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CCCL 乙女エリザベス・グレイ


私が窓際で刺繍をしていると、メアリー様が蝶々のようにひらひらと舞いながら、私のもとにおいでになりました。


「まあエリー、中庭は火事の後で、目もあてられない様子なのではなくて?川の見える窓にいらっしゃいな。」


メアリー様のご親切な申し出に、私は立ち上がりました。


「ありがとうございます、メアリー様。ですが、私にとって中庭は特別な場所なのです。」


私は荒れ果てた中庭に目をやり、斬られた水道管の端を見つけると、昨晩のことを思い出してうっとりとした気持ちになりました。



メアリー様を背負おってお運びしようとして、結局腰を痛めてしまった私。無力感にさいなまれる私の前に、さっそうと現れて消火の指揮をとったのは、鮮やかなグリーンのローブを着たリディントン様でした。



初めて会ったときは、なぜかなんでも話せてしまう同性のお友達のように感じたリディントン様。普段の柔らかな物腰と対照的に、中庭で凛々しく皆を導くお姿は、燃え盛る炎でこの私の目に焼き付けられました。いつもは優しくて、でもいざとなると頼もしい男性・・・私は思わず見とれて、立ち尽くしてしまいました。



そしてその晩のうちにやってきた、まるで夢のような、めくるめく夜・・・



「まあ、まあ、エリー、なんの刺繍をしてらっしゃるの?昨日の今日で、大胆ではなくって?」


メアリー様が楽しそうにおはしゃぎになるお声で、私の美しい回想は途切れました。


「リディントン様の家紋です。嫁入りするお家の家紋を縫うのは、新妻の心得だと思いましたが、まだ式もあげていないのに早かったのでしょうか。」


私は手元の布に目を落としました。


ブルーのなめらかな生地に、銀糸で縫った天秤と剣。文武両道のリディントン様にふさわしい、バランスの取れた紋章です。


明日にも騎士に叙任されるリディントン様のことですから、まだ家紋をあしらった衣服や家具などは少ないことでしょう。妻として、私が少しでも支えていけたらと思います。


「まあ、まあ、リディントンったら、家紋まで妖しげな感じでいらっしゃるのね!」


「怪しげ、でしょうか?私には涼やかに見えますけれど・・・」


なぜか楽しそうにくるくる回っていらっしゃるメアリー様が、家具にぶつからないように私がお支えしようとしたとき、遠くからくぐもった声が聞こえてきました。




「(ライス様、踏まれたければ目隠しをしなさい!)」




踏まれたい?目隠し?


一体どういうことでしょうか。


「・・・今のは、リディントンの声ではなくって?なんだか面白いことが起きているようでしてよ!」


メアリー様が様子を見に行かれようとお部屋を出ようとするのを、私は必死でお引き止めしました。


「メアリー様、危ないですからおやめください。それに・・・リディントン様のお声にしては、霧がかかったような感じがいたしました。きっと人違いでしょう。」


私も一瞬だけ、リディントン様のお声ではと思いましたが、声音も内容も、私の知るリディントン様のものとは思えませんでした。


「私が様子を見て参ります。」


メアリー様のご指導にいらしていたギルドフォード夫人が、さくっと立ち上がると部屋をでていきました。


「リディントンがライスを踏んでいるところなんて、ひと目でも見られたらさぞ面白いのではなくて?でもライスはほとんど見たことがありませんの。半島の男の方って、やっぱり筋肉も立派なのかしら。」


メアリー様はとても楽しそうに、たくましいご想像をされていらっしゃるようでした。


「さあ、私にはわかりませんけれど・・・」


「メアリー様、ライス様はなかなかのものですわ。」


部屋の奥にいたレディ・アンがお話に混ざってきました。アニーはアーサー王太子殿下のところにお使いにいって不在です。


「ライス様がロバートお義兄さまと一緒にいらっしゃるのをお見かけしたことがありますわ。チャーリー様ほどではなくとも、かなりいい筋肉をお持ちですの、メアリー様。それに、さっき聞こえてきたセリフから考えると、ふたりともあられもない格好でいることも考えられませんこと?ライス様は目隠ししか身に着けていないかもしれませんわ。」


レディ・アンは不敵な笑みを浮かべていました。


「まあ、アン!それはきっと素晴らしいのではなくって!ギルドフォードお母様が帰ってきたら、みんなで見学に参りましょうね。リディントンが裸のライスを踏んでいたら、ダビデとゴリアテのような絵図になりそうではなくって?メイナード画伯はどこにいらっしゃるの?」


メアリー様は面白いことが大好きでいらっしゃるので、今回のことをことでことのほか楽しそうにしていらっしゃいますが、リディントン様が道化師のように扱われるのは婚約者として黙ってはいられません。


「お待ち下さい、メアリー様。火事の後、宮廷画家は皆リッチモンド宮殿を退去していますが、それ以前に、リディントン様はヘンリー王子殿下やフィッツジェラルド様と違って、同性には興味をお持ちでないと、ご本人が私におっしゃっていました!」


未来の夫の名誉を傷つけるようなことは、どうして看過することができるでしょうか。優しいリディントン様は同性愛を差別しないようにと私におっしゃいましたが、ご本人も間違った評判が立てられることは望んでいないでしょう。


レディ・アンは納得していない様子でした。


「でも、リディントンはヘンリー王子とねんごろになっているという噂がありませんこと?いつの間にかサリー伯爵の立てた噂ということになって、みんな政略だと思っているようですけれど、わたくしは疑っておりますわ。そもそも噂の立ちどころが皆に分かるなんて、奇妙とは思いませんこと?」


「レディ・アン、あんまりですわ!リディントン様は女性を愛するお方です。昨晩も情熱的に私を、私を、その・・・」


レディ・アンの言いように勢いよく言い返した私でしたが、いざ言葉にしようとすると恥ずかしくなってしまいました。


「アンを怒らないでさしあげて、エリー・・・まあ、ほっぺたがりんごみたいではなくって!それに、リディントンが両刀使いの可能性もあるのではなくって?」


メアリー様は私の熱くなった頬を楽しそうにぺちぺちとお触りになりながら、また独創的なことをおっしゃいました。


「そんなこと・・・ありえませんわ!リディントン様は親切で誠実でいらっしゃいます!嘘をつかれるとは思いませんわ!」


私が思わず大きな声を出してしまいましたが、メアリー様は楽しそうにくるくる動いていらして、レディ・アンも冷静な様子のままでした。


「いいえ、メアリー様のご意見、一理ありませんこと?エリーは夢を見すぎですの。初めてのエリーを天国に送ってしまえる腕前の男が、愛人の数人囲っていてもおかしくないでしょう?色男と結婚するのであれば、それなりの覚悟が必要とは思いませんこと?」


「それは・・・」


レディ・アンの厳しい一言に、私は言葉につまってしまいました。


昨晩、慣れない私を気遣いながら、丁寧に愛してくださったリディントン様。私の気持ちの良い場所を次々暴いていったリディントン様・・・



私と違って、きっと経験はご豊富なのでしょう。



リディントン様の郷里にルイーズ・アイクメンと言う名前の愛人がいるとの噂を今朝も聞きました。未来の夫が他の女性を知っていること、それはとても口惜しく感じはしますが、それでも、私はリディントン様を信じようと思いました。


少しずつ、私の反応を見つつ、私の同意をとりながらすすめてくれたリディントン様。寝所で男性は狼になると聞いていましたが、あそこまで子羊をいたわる狼がいるでしょうか。そんな紳士なリディントン様が、浮気をするとは思えません。


「私は・・・私はリディントン様との将来の約束を信じます!過ぎ去った過去は、仕方のないことです!リディントン様の過去の女性が言い寄ってきたら、退治する覚悟ですわ!」


「まあ、エリー!格好いいのではなくって?でも、エリーは可愛いけれど、経験豊富なリディントンの相手は大変かと思いますの。昨日もエリーが気をやってしまった後、リディントンは露出狂を退治しに疾走していて、これといって疲れた様子も・・・あら、あの露出狂はどうなさったの、アン?」


メアリー様はなにかに気を取られたようで話をそらしましたが、私は急に気がふさぎ込んできました。


昨日リディントン様に二度にわたって激しく愛された私は、あまりの心地に頭が真っ白になってしまい、いつのまにか気をやってしまったようでした。


でも、私が早いうちに朦朧としていたというのに、リディントン様は私の相手をした後でも走るだけの余裕があったとすれば・・・


結婚して毎晩のように愛していただいても、リディントン様が満足しないまま私が動かなくなってしまったら、どうやって二人目の女性のもとに走るのを引き止めることができるでしょうか。


どうすればよいのでしょう。いくら体力をつけても、またリディントン様に愛していただけることを想像するだけで、もう腰がぬけてしまいそうです。


「露出狂はリディントン様が鞭で退治したものの、その後の捕獲に失敗したと聞いておりますわ。だとすると、まだ見学するチャンスがありませんこと?かなりいいカラダをしていたとの情報もありますわ。」


「まあ、楽しみでしてよ!あら、エリー、さきほどから顔が赤くなったり青くなったり、忙しいのではなくって?」


「いえ、私が・・・私が至らないばかりに・・・」


さきほどまでうっとりとしていたのが嘘のように、私の心は悲しみの底に沈んでいきました。


あれだけ情熱的に求めていただいたのに、私との結婚は渋っていたリディントン様・・・ドーセット侯爵家の持参金に興味がなさそうなことに、誠実なお人柄を感じていましたが・・・



一晩を過ごした後、私では物足りないと気づいてしまわれたのでしょうか。



せっかく興味を持っていただいたのに、なんの心得もなく、すぐに気をやってしまった私。殿方は胸が大きい女性が好きだといいますし、気を失った私と戯れても面白くはないかもしれません。


噂になっていたルイーズ・アイクメンは、過去の女性だと思って耐え忍びましたが、このままでは私は形だけの妻になって、リディントン様は形式的に私の相手をしたあと愛人のもとへ通ってしまうかもしれません。


母がこの調子では、生まれてくる子供があまりに気の毒です。きっとリディントン様に似た、玉のような子が生まれてくるのに・・・


「まあエリー、そう落ち込まずにいらっしゃいな。仮にリディントンがお兄さまの相手をしていたとしても、お兄さまはきれい好きで水浴びが大好きですの。きっと心配なくってよ。」


「メアリー様・・・」


私がメアリー様にどうお答えしようか迷っていたときでした。


ドアが開いて、憤った様子のギルドフォード夫人が部屋に入ってきました。



「大事にございます、メアリー様、エリー!さきほど、リディントンが浴場で女中と火遊びをしているところを捉えましたわ!」



意味のわからない言葉に、私は思わず息を飲みました。


「なんて・・・」


「気持ちはわかりますが、しっかりしなさい、エリー!こういうことは早めのうちに締めておかないと、結婚してからも再発いたしますよ!私も立ち会いますから、こってりと絞って差し上げるのです!」


勢いよく言葉を発するギルドフォード夫人に、私は気圧されてしまいました。メアリー様とレディ・アンが、私を心配そうに見つめています。



「あの・・・お風呂で火遊びをしたら、火が消えてしまいますわ?」



私は不可思議に思っていたことを聞きましたが、なぜか三人はがっかりした様子で顔を見合わせました。


「・・・やはりエリーにリディントンは荷が重いとは思いませんこと?」


「でも愛はすべてを超えるのではなくって?」


「これからです、メアリー様、アン。これからが勝負なのです。」


なにかを確かめ合う三人に、私はますます不安にかられました。


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