CCCLVIII 義兄ロバート・ラドクリフ
私がベッドに横から倒れこんだとき、うつ伏せに寝ているエリーに頭をぶつけないかと心配したけど、意外とスペースがあって大丈夫だった。マッサージのためにエリーには淵よりに寝そべってもらっていたのもあるけど、現世のベッドは前世と比べても縦に短くて横に長くて、真四角に近い形のものが多い気がする。
私が起きそうにないエリーの位置を暗闇で把握しながらベッドに関する考察をしていると、私をベッドに押し倒した犯人が、私の肩をそっと押したままま隣に腰掛けるのが分かった。
「ふふふ、口では断りつつも、逃げずに期待して待っていらっしゃるなんて、また趣深くはありませんこと?」
レディ・アンは同意を求めているのかもしれないけど、本人が『私って趣深いですよね』って返すはずもないから、上流階級独特の修辞ばかりで意味のない発言だと思う。
確かに私なら起き上がって逃げようと思えば逃げられるのだけど、さっき鍵をかけられていたし、後で追いかけ回されると困るからここではっきりとお断りしようと思う。レディ・アンは美少年を襲いたいだけだから、女性の私としてはそこまで危機感を感じない。
「何をおっっしゃっているのかわかりませんが、何も期待などしていませんし、レディ・アン、どうか落ち着いて・・・」
私の頼みを聞く様子のない彼女は肩にかかっていた生地をずらすと、そのまま袖の部分にたくし込まれる形になって、オフショルダーみたいな妖艶な雰囲気のドレス姿になった。
えっ、機能的!
現世だとこういう服はあんまりないのよね。胴と袖の部分が別になっている服は結構あるけど、あれは縫製が難しいからでファッション志向ではなくて、着るのはむしろ面倒だった。もちろん前世でもリバーシブルとか着脱可能みたいな機能がついているのは高級品ではなかったけれど。
とにかく使用人が多いはずの公爵令嬢が、たぶん贅沢は美徳だと思っているのに、こういうチェンジができるドレスを着ているのは『趣深い』と思った。私としては買うつもりはないけど、ノリッジでも似たような品物があるのか、今度クラーク大叔父さんに聞いてみようと思う。
「あらあら、紳士らしく振る舞っていらっしゃったのに、もうわたくしの胸から目が離せないご様子ではありませんこと?」
「いいえ!見ていたのはドレスです!私は胸には興味がないって先程から・・・あのときレディ・アンはいなかったですね・・・」
私がドレスに感心して眺めていたのを違う意味で受け取られて、なんだか不満を感じた。
エリーが起きたら証言してもらおうかな、なんて考えていると、レディ・アンは私に体を寄せてきた。少し濃いフルーツ系の香水が鼻をくすぐる。真珠のイアリング。
「ふふ、リディントン様は手練だと伺っておりましたのに、お顔と同じあどけななさの残る仕草と言い訳が素敵ですわ。」
たしかに『胸じゃなくてドレスを見ていました』、と言われたら言い訳っぽさを感じないわけでもないけど、あどけない言い訳といわれたら弁護士の娘としてプライドが少し傷つく。
「レディ・アン、落ち着いてください。失礼を承知で申し上げますが、どれだけ誘惑されたとしても、私があなたにお応えすることはありません。」
「あらあら残念ですこと。エリーのように従順な女の子がお好き、ということですかしら。」
残念、と言うわりにはレディ・アンの声音は明るかった。
そのまま私の頭を抱き寄せると、私の上着の銀ボタンをぷつりぷつりと外し始める。耳元で、整っているけどどこか楽しげなリズムで息が吐かれた。
「レディ・アン!いくらあなたが公爵令嬢とはいえ、ここから先は法に訴えることを考えますよ。お互い百害あって一利なしです。」
私は無理やりレディ・アンの体を引き剥がした。部屋が暗いから確認しづらいけど、手首を掴んで関節を利用して彼女の体を回転させるようにする。こうすると正面から抵抗するよりも省エネで攻撃を躱せるはず。
「リディントン様は深刻に考えすぎではいらっしゃいませんこと?わたくしが結婚を迫ることなどありえませんわ。後先など考えずに、今を愉しめばよいのです。」
レディ・アンはおでこを私に押し付けるようにして驚いた私の体制を変えると、外し終わっていない上着のボタンを無視して、私が掴んでいないほうの手で中に着ているシャツのボタンを狙ってくる。予想したより滑らかな身のこなしに、私は虚をつかれた。
思わず冷や汗がでる。ちょっとまって、せっかく新品のウールの上着とシルクのタイツなのに、できれば冷や汗はかきたくないし・・・
「ちょっとまってコルセット!!!」
どうしよう、私、今コルセットしてない。
今まで余裕でレディ・アンをいなしながら説得できると思っていたけど、逃げたほうが良かったかもしれない。女性に襲われて恥ずかしい目に遭うのも嫌だし、正体がバレても困るし、ここはやっぱりエリーを放置して東棟に逃げるしかない。考えてみればコルセットをしていたらしていたで言い訳が面倒だったけど。
私は現世の普通の女性より運動神経がいいから、抵抗するには問題ないと思っていたのに。
油断したことを反省しながら、私が上半身を起こしてふと我に返ると、レディ・アンはなぜか両耳を抑えて私の膝元にうずくまっていた。よくわからないけど、反省したのかしら。
「レディ・アン、先述のエリーのために用意したコルセットにつきまして、急用を思い出したので失礼します。申し上げたいことはたくさんありますが、今回の一件は特別になかったことにしてさしあげましょう。」
本来なら慰謝料を請求したいところだけど、この国の法律だと女性が男性を襲った場合の規定がはっきりしないから裁判が面倒になると思う。お詫びされるときにこの人にまた会うことを考えると、謝罪も要求したくない。
私はレディ・アンの体をくねらせるように反転させて膝からどけると、ボタンを掛けなおそうと立ち上がった。
「お待ちになって、リディントン様!」
レディ・アンが後ろから抱きついてくる。振り払えそうなくらいの強さ。
だけど・・・
「ど、どこ触っているんですか!!!」
後ろから覆いかぶさるようにだきついてきたレディ・アンは、私の上着のはだけていた部分に手を入れていた。
なんて破廉恥な女の人なの!
でも私としても、とんでもない失態。
とにかく、性別は発覚してしまったけど、レディ・アンも相当スキャンダラスなことをしてきたし、ここはなんとか交渉で秘密にしてもらえるように・・・
「あの、差し出がましいようですが、リディントン様、もう少しばかり胸筋をつけたほうがよろしいのではありませんこと?リディントン様も今は小さな頃のロバート義兄さまのようですが、義兄さまは鍛えて立派になりましたのよ?」
・・・・・・
「・・・レディ・アン、肩、凝りません?」
「凝る?とは、どういうことですの?」
現世には肩凝りという概念がない。少なくともノリッジにはなかったから、宮殿でもそうだと思う。
「体の不調の一種で、自覚がないことが多いのです。心配せずとも、私が治してさしあげます。」
「あらあら、ふふふ、リディントン様の目がまるで野獣のよう。興奮すると豹変なさるなんて、雄々しくて素敵ですこと・・・まあ、あれほど嫌とおっしゃっていたのにわたくしを押し倒すなんて、やはりリディントン様も男・・・きゃあああっ!!何をなさるのっ!!!」
レディ・アンのゆっくり、少しねっとりした話し方が、急に焦った話し方になった。
「肩井と呼ばれるところを指圧しています。肩凝りの治療では最もポピュラーで広く行われているものです。胆経のツボを刺激するとこのように痛むことが多いですが、こうして横向きに寝ていただければ安全です。」
広く行われている、と言っても多分現世で実践しているのは私だけだと思うけど。
「たったすけてっ・・・ああっ!・・・肩が痛くてっ・・・はあんっ・・・しびれてっ・・・」
「肩凝りのひどい人には、レディ・アンのように恵まれた体型の方が多いのです。もっとも、私としては『恵まれた体型』という表現は前時代的な価値観の押し付けだと思います。」
「・・・だ、だれかっ・・・ああんっ!!・・・わたくしっ、し、死んじゃう・・・」
「命の危険は一切ありません。ですが、あなたのように胆経のツボ押しが特に痛く感じる方は、肝臓に負担のかかる食生活をされている方が多いのです。脂肪分のとりすぎはいいことはありません。ええ、脂肪の蓄えすぎも決していいことではないのです。これを機にご再考ください。」
「・・・やっ!!・・・だめえっ!!・・・なにかつ、肩、貫いて・・・ダメなのっ!!・・・もうダメ・・・わけ・・・わけがわかりまっ、せんっ、わっ!・・・きゃああっ!!・・・わたくひっ、こわれちゃ・・・あふうっ!!・・・」
「ですから説明申し上げている通り、痛くても後遺症が残る類のものではありません。肩を壊すようなことはありませんので、ご安心ください。」
「・・・ゆ、ゆるしてっ!・・・やあんっ!!・・・もうゆるしてっ・・・」
泣き出したレディ・アンを見て、私は手を止めた。
「これに凝りて、もう美少年には手を出さないと約束してください。次回お会いするときもきっと肩が凝っておいででしょうから、手をだされたら今回のような『返礼』をしてさしあげますよ?」
「はあ、はあ、リ、リディントン様・・・はあ・・・はい・・・約束、いたしますわ・・・はあ・・・」
息を整えるのに苦労しながら、レディ・アンは涙をたたえて私に約束した。
襲われた身としては全然同情心は沸かないけど、苦しそうなところを見るとちょっとかわいそうだったかなとも思えてくる。
「ちゃんと反省していただけたなら、痛くない治療もしてさしあげます。」
私は、首の付根の部分から肩にかけて、ゆったりと優しくマッサージしていった。
「ああっ、ダメっ・・・わたくし、さっきより敏感にっ、・・・こんなのっ、危険ですわっ・・・やあんっ・・・」
「それは錯覚です。血行が良くなっているだけですよ。」
まだ涙目のレディ・アンをなだめるようにしながら、首に手を当てて慎重に揉んでいく。
「あ、あっ、あああんっ、・・・こんなのっ・・・あっ・・・痛めつけた、・・・んっ・・・あとに・・・優しくするだなんてっ・・・ひゃ・・・そんなっ、単純な手にっ・・・」
「痛かったかもしれませんが、痛めつけたわけではありません。誤解のないようにお願いします。」
裁判になって面倒にならないように釘をさしておく。外傷も後遺症もないから、襲われた私が負けることはないけど。
「・・・ひゃふっ!・・・らめ・・・うふうっ・・・こんなの・・・覚えたら・・・あっ・・・わたくひ・・・もう、わたくし・・・ああっ、ふ、普通の殿方では・・・満足できませ」
「ちょっとまってなんでそうなるの!!!」
レディ・アンが怪しいことを言い出したのに慌てて、私は遮った。
「・・・こっ、このスリルと・・・あっ・・・流れ込むっ、安心感・・・はあん、も、もうっ・・・いちどっ、味わったら、もうっ、・・・病みつきにっ、んっ、なってしまいますわっ・・・」
「レディ・アン、あなたは野蛮人の、いえ、ライス様の親戚ですか?」
そういえばあの人も一応高位貴族なのよね?彼らは危険に晒されたい願望でもあるのかしら。
「あっ、リディントン、さまっ・・・あなた、こそっ、・・・お、男の中のっ、おとこっ・・・んふうっ!!・・・」
「レディ・アン、失礼ですが、あなたは男を見る目がないと思います。文字通り。」
またストーカーが増えた可能性を感じた私は、さっさと辞任することを心のなかで強く再確認した。




