CCCXL 標的ルーテシア・ラフォンテーヌ
俺がアーサー様のお部屋に参上しようとしたとき、少しやつれた様子のラドクリフが止めに入った。なにか黒いビロードの布みたいなものを手に持っている。
「フィッツジェラルド、アーサー様はおやすみになっている。邪魔をしないように。」
「もうお休みに?まだ昼だ。ご気分がすぐれないのか?」
俺の問に答えるラドクリフは、少し疲れたような見た目だった。
「いや、お疲れなのだろう。先程私とサー・エドワードに、エイヴォンの温泉に行かれたいとの希望を出されたが、お休みになった後ならお考えを変えられるかもしれない。」
「温泉?あのアーサー様が温泉に?」
水浴びという名目で裸体発表会をしているヘンリー王子たちと違って、アーサー様は奥ゆかしい性格をされていた。温泉は医者に勧められても断っていらしたと思う。どういったお考えだろうか。
「話せば長くなるが、落ち着かれればお考えをお変えになられるかもしれない。そもそも、あのヘンリー王子とご一緒の避難先というのは問題が多すぎる。ただでさえ子飼いの魔女をアーサー様に差し向けようとしているというのに。」
ラドクリフの目には怒りが浮かんでいた。
「ヘンリー王子一行と一緒か・・・このタイミングはたしかに厄介だな。」
ヘンリー王子が魔女を使って王位を狙っている一件は、お優しいアーサー様にはご報告していなかった。そんなことをしたら、こころを傷められておしまいになられるだろう。それでも、今までほとんど交流がなかった兄弟同士が、なんで今になって同じ場所に行くのだろう。
「都合の悪いことに、副家令のハーバート男爵はこの一件に乗り気だ。二王子が同じ場所に避難すれば、警備やキッチン、教会のスタッフを合理化できるはずだと言っている。ただしハーバート男爵はヘンリー王子派とみて間違いない。何か企んでいる可能性もある。最終的には私達でアーサー様をご説得するほかないだろう。」
「待て、ラドクリフ、教会のスタッフも温泉に来るのか?」
「アーサー様のご希望が通ればそうなるだろうが、それがどうかしたのか?」
ということは・・・
ルイザも温泉に来る・・・
月夜を背に、湯けむりからその女神のような体を覗かせるルイザ・・・その大きな扇情的な目でこちらをチラリと見て・・・『フィッツジェラルド様・・・』なんて恥ずかしげにつぶやいたりして・・・
でも待て、そんなシーンを覗いたら口を聞いてもらえなくなるかもしれない。ルイザはきっと健気で奥ゆかしい性格をしているのだ。でもせっかく温泉にいるのだし、距離を縮めるにはどうしたらいいだろう・・・温まって薄着でいるところに、『湯冷めしてしまいますよ』なんて言いながら俺のコートをかけてあげたりできたら嬉しいが・・・
「フィッツジェラルド、お前、なんて顔して・・・まさか教会に狙っている男でもいるのか?アンソニーのことはもういいのか?」
俺が考え事をしていると、ラドクリフが俺を怪しむような目で訳が分からないことを言った。
「アンソニー?あ、そうだ、もちろん忘れたわけじゃない。あいつのことは俺が責任を持つ。教会の男がどうしたって?」
「いや、移り気なら、責任を持たずとも解放してやってもいいと思うのだが・・・」
そうだ、アンソニーは魔女ルイーズ・レミントンの下僕になってしまったが、まだちょっとは魂が残っていて、なんとか更生できそうな感じだったのだ。ラドクリフのように諦めて引退させるには早い。俺が頑張ればきっとアンソニーも更生して、ルイザだって手に入れて見せる。
「俺はふたりとも諦めない!」
「・・・お前に話が通じると思った私が馬鹿だった。」
ああ、温泉でルイザに偶然、ばったり会えないかな。きっとあの桃のようなほっぺたをほんのり赤くして『・・・きゃっ・・・はずかしゅうございます、見ないでくださいまし・・・』なんて言われたりして。『恥ずかしいことなどありません。あなたの神々しい美しさは、誇りこそすれ恥じるものではありませんよ。』なんて返したりして。うん、温泉につくまでにマクギネスともっと文学的な表現を探しておこう。
待て、ルイザの体は神々しいだろうが、俺の体を見られたらどうする。そりゃ、ちゃんと鍛えているし、上背も見た目もそんなに悪くないと思うが、女性の前に出ないヘンリー王子はともかく、ブランドンあたりと比べられたらちょっと迫力がないだろうか。ヘンリー王子達とちがってアーサー様のところでは、他人の体と自分を比べる機会もなかった。
「ラドクリフ、俺たちも温泉にはいるんだろうが・・・俺の体って、どう思う?そこまで悪くないだろう?」
「それ以上私に近づいたら斬る!この変態が!」
ラドクリフが急に攻撃的な構えをとって俺に叫んだ。
「いきなりどうした!?何を怒っているんだ!?俺だって裸は恥ずかしいんだぞ!?」
さすがの俺もたじろぐ。何が気に障ったのか分からない。
「おのれ、アンソニーに飽き足らず、既婚者まで狙うとは・・・お前の倫理観は野うさぎか!!」
「既婚者?そんなはずはない・・・教会の名簿で確認した・・・待て、アンソニーとは関係ないだろう?」
ルイザを始め宮廷の侍女たちの履歴は参照できる。独身だったはずだ。
「・・・全く、お前の貞操観念にはついていけない。教会関係者は清らかに生きているというのに、道を踏み外させることの重大さを分かっているのか?モーリスのように・・・く、あの暴君め・・・」
ラドクリフの目に宿っていた怒りが勢いを増した気がした。なぜかはわからない。
たしかに、俺と気持ちが通じ合ったら、ルイザが神に仕え続けるのは難しいかもしれない。でも修道女じゃなくて教会付きの小間使いだから、まだ一生を神に捧げると決まっていないはずだ。
「教会は離れることになるかもしれないが、愛があればきっと平気だ。俺が幸せにする・・・それよりモーリスがどうしたって?またヘンリー王子に苦労させられているのか?」
「お前の歪んだ倫理感ではモーリスの絶望がわからないだろう。今は教えない。全く、愛があればなどと、いかにもヘンリー王子がさも言いそうなセリフを言うとは。これで王子並みに魔女を使う力があれば・・・待てよ・・・」
無礼にも呆れた目で俺を見ていたラドクリフは、ふと考え事をするように宙を見つめた。
「モーリスがどうかしたのか?そこまで言われると心配になるだろう?」
「フィッツジェラルド、お前のその性癖を見込んで頼みがある。」
ラドクリフは俺をバカにしたような目つきのまま、また無礼なことを言った。
「性癖!?なんのことだ!?」
「南の国がキャサリン妃のところに魔女を送り込んできた。能力はルイーズ・レミントンのものとほぼ変わらないとみられる。名はルーテシア・ラフォンテーヌ。キャサリン妃の侍医という設定で、彼女の言うことは聞くようだが、アーサー様に対する意図に重大な懸念がある。彼女を捕まえて、ここに連れてきてほしい。」
俺はついこの間まで魔女なんて伝説だと思っていたが、最近二人の魔女に遭遇して、もう三人目が登場しても驚かなくなっていた。
「また魔女か・・・レミントンと組んでいるルクレツィア・ランゴバルドのことじゃないのか?」
「ランゴバルドというと、お前が今朝斬ろうとしていた女性か?ランゴバルドが何者か知らないが、キャサリン妃のラフォンテーヌとヘンリー王子のレミントンは全く別の目的があるようで、組んでいる可能性は低い。仮にそのランゴバルドとラフォンテーヌと同一人物であっても、今回は絶対に傷つけてはならない。南は名目上、同盟国だ。キャサリン妃の侍医に何かがあったら外交問題になる。五体満足で捕獲したい。」
けっこう無茶な注文だ。
「傷つけずに魔女を連れてくる、か。相当面倒だな、ラドクリフがやらないのか?」
「お前なら魔女の攻撃が効きづらいだろう。それに私は既婚だ。ベスを裏切るわけにはいかない。」
攻撃が効きづらいというのは、俺のほうがラドクリフより背が高いからだろうか。確かに家族を残して魔女の下僕になるのは確かに辛いだろうが、でも家族がいるからって安全が保証されるのは騎士としてどうなのか。
「ずいぶんと弱腰だな、ラドクリフ。」
「私も魔女と戦いたいのは山々だが、相性というものがある。適材適所だ。それに私の方はもうひとりの魔女の対策を練らなければならない。」
なんだか言い訳じみたことを言うと、ラドクリフは手に持っていた黒い布を掲げて見せた。
「なんだ、それは?魔女には全身を黒い布で覆っても無駄だぞ?」
失敗した俺とアンソニーの計画を思い出して、口の中が苦くなる。
「違う。これは魔女ルイーズ・レミントンのマントだとみている。普通なら回収に来ないだろうが、彼女に操られている人間をうまく使って、このマントをきっかけに魔女と接触を図りたい。」
ルイーズ・レミントンは俺とアンソニーも簡単に捕獲したから、ラドクリフは簡単な任務を選んでいることになる。ルクレツィア・ランゴバルドが妨害するだろうから、本番はそう簡単にはいかないだろうが。
「誰が操られているのか、ラドクリフは知っているのか?」
俺はアンソニー以外に魔女の手に落ちた人間を知らなかった。
「魔女に忠誠を誓っている結社があるようだ。その名は『イケメン』。全員が魔女に寝取られているかどうかははっきりしないが、魔女の手足となって働いている。ウィンスロー男爵、ルイス・リディントン、トマス・ニーヴェット、ヘンリー・ギルドフォードなどが『イケメン』の一員として活動しているようだ。メアリー王女はなぜか私やモーリスも結社に入っていると思っていたようだから、我々も狙われているのかもしれない。ブランドンはなぜか今のところ無事なようだ。」
「寝取られたってどういう意味だ・・・待て、リディントンもなのか!?」
消火に活躍して疲れ果てた俺を介抱してくれた、天使のような青年を思い出す。東棟に働いていたとは言っていたが、もう魔女の毒牙にかかってしまっていたとは・・・
「寝取られたはその意味の通り・・・そうか、お前には意味が違うかもしれない。細かいことは重要ではない。リディントンは『イケメン』の主要人物とみて間違いないだろう。」
「・・・そうだったのか・・・あのとき俺が警告できていれば・・・」
アンソニーの変わり果てた姿を思い出す。魔法をかけられるとああなってしまうのだから、俺を介抱していたときのリディントンはまだ無事だったはずなのだ。俺が静養している間にルイーズ・レミントンにやられてしまうとは計算外だった。
「お前とリディントンに接点があったか?しかし、それも今、どうでも良い。東の魔女ルイーズ・レミントンは西棟からはじき出せるが、南の魔女ルーテシア・ラフォンテーヌはキャサリン妃の推薦状を持ってアーサー様のところに出入りできる。彼女を先に捕まえてほしい。もちろん怪我をさせずにだ。」
「見たことも聞いたこともないのに、いきなり捕まえられるのか?」
俺には、これ以上キャサリン妃と面倒事を起こしたくないラドクリフが、厄介な仕事を押し付けたがっているように見えた。
「姿を見たのはサー・エドワードだったが、豊かな銀髪の、年配の女性だそうだ。すこし濃い顔立ちだが、美人ではあるらしい。背や体型は・・・普通だそうだ。基本的に髪だけでも目立つようで、南の侍女たちは髪色の濃い人間が多いから、識別には困らないだろう。お前には『捕獲した猫の様子伺い』の名目でキャサリン妃の区画に入る許可をとってある。彼女を見つけたら、ここまで誘導してほしい。魔法で反撃しようとしてもお前には効かないだろう。お前の体格なら無理に連れてくることもできるはずだ。」
「そ、そう思うか?」
ラドクリフが俺の戦闘力をここまで買っているとは知らなかった。前回アンソニーと違って魔女の手に落ちなかったからだろうか。
あのとき、確かにアンソニーは助けられなかった。だが俺はもうあの日の俺じゃない。
「自信がないのか?」
「自信はある。俺は経験から学ぶ男だ。ちゃんと魔女対策は考えてある。まあ見てろ。」
ラドクリフは無表情に俺を見たが、俺には秘策があった。
俺はラドクリフの前で反転すると、魔女捕獲のための最終兵器を準備するため、自分の部屋に戻った。
`````````
あけましておめでとうございます!いつも『指魔法』をお読みいただきありがとうございます!
この物語は作者二人の趣味で書いているので今後も続いていきますが、難解すぎて途中で読むのをやめてしまう方も多いので、
思い切ってややこしい王位継承のお話や、中世風俗の紹介をカットした簡易版を、本編と別に掲載しようかなと話しています。特にロバート・ラドクリフ視点とキンカーディン大使視点はプロット上重要なのですが、笑えるシーンが少ないのでほぼカットするかもしれません。
簡易版に向けて、もしこういうところは残した方がいい、カットしたほうがいい、といったシーンがありましたら、ご感想に書いていただけると嬉しいです。
今後とも『指魔法』をどうぞよろしくおねがいします。




