CCCXXXV 読書家キャサリン王太子妃
南の女官の皆さんは強めの香水を使っている人が多かったけど、キャサリン王太子妃は赤ちゃんみたいにナチュラルないい香りがして、童顔なのもあって、こうして肩もみしてあげているとすごく可愛らしく思えてくる。
「嗚呼・・・こころゆく・・・」
目を瞑ってうっとりした様子の姫様。前回とは違う場所を狙って、指の腹でゆっくり圧力をかけていく。本当は連日近い箇所をマッサージするなんて良くないけど、オーバードレスを頂いたお礼がこれくらいしか思いつかなかった。お昼に現世初の生ハムもごちそうになったし。
マリアさんが『ルーテシアが術にて、日嗣の御子の平らぎ給はる!!』なんて大げさにアナウンスすると、歓声に包まれた姫様の部下たちは前回みたいにパーティーを始めた。現世だと土曜日は平日だから、昼間からこんなに飲んで大丈夫かなと思いつつ、私はアルコールに口をつけないようにしておいた。その後、姫様のお部屋でお礼のマッサージをする流れになった。
「ご加減は如何ですか。」
「善き哉・・・あっ・・・よきっ、よきっ!!」
姫様はきれいなほっぺたをりんごのように赤くして、とってもご機嫌だった。はちみつ色の髪もあって、おとぎ話のお姫様みたい。ちなみに姫様はアーサー王太子殿下を診断した褒美にアメジストのネックレスまで私にくれようとしていたけど、『殿下はまだ治っていません!!根気強い治療が必要で、ご褒美をいただくほどのことはしていません!!』といって私は遠慮した。
素敵なネックレスだったからちょっと勿体ないけど、あんまり高価な宝石をもらうと後でスキャンダルになりそうだし、ルイス・リディントンが持っていたらルーテシア・ラフォンテーヌから盗難したと思われそうだった。だけど私がすみれ色のドレスの上に着た白のオーバードレスは、誰かにお下がりにするわけにもいかないそうで、そのままもらうことになった。
「ルーテシアや、南の葡萄酒はいかにぞ。他に欲しきものぞあらむ。」
ドナ・エルヴィラは、フルーツタルトとオーバードレスだけではお礼として物足りないと思ったみたいで、さっきから私のほしいものを聞いてくる。
「姫様の、成る程我を、もて栄やし、給ひつるに、すべからく、事適ひぬ。」
古典語の会話表現は良くわからないのよね。でも私は宴会だけでも満足で、ワインのお土産は別にいいかなと思った。今朝のオレンジタルト、お昼の生ハム、昨日のイカとタコ・・・トマトは微妙だったけど、とりあえず姫様のそばにいるとエキゾチックなグルメに出会えるのよね。
一瞬、宮殿を去るのがもったいないような気持ちになったけど、命を狙われていることを思い出して私は首を振った。そうだった、今日付けで辞任するつもりだったのに、なんでのんびりしていたのかしら。
「いかがせまし、ルーテシア?・・・あゝ・・・よき・・・」
「姫様・・・姫様の存ぢある通り、我はウィンスロー男爵が手の者なり。アーサー王太子殿下を療せむとするも、この先殿下に侍する序にかぎりあり。さすれば代はりを探したまへ。其の者がため、わが診断を書き置き奉らむ。」
私は引退と後任を探してもらうことを頼んだ。こういう契約破棄の文面は法律でよくでてくるから割とスムーズに話せる。
「・・・あはや・・・憂き・・・めくるめく・・・」
姫様は悲しそうに顔を落とした。でもマッサージは続けてほしいみたい。
「・・・ルーテシアや、我々を見放つるか!?そなたの手で日嗣の御子の癒ゆる様に、わらはは愛で覆るぞ!まことに心動くことなきか!?」
私の引退表明に一番慌てたのはドナ・エルヴィラだったみたいで、すごんだ表情で近づいてきた。この人はいつも少し疲れた感じの表情をしているのだけど、意外とエネルギッシュなのよね。
「ドナ・エルヴィラ、アーサー王太子殿下の、快方に向かわれしこと、悦ばしきかぎりなり。我が見立てにつき、我が言加ふる通り過ぎ給はれば、我無くとも治られむ。我はエルサムに参るまじ。殿下が侍従、我を狙ふ。命こそ惜しからめ。」
アーサー王太子は普通の冷え性だから、マッサージをやめてもある程度改善するはず。私が側に居続けなくても、アドバイスさえ守ってもらえればいいと思う。命が大事、というのは万国共通だと思うし。
「其の侍従とやら、誰そ?」
少しプンプンと怒った様子の姫様が小さめの声でつぶやいた。
「・・・ジェラルド・フィッツジェラルド、及びフィッツウォルター男爵なり。」
なんだか告げ口しているみたいだけど、今朝には斬られそうになったし、短い私の宮廷ライフを妨害してきた二人は、姫様に困らせてもらってもいいかなと思った。
ドナ・エルヴィラは二人の名前を聞いた途端憤慨し始めた。
「あなや、野暮な二人なり!!雅びを解さず、姫様にも無礼な者共!いと忌々しきこと!!」
「・・・エルヴィラ、ルーテシアがため、二人を遷すること適ふや?」
私はどのみち宮殿を去る予定だけど、なんだか私の置き土産で姫様は二人を左遷しようと思っているみたいだった。命を狙われた身としては全然同情しないけど、南出身の姫様はアーサー王太子の人事に口出しできるのかしら。
「姫様、しかるに・・・」
「姫様!!ルーテシアが!!」
ドナ・エルヴィラがなにか言おうとしたとき、ドアが開いてマリアさんが駆け込んできた。
腕に見覚えのある白い長毛種の猫を抱えている。
「ルーテシア!!あはや!!」
姫様は椅子から立ち上がって、元祖ルーテシアに駆け寄った。猫は元気みたいで、のんきそうに姫様を見上げている。
「見つかってよかったですね。」
私も猫の無事は嬉しかったし、姫様が嬉しそうなのにつられて、思わず笑顔になった。
「フィッツウォルター男爵が見つけしを、モーリス・セントジョン殿が連れたりき。」
マリアさんが功労者の名前を報告する。モーリス君はともかく、猫を探し当てた人が私の敵だったので、すこし気まずい気持ちになった。
「フィッツウォルター・・・いかに報謝すべきや・・・」
姫様も思うところがあるようで、考え込むようにお礼を悩んでいる。
私達が神妙な雰囲気の中で猫をかわいがっていると、今度はプエブラ博士が部屋に入ってきた。本人は地味なローブを着ているけど手に豪華そうな黄色のドレスを持っていて、相変わらずの片眼鏡。
「姫様、ルーテシアを寝間にいれてはならぬ旨・・・やや、ルーテシア!」
プエブラ博士も猫を見てびっくりしたように目を丸くして、ルーテシアをなで始める。
猫を寝室に入れちゃいけないってルールはけっこう厳しいと思うけど、長毛種だと抜け毛とか大変なのかもしれない。
「プエブラ、その花衣はいかに?」
姫様はドレスが気になったみたいだった。毛がついちゃうのは気にしていないみたいだけど。
「姫様、明日はサー・ルイス・リディントンが叙任式にて、国王陛下、ヘンリー王子殿下、メアリー王女殿下、マーガレット王太后殿下の参列を賜る上、この御衣を召しませ給へ。」
プエブラ博士が持っていた晴れ着は、私の騎士叙任のための・・・
えっ、私の叙任式ってそんな壮大だったの?
国王陛下まで来るなんて・・・そういえば騎士の叙任は肩に国王陛下の剣を載せられて完了するから、たしかに来てもらわないと成り立たないだろうけど。『沐浴の儀式』のインパクトに気を取られて全然気づかなかった。王族勢揃いはさすがに聞いていないし、男爵も言っていなかった。
私が今日付で辞任したら全部実現しないけど、ハーバート男爵は各方面に平謝りになりそう。
「姫様、ウィンスロー男爵いはく、ルイス・リディントンは辞することを申し出でつるに、儀式は沙汰無しになりなむ。」
私が儀式中止の見込みを伝えると、姫様はショックを受けたように固まった。
「あはや!などかは!我が楽しびとするに・・・」
見知らぬ騎士の叙任式が楽しいのかしら。ひょっとすると、アーサー王太子が出てくるかもしれないから、という理由だったりして。
「いと美しき男子と聞こゆ・・・無念なり・・・」
猫を抱えるマリアさんも、美男子に会うのを楽しみにしていたみたいでがっかりしていた。本人が今目の前にいるけど、マリー・アントワネット風のお化粧をしたままだから美男子には見えないかもしれない。
「姫様が心に付く、健気なる従者と聞く。姫様の挙ありしも、辞するとはなにごとぞ。」
相変わらず疲れたご様子のドナ・エルヴィラ。そういえば王族のみなさんが推薦してくれたって男爵が言っていたけど、私って健気なキャラだったっけ。
あれ、なんで姫様達と接点がないはずのルイス・リディントンが、姫様の気になる存在になっているの?
「姫様、などか東棟が新人、ルイス・リディントンをご存知給はるや?」
「あはや、いまだ相見ることかなはずも、文にて見聞きし、いと愛く思ひて、すでに余所の者とも思へず。」
手紙?誰が私のことを手紙に書くのかしら。私のことを男爵がレポートしているのかもしれない。でも男爵の性格を考えるとそんな可愛く書かれているのは意外だし、そもそも古典語はできないはず。
私が混乱していると、姫様が机から上等そうな紙を一枚渡して微笑んできた。
「ルーテシアもリディントンを好くこと、必定なり。」
そこまでナルシストじゃないつもりだけど、姫様の渡してきた手紙にはリディントンの愛らしいエピソードが書かれているらしいから、せっかくだし読ませてもらうことにする。誰が書いたのかが一番気になるけど。
なんだか見覚えのある、装飾の多い筆跡・・・
嫌な予感がする・・・
[レヴィス、いつくしむやうにて、マウリスがみみに、ありけるくしをさしいれていはく『こころをまどはしたまふな。ねんじすぐせ、マウリス』と。こたへてマウリス、ものもおぼへぬここち、しのびあへぬさまにて、『あゝ、かようなところにおしいれては、あなう、われはもう・・・』と。・・・]
・・・・・・
「これ王子が昨日書いていた薄い本じゃない!!!」
「いかがせまし、ルーテシア!?」
私は絶句、していられなくて思わず現代語を喋っていた。
え、これ、私が昨日見ちゃった箇所・・・私がモーリス君の耳掃除をしているシーンだし間違い無いわよね・・・でもこの手紙、ちゃんと宛名は『枢機卿ドン・ペドロ・デ・アヤラ』で・・・たぶん、姫様が勝手に開けて読んじゃったのね・・・でもこれ、読まれたら一番恥ずかしいやつというか、いくら裸族のヘンリー王子でもさすがに恥ずかしいというか・・・そもそも・・・
「二人のBL趣味バレてる!!!」
「BL?」
思わず口にだしていたことに気づいて、私は慌てた。
「兄弟愛です。ついでにいうと私とモーリスくんの、失礼、リディントンとセントジョン様の仲は、親しき仲にも礼儀あり、みたいな感じで・・・えっと・・・ブラザー的?」
「ブラザー?」
私は混乱していたけど、手紙を見回しても『レヴィス』が『ルイス・リディントン』だと書いてある箇所がない。
「姫様、まさか前編が・・・」
姫様は私を心配そうに見ていたけど、奥でマリアさんが慎重に書棚をいじり始めていた。
遠目からでも、ヘンリー王子の筆跡の手紙が複数あるのがわかる。
「えっ、開けちゃっているの・・・」
ひょっとして外国にいる枢機卿には、ヘンリー王子の手紙は全然届いていないのかもしれない。
二人の世界に浸るはずが、こんな公文書扱いを受けるなんて・・・さすがに気の毒になって涙がでそうになる。
もちろん『出演』してしまっている私も無傷ではないけど・・・
「ちょっとまって、それ読んで姫様ルイス推しなの!?それともモーリス君とのカップリングが好きなの!?『ルイモー』ってやつ!?」
「ルーテシアや、思ひ鎮まりたまへ。小姓共のふれあひは成る程あはれなれど、貴婦人たれば思ひ騒ぐことなかれ。」
「違います!!文面に興奮しちゃっているわけじゃないです!!あとあのシーン実際は全然『あはれ』じゃないです!!」
王子と枢機卿の秘密の花園に勝手に立ち入っている姫様を前に、私はただあたふたした。
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週一度の更新を目指していましたが、作者間のスケジュールが合わずに残念ながら先週は間に合いませんでした。長らくおまたせしました。
今後とも『指魔法』をどうぞよろしくおねがいいたします。




