CCCXXVI 協力者アンソニー・ウィロビー・ド・ブローク
アーサー王太子の足を拭き終わると、私は立ち上がって挨拶をした。椅子でくたっとなっている王太子を見下ろすのは礼儀に反するから、一応膝を曲げて礼を取る。
「殿下、これにて本日の治療は終了となります。お疲れさまでした。お着替えはアンソニーにお任せしますので、私達はこれにて御暇させていただきたく存じます。」
「・・・・・・ぁ・・・・・・」
王太子はまどろんだように天井を見つめたままだったけど、ちょっと反応があったから私の挨拶は認識してくれたと思う。
「ルーテシアや、日嗣の御子は心失し召すや?」
離れた場所で心配そうにしているドナ・エルヴィラには王太子が失神したように見えたみたいだけど、ちゃんと意識は残っていそうだった。
「否、ご藍ぜさせ!白目ならず、脈、息ともに息災にてあらせられる。」
「(げに心地良顔なり!なれども、あたかも魂消るやうなるぞ。)」
小声のマリアさんはさっきから王太子に近づこうとしていたけど、一応王太子の視界に入らないようにしてくれているみたいだった。
「そんなことはありませんよマリアさん、殿下、ご加減はいかがですか。」
気絶扱いになると退出するときに面倒だと思うから、私はちょっと膝の裏を押しながら王太子の反応を待った。
「・・・ぁっ・・・し・・・あわ・・・・・・せ・・・」
今度はちゃんと反応があった。王太子もちょっと目も動かして私を見てくれたと思う。
「ほら、ご覧のように、ご本人もご満足いただいています。」
「(・・・あはや!日嗣の御子のかほどに喜ぼふさま、見も知らざるを!めでたきかな!)」
「(げに!御子の色めかしきこと!姫様の嬉しぶこと必定なり!)」
最初は心配そうだった二人も、珍しく幸福そうな王太子を見て考えを変えたみたいで、王太子への尊敬語を忘れて手をとって喜んでいた。マリアさんはちょっとずれているけど。
姫様はこんな感じの男性が好きなのかしら。旦那さんだからタイプと一致していればちょうどいいと思うけど、『姫様の御前でマッサージ』ってなったらまた王太子が恥ずかしくて死にたくなると思うし遠慮したい。
「それじゃ、アンソニー、後はお願いね。」
私が南の二人を連れて退去しようとすると、私の白いドレスを引っ張られる感覚があった。
「アンソニー引っ張らないで、これレンタルだから・・・」
「魔女様、俺もう我慢できない・・・俺も魔法・・・」
なんだか期待と不安でいっぱいになった大きな青い目が私を見つめた。アンソニーはこのおねだりをする子犬の顔をどこで覚えたのかしら。
「アンソニー、アーサー様が風邪をおひきになってしまったらどうするの?今度、またの機会にね。」
本人がグッタリしている中でピッタリしたタイツを履かせるのに時間がかかるのは自明だったし、待っている間に野蛮人が起き上がってきたらまた面倒なことになりそうだった。
「魔女様、俺、約束守った・・・」
「アンソニー、今回は色々手伝ってくれてほんとにありがとう。でも今、私は行かなくてはいけないの。そんなうるうるした目で見ても私は譲らないから。」
「・・・ウィロビー殿を苛むなかれ、ルーテシア・・・」
私はアンソニーの子犬攻撃に耐えていたけど、先にマリアさんが陥落したみたいで、私にマッサージをするように促した。
「されど、日嗣の御子とことなりて、アンソニーは息災ならば・・・」
「魔女様、魔法かけてくれるんだよなっ!?エヘッ、楽しみ!!」
笑顔で見えない尻尾をふるアンソニーに、私の決心も少し揺らいだ。
「でも、健康な太ももやふくらはぎを連日マッサージしているとよくないし・・・肩はどう?」
「肩はだめっ!!駄目ったら駄目だっ!!」
アンソニーは飛び上がるくらいにぎょっとして震え上がった。そういえば私を縛って誘拐しようとしたアンソニーに対して、肩の近くのトリガーポイントを押したことがあったっけ。
「でも、簡易ベッドそばに野蛮人が倒れているから腰や背中は難しいし、殿下と同じ足裏マッサージでいきましょうか。」
「足裏はくすぐったいから駄目だっ!」
そういえば部屋に侵入して脱ぎだしたアンソニーに対して、鳥の羽でお仕置きしたこともあったと思う。
思い返すとけっこうひどい目に遭わされているわね、私。
「注文多いわね、それじゃ、手軽な頭のマッサージをしてみましょう。」
「魔女様、足がいい・・・」
アンソニーはおねだりモードを発動していたけど、足のマッサージをしたらいつもみたいに『ふああああっ』と叫んでぐったりしてしまうだけで、アーサー王太子の着替え任務は放って置かれると思う。
「贅沢言わないの。はい、じゃあそこの椅子に座って。」
おとなしく座ったアンソニーの頭の位置を調整すると、光沢の強い金髪を少しだけかきあげた。こめかみあたりに指を当てて、痛くないくらいに、ぐっと上下に指をいれていく。
「ふあっ!?・・・んあ・・・足のほうがいいけど・・・ひうんっ・・・この魔法も・・・きもちいいかもっ・・・きゅふっ・・・」
アンソニーは割とすぐに気に入ってくれたみたいだった。こめかみから少しずつ指の位置をずらしていく。
「アンソニー、今日はありがとうね。私も王太子殿下にマッサージできてよかったわ。殿下は元気になるから、ちゃんと私の言ったことを守ってもらえるように、アンソニーも見守っていてね。」
「・・・わかったぜ・・・んうあっ・・・魔女様っ・・・あっ、そこすきっ・・・きもちっ・・・はあんっ・・・」
私は上下の動きを繰り返しながら、円を描くように後頭部の生え際の方に指を動かしていった。
「いい、全身浴、適度な運動、温まる食べ物、ゆったりした着物、早寝早起き、だからね。温泉旅行もぜひ薦めてね。約束できる?」
「・・・いひゅっ・・・や、約束するうっ・・・うきゅうっ・・・きもちっ・・・もっと・・・あっ、もっとして・・・くふうん・・・」
アンソニーはすっかりお腹を撫でられた子犬みたいになっていたけど、頭のマッサージはそんなに続けないほうがいいのよね。
「はい、今日はこれでおしまい。また今度ね。じゃあ、アンソニーは王太子殿下のお着替えをお願いね。」
「・・・ふへ・・・も・・・もっと・・・」
私が立ち去ろうとすると、アンソニーがコテンと寄りかかってきた。
「ちょっと、アンソニー!アーサー様が本当に風邪をひいてしまうわよ?あれ、寝てるのアンソニー!?」
「・・・えへ・・・」
アンソニーは眠そうにまどろんでいるみたいだった。ひょっとすると寝不足だったのかしら。いつものマッサージでは泣いたり叫んだり忙しいから、今日はちょっとおとなしいなと思っていたら・・・
「どうしましょうか、マリアさん、ドナ・エルヴィラ・・・」
「事にもあらず。家畜男の外套をば日嗣の御子に奉らん。」
私が困っていると、マリアさんが寝そべっている野蛮人のところへ行って、立派な赤紫のマントを剥ぎ取った。野蛮人は寝息を立てていて起き上がりそうにない。
「え、いいの、そんなことしちゃって!?」
そういう私も野蛮人をさっきまで踏んでいたのだけど、とりあえずマリアさんはとくに悪びれる様子がなかった。
「もとより、うら紫は王族の印なるに、この家畜男の驕りならふるは許しがたし。」
濃い紫は王族限定の色だったそうで、マリアさんとしては野蛮人が着ているだけでも不満だったみたい。野蛮人と王太子の距離の近さを考えると、許可をもらっていそうだけど。
「そうですか、それでは殿下・・・あれ、寝ちゃっていますね・・・」
気がついたらアーサー王太子も寝付いてしまったみたいで、幸せそうに安らかな寝息を立てていた。
私達はアーサー王太子の姿勢を少し楽にして、野蛮人のマントを羽織ってもらった。サイズが大きいから全身を覆うくらいになる。
「足が冷えるのは少し心配だけど、まあ大丈夫そうですね。それじゃあ行きましょうか。」
「ルーテシアや、姫様の局にて、ひるげを饗さむ。祝ひの席ぞ。」
「かたじけなし。」
タルトを食べた後だからあまりお腹は空いていなかったけど、私はネックレスを返さないといけなかったから、ドナ・エルヴィラのお誘いに乗ることにした。
上流階級の人は朝ごはんを食べない場合が多いから早めに豪華な昼ごはんを食べるときが多いのよね。
「では、王太子殿下、ウィロビー閣下、ライス様、ご機嫌よう。」
私達は眠ってしまった三人に挨拶して、王太子の部屋を辞去した。




