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CCCXLVIII 実験体グリフィス・ライス


ドアから入ってきた野蛮人は、目隠しをしている割には堂々としていた。前回気になった清潔感の無さも少しましになった気がする。ところどころ金と紫の装飾が入ったダークグレーのマントは、午前中に見た格好よりも威圧感がなかった。


後ろから飄々としたスザンナと、野蛮人に気圧されたのか少し震えているアメリアが入ってきた。大丈夫かしら。


野蛮人の目つきの悪さは目隠しのおかげでごまかされているから、怖さは四割くらいカットされていると思うけど。むしろ目が隠れていたら、顔の造形はそんなに悪くない。目隠しだけでここまで印象が変わるのも意外だけど。


「あれっ、ライス様、髭を剃られたのですか?」


野蛮人の無精髭が綺麗になっていたせいで、少しこざっぱりした雰囲気になったみたいだった。ソフトモヒカン気味のダークブロンドも、ちょっと整えられた感じがする。


「面倒くせえが、おめえに踏んでもらえるとなりゃ、多少の要求は飲ませてもらおうってわけよ。」


野蛮人の低い声が決め台詞っぽく部屋に響いたけど、ちょっと解釈に時間がかかった。


「ええと、言語表現的によくわからなくなっていますけど、とりあえずお風呂場には何をしにいらっしゃったのですか?」


「なっ、てめえが風呂に入れっつったんだろうが!!」


怒気を含んだ声がタイル張りの部屋に反響した。そういえばお風呂に入ってって言った気がするけど、こんなすぐに実行されるとは思わなかった。


「いえ、大変よい心がけだと思います。単に意外だっただけで、気分を害してしまったらすみません。それでは私は退出しますので、ごゆっくり入浴をお楽しみ・・・あの、高貴なライス様のことですから、お湯は改めて用意されるのがよろしいかと。リディントン様の入浴後で、お湯も冷めていますし。」


前世の温泉だったら気にならなかったと思うけど、現世で一応はお嬢様育ちをした私には、残り湯を使われることに抵抗があった。


「ああ!?俺様はな、風呂に入ったっつう記録がありゃいいんだよ。風呂は好きになれねえが、約束を守ろうっつう心意気がなけりゃ、半島の征服者の名がすたるってもんよ。」


「いえ、入浴をおすすめしたのは清潔になってほしいとのお願いがもとだったので、私の目の前でそんな宣言されても本末転倒というか・・・」


「約束といやあ、目隠しすりゃあ踏んでくれるって手はずじゃねえか。まさか裏切るんじゃねえだろうな?」


脅すような低い声は、いくら目隠しをしていてもなかなか迫力があった。


アメリアがびくっと動いた気がした。これ以上怖い目に合わせてもかわいそうね。


「わかりました。私も契約は守ります。それでは、その場で膝をついてください。一応床にリネンを敷きますね。」


私はアメリアに『怖がらなくてもいいよ』と目で合図してから、野蛮人を無力化することにした。あの姿を見ればさすがに恐怖感は消え失せると思う。


「へっ、話が通じるじゃねえか。」


野蛮人は囚人みたいに目隠しをされたまま、ゆっくり膝立ちになった。


「それじゃあ、腕を伸ばして、前方向にスライディングする感じで上体を倒してください。」


「おうよ。」


もっとスムーズな寝そべり方もあった気がするけど、ちょうどリネンの上に野蛮人の体が這いつくばる形になった。


「私が今履いている靴の形状からして、午前中より少し痛いかもしれません。」


今回の野蛮人は素直に言うことを聞いてくれているけど、一度私を襲おうとしたこの人の前で靴を脱ぐ気にはなれなかった。


「俺様を何者だと思ってやがる?その程度で音を上げるようなたまじゃねえぞ。」


現世だと道はあんまり綺麗じゃないから、靴の裏で人を踏むのはご法度だと思うけど、本人の同意があればいいよね。一応高そうな上着はめくってあげることにする。


お風呂に入るつもりできたからか、マントの下は洗濯できる白いリネンのシャツだった。


「それでは足踏みマッサージを初めていきますね。」


私は腰のあたりから、体重をバランスよく分散させて圧力をかけ始めた。


「さっさとしやが・・・くっ・・・ハッ・・・ンガッ・・・もっと激しくしっ・・・アッオッ・・・ンオオッ・・・アウッ・・・」


野蛮人は口を除いてすぐにおとなしくなった。


服装が変わったからか、朝に感じたような獣臭はあまり気にならない。


「加減はどうですか?」


「なんだっ・・・ンゴッ・・・ウオ・・・目隠しのせいかっ!?・・・朝よりっ・・・フオッ・・・朝より背中が・・・ビ、敏感にっ・・・クアッ・・・」


怪しい言動で体をもぞもぞ動かす野蛮人は、やっぱりどう考えてもマッサージしがいのある相手じゃない。


「アメリア、もう怖くないでしょ・・・アメリア!?」


さっきまで後ろで震えていたアメリアが、すぐ近くまで来ていて、じっと野蛮人を観察していた。


「ンアッ・・・こ、これだっ・・・このために俺はっ・・・ウオオオッ!!・・・」


「お嬢様・・・また素晴らしい必殺マッサージを会得なさったのですね?」


「ちょっと!必殺マッサージって何よ!?えっと、足踏みマッサージは前から使えたけどレディらしくないから使わなかったというか、この人に襲われそうになったから使ったら、何故か気に入られちゃったというか・・・」


現世では一度も実演していないマッサージをなんで使えるのか説明するのは大変そうだった。アメリアはある程度マッサージができるからか、興味津々で私の足の動きをみているけど、あまり真似してほしくはないと思う。


「・・・フオッ・・・イイッ!・・・やめらんねっ・・・オガアアッ!?・・・」


「ごめんなさいアメリア、これは学ぼうとしなくていいわ。危ないし。でも、アメリアが怖さで震えなくなっただけでも安心だわ。」


「お嬢様、別にわたくし、怖かったわけではないのです。」


アメリアはキョトンとした様子で首を振った、強がっているようにはみえないけど。


まさか・・・


「ねえ、アメリア、まさかとは思うけど、『オラオラ系のやんちゃ男子にちょっと強引に迫られてみたい』、なんてこと考えてないわよね?」


「お嬢様!?ついに読心術まで!?」


「図星でもまずは否定してよっ!!??」


「・・・ヒッ・・・ハッ・・・もうとまんねっ・・・ワフッ!・・・」


素直にびっくりしているアメリアを前にして、私は足踏みマッサージをしていなかったら頭を抱えて呆れていたと思う。


「アメリア、あなたの好みは知っているつもりだけれど・・・見ての通りライス様はやんちゃどころか野生だし、オラオラしているよりも殺伐としている感じだし、何より家畜志望よ!?」


「・・・この方がお嬢様の家畜となれば、世話係が必要となります。ぜひわたくしを」


「やめて!アメリアにはもっと人のためになる仕事がいっぱいあるの!」


「クウウッ!!・・・たっ・・・たまんねえっ!!・・・アヒッ・・・」


アメリアの赤褐色の瞳がランランと輝いていて、私は少し危機感を覚えた。


「目を覚ましてアメリア!だいたい、この人が家畜になったら維持費と諸経費でレミントン家の財政は火の車よ!?」


「腕が立ちそうなお方ですし、雇えたらお嬢様のハーブ農園事業よりも良いリターンが見込めるかもしれません。」


「だからあれは、ほら、アイデアは良かったけど実行段階で壁にぶつかったというか・・・そもそもなんでハーブティーが売れないのか私はいまだに納得していないけど・・・」


「・・・ウウッ・・・キモチイイ・・・ウクッ・・・ウゥ・・・」


私とアメリアが予算を議論している間に、もぞもぞと毛虫みたいに動いていた野蛮人がだんだん静かになってきていた。


「スザンナ、ライス様がダウンしている間にお湯を入れ替えて・・・ってスザンナ!?」


私はスザンナがそろりと部屋から出ようとしているのに気づいた。


「ルイス様さ、そんなすごい魔法使えるんなら、さっさと王子様堕としちゃえばよかったじゃん。あたい、気苦労ばっかりで報われないったらありゃしない。」


「スザンナほど気苦労って言葉に縁がない人はみたことないけど、それは置いておいて、王族を踏むのってかなりハードル高いと思うわ。靴を脱ぐのはレディとして抵抗があるし。」


スザンナはなぜか怒っているみたいだった。私はスザンナの無神経さに散々泣かされてきたことを思い出したけど、ここでお説教することはやめておいた。


あとヘンリー王子は普通のマッサージを気に入っていたから、問題は王子が陥落するかどうかじゃなくて、そこから子供につながるルートが見えないことだけど。


「ハードルって何?とりあえず、ルイス様見た目も中身もほとんど男なんだしさ、今更お胸に詰め物をしてレディのふりしても遅いじゃん?」


「ちょっとスザンナ・・・」


「・・・お嬢様、先程からチューリング様の態度、わたくし看過できません。この方は天使のようなお嬢様にお使えする栄誉を何だと思っているのですか!?」


さっきまで野蛮人を観察していたアメリアが、私とスザンナの間に立ちふさがった。


「天使は別として、うん、さすがにこの態度はひどいよね。スザンナには色々助けてもらっているけど、その分苦労もさせられているし、トータルで見ると判断が難しいわ。」


「お嬢様、ここはお嬢様にたいする態度への反省の意味をこめて、わたくしのマッサージの実験台になっていただくのはいかがでしょう。」


私の愛弟子のアメリアは、そこそこマッサージができる。


ただし、この子のマッサージはけっこう痛い。だからノリッジでも実験台になってくれる人は貴重だった。


「そうね・・・スザンナだったら私も良心が傷まないわ。アメリアが実演すればマッサージのことを魔法って言うの、やめてくれるかもしれないし。野蛮人でもよかったけど、いつのまにかダウンしちゃっているから・・・」


「・・・ウゥ・・・」


野蛮人は目隠しをしたまま力尽きていた。口元は満足そうにだらしなくなっているけど。


「ル.ルイス様、あたい、ダメだよ?あたいに魔法かけたら、男爵様が怒るよ!?」


スザンナがソワソワしながら後退し始めたけど、私はさっと動いて出口を塞いだ。


私は嫌がっている相手にマッサージをするのは好きじゃなかった。でも今までの苦労を思い出しながら、目の前で慌てているスザンナを見ると少し気分がスカッとする。


「アメリアもリアルテニスができるのよ?甲冑男から逃げるとき完全に足手まといだったあなたの脚力じゃ逃げられないわ。アメリア、スザンナには肩のマッサージがおすすめよ。」


「チューリング様、罪深い心と胸を持ったあなたに、慈悲深いルイーズお嬢様の御威光、わたくしが知らしめてさしあげます。」


アメリアのマッサージは痛いけど、私の監修を受けて体に悪い影響はでないようになっていたから、スザンナもきっと後で体が軽くなったことに気がつくと思う。それにアメリア方式も慣れてくるとそこそこ気持ちいいのよね。


「ルイス様ダメッ!!あたいのカラダににやらしいことしないでっ!!」


いつもやらしいことしか考えてないスザンナに言われても説得力がなかった。


「やらしくないってば!怖がらなくても大丈夫、痛いのははじめのうちだけだし、慣れるとけっこう気持ちよくなってくるから。」


スザンナの今日の格好は肩にパッドみたいなものが入っていたから、アメリアが肩もみをするには都合が悪そうだった。


「やっ!あたい、ルイス様に襲われてぐちゃぐちゃにされちゃう!!男爵様たーすーけーてーっ!!」


「多分、男爵は気にしないと思うけど。あ、これは邪魔だから脱いでもらうね。」


私はスザンナのローブに手をかけた。



「そこまでになさい!!ミスター・ルイス・リディントン!!」



なんだか聞き覚えのある鋭い声が、稲妻みたいに廊下から響いてきた。


「その声は・・・ミセス・ギルドフォードですか?」


「エリーという婚約者がいながら、浴室で情事とは、なんたることですか!!」


話の内容からして、エリーと私の婚約を強引に勧めた、くまさんのお母様に間違いなかった。


「あの、誤解があるようなので説明させていただければと思います。今さっき紛らわしい発言をしたのは私の女中でして、多分わざとで」


「女中に手を出したのですか!!!とんでもない!!!」


昨日の晩もそうだったけど話を聞いてくれない。


そっちがそうでるなら・・・


「違いますが・・・あの、特殊な事情があったとは言え、不貞の責任をとって私とエリーとの婚約は破談に・・・」


辞任するつもりの私は、『ルイス・リディントン』の評判はあまり気にしなくなっていた。


「逃しはしません!!若気の至りを深く反省していただくべく、エリーとエリーの実家と話し合いの場を設けていただきます!覚悟なさい!」


「実家!?」


エリーの出身は確か侯爵家だったはず。大事件になりそう。


「反省も覚悟も・・・ちょっとまって、なんで私が二股を責められないといけないの?」


「自覚が足りません!!今エリーを連れてきますから、首を洗って待ってらっしゃい!」


「さっき洗いましたが・・・えっ、エリー連れてきちゃうの!?」


スタスタと音がして、ギルドフォード夫人は早足で立ち去ったみたいだった。エリーが無駄に傷つかないか心配だけど、もういろいろ手に負えなくなっているみたい。


逃げようと思えば東棟に逃げられるだろうけど、アメリアと野蛮人がいるこの場をエリーと夫人に見せたら、さすがに情事だとは思われないと思う。


ほんとうに気苦労が絶えない。ちょっとスザンナに日頃の仕返しをしたくなったことに、罰が当たったのかしら。


「またこのパターン・・・」


私はため息をついた。


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