CCCLVI 確認者アン・スタッフォード
私がギルドフォード夫人の掲げる自分のコルセットを前にして固まっていると、廊下から聞き覚えのあるコツコツという足音が聞こえてきた。
嫌な予感がする。
現状が酷すぎるからこれ以上悪化するとは思わないけど。
「ルイスの大声が聞こえましたが、何かありましたか。」
私達のいる部屋が薄暗い分、ドアの向こうに立った黒服の男爵は後光が差して見えた。
恰幅のいいギルドフォード夫人のおかげで今の所私のコルセットは見えないと思うけど、このまま入ってこられるとけっこう困る。私に男爵のシルエットを堪能している時間はなさそう。
「男爵!ちょっとまって!コルセット!!とりあえず部屋に入らないで!ほら!!ともかく男子厳禁!!!」
私は支離滅裂とした言葉をつなぎながら、男爵に入ってくるなとアピールをした。
「ミスター・リディントン、あなた自身男性なのに何を言っているのです!」
「ミセス・ギルドフォード、ほら、レディ・グレイの名誉も考えて」
「エリーの名誉を奪ったあなたが何を言うのですか!!恥を知りなさい!!」
ギルドフォード夫人は薄暗い部屋で凶悪なツキノワグマみたいに私を睨んだ。怖い。
でもエリーは侯爵令嬢だし、ルイス・リディントンと部屋にいるところに第三者の男性に踏み込まれたらまずいと思うけど。
「エリーがゆっくり休めるためにも、ここは場所と機会を改めて」
「逃げる前にこのコルセットの事情を説明なさい、ミスター・リディントン!」
「・・・コルセット?」
状況がよくわかっていないはずの男爵が少し反応を見せた。逆光で表情はいまひとつ分からないけど、いつもより控えめの薄ら笑いを浮かべている気がする、なんとなく。
「見ないで男爵!!見ちゃ駄目だから!!」
「あなたの後見人にみられるとまずいことでもあるのですか!!」
ギルドフォード夫人はたぶんこのコルセットが女中のスザンナかアメリアのものだと思っているから、男性にコルセットを見られる女性の気持ちに配慮してくれていないみたい。こんなところで身分を持ち出すのはどうかと思うけど。でも貴族のエリーもプライバシーを侵害されているから、この人は何も気にしていないのかもしれない。
「ミセス・ギルドフォード、とりあえずそれを持ったまま振り返らないでください。」
「それならすべて白状なさい。婚約者のいる北棟の浴室で女中と情事にふけるとは、ドーセット侯爵家の婿としての覚悟が足りません!」
まだ婚約段階だから婿じゃないし、ギルドフォード夫人は相変わらず推定無罪の原則を尊重してくれないみたい。
「待ってください、ルイスについて誤解があるようです、ミセス・ギルドフォード。」
意外にも部屋に入らずに廊下に立ったままの男爵が声を上げた。
「ウィンスロー男爵、部下の弁護は結構ですが、こちらには動かしがたい証拠があるのです。」
「浴室の情事そのものを目撃したわけではないのですよね?私はルイスの沐浴の儀に立ち会いましたし、女中はルイスとそのような関係にありません。コルセットについては心当たりがあります。」
男爵がまたなにか変な説明を思いつきそうで、私は顔がひきつるのを感じた。
「ウィンスロー男爵、コルセットをまだ見てもいないのに、あなたが何を知っているというのですか。」
ギルドフォード夫人は男爵にコルセットを見せないまま説明させる戦略をとったみたいで、私は少しだけホッとした。
「そのコルセットは使用人が使うには高価な生地を使っているのではないですか、」
男爵は推測で当てていくみたいだったけど、どういう結論にもっていくのか分からない。もちろん私はクラーク大叔父さんの店の品揃えから、快適性を重視した生地を厳選したけど。
「なんですか!?だから何だと言うのです。愛人に高価な衣服を送るのは不自然ではありません。」
「そうですか。それでは、そのコルセットは比較的スリムな体格の方を想定したつくりになっていませんか。」
いつも私の体型を馬鹿にする男爵が、『スリム』だなんて言葉を使うのを聞いて、私はむしろ不安で落ち着かない気分になった。
「アン!ちょっと来てください。」
さっきからエリーの近くにいたレディ・アンがギルドフォード夫人に近づいて、私のコルセットを手にとった。
そろそろコルセット品評会をやめてほしい。ほんとに。
「たしかに・・・このコルセットはあの女中には窮屈すぎませんこと?」
「しかし、それではこのコルセットをどう説明するのです、ウィンスロー男爵!!」
スザンナのインパクトが大きすぎたせいか、意外とみんなアメリアを疑っていないみたいだった。
「そして、そのコルセットは非常にゆったりした、もはやコルセットとしての体をなすか微妙なラインの品ではありませんか?まるで、胸のことなどあまり考慮されていないような。」
男爵には心をこめて針治療サービスをしてあげようと思う。
「そのようですわね。このコルセットはゆるく縛っても様になるように設計されておりますわ。でも、なぜかしら。これでは体型が強調できませんし、姿勢も安定しないのではありませんこと?」
レディ・アンはコルセットに詳しいみたいだった。ギルドフォード夫人は仁王立ちのまま黙っている。
なぜかって、それは健康で快適な暮らしのためだから。
「なるほど、ありがとうございます、レディ・スタッフォード。ところで、レディ・グレイは腰を傷められていたとか。」
「ええ、腰が悪いというのに、女性に無理をさせたミスター・リディントンは鬼畜です!!」
男爵の質問で、ギルドフォード夫人は休火山が活発化したように息を吹き返した。ちなみに黒髪のアンさんの名字はスタッフォードみたい。そうなるとシルバーブロンドの方のアンさんは、確かアン・ブラウンだったかしら。
「医術の心得のあるルイスが、腰を悪化させるようなことはしません。現にレディ・グレイは腰の痛みを訴えなくなったのではありませんか?」
「・・・エリーは痛みよりも他のものに夢中になってしまったのですわ。」
レディ・アンはさっと口元を扇で隠した。腰を治療してあげた私としては、言いがかりが酷いと思うけど。
「夢中になった対象はさておき、その腰を痛めたレディ・グレイのために、医術の心得のある婚約者、ルイス・リディントンができることといえばなんでしょうか。」
男爵の戦略が私にも分かってきた。
「まさか!!男性が婚約者にコルセットを送るなどありえません!!」
「先程、愛する人に送るのは不自然ではとおっしゃいましたね、ミセス・ギルドフォード。」
なるほど!男爵はそれで生地の話を先にしたのね!
現世で恋人にコルセットを送るなんて不自然すぎるけど、自分の発言を指摘されたギルドフォード夫人は黙ってしまった。
「ですが、侯爵家の令嬢にこのような・・・」
ギルドフォード夫人は私のコルセットをまじまじと見つめたけど、かわいいデザインで不健全な香りのしないタイプだから、文句のつけようはないと思う。
そもそも恋人にコルセットを送るのは現世では変態扱いだと思うけど、『自分用』よりはましだと思うし、私はもう辞任するから男爵の設定を耐え忍ぶしかない。
「誤解が解けたようで何よりです。私に見せたくなかったのも、恥ずかしがって動転していたのも、そのローズピンクのコルセットが理由だね、ルイス。」
「そ、そうです、男爵。ですから見ないでください。エリーのためのものなので。」
私は男爵の説明に全面的に乗っかった。
ギルドフォード夫人は不満そうな顔をしながらも丁重にコルセットをバスケットに入れて、私はリネンをかぶせるのを見届けた。一安心ね。
私よりも男爵のほうがスムーズに説明できた原因は、最後までギルドフォード夫人の鋭い目が私を射すくめていたせいだと思う。男爵には背中が向いていたから、プレッシャーの面で男爵にハンディがあった。
「ですがウィンスロー男爵!あなたの部下、ルイス・リディントンの素行の悪さはこの疑惑だけではありません!抗議したい件が山のようにあります!」
「ミセス・ギルドフォード、侍従長の執務室が上の階にありますから、よろしければそこで聞き取りをさせてください。書記を用意しますから。」
男爵は不完全燃焼気味のギルドフォード夫人をいなすと、とうとう男爵の顔がよく見えないまま、二人は部屋を出ていってしまった。厄介なギルドフォード夫人を連れ出してくれたみたいで、今回は珍しく男爵が私を困らせることはなかったと思う。
私はバスケットに駆け寄った。あらためて無事を確認する。
「良かった!」
お気に入りのコルセットは手元に戻ってきたし・・・
あれ、色がローズピンクってなんで知って・・・まさかノリッジ出発のとき、荷物をまとめたときに・・・
「リディントン様。」
レディ・アンはギルドフォード夫人を追いかけなかったみたいで、コルセットを確認する私に後ろから声をかけた。
「あっ、レディ・アン、いえ、えっと、レディ・スタッフォード?コルセットの件は解決しましたし、それと、私は決して変態ではなくて、あくまで医者として、痛めた腰を刺激すぎないようにと」
私が言い訳を並べている間に、レディ・アンは私に目もくれずにドアの方に向かっていった。エリーにふさわしくない変態だと思われて、会話する価値もないと軽蔑されているのかもしれないけど、そうしたら婚約破棄に協力してもらえたりして。
レディ・アンはそのままドアを閉めて、鍵をかけた。
えっ?
「あの、レディ・・・スタッフォー・・・?」
ドアが閉まってまた薄暗さを取り戻した部屋で、レディ・アンの影が結った髪を解くのが見えた。




