CCCLIV 抱擁者エリザベス・グレイ
部屋は薄暗かったけど、エリーには以前にもマッサージしていたし、マッサージはそもそも視覚にあまり頼らないから問題はなさそうだった。
「・・・あっ・・・あんっ・・・リ、リディントンさまっ・・・」
「どうしました、痛みましたか?」
今回は揉み返しが起こらないような軽めのマッサージだけど、前回と違ってエリーはあまりリラックスできていない感じだった。暗いせいでうつ伏せになっているエリーの表情は今ひとつわからない。
「おっ、お慕いして・・・あっ、あんっ・・・やっ、そこ、やあっ・・・」
「ここはやめておきますか?」
尾てい骨の近く、背骨のキワの部分を触られると落ち着かないみたいだった。
「やっ、やめないでくださ・・・はあんっ・・・いじわるしないで・・・だめっ、あっ、やめちゃだめですっ・・・そこ、だめっ・・・ひゃっ・・・」
「どっちですか?」
私はさっきから一貫性のないエリーに困っていたけど、つらそうな感じの声ではないから、とりあえず続行しようと思う。
「・・・ひあんっ・・・もう、ぼおっとして・・・あっ、ああんっ・・・」
「具合はどうですか?」
「あっ・・・きっ、きもちいいですっ・・・あ・・・もう、すごくてっ・・・わたし、わた・・・ふあ・・・女に生まれて、よかっ・・・」
「・・・性別はあまり関係ないと思いますけど。」
女性のほうがマッサージを気持ちよく感じる、なんてことは聞いたことがないけど、実験しようがないから私もよくわからない。
「・・・あっ、あんっ・・・でもっ、私ばっかりじゃっ・・・申し訳ないですっ・・・んんっ・・・リディントンさまもっ・・・きもちよくなってっ・・・」
エリーが何を言おうとしているのかよく分からないけど、なにかお礼をしたいのかなと思う。
「・・・えっと、私のことはお構いなく。施術する私が気持ちよくなることはまずないですし。」
私はごく当然のことを言ったつもりだったけど、エリーは暗い部屋でも分かるくらい悲しそうな表情で、私のほうを振り向いた。
「・・・あっ、あっ・・・リディントンさまは・・・やはり・・・殿方との『治療』のほうが・・・ひゃ・・・き、きもちが・・・よいのですかっ・・・」
「いいえ?今まで老若男女を治療してきましたが、私自身が気持ちいいということは一度も・・・」
マッサージをしていると気持ちよくなるマッサージ師っているのかしら。自分本位になりそうだし、いてほしくない気もするけど。
「老若男女!?・・・まさか、・・・あっ、あんっ・・・子供までっ・・・」
「子供は体ができあがっていないですから、私の治療は向きませんね。そもそも需要がありませんし。」
体の柔らかい子供にはマッサージはむしろ有害だったりするのよね。『老若男女』って言ってエリーを無駄に不安にさせたかもしれない。ちょっと反省する。
「・・・そのっ、私と結婚したらっ・・・やああんっ、だめっ・・・あっ・・・やめないでくださ・・・ああっ・・・結婚したらっ・・・殿方とはもう・・・しないでくださいませっ・・・ひああ・・・」
「け、結婚?」
エリーがマッサージを治療行為と捉えてくれたことが嬉しくてほとんど忘れていたけど、エリーとしてはまだ私との婚約は進める気みたいだった。手を出されたという前提条件はなくなったけど、文書にサインはしてあるし、自動的に無効にはならないのよね。
治療のためとは言っても、婚約者がいるのに他の人に触ると外聞が悪いと思ったのかもしれない。スタンリー卿の事件があったから強く反論できない部分もあるけど。
このまま『結婚したらエリーにしか治療はしませんよ』とごまかしておいて失踪するのは簡単だけど、エリーはいい子だから、けじめはつけておきたいと私は思った。
「エリー、いえ、レディ・グレイ。よく聞いてください。唐突ですが、私はエリーの婿として重大な欠陥があります。卑怯なことに、いままで私はそれを隠してきたのです。」
私は手を止めて、エリーの頭の方にしゃがみこんだ。
「・・・はぁ・・・はぁ・・・リディントン様、一体何をおっしゃるのですか?家格のことなどどうか‘お気になさらずに。兄も頭の固い人間ではありませんから。」
息を整えるのに時間がかかったエリーは、うつ伏せのまま不安そうに私を見つめた。
「いえ、身分もありますが、実は、私は子供ができない体なのです。エリーの夫としてうまくやっていけるはずがありません。レディ・グレイの婚約者にふさわしくないのです。今まで隠していて、本当に申し訳ありません。」
上流階級の結婚は、愛というよりも子孫を残すのが大事と言われることも多い。エリーのように侯爵家出身ならなおさら。
これなら円満に婚約破棄できると思う。
「・・・今の流れで、覚悟はしておりましたわ。言い出しづらいことでしょうし、むしろリディントン様が私を信頼して打ち明けていただいたこと、心からうれしく思っています。」
「・・・えっ?そんな流れありました?」
また何かを決意したようなエリーに、私は少し虚を突かれた。
暗い中でも、エリーの目はまっすぐに私を見つめてくる。
「リディントン様、ドーセット侯爵家は多産の家系でして、私の兄弟姉妹は13人、すべて同腹の出です。どうしても子供ができなければ甥を養子にもらいましょう。」
「・・・えっ、そんな簡単に?」
私はさっきから『えっ』が止まらなくなっていた。
「でもリディントン様はまだお若いのです。医者にそう言われたからといって、この先どうなるかわかりません。今まで奔放でいらしたリディントン様が、ちゃんと、その、私と腰を落ち着けになったら、きっと健康な赤ちゃんができる気がいたします。」
「いや、できないですってば!それに私って奔放なイメージですか?」
なぜかエリーの中で私の印象がプレイボーイになっているのは解せないし、そのプレイボーイと結婚しようとしているエリーはさらにわからない。
「私は母の血が濃いのです。リディントン様が他の女性とはだめだったとしても、私が身ごもる可能性は十分にあります。それに、レディ・アンは思い過ごしと言っていましたが、昨日の時点でリディントン様との赤ちゃんを授かった気もするのです。」
「待って、赤ちゃん騒動はまだ解決してなかったの!?」
今まで話していた前提が崩れてきていて、私は頭をかかえた。
「リディントン様、二人で力を合わせて頑張りましょう!」
「ちょっとまって・・・もう、エリーを信頼して打ち明けますけど、私は実は女です。秘密の事情で男として振る舞っているだけで・・・」
やけになった私は、ひとまず真実を伝えてから秘密条項の交渉をしようと思い立った。ヘンリー王子は信じてくれなかったけど、同性のエリーならさすがに分かってくれる気がしたし。
うつ伏せのままのエリーが、なぜか私の頬に手を伸ばしてきた。
「リディントン様、さぞ辛い目にあわれたのでしょうね。子供ができないといわれて、あげくは自分を女だなどと表現して・・・でも私がいますから、もう大丈夫です。いくら子供ができないと言われても、リディントン様は間違いなく一人前の男性です!現に連日こんなにも激しく・・・」
「あの、結局、信じてもらえてないですか。」
私を励まそうとするエリーに、私はあっけにとられてぽかんとしていた。説明する順番を間違えたかしら。
「希望を持つのは大事なことです。例えば、私達の間に男の子が生まれたら、ハンフリーという名はどうでしょう。」
「ハンフリー・・・悪くないと思いますけど、ローレンスとかローランドも格好いいなって。」
「ローレンス・・・ルイス様と同じ東の国風の、優美な名前ですね。それでしたらジェフリーやクレメンスといった候補もあります。」
「ジェフリーもいいですね!・・・って、生まれるはずがないこどもの名前を考えるのはやめましょう。」
なぜかエリーのペースに嵌りそうになっていたことに私は慌てた。
「諦めなければ、きっと夢は叶いま・・・いたっ・・・く、くびが・・・」
「どうしましたか!?」
エリーは首を押さえて少し痛そうにした。うつ伏せのまま私を振り返るように見ていたせいか、エリーの首がいたくなったみたい。
「無理な姿勢を取らせてしまいましたね、首も少し治療しますね。」
首をリラックスさせるように、力を入れすぎずに揉んでいく。首はデリケートだから肩のように扱うのは厳禁。
「あ、ありがとうございま・・・あっ、あああっ!!リディントンさまあっ!!!」
エリーがさっきより大きい声だして、私はまたびっくりした。
「どうしましたか!?」
「リディントンさまっ!あっ!あっ!あんっ!!りでぃんとんさまぁっ!!」
尋常でなさそうな反応だったから、私はさらに力を抜いた。
「大丈夫ですか?」
「・・・ふぁ・・・大丈夫じゃ、ないですっ・・・ぁ・・・きもちよくて・・・もう変になっちゃうの・・・」
大丈夫そうだった。
「よかった、首は難しい部位なので、何かミスがあったらと心配しました。」
「・・・んんっ、ふっ・・・りでぃんとんさま・・・すきい・・・」
急に眠そうになったエリーの声に、私はまた嫌な予感がした。
「エリー?レディ・グレイ、聞こえますか?まだ大事な話の途中なのですが。」
「・・・あ・・・ん・・・」
部屋が暗いせいでベッドに顔をうずめたエリーの表情はよくわからなくて、中途半端に情報を開示した上にどうやら勘違いを解決できていなかった私は、とにかく途方にくれた。
「ミスター・ルイス・リディントン!!」
廊下から鋭い声が響いてきた。
「これってデジャビュ・・・」
私が独り言をしている間に、部屋のドアが勝手に開かれた。