべきなのでは?」
「ルイス!」
今まで横で黙っていた男爵のディープな声がして、私はとっさに振り返った。
これは、いいかも。
珍しく真面目に私を見つめる男爵の目は深淵で、いつものいたずらっぽい光がなくなった茶色の瞳に引き込まれそうな気までしてくる。逆光で影がさしている彫りの深い顔立ち。筋の通った真っ直ぐな鼻梁とさが影と一緒に幾何学模様みたいになっていて、憎いくらい肌が綺麗だからコントラストが芸術的。鳥肌立ちそう。
笑っていない男爵ってほんと貴重なのよね。男爵はヘンリー王子ほど人気がないかもしれないけど、真面目な顔をしているところを切り取ったら倒れる女性が続出すると思う。
「リディントン、少し震えているようだが、寒いのか。中に入って暖を採るといい。いや、私は体温が高い方だ。腰の治療をすれば副次的にリディントンもあったまるのではないだろうか。」
笑顔が眩しいヘンリー王子がまた訳のわからないことを言い始めた。
「私、しませんからね、殿下?殿下はご健康すぎるくらいです。」
「ひとまず中に入ると良い、リディントン。それと、言われたことを少し考えたが、リディントンが兄上の治療に当たるのも悪くない考えだ。リディントンの安全のためにも、私が自ら見届けてもよいだろうか。」
ヘンリー王子は意外にもアーサー王太子のマッサージに前向きみたいで、王太子派の襲撃をちゃんと心配してくれたみたいだった。思い込みは激しいけどこの王子は男爵と違って部下想いなのよね。
「殿下・・・ご一緒されるのですか。王太子殿下が恥ずかしがりそうですけど。」
アーサー王太子はチャンスがあれば脱ぎたがるヘンリー王子やブランドンとは真逆の性格をしているから、見られるのはどうかと思うけど。
でも、ジャングルに放りだしても生きていけそうなヘンリー王子と違って ―そういえばターザン似合いそうー 私が辞任した後に生きる意思が薄そうなアーサー王太子がどうなってしまうかは少し気にかかっていた。命を危険にさらしてまで助けたくないけど、ヘンリー王子がついて来てくれるんだったら・・・
「そう畏まらずに、詳しくは中で話そう。リディントン。それに、私のこのあたりがリディントンの助けを必要としているようだ。」
王子は腰のあたりに手を当てた。さっきから堂々と立っているし全然腰辛そうじゃないけど。
「気のせいです、殿下。さっき快調っておっしゃってましたよね。」
逃げたいけど、私の部屋も東棟だし、相手は王族だし、とりあえず部屋に連れて行かれるのは仕方がないのよね。
全然畏まってない私を気にする様子のない王子と、あきらかにマッサージのおこぼれを期待している感じのくまさんと、なんかまた怪しい手サインを送っていた男爵といっしょに、私はまた東棟に入った。
*ご無沙汰しております。この小説は趣味として二人で書いていたのですが、色々あって別々の道を歩むこととなり、結果として更新が止まる形になってしまいました。更新を待って頂いていた皆様にはこの場を借りてお詫び申し上げます。
上記の事情から、先日せっかく頂いたコミカライズのお誘いを断る形となってしまい、今後そのような話が出たときのためにせめて完結だけはさせておこうという合意にいたりました。最初から決まっていたプロットを進めることに注力しますので、ほのぼのコメディが少なくなり少し暗い展開もあるかと思いますが、それでも興味を持っていただける方はお付き合いいただければと存じます。