CCCLXIV 策略家シュールズベリー伯爵夫人
私に睨まれてもすました顔をしているシュールズベリー伯爵夫人から顔をそむけると、目の前のパーシーが心配そうな顔で私を見つめていた。
「姉さん、怒らないで。僕、姉さんのきれいなお姫様姿が見たかっただけだよ?」
「パーシーには怒っていないわ。心配しないで。パーシーの家族愛を利用しようとした伯爵夫人に怒っているの。」
私はパーシーの髪を優しくなでてあげると、伯爵夫人の目の前まで歩いていった。
「伯爵夫人、パーシーに学校を休ませて何をさせたかったのかは分かりませんけど、弟が期待しているからといって、私は王妃にも騎士にもなる気はありませんから。」
「・・・貴方がウェストモアランド伯爵に婚約を承諾させられたと聞いて、弟君ではどうかとの意見がでたことは確かです。ですが、この大役をきちんと説明すればご家族もわかってくれるとのこと、自分の目で確かめてもらえればと。」
夫人は、パーシーにあの9歳の伯爵のマネをさせるつもりだったのね!
「ウェストモアランド伯爵は犯罪的な可愛さでチキンをあーんしてくれただけで、最終的に婚約を選んだのは私です。パーシーを連れてきたからって妥協するはずないでしょう?それに未成年のパーシーから説得するのはおかしいわ!責任者のお父様がここに来ていないのが、家族を説得できていない証拠です。ほんと、パーシーも怪しい人についていっちゃ駄目よ?」
「でもウォーラム大司教様は怪しい人なの?教会で一番偉いんでしょ?」
振り返ったらパーシーがこてんと首をかしげる姿が可愛かったけど、私は5分であの無罪判決を出した、日に焼けた白髪の大司教様を思い出して首を振った。
「いい、パーシー。私が宮殿で出会った教会関係者は純粋な王子に女性をけしかけようとする汚れた心の人たちばかりよ?」
「けしかけられた女の人は、なにをするの?おはなしするの?」
「それはパーシーにはまだ早いわ!!とにかく、偉い人だって人を騙そうとするのよ?神様に仕えているからって嘘をつかないわけじゃないわ。気をつけないとだめ。」
私は可愛い弟に教育的指導をすると、改めてシュールズベリー伯爵夫人の方に向き直った。
「騙すと言えば、さっき話題にしましたけど、ルイス・リディントンだったのが急に王妃候補ルイーズ・タルボットになったとして、リディントンを知っているヘンリー王子の取り巻きはどうする予定ですか?追い落とすって一体どうやって?」
私が伯爵令嬢になったところで、王子の恋人ブランドンは『ルイス・リディントンが女装して王子を誘惑している!』と思って嫉妬してきそう。全然平和が訪れそうにないと思う。
「貴方が心配する必要はありません。モーリス・セントジョンとヘンリー・ギルドフォードはすでに指魔法に屈服してあなたの傘下に入ったと報告を受けています。残りの取り巻きはどうにでもなります。」
「傘下って・・・えっ、どうにでもなるって、どういうことですか?」
お決まりの指魔法関連ワードに違和感を感じたけど、ヘンリー王子派のシュールズベリー伯爵夫人がヘンリー王子周辺をよく思っていなさそうなことにはびっくりした。
「身内に甘いヘンリー王子殿下は、このまま幼なじみたちを重臣にしてしまう恐れがあります。残念ながら、殿下と育った友人たちの大半は、重臣の器ではありません。」
うん、それは思った。
「でも私が王妃になって『寵愛』とやらを得たところで、ヘンリー王子の身内びいきが終わるとは思いませんけど。」
「ヘンリー王子の婚約と貴方との交際期間を口実に、私達が彼らを徐々に遠ざけます。貴方が心配することはありません。それよりも、この後貴方も同席する数学のご進講に、私の甥を含めた未来の重臣候補が出席します。彼らとは長い付き合いになるかもしれないので気をつけなさい。貴方はルイス・リディントンの格好で構いませんが、王子と彼らの前では無理に男性のふりをする必要もありません。」
恋人のブランドンが遠ざけられたら、ヘンリー王子が黙っていないと思うけど。王子から遠ざけるコンプトン先輩たちの代わりに甥をあてがおうとするシュールズベリー伯爵夫人も政治家っぽい。
「先程から言っているように、彼らと長い付き合いをするつもりはないのですが・・・」
「貴方の弟君はこちらで責任を持って歓待いたします。今はヘンリー王子殿下があなたを探しに来る前に、東棟に戻らないといけません。ウッドワードが案内します。ウッドワード!」
シュールズベリー伯爵夫人はポンと手を叩くと、フランシス君がドアを開けた。
私が何を言っても反論を返してくるシュールズベリー伯爵夫人だったけど、どのみち辞任するつもりの私としては交渉することもそんなになかった。パーシーに帰ってもらう手はずは私だと整えられないし、ここはおとなしくフランシス君について行こうと思った。
「パーシー、せっかく来てくれたのにゆっくり話せなくてごめんね。司教様たちに、ちゃんと学校に帰りたいって言うのよ?ここは危ないんだから。」
かわいいパーシーがヘンリー王子の目に留まったら、また私とモーリスくんみたいに姫様が愛読するBL小説のモデルにされてしまいそう。
「うーん、でも僕、姉さんが騎士になるところ見たい!せっかく馬車で長旅してきたし!」
目をキラキラさせるパーシーは可愛い。やっぱり弟を喜ばせるために騎士の儀式だけは出てあげようかと思いそうになったけど、それは伯爵夫人の思うつぼだから我慢する。
「私は騎士にならないから、安心して帰って・・・そっか、馬車の長旅だと腰とか疲れるわよね。アメリアがこの宮殿のどこかにいるから、マッサージしてもらっ」
「ダメッ!アメリアの痛い!!姉さんのがいい!!」
急に震えだしたパーシーは、私の愛弟子にトラウマを持っているみたいだった。
「アメリアのマッサージは確かに痛いけど、あの子の腕は確かよ?」
「やだ!馬車で腰痛い方がいい!それなら姉さんにモミモミしてほしい!・・・ねえ姉さん、僕、『ボックサーパンツ』履いてきたよ?」
私の『晴れ舞台』を見に来たはずの弟は、すっかりマッサージされる気でいたみたいだった。
「じゃあ、後で私の部屋に案内してもらうか、使者を出して私に連絡して。今はヘンリー王子の数学のお供をしないといけないから。」
私の体を拭くという意味のわからないこだわりを諦めてもらう代わりに、私は王子の数学講義に付き合うことになっていた。
「わかった、姉さん、約束だよ?」
パーシーはマッサージをされてもアンソニー達とちがってぎゃあぎゃあ言わないし、王子と違って聖書を暗唱したりしないし、野蛮人と違って踏みつけられたがったりしない。私が縫ったボクサーパンツを履いてくれて準備万端みたいだから、私としても楽しみ。
「うん、だから気をつけて、いい子でいてねパーシー。伯爵夫人、くれぐれも弟が安全にウィンチェスター校に帰れるように、手配してくださいね。」
「わかっています。」
最後まで淡々としていた伯爵夫人に一礼すると、私はフランシス君について伯爵夫人の部屋を出た。
「あれ、私、今日付けで辞任するはずだったのに結局辞任できてないよね?」
私が放った独り言に、フランシス君は首を傾げて、何も返事はせずに私を先導して歩いていった。




