XXXII 弁護士ニコラス・レミントン
馬車の固い椅子の後で少し腰が痛くなっていたのもあって、肘掛け椅子に座れるのは嬉しかった。エチケットとはいえ男爵が椅子を引いてくれたのにはびっくりしたけど。
「ありがとう。今夜はとっても気が利きますね。」
「どういたしまして、私はいつもその気になれば気が利くんだ。さて話は変わるけど、これが用意したウィッグなんだ、どうかな。」
男爵は色合いが少しまだらな栗色のウィッグを掲げた。
「どうかなって・・・ウィッグ必要なの?私は男になるときだけ髪を下ろしてもいいですけど。」
公の場では女性は髪を結うことになっているから、私の髪もある程度の長さがある。でも少年時代は長髪を下ろしている男の人も少なくないし、髪の長さで男女は判別できない。
「レディとして抵抗があるかと思ったんだけどね。それに髪型が違う方が、万が一誰かがルイスとルイザを遠くで見かけたときに言い訳がしやすいだろう。」
それもそうかもしれない。言われてみればウィッグは少しパーマがかかっていて、私の割とさらっとした髪質とは違う。
「わかりました。じゃあ試しに被ってみようかしら。」
「今日はいいよ。カールがかかっているから、少しずれても目立たないはずなんだ。髪を結った上から被せて、ピンでとめてくれるだけでいい。髪を痛めないように締め付けないふわっとした作りになっているよ。」
「それは嬉しいわ。」
お父様の髪が少しさみしいのは、職業柄カツラを被る日が多かったせいだと思う。せっかくサラサラに保っていた私の髪だし、できるだけ大事にしたい。
「ところで、カツラの被り方はわかるかい?」
「当たり前でしょ、私、弁護士の娘よ。」
裁判だと法曹関係者はみんな白髪のカツラをかぶる。
「弁護士の娘がみんな知っているとは思わないけどね。まあ、とりあえず気に入ってくれたかな?」
男爵はまたデフォルトの微笑モードに戻っている。
「余裕のある作りになっているし、少しボサボサな感じなのはルイスのキャラってことでいいと思います。でも色にムラがあるのはなぜですか。」
「君の髪の色に関する情報が少なくてね。栗色とは聞いていたんだけど、地毛が覗いてしまうリスクや、君の眉毛と差がある場合を考えて、少し違う色の髪を混ぜたんだ。服は仕立てられるがウィッグは作るのに時間がかかるから、君の到着を待っていられなくてね。」
なるほどね。私がどんな人間かっていう情報が少なかったみたい。スタンリー卿みたいなお父様の知り合いは私と何度も会っているはずだけど。
「それと、服はどうするんですか。」
「寸法がわからなかったから、とりあえずローブだけを用意してあるよ。前も言ったように、表に出ないときはルイザとしてレミントン家から持ってきた服を着てくれて構わないんだ。でも今夜のうちに針子のマダム・ポーリーヌが採寸に来る予定で、明後日には仕事着が一着仕上がると思う。」
「仕事着・・・」
少しわくわくする。制服なんて生まれてこの方きたことない。生まれる前はセーラー服着ていたこともあったけど、この世界だとセーラー服は海軍将校が着ているからもう着る機会はないと思う。
「仕事着と聞いて嫌な顔をしないとは、君は変わった女の子だね。まあこの二日でよくわかったけどね。」
男爵は自分の言ったことが面白かったみたいでクスクスと笑った。働いているレディーは確かに珍しいけど、私はお父様の秘書的なことをしていたから特に抵抗はないかな。
「誰か来たようだね。」
ドンとドアをノックされる音がきた。
「モードリンです。針子をお連れしました。」
ヒューさんの声がした。どうやら早速採寸タイムが来たみたい。もうすっかり夜だけど針子の方もご苦労様です。