CCCLVII 公爵令嬢アン・スタッフォード
扉が閉じられてまた暗くなった部屋で、私はレディ・アン・スタッフォードと向き合った。コルセットの入ったバスケットを片手に持ったままだから、ちょっと格好悪いかもしれないけど。
「リディントン様、よろしければ、わたくしの昔語りでもお聞きいただきませんこと?」
レディ・アンは解いた黒髪をくるくるといじりながら、前世のモデルがキャットウォークするみたいに私の方に近づいてきた。
ギルドフォード夫人の存在感に押されてあまり注意を払わなかったけど、光沢のある黒髪に肩を出したワインレッドのドレスが映えて、グラマラスというかエキゾチックな感じがする。姫様の侍女のマリアさんと同じ系統ではあるけど、レディ・アンは鼻が高くてつり目気味で、少し威圧感があるかもしれない。
直感的に、なんとなくこの人とあまり関わらないほうがいい気がした。なんとなく。
「あの、大変申し訳ないのですが、せっかく語っていただいても高貴な方のご事情は私などには難解すぎるでしょうし、できれば遠慮させていただきたいのですが。」
「あれは少し前のことになりますが、わたくしの嫁いだペンブローク伯爵家のウォルター様が儚くなられ、伯爵も後を追うように亡くなって伯爵家が断絶すると、わたくしはバッキンガム公爵家に戻り、メアリー様の侍女として宮仕えをすることになったのですわ。」
私に拒否権はなかったみたいで、レディ・アンのエピソードが自動再生された。
この人は公爵令嬢なのね。庶民の私に対してかなり丁寧な話し方だけど。
「そうですか。ウォルター様と伯爵のご冥福をお祈りします。レディ・スタッフォードもさぞお辛かったでしょう。」
「ええ。その後、公爵家の持参金と、伯爵家の財産もあって、求婚者には不自由しませんでしたの。それでも、内戦後に白軍派の名門が次々と断絶したこの国で、同じ派閥で家格の釣り合う家を探すのは不可能ではありませんこと?ヘイスティングス男爵家のジョージ様に決まったのは、男爵家が400年続く名門だったからですわ。」
ジョージって誰だか知らないけど、ヘイスティングスってどこかで聞いたことのある名前だった。でも誰だったかちょっと思い出せない。トマスじゃないけど、宮殿に来てから覚える名前が多すぎて大変。
「そうなのですね。名門出身の方との縁談が整ったこと、お祝い申し上げます。」
「そこまではよかったのですけれど、家格の違いに気後れしたのか、ジョージ様は私を骨董品のように丁重に扱いますの。おまけにお姉さまのご結婚に不幸が訪れたなどとおっしゃって、わたくしに手を出していただけないのですわ。わたくしは再婚になるのですから、気を遣う必要などないと思いませんこと?」
なぜ、なぜこの人は未婚の平民にそんな相談をしてくるの?
あと、レディ・アンはいつのまにか距離を詰めてきていて、私はおもわずベッドの方向に後ずさりした。珍しい香水の香り。イチジクかしら。
「詳しくはわかりかねますが、ジョージ様にもきっとお考えがあってのことでしょうから。」
「いいえ、怯んでいるだけですわ。わたくしどもバッキンガム公爵家は王家の血筋を引いておりますが、昨今の王位継承不安で嫌な注目を浴びてしまって、不安に思うところがおありなのでしょう。」
王女と結婚したサリー伯爵の話は聞いていたけど、他の貴族も王位継承騒動に関わっているみたいだった。名門貴族出身者は引く手あまただと思っていたけど、色々と気を遣うところもあるみたいだった。
別に婚約破棄された訳じゃないから、『手が早くない』のは全然問題ないような気もしてしまうけど。
「そうですか、それは、お気の毒です。」
「ええ。ジョージ様はもちろんのこと、公爵家が恐ろしいのか他の男も言い寄って来ませんの。同じ侍女の立場のアニーが奔放に青春を楽しんでいるというのに、あんまりだとは思いませんこと?」
つまりレディ・アンは恋がしたいのね。名門貴族の女性は結婚が早いから、再婚のタイミングで恋愛してみたくなるのかもしれない。
おおっぴらに二股できない不満を語られても反応に困るけど。
「私などにそんな赤裸々に語っていただいても・・・遠い世界の話でして・・・」
「そんなある日、ヘンリー王子に近侍するコンプトン様を遠くから見ていて、ふと思ったのですわ。」
ちょっとまって、『そんなある日』ってかなり不自然な導入だと思う。ヘンリー王子を遠くから見るのは貴重だと思うけど、メアリー王女関係者だから許されたのかも。
「なぜ急にコンプトン先輩が・・・」
「公爵令嬢と畏怖されて手を出してもらえないのなら、こちらから手を出してしまえばよいのではありませんこと?」
はい!?
「ちょ、ちょっとまってそれ犯罪というか論理的飛躍がすごすぎてついていけません!!」
なぜコンプトン先輩を見ながらそれを思いついたのか聞きたいけど、恐ろしい返事しか返ってこない気がする。
「ふふふ、初心なエリーを蕩けさせたリディントン様の腕前、とくと楽しませていただきますわ。」
レディ・アンは妖艶な笑みを浮かべると、私の肩をトンと押して、私は思わずベッドの腰掛ける形になった。
「待ってください、とりあえず待ってレディ・スタッフォード!問題があります、というか問題だらけですけどほら、まずエリーのこともありますし!」
「エリーには秘密にしてさしあげますわ。」
「いえ秘密も何も、エリーはすぐそこで寝ているのですけど・・・」
私は振り返って、ベッドにうつ伏せで眠っているエリーを確認した。なぜこの場でエリーの『婚約者』に手を出してみよう、という展開になるのか分からない。
「つかまえましたわ、リディントン様。この部屋で起きたことはこの部屋にとどまりますの。さあ、体を楽になさって。」
レディ・アンは私を斜め後ろから抱きしめて、耳元で囁いた。腕を回されて簡単には振りほどけなさそう。
ノリッジを出発してから性別に関わらず貞操の危機が続いているけど・・・
この宮殿、一体どうなっているの!?