CCCXXXIII 兄ライオネル・レミントン
馬車の行く手に、帽子を振る長身の青年の姿が見えた。ルイーズよりも少し暗い茶髪は、陽の光を浴びて銅色に輝いていた。
「パパ、馬車を止めてちょうだい。ライオネル様よ。」
パパが馬車の窓を開けて御者と話しているのを聞きながら、私はドレスと帽子を整える。
馬車が停まって御者がドアを開けると、ライオネル様が会釈をして、降りる私に手を差し出した。手入れが行き届いた髪はウェーブがかかって相変わらず素敵だけど、見慣れない眼鏡をかけているから違和感を感じる。
「レディ・マージョリー・ヘイドン、そしてサー・ジョン・ヘイドン、この度は妹のためにご尽力いただき、心からお礼申し上げます。」
「まあライオネル様、畏まるのはおよしになって、私達の仲じゃありませんか。親友のためだもの、私だって全力を尽くすのは当たり前ですわ。それよりも、目を悪くされたのですか。ノリッジでお見かけしたときは眼鏡をおかけでなかったと思いますわ。」
手をとって降りる私の問いかけに、ライオネル様は肩をすくめた。
「違いますよ、レディ・ヘイドン。以前気まぐれで僕が眼鏡をかけたとき、ルイーズが気に入っていたんです。今回の計画を考えれば、ルイーズ好みの格好をしておいたほうが良いだろうと思いまして。」
確かに最初の違和感を忘れれば眼鏡は似合っている。怜悧な顔立ちもあって、インテリジェントな感じに見えた。でも少し勘違いがあるみたいだから訂正してさしあげないと。
「あらライオネル様、お言葉ですけれど、ルイーズが気に入ったのは『イメチエィン』、すなわち普段と違うライオネル様の姿ですわ。すでに披露済みのメガネ姿を見せたところで、残念ながらもう効果はありませんの。」
「そうかな、僕には照れ隠しに見えたのだけどね・・・」
ライオネル様は無表情に見えたけど、目から少しがっかりした様子が伺えた。この方は人前でルイーズとはあまり仲良くしないけれど、言葉の節々から溺愛っぷりが溢れてくる。
「そのくらいにしておきなさい、マージ。ライオネル君、この子は口が達者だが、悪気はないので許してやっておくれ。それにしても、時折サー・トマス・モアから活躍の様子は聞いていたが、こうして立派になった姿を見られて嬉しいよ。」
ゆっくり降りてきたパパが優しく声をかける。パパは政治的にはライバルのはずのレミントン家三兄妹に対して、いつでも好意的だった。庶民院議員の話はルイーズじゃなくてライオネル様のところにいくと思っていたけど。
「サー・ジョン、父やサー・トマス共々、いつもお世話になっております。レディ・ヘイドンとの会話は弁論の練習になるのでいつでも大歓迎ですよ。」
「まあ!まあ!失礼なこと!ルイーズだったら『ちょっとっ!!』と叫んでいるところですわ!」
私がルイーズの『ちょっとっ!』を割と上手に再現できたので、パパとライオネル様はくすくす笑った。ライオネル様はあまり笑わないので貴重だと思う。
和やかな雰囲気ではあったけれど、私はライオネル様がお一人でいることが気にかかっていた。
「それはそうと、スタンリー卿を通じて、ライオネル様にはルイーズ好みの顔の良い男を手配していただくようお願いしたのですけれど、お連れがいらっしゃいませんのね。行き違いがあったかしら。まさか『そのイケメンは俺のことだ!』なんておっしゃいませんよね?」
ライオネル様の見た目はレディ受けが良さそうだけれど、少し細くて冷たい感じの目のあたりはルイーズの好みとは少し違うと思う。眼鏡が歓迎されたのはそのためかしら。
「酷い言われようですね。これでもルイーズの格付けは『名誉イケメン』のスタンリー卿よりも上でしたが。しかし心配ご無用、ちゃんとルイーズの好みの囮を見つけてきましたよ。フォレスターさん!」
ライオネル様が声を上げると、木陰からスラッとした青年が現れた。
今まで存在に気が付かなかったけど、そもそもなぜ隠れる必要があったのかしら。
「ご紹介預かりました、ダンカン・フォレスターです。大まかなお話は伺いましたが、ルイーズ・レミントン嬢の気を引いて、馬車に案内すればよろしいのですね。」
私は帽子をとって霊をする青年を観察した。ブルネットの髪色と髪質はごく普通だったけど、たしかにすっと整った目鼻立ちをしている。鋭すぎない切れ長の目、形の良い鼻、薄めの唇。
全体的に甘さは控えめだけど怖くはないイメージで、確かにルイーズの好みに近かった。少し線が細い気もするけど、あの子は筋肉にこだわりがないから大丈夫。
「(さすがはライオネル様、及第点ですわ。)」
「(及第点?採点が辛いですね。)」
「(相手はもっと手強いのですわ。)」
残念だけど目の前の青年よりも、ルイーズが夢中になっているウィンスロー男爵は風格があった。あの瑪瑙みたいな瞳には引き込まれそうになったし、あの渋い雰囲気で肌が綺麗なのは反則だった。髪は普通だったけど。
でも私としてはウィンスロー男爵よりもモーリス・セントジョン様の方がすごかった。なぜルイーズはあの方の前で平然としていられるのかしら。緑の目は宝石よりも美しくて、肌は陶磁器みたいに透き通っていて、顎のラインは尖すぎず丸すぎない黄金比。何よりあのサラサラのブロンドが柳のように揺れるお姿は神々しかった。
二人に比べると目の前の人は各パーツも綺麗だしバランスもいいけど、初見のインパクトにかける面は否めなかった。
「私の見た目審査は終わりましたか?お眼鏡にかなうといいのですが。」
フォレスターさんはおどけてみせたけど、目が笑っていないような気もして、私は少し気をもんだ。
でもこんな唐突なお願いを聞き入れてくれるハンサムな男なんてそういないから、絶対安全・完全無欠をもとめても仕方がないわよね。
「ええ、おまたせしてしまって申し訳ありませんわ。私はマージョリー・ヘイドンと申しますの。今回は理不尽なお願いを聞き入れていただき、どうもありがとうございます、フォレスター様。下のお名前から察すると、北の国のご出身でしょうか。」
「はい、こちらの王都に移ってきてしばらく経ちますが。訛りがなくなってもダンカンという名前はついて回りますね。」
ビジネスでは北の出身というだけで敬遠される場合もあるから、それを隠さないのは誠実の証かもしれない。
「異国の地で精力的に働かれている御姿、とてもご立派ですわ。今回は弁護士のお仕事をお邪魔してしまってもうしわけありません。ライオネル様とはリンカン法曹院で知り合われたのかしら。」
「いえ、私は弁護士ではありません。ライオネル君とは家がたまたま近所なので、前から知っていましてね。私自身は郵便業に携わっております。妹さんの裁判の話はきいていましたが、このような展開になるとはびっくりしましたよ。」
近所の知り合い・・・
私は警戒心が隠せなくなった。
「そ・・・そうですか・・・フォレスター様、ご紹介が遅れましたが、こちらは私の父で庶民院議員をしているジョン・ヘイドンです。私は少しライオネル様と話がございますので、しばし父とご歓談くださいな。ライオネル様、ちょっとこちらへ。」
私はフォレスターさんがパパと話し始めたのを確認すると、ライオネル様を少し離れた木陰に呼び寄せた。
「(一体どうなっていますの!?てっきり身元のはっきりした、弁護士か官吏の方を連れていらっしゃるとおもっていましたのに!!)」
ライオネル様の人脈は法曹関係者に偏っていると思っていたから、怪しい人を連れてこられる心配はしていなかったけど、『近所に住んでいる外国出身の郵便業者』なんて怪しさ満点だった。
「(まあ落ち着いて、レディ・ヘイドン。リンカン法曹院やグレイ法曹院で同年代の知り合いは、ほぼみんなスタンリー卿のパーティーに呼ばれていたので、すでにルイーズのチェックが入っています。今更連れてきても新鮮味にかける。)」
「(そんなサーモンじゃないのですから、新鮮さがすべてじゃありませんわ!」」
ルイーズの好みは小さな頃から一貫していて、そんなに飽きっぽい方ではなかったと思う。あの子は恋物語なんかにはすぐに飽きていたけど。
「(僕は大丈夫だと思いますよ。彼は身なりも話しぶりもしっかりしている。そう簡単に会得できるものではありません。それに以前、ルイーズはミステリアスな男に割と関心があると言っていたしね。)」
「(それはミステリアスな雰囲気の外見を持つ男という意味であって、こうして実際にミステリーにあふれている必要などなかったのですわ!もうライオネル様のお馬鹿!!)」
レミントン兄妹は仲がよかったけど、お互いを勘違いしているところは多かったと思う。二人とも頭はいいのだけど、どこかずれているのよね。特にライオネル様はルイーズが上辺と気分で判断していることに高尚な意味があると思い込んでいそうなときがある。
「(もちろん、身辺調査が完璧とは言い難い。しかし彼と話しているだけで理知的で育ちの良さがわかりますよ。そこらへんの通行人をランダムに選んだわけではないからご安心を。そもそもこれほど急ごしらえの無理な計画で、いきなり完璧なイケメンが見つかるはずありませんから。)」
「(まあ!責任転嫁なさるの?誰かさんが妹を探してホワイトホール宮殿に不法侵入していなければ、もう少し準備時間があったと思いますわ!)」
「二人共、時間がないのだろう?それはそうとライオネル君、宮殿の件は大丈夫だったのかい。」
いつのまにかパパが近くに来ていて、私の小言を聞いていたみたいだった。振り返って確かめると、フォレスター青年は話の聞こえないところに佇んでいる。
「ご心配をおかけしました、サー・ジョン。もともと工事中で人の出入りが多かったので、どういった理由で立ち入ったのか尋ねられただけです。スタンリー卿の口利きもあって大事にはなりませんでした。記録にも残っていませんよ。」
「はは、ルイーズちゃんがかわいいのはわかるが、弁護士が前科一犯にならぬように、気をつけてくれないとね。」
私は和やかな二人の会話を聞きながら、宮殿に不法侵入した一件がこんな簡単に片付けられていいのかしら、なんて思っていた。
でも考えてみると、私は昨晩もルイーズの招きで東棟に入っているし、なんだか抜け穴の多そうな警備体制だった。それはルイーズにとっては悪いニュースだけど、私達の計画にはチャンスでもあった。
「それでは行きましょうか、レディ・ヘイドン。」
「ええ。」
私はライオネル様の差し出した手をとると、耳元で囁いた。
「(宮殿にはクリス叔父様のゲストとして入るのですよ?妙に教養があって訛りのない北の国の出身者だなんて、もしスパイを疑われたら叔父様に迷惑がかかってしまうわ。)」
「(大丈夫。僕が同伴しますし、ニーヴェット家のトマスがルイーズを外に連れ出してくれる手はずになっています。フォレスター君はサー・クリストファーの知り合いとして敷地に入ればいいだけで、事前に同伴者を申請しているから特に違反はありませんよ。スタンリー卿が仕切ってくれればもっとスムーズだったはずですが。)」
少し表情を曇らせたライオネル様は、昨日スタンリー卿と何を話したのかしら。スタンリー卿は南棟に自分のスペースがあるらしくて、今回のルイーズおびき出し作戦の協力してもらおうと思ったけど、なぜか消極的だった。
昨日スタンリー卿は馬でルイーズを敷地外に出したのに、結局無理やり連れ出すことを断念したのよね
「(スタンリー卿はルイーズに甘すぎますの。そうね。今はベストな人材を選ぶよりもスピード感を重視すべきです。王子一行が温泉に向かってからではややこしくなりますわ。)」
「(でも僕としては、昨日の今日でルイーズが意地を張っているんじゃないかと心配ですけどね。)」
「(あら、ルイーズは大義名分があれば割と流されてくれますわ。逆境に無理にとどまる子じゃありませんから。名誉ある撤退を用意してあげるのがコツですの。)」
私の発言に、ライオネル様は少しびっくりしたように、眼鏡の中の目を丸くした。普段はあまり表情を変えない人だけど、今日は普通の日じゃないから少し感情表現が豊かかもしれない。
「(権謀術数にかけてはレディ・ヘイドンにはかないませんね。でもこんな大変なところまで来てもらって、無理をさせていないといいのですが。)」
「(政治家の娘として、褒め言葉と受け取っておきますわ。それに多少の無理は構いませんの。ご存知だとは思いますけど私、ルイーズが大好きなんですの!)」
「二人共、歓談はルイーズちゃんを捕まえてからのほうが盛り上がるのではないかい?」
パパに急かされて馬車に乗った私達は、一路リッチモンド宮殿に向かって出発した。




