CCCXLIV 補助員スザンナ・チューリング
スザンナが手慣れた手付きでドアの鍵を開けると、私の前に広がったのは白と水色のタイルがはられた明るい部屋だった。いくつかの大きな桶にお湯が張ってあって、ホカホカした湯気を立てている。桶の一つはかなり深いみたいで、入るための階段みたいなものまで置いてあった。
「明るいお風呂部屋ね。さっきまで日の当たらない北棟の内側を歩いていたから、ちょっと眩しいくらい。」
「国王陛下がいないと、倹約するとかで北棟は灯りがともらないんだってさ。この部屋は東向きだから、窓からおひさまの光が入るよ!」
スザンナの指差した高い位置にある窓は、換気のために少し開かれていたけど、私やスザンナが開け閉めするには少し位置が高すぎた。
「ねえスザンナ、ここ一階よね。あの窓の位置だったら、ブランドンくらいの背がある人なら覗ける気がするけど。」
「大丈夫!ルイス様みたいな恥ずかしがり屋さんには、ちゃんとついたてがあるよ!」
スザンナは部屋の脇にから、木の枠に麻の布みたいなものが張られた背の高い衝立を運んで、桶と窓の間に屏風みたいに広げた。角度を考えると、一応は入浴中の姿は見えないはずだけど、なんだか平安時代のすだれみたいで心もとない。
「これだとなんだか不安が解消されないけど・・・」
「平気だよ!さあルイス様、脱いで脱いで!早くしないとお化粧が肌を痛めちゃうよ!」
そうだった。姫様達がプロヂュースした今のマリー・アントワネット風の姿だけど、かなり肌に悪い原料のお化粧や髪粉が使っていたから、早く落とさないといけない。
「スザンナ、オーバードレスを脱ぐのと、髪を解くのだけ手伝って。後は自分で着替えるわ。」
「えー、またワンピース着るのー?」
「着ます!私の勝手だし、スザンナの負担は別に増えないんだからいいでしょ?」
なんでスザンナは私の入浴用ワンピースを目の敵にするのか分からないけど、私の心の平安には重要だった。
スザンナは文句を言いつつも、テキパキとオーバードレスを外して、外側のボディスや一番外のペチコートもさっと取り外した。喋らなければ有能なのよね。
「ありがとう、スザンナ。横と後ろ髪はカールの部分がかつらだから、取り外しちゃって。」
「あいよ、どうりで巻きがすごいなとおもった!」
私はストレートの髪を守ったから、姫様の好みのロール髪部分はエクステンションを使っていた。スザンナは一見すると雑に見えるけど、私の髪の取り扱いは前から丁寧で、引っ張られる感じはしなかった。
「わあ、ルイス様の頭の、このぶわっとなってるやつ、綿が入ってたんだね!」
「そうよ、私も仕組みは知らなかったからびっくりしたの。」
マリー・アントワネットのボリューム感はこうやって出していたっていう種明かしみたいで面白かった。綿に止められていた私の髪がファサッと軽い音を立てて、目の前に銀色の粉がかかった私の髪がかかる。目に入らないように私は目を細めた。
「ふーん、綿でかさ増しって、なんかルイス様のお胸みたいだね。」
「スザンナ、『お灸を据える』っていって、火を使った治療があるけど、今度実験台になってくれないかしら?」
「ルイス様大人げないよ!!」
明らかに私より大人げないスザンナは、怯んだみたいにびくっと少し一歩下がった。怖がるくらいならもう少し『魔女』を敬ってほしい。
「スザンナ、前髪が顔にかからないようにピンで止めてくれない?それとここから先は自分で着替えるから、部屋から出ていて。」
「ルイス様、コルセットは自分で外せるの?」
コルセットは手伝ってもらったほうがスムーズだけど、その下はシュミーズ一枚だからやっぱり気恥ずかしかった。
「あまりきつく縛ってないから大丈夫。」
「ふーん・・・じゃあつける意味あるの?」
「あります!!さあスザンナ、部屋から出て。」
私はスザンナを部屋から追い出すと、一応ドアと桶の間にも例の衝立を並べた。スザンナが不用意にドアを空けるのはやっぱり心配だった。
一応衝立に囲まれた形になってから、コルセットをさっと解いて、シュミーズを脱いで入浴用のワンピースに着替える。
私はさっと自分の服をたたむと、小さなテーブルに載せた。スザンナが意外ときちんと畳んでいた私のドレスの近くに置いておく。
「もういいわよ、スザンナ!ドアを開けるときに誰かいないか気をつけてね。」
衝立があるけど、布製だから私の影がシルエットみたいになっていると思う。なんだか緊張感が抜けなかった。
「はーい、ルイス様!なんかそれ、隠れてる感じが逆にやらしいね!」
「バカ!とりあえず準備はできたから、どの桶から入ればいいの?」
布越しにスザンナがドアの鍵を締めたのを見届けると、私は衝立の横からひょっこり顔をだした。スザンナは何か布みたいなものを持っている。
「見て見て!ほら!マダム・ポーリーヌの制服が届いてるよ!」
「あっ、ついに届いたの!?ちょっとうれしい!」
私がここに到着した初日に採寸した、制服が届いているみたい。上に畳んであるのは鮮やかなマリンブルーの生地に控えめなシルバーの装飾がしてある上着で、下のやつは白黒のチェッカー柄の上着。私と男爵が選んだ色だけど、どう仕上がっているか楽しみ。
私が今日付で辞任しても譲ってもらえるかしら。もう男装はしないだろうし着る機会もないかもしれないけど、私のサイズでつくってもらったし、きっと譲ってもらえる気がする。
「お風呂の後着てみてね!でもまずは髪粉を落とすよ、ルイス様!この浅いやつに入って、顔を上にして楽にしてて。こっちのもうひとつの桶はぬるいお湯だから、これで髪を綺麗にするよ!」
私は素直にスザンナの指示に従って、浅い桶のお湯に入ると足を伸ばしてぐだっと仰向けになった。少しだけぬるいくらいの温度。
メイクと髪結については、私専属のメイドだったアメリアよりもスザンナのほうがハイレベルなのは確かだし、言動はともかくテキパキとした指示は割と頼もしいのよね。
前世だったらクレンジングはお風呂のあとだけど、体に悪い原料が多い現世のお化粧は先に落としておかないと不安になる。
「髪粉落としていくからね、目の上に布のせとくね。」
スザンナは温めのお湯で優しく私の髪を洗っていた。現世は粉で髪に色をつけるから、ウィッグも含めて色を変えるのは前世よりも簡単かもしれない。でも外に出るときはショールか帽子で後ろ髪を見せないのがルールだからか、宮殿の人はあまり髪をいじらないと思う。
「スザンナ、ほんと髪を洗うの、上手よね。」
「ありがとルイス様。次は目の周りのメイク落とすね。」
スザンナは私の髪をさっと掬って手際よくリネンでまとめると、私の目の周りのメイクを、布と海綿みたいなスポンジを使って落とし始めた。この子は見た目に似合わず、ゴシゴシしないで丁寧に落としてくれるから嬉しい。
現世はいい洗顔料がないから、メイクを落とすのは根気強い作業なのよね。
「いっちょあがり!前髪の髪粉が残っちゃってるから、もういっかい、目を隠すね。あと顔全体のメイクも落としちゃおう。」
「任せるわ。」
目隠しされた形になった私がお湯でぬくぬくと温まっていると、スザンナが急に手を止めた。
「あーあ、お化粧でちょっと布が全部真っ黒になっちゃった。新しいの持ってくるね。そのままで待ってて。」
「そういえば眉毛、マリアさんが筆で描いていたのよね。」
私は喜々としてメイクをしていた南の女官達を思い出した。落とすのがこんなに大変だなんて思わなかったから任せていたけど。
「布はどこだったかなー。」
スザンナが独り言を言うのに合わせて、ギギーという音が聞こえた。なにか立て付けの悪い引き出しでもいじっているのかもしれない。
「探すのがそんなに大変だったら、残りのメイクは部屋に帰って落としましょう、スザンナ。髪が綺麗になっただけで十分だわ。」
「大丈夫!あったあった!そのまままっててね!せっかくだから今ぜんぶ落としちゃうね、またお湯を準備するの大変だし。」
スザンナの足音がして、だらりと待っていた私の顔にまた優しく布が当てられた。そういえばマリアさんには王太子殿下のところまでお湯を運んでもらったけど、後から考えたら身分の高い人に大変なお願いをしたわね。一応、お礼はしたけど。
私の目の上にあった布がどけられて、スザンナが私に微笑んだ。
「さあルイス様、仕上げにあの深い桶に入って!髪だけ拭いて乾かすよ。今の浅い桶、ぬるくなっちゃったでしょ。ちょうどいい温度だからあったまるよ。」
スザンナが指を指した先には、さっきの深い桶があった。踏み台があるやつ。たしかに今の桶のお湯はぬる目になっていて、深い桶はあったかそうで入りたくなる。
それはいいとして・・・
「ねえスザンナ、衝立のレイアウトがかわっているんだけど。」
さっきまで私の周りを囲んでいた衝立は、部屋を二分するみたいな位置に直線で置かれていた。窓は向こう側だから、覗かれる心配はないけど。
今さっきのギーって音は、タンスではなくて衝立を動かす音だったみたい。
「うん、でも別に大丈夫だよ。」
スザンナがキョトンとしているのが、逆に気になった。
「待って、大丈夫って、まさか衝立の向こうのスペースを誰かが入浴に使ったりしないわよね?仕切りがあっても、同じ部屋でお風呂なんてお断りよ?」
「心配しないで、この部屋でお風呂に入るの、今日はルイス様だけだよ!ほら、このままだと体冷えちゃうよ、あったかいほうに動いて!」
急かされても安心感はなかったけど、今入っている浅い桶のお湯はどんどんぬるくなって、それを吸った私のワンピースもあまりいい温度ではなくなっていた。
「この配置換えの説明をしてくれたら、その深い桶に入るわ。」
「ルイス様が来る前に変えてもらったけど、これがもとの置き場なんだってさ。それに向こうのスペースにお湯は入らないよ。ルイス様が二人分使っているから今日のお湯は今あるだけだし、こんな大きな桶、いくつもないでしょ?」
たしかに私は桶もお湯もすごい量を使っていたけど、もともとは二人が同時に使う部屋と桶だったのかしら。王族の入浴用に大きな桶くらいもっとあるとは思うけど、そういえば火事で消火用に桶が動員されたとき、あんまり数がなかった気もする。
「じゃあ、何のために今配置を戻さないと行けなかったの、スザンナ?私が出てからでいいじゃない。」
「ルイス様が帰ったら、あたいも付き添わないと行けないじゃん。それにほら、ルイス様、このままだと風邪ひいちゃうよ!」
スザンナは少し怪しかった。まさかお風呂部屋を誰かとシェアをする、なんていう展開は避けたい。布張りの衝立はちょっと頼りなかった。
でも、言い争っている間に今の桶の水は冷たくなってきていた。
「・・・髪はさっさと拭いてね。私、すぐ出るから。」
私は諦めて浅い桶から出ると、下に敷いてあるリネンを伝って、大きな桶に移動した。
お湯をポタポタこぼしながら、踏み台をよろよろと登ると、大きなお湯にジャボンと体を沈める。
「・・・あったかい。」
ちょうど気持ちいいくらいの熱さだった。お湯は肩が出るくらいの深さ。
「良かったね!じゃあ、髪を拭いちゃおうね。」
スザンナはリネンでまとめられた私の髪を、桶の外に出して丁寧に拭き始めた。髪拭きは相変わらず上手。
「なんで髪の扱いはこんなに丁寧なのに、普段の言動はそんなに大雑把なのよ。」
「ルイス様、ほめたいときは素直にほめようね!」
スザンナは順調に私の髪を拭いていく。
「せっかく拭いたのにお湯に付いちゃったらこまるね・・・そうだ、ルイス様のウィッグを使おう!」
スザンナは、ルイス・リディントン用のウィッグで私の髪をまとめ始めた。
「私が湯桶から出ればいいだけでしょう?完全に乾いたわけじゃないから、リネンでまとめるくらいでいいじゃない?・・・待って、なんでお風呂場にウィッグまで持ってきているの?」
「だってほら、ルイス様はマダム・ポーリーヌの服を着るし、ウィッグあったほうが東棟に帰るときに自然でしょ?」
「そうだけど・・・え、私このあと従者の服を着るの?」
私が混乱している間に、スザンナは私の頭にウィッグをセットし終わっていた。
「はい、おーわりっ!じゃ、後はがんばってね、ルイス様!」
え?
「ちょっと、スザンナ!後はってどういうこと・・・待って!置いていかないで!!スザンナ?スザンナ!!」
スザンナは意気揚々と部屋から出ていった。どういうこと?
私の着ていたドレス一式は置いてあるし、体を拭くリネンもあるから、自力で着替えようと思えばできるけど・・・
私が対応を考えていると、衝立の向こうでまたギイという音がした。ドアが開く音。
布張りの衝立の向こうに、どう見ても男性のシルエットが二人、入ってきていた。
「ちょっと!ちょっと待って!バカッ!私がこの部屋使っているの!レディになんてことするの!バカバカ!!バカッ!法に訴えるから!!変態!!今すぐ出てってバカッ!!」
「ルイス、大声を出すと他の男性が様子を見に来てしまうよ。私達は衝立のこちらがわにとどまるから、これ以上近づくことはないよ。それに採光用の窓が衝立のこちら側だから、こちらからはルイスの姿はぼんやりとしか見えない。」
聞き覚えのあるディープな声。見覚えのあるスリムなシルエット。羽のついた帽子。
「男爵・・・」
絶望した私のかすれた声に、男爵は答えなかった。
代わりにもうひとりの影が咳払いをする。
「これより、ルイス・バーソロミュー・リディントンのバス騎士叙任に先んじて、バス騎士の規定に則り『沐浴の儀』を行う。」
今度はハーバート男爵の太い声が部屋に響いた。お風呂場だから反響がすごい。
だ・ま・さ・れ・た!!!!!




