CCCLI 容疑者アメリア・バーロウ
ギルドフォード夫人は落ち込む私の手をとり、いたわるように握りしめました。
「さあ、行かねばなりませんよ、エリー。心配せずとも私がついていますからね。火遊びの意味は歩きながら説明しますが、早くいかないとミスター・リディントンが逃げおおせてしまいます。」
「ミセス・ギルドフォード、私・・・」
困惑して言葉がでない私がおろおろとしていると、私達の手にメアリー様が小さなお手をお重ねになりました。
「わたくしも行こうと思いますの。エリーが心配ではなくって?はげますのはわたくしの得意とするところでしてよ。それにこんなに面白そうなこと、放っておけなくってよ。」
メアリー様は期待した目で私をお見上げになりましたが、ここはお止めしなければなりません。
「ありがとうございますメアリー様。ですが決して面白いことにはならないかと思いますし、私は大丈夫ですから、安全のためにもここでレディ・アンとお過ごしください。」
「あらあらエリー、ギルドフォードお母様がいればどこに行っても安心でしてよ。それに、わたくしと結婚するアングレーム伯爵は女性関係が派手なのではなくって?修羅場を見学しておくことも、わたくしの王妃教育に大事だと思いますの。」
メアリー様の教育上は決して好ましいお話ではないと思いますが、お風呂場に行こうとなさるのをお引き止めしようとする私に、ギルドフォード夫人もレディ・アンも協力してくれませんでした。
「メアリー様が行かれるのなら、わたくしも参りますわ。皆でエリーを応援いたしませんこと?面白そうですし。」
レディ・アンも興味が抑えられない様子で、結局私達四人でお風呂場に向かうことになったのです。
メアリー様のお局と浴場は北棟の違う区画にありましたが、いずれも一階なので幸い階段をのぼる必要がありませんでした。早く行こうとされるメアリー様を追いかけるような形で、私達は浴場に近づいていきました。
「エリー、分かっていると思いますが、女中に手を出す夫は厳しく躾けなければなりません。辛いかもしれませんが、毅然とした態度であたるのですよ?」
「はい・・・ですが、私が至らないばかりに、リディントン様に我慢をさせて・・・」
私はリディントン様の前でどう振る舞えばよいのか、わからなくなっていました。今はリディントン様が逃げてしまわれたほうが、むしろ安心するような気さえしました。
「しっかりしなさい、エリー。ミスター・リディントンはあなたとの婚約にサインをしたのですから、そのような低劣な感情は抑えてしかるべきで、言い訳にさえなりません。あなたにはなんの落ち度もないのですから、自分を卑下してはなりませんよ。」
ギルドフォード夫人は手を強く握りしめながら、未だに状況を飲み込めない私をなぐさめてくれました。
お風呂場が近づいてくると、中から声が聞こえてきます。
「(えっと、ライス様?グリフィス・ライス様?起きていますか?)」
「(・・・アゥ・・・ウィ・・・)」
「今のロバのような声・・・いつもと雰囲気は違いますが、たしかにライス様の声ですわ。」
レディ・アンは驚いたように口に手をあてました。
「ねえギルドフォードお母様、リディントンが火遊びをしていた相手は、女中じゃなくてライスだったのではなくって?」
メアリー様はなぜか目をきらきらと光らせて、ご機嫌でいらっしゃいます。
「いいえ、間違いなく女性の声でした。こんな獣のような声に覚えはありません。」
ギルドフォード夫人はメアリー様をなだめると、小さく息を吸いました。
「ミスター・ルイス・リディントン!ドアを開けなさい!!」
夫人の声が廊下に響き渡ります。
「(アメリア、男爵の情報には嘘が混ざっているから、今回はそんなに発言しないで。スザンナが嘘をついたり、私が同意を求めたときだけ返事して。スザンナは余計なことを言わないこと!)」
ライス様云々の声を聞いたとき、私は人違いではないか、間違いではないかとのかすかな期待がありましたが、どうやらリディントン様は女中と打ち合わせをしているようでした。
状況が複雑すぎて、私は悲しんでいる余裕もありませんでした。
「ミスター・ルイス・リディントン!口車を合わせても無駄です!!」
ギルドフォード夫人は怒気を含んだ鋭い声で、リディントン様を叱責しました。
昨日、私と婚約したばかりなのに、女中に手を出してしまったリディントン様。あれだけ情熱的に愛していただいたのに・・・
でも、考えてみると私はリディントン様の愛をなんの疑問もなく受け入れて、本人が渋っていた婚約は周りがすべてお膳立てしてくれたものでした。その後で色々と話合う機会があったのに、はしたなくも二回目をねだってしまった私・・・
私はリディントン様にふさわしくなるために、何かしてきたでしょうか。
家柄も財政もなんの苦労もしなかった私は、心のどこかでリディントン様に愛されることが当然だと思っていたのかもしれません。フィッツジェラルド様に別れを告げられたばかりだと言うのに、なんの反省もなく・・・
「ミセス・ギルドフォード、どうかリディントン様を責めないでください!私が悪いのです!」
私は悲愴な気分になっていましたが、リディントン様だけを責めないよう、ギルドフォード夫人にお願いしました。
「(ミセス・ギルドフォード、おまたせしました。スザンナ、扉を開けて。)」
私がまだ落ち着かないうちにお風呂場の扉が開かれました。
湯けむりの中から、シルバーの装飾が散らばる鮮やかなブルーの上着を着た、リディントン様の姿が浮かび上がります。
「す、素敵・・・」
今までの騒動を忘れて、私はリディントン様の堂々たる姿に見入ってしまいました。
リディントン様のスリムな体型に合わせた無駄のないブルーの上着は、流行とちがい肩を張らない形をとっていました。リディントン様のしなやかな体を引き立てて、とても爽やかに見えます。
下半身はブーツまで白で統一され、こちらも流行と違って膨らみや装飾が少ない、すらっとした丈の長い履物をされています。華やかな上着を引き立てるように、さりげない品の良さをだしていました。
この前まで流行を追いかけるフィッツジェラルド様の男らしいご格好を好ましく思っていたのに、リディントン様の引き締まった格好よさにときめいてしまうのは、やはり恋に落ちてしまったからなのでしょうか。
「レディ・グレイ、心配をおかけして申し訳ありません。誤解があるようなので説明させていただければと・・・メアリー王女殿下までいらしていたのですね。ご機嫌うるわしゅう。」
メアリー殿下がお越しになったことに驚いた様子のリディントン様でしたが、お風呂場に反響する淀みないお声に、私はまたうっとりとしてしまいました。
「あらあらリディントン、眉毛はどうなさったの?」
「眉・・・ア、アメリア、私・・・すっぴん・・・」
首をかしげていらっしゃるメアリー様に、リディントン様は少し慌てたように、横を向きました。女の私でさえ羨ましくなってしまう、きれいな横顔をされています。
そういえば、以前お会いしたときよりも眉毛が薄いようにも感じます。男性もお化粧はされるものと聞いていますが、眉を描くのが一般的だとは知りませんでした。
お風呂に入られたばかりなのでしょうか、つやつやとしたお肌のリディントン様。お化粧せずとも美しい顔を保っていられるのは思わず羨ましくなってしまいます。
お見かけしたときより眉毛が薄いからでしょうか、昨晩の凛々しさに変わって、どこか天使のようなあどけない美しさが感じられて、ますます愛おしくなってしまいます。
「大丈夫です、おじょうさ・・・若旦那様。化粧などなさらなくても、いつもどおり美しくていらっしゃいます。」
少し声の高い女性の声で、私は現実に戻されました。いかにもリディントン様におもねるような、甘い愛人のような話し方です。
おそるおそるリディントン様の隣にいる女性に目を合わせます。
ブルーグレーのシンプルな格好に、薄い色のショールをかぶった姿はとてもしとやかでした。目立つような顔立ちではないと思いますが、控えめに洗練された所作に、ショールから少しだけ見えるカールしたストロベリーブロンドの髪は、何かを秘めていそうな、いかにも不思議な魅力を醸し出しています。
それでも、体型は私よりもさらに控えめでしょうか。リディントン様がもしこの女中に走ったとしたら、ひょっとすると私の気の強いところに疲れて、おとなしい相手と落ち着きたかった、などという理由かもしれません。少なくとも女性的な魅力で負ける気はしませんでした。
それなら、私だって負けてばかりではいられません。性格は変えられませんが、リディントン様の隣にふさわしい女性になれるよう努力する気持ちなら、一介の女中に劣ることはないはずです。
今どもっていたところを見ると、この女中は婚約者の私を前にして動転しているようでした、私がしっかりと未来の正妻としての立場を確立すれば、そう簡単に浮気はできなくなるはずです。
私は小さく息を吸いました。
「リディントン様、私は・・・」
「まあ!まあ!そこに倒れているのはライスではなくって!?」
決意に満ちた私を遮るようにメアリー様が駆け出しました。よく見ると、リディントン様の奥に大柄な男性がうつ伏せに転がっている様子です。
「危ないですわ、メアリー様・・・確かにライス様ですが、念のため目隠しを外して確認してみましょうね。」
レディ・アンは危ないといいながらメアリー様をお止めすることなく、嬉々として床に転がっている男性のところに走っていき、目隠しを外していました。
「まあ、まあ!ライスがとっても面白い顔をしていてよ!!まるで暑い日のキツネのようではなくって?」
「メ、メアリー様、これは雌の顔ですわ!!リディントン様の手で、ライス様はすっかり雌にされてしまったのですわ!」
「違います!落ち着いてください!とりあえず話を聞いて!」
盛り上がる二人をリディントン様はなだめようとしていました。ライス様のご様子はここからではよく見えません。
私は頭ごなしに否定していましたが、この必死な様子からするとやはりリディントン様は、殿方と・・・
「まあリディントン、わたくしたち、あなたが『踏まれたければ目隠しをしなさい!』と叫んだのを聞いていましてよ?いくらブーツを履き直してライスに服を着せなさっても、言い逃れはできなくってよ?」
「メアリー王女殿下、恐れながら、ライス様にどうしても踏んでほしいと懇願されたため、安全、安心、かつ健全な踏み方で踏ませていただいた次第です。それに、この靴跡を御覧ください。私は靴を履いたまま、ライス様は着衣のまま。ご想像されているような心配がなかったことは明らかです。」
リディントン様は理路整然と説明をはじめましたが、レディ・アンは納得していない様子でした。
「でもリディントン様、なぜライス様は、リディントン様にわざわざ踏まれにきたのか、説明が難しいのではありませんこと?それに靴跡でしたら、ことが終わった後にいくらでも付けられますわ。」
「レディ・・・えっと、レディ・・・私はバス騎士叙任のための『沐浴の儀』がこの浴室であり、それが終わったタイミングでライス様が偶然いらっしゃいましたが、以上は関係者に確認いただければ密会などではないと分かるはずです。また、野蛮・・・粗野な性格をされているライス様に対して、同意がないのに靴跡をつけるような真似は誰もしないでしょう?」
レディ・アンの追及に少し淀んだ様子のリディントン様でしたが、いつにもまして雄弁でした。
私としては服や靴をみにつけていようと、他の殿方を踏むのはどうなのかと思うところもありますが、軍隊では騎士同志がふざけることもあるといいますし、やはり男性の間の勢力争いのようなものなのでしょうか。
とりあえず、私の恋敵はライス様ではないようで、少しだけ安心しました。
「それは本題ではありません、アン!ミスター・リディントン、昨日の今日で不貞行為に及んだあなたにはそれ相応の償いをしてもらいます!」
ギルドフォード夫人の鋭い声が、浴室の中で反響しました。
「それは誤解です、レディ・グレイ、ミセス・ギルドフォード。女中のスザンナが私に対して非常に失礼な態度をとったので、別の女中のアメリアが私の意を汲んで、罰として肩を叩こうとしたところ、スザンナが紛らわしい声をあげたのです。おそらくはそれで誤解されたのだと」
アメリアと、スザンナ?
女中は、一人ではなかったというのでしょうか。お風呂場に男性の従者が一人も来ていないのはなぜでしょうか。
「まあ!!」
今までライス様をいじっていたレディ・アンが大きな声をだしました。
「女中二人にむつみ合わせているところを観戦するなんて・・・さすがの私も知らない変態度合いですわ!スキャンダラスな性癖ではありませんこと!?」
レディ・アンは興奮しているようでした。
二人の女中が触れ合っているところを見て、男性は楽しいものなのでしょうか。私にはわからない世界があるようです。
ひょっとして、私ではリディントン様の趣味についていけないと思われて、女中に手を出してしまったのでしょうか・・・
「だから違います!!必要ならアメリアにスザンナの肩もみを実演してもらいますから、そうすれば皆さんが観戦できる、健全で軽微な罰則だと分かっていただけると思います。きっと誤解も解けるでしょう。いいよね、アメリア?」
「はい、おじょ・・・若旦那様。」
アメリアと呼ばれた女中は緊張しているようでしどろもどろでしたが、お風呂場でリディントン様がさらにもうひとりの女性の名前をあげたことに、私は落ち着かなくなっていました。
ギルドフォード夫人も何か思うところがあるようでした。
「スザンナ・・・ミスター・リディントン、あなたが手を出したのはスザンナという名の女中だったはずです!隣にいるのは違いますね。今すぐにスザンナを呼びなさい!」
「ですから誤解です!スザンナ、こっちに来て!」
リディントン様は、私達の後ろの扉の方向に向かって声をかけました。
「ルイス様、あたいを襲おうとした言い訳までド下手じゃないのさ。もうやんなっちゃう!」
後ろから荒々しい言葉遣いの、不機嫌そうな声がしました、ドアを開けた女中がスザンナだったようです。
いくら肩を叩かれそうになったからといって、主人への態度がここまで粗暴なのは呆れます。罰則を受けそうになったのも納得しますし、この教養でよくこの宮殿にのぼれたものです。
スザンナという名の女中はその粗暴な言動からして、理知的で教養あふれる紳士のリディントン様の愛人であるはずがありません。やはり私の恋敵はおしとやかなアメリアという名の女中でしょう。ギルドフォード夫人が愛人はスザンナだと行っているのは、きっと勘違いなのでしょう。
私はふと後ろを振り返りました。
「・・・あ・・・ああっ!・・・」
目に入ってきたものに、私の膝が急に震えだしました。
「落ち着きなさい、エリー。こういうタイプの女中はだいたい本命にはならず、浮気相手までにしか登れません。今から対策を打っておけばなんとかなります!」
ギルドフォード夫人の言葉が、まったく耳に入ってきません。
「でも・・・そんな・・・私・・・勝てな・・・ごめんなさ・・・」
「どこへ行くのですか!エリー!?」
引き留めるギルドフォード夫人の手を振り払って、私は気がついたら廊下に向かって走り出していました。
「待ってください、レディ・グレイ!!・・・待って、エリー!!」
後ろからリディントン様が私を呼ぶのがわかりましたが、私は行く先もわからぬまま、ただただ廊下を走っていました。




