CCCLXVI 名臣サリー伯爵
涼しい地下牢の部屋には質素なテーブルと革張りの椅子がいくつかあって、サリー伯爵の従者の方は椅子を二つ向かい合わせにセットすると扉のそばに陣取った。
「座りたまえ。」
席についたサリー伯爵はあまり感情のこもっていない声で私に座るように促したけど、私は必死で断る口実を考えた。
「えっと、少し腰を痛めていまして、礼節には反しますがもしよろしければこのまま立っていられたらと・・・」
「それなら構わぬ。このまま話すとしよう。」
伯爵は二人の早足についてきていた私の腰の具合について、特に疑問を挟まなかった。
今まで伯爵と従者の方に挟まれて連行される形になったけど、伯爵は席に座ってすぐには動けなさそうだし、従者の方は私から見て斜め前方にいて、私のことをあんまり警戒しているようには見えない。
さっきから鍵をかけてはいなかったし、地下牢の出口の扉が牢獄と同じデザインでも、私はちゃんと道を覚えていた。
また変な書類にサインさせられる前に逃げられる気がする。
私が逃走計画を練っているうちに、サリー伯爵は淡々と話し始めた。
「知ってはいると思うが、私もこうした牢獄で2年を過ごした。しかし内戦の敵味方に限らず、優秀な人材を登用するという現国王陛下の方針のもと、再び国政に携わることとなった。陛下の近親者や側近の反対にもかかわらずだ。」
サリー伯爵が投獄されていたのは知らなかったけど、そういえば男爵が何か言っていた気がする。
「そうだったのですね。」
私は男爵の方を向いて当たり障りのない受け答えを心がけつつ、横目で従者の方と扉の位置関係を確認した。扉の出っ張りみたいな部分を持っているみたい。彼とのコンタクトなしには脱出できなさそうだった。
「情に厚いヘンリー王子にそれができると思うかね。」
「難しいかもしれませんね。」
従者の方は割と長身だし、アンソニーのときみたいな肩のトリガーポイントを押すのは厳しそう。
「さて、私の王族の血を引き継いだ我が子を擁立するのではないか、という噂をウィンスローから何か吹き込まれているだろうが、それは根も葉もない噂だ。私が望むのは統治能力のある者が、統治に携わることだ。」
「そうでしたか。」
いきなりツボを押して抵抗されたときに痛い目に遭うのが怖いかも。かがんでもらったらちょうどいい気がする。
「そこの国に必要なのは優秀な国王か、優秀な臣下達か。これが二択になってしまった不幸な場合において、私の答えは自明だろう。再建途上のこの国において、お友達のお遊戯はお呼びでないのだよ。」
「そうですよね。伯爵のご境遇を考えると、ご心情を察するにあまりあります。」
私は麻のハンカチを取り出して、涙を拭くふりをした。現世だとティッシュペーパーがないからハンカチを持ち歩くのはは必須なのよね。正方形は少なくて帯型になっているけど。
「泣くような要素はないはずだが、涙もろいのか。ヘンリー王子周辺の文化に馴染んでしまっているのかもしれぬが、あまり褒められたものではない。」
「いいえ、必ずしもそういうわけでは・・・あっ、ハンカチが落ちてしまいました。」
私は振り向いた勢いで、ハンカチを従者さんのいる方向に落とした。
「失礼、取り乱してしまって・・・あの、よろしければ拾っていただけますか?」
「わかりました。」
現世で床に落ちたものをひろうのは身分の低い家来がすることだから、伯爵の付き人が平民の私のハンカチを拾ってくれる保障はなかったけど、従者の方は特にためらいなくハンカチを拾いにかがんでくれた。
屈んで高い位置にきている脇腹の下の方、ウエストラインにある帯脈の部分を横から強く押す。
「うっ、うがあっ!!!なっ!!あっあがあっ!!」
従者の方はかがんだまま悶えていた。
伯爵が立ち上がる頃には、私は扉までたどり着いていた。
「伯爵、こうした交渉は地下牢じゃなくて明るい場所で、事前に約束をとってからしましょう。ここでなにかにサインするのは脅迫に近いので、一切お断りします。それではごきげんよう!」
私は元気よく扉を開いた
・・・と思ったけど開かない。
「えっ、鍵かけてなかったのに・・・」
現世の鍵は錠型だから、かけるのはけっこう大変でガチャガチャ音がする。
「ここの扉を中から開けるのはコツがある。解説するような馬鹿な真似はしないが。」
伯爵は驚く様子もなく、私に近づいてきていた。
私は戦略を変えないといけなかった。
「こ、ここから出してください!!この人がどうなってもいいんですか!!?」
「あうっ!!あっ!!あがあっ!!!」
未だに立ち上がれない従者の方に指圧をかけ続けて、私と伯爵の間に従者の方が位置するようにする。
伯爵はなんだか従者の一人や二人生贄にしそうな雰囲気があったけど、私にはもう交渉材料が残っていなかった。
「うぐあっ!・・・腰がっ、だんだんっ・・・あたかかくっ・・・あっ、あああっ!!」
「なるほど。このようにしてヘンリー王子の下半身を征服したのだな。」
「ちょっと言い方!!」
伯爵は普通に助ける様子もなく従者の方を観察しているし、もう私には逃げ道がないかもしれない。
「やめっ・・・うおおおっ!!・・・あっ、抗えないっ!?・・・あぐぁっ!!」
「リディントン、悪あがきはやめたらどうかね。それに彼は妻帯者だ。上司の前で新しい扉を開かせるのは気の毒だと思わんかね。」
「だからそういんじゃないんですってば!!」
私は伯爵にヘンリー王子の何だと思われているのかしら。大体想像はつくけど。
そんなことを気にしている場合じゃなかった。
「伯爵、何をしたいのかわかりませんけど、とりあえず砲兵とか絶対お断りですからね!!ここで何か口約束しても、脅迫扱いで無効ですからね!!」
私の叫びに伯爵は無言のまま、ゆっくり手を上げた。
思わず力む。
「ちょっと暴力反対!!!」
「うがアアッ!!!」
「鏡が必要かね?」
挙げられた伯爵の手は、そのまま耳に当てられた。殴られるかと思った私は少し安心したけど、根本的に絶体絶命な状況は変わらなかった。
伯爵のツボを押すか何かするしかないけど、目の前で実演しちゃった以上かなり警戒していそうだし、私が手を離したら従者の方が復活するかもしれないし・・・
「地面から雷みたいな音がすると思ったら、やはり君だったね、ルイス。」
扉の向こうから聞き慣れた、ディープな声がした。
「男爵・・・」
私が押しても引いても開かなかったドアが開いて、いつもみたいにせせら笑った表情をした、イケメンが現れた。
採光窓からの光が顔にあたっているのが舞台効果みたいだけど、それも意識した立ち位置かしら。
よくいう吊り橋効果かもしれないけど、初めて男爵のニヤニヤした表情がすごく頼もしく思えた。
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長らく更新なしになってしまってすみません! 色々とゴタゴタしてしまいました。ブックマークを外さずにいただいた皆さん、ありがとうございます!どうぞ良いお年をお過ごしください。




