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CCCXXV 説得者ルーテシア・ラフォンテーヌ


控室は調度品が少なくてそっけない部屋だったけど、ベルベットの生地が貼ってある快適な椅子がいくつか置いてあって、アーサー王太子の足湯が終わるまで私達はおしゃべりに興じていた。古典語の会話はちょっと疲れるけど。


「あっぱれ、ルーテシア!!宴をば設けむ!」


「わらわはルーテシアに信を成したりき!」


「我は、ただなることをするのみ。言ひはやさるるは、もの恥づかし。」


マリアさんもドナ・エルヴィラも、顔色のいいアーサー王太子を見たことにすごく興奮していたようで、王位をめぐる悩みを聞かされた私とはテンションが違った。


とりとめのない話をしていると、さっき私が閉めたドアが、内側からドンドンと叩かれた。


「何事かは?」


私達がドアを見守っていると、すこし開いた隙間からアンソニーが顔をだした。焦った顔をしている。


「大変だ、魔女様!アーサー様を助けて!」


助ける?足湯で?


「えっ!?火傷をするような温度じゃなかったけど?」


私は急いでアンソニーの開けた隙間をすり抜けると、王太子のところに走った。


「殿下、一体どうなされたのです!?」


私が近づくと、足をお湯につけたまま苦しそうに悶絶しているアーサー王太子の姿があった。片目を開いて私の姿を認めると、驚いたようにひくついた。


「・・・駄目だよ!・・・女性が来ては・・・」


王太子は貞操を気にしていたけど、本当に苦しそうに歯を食いしばっていた。


足湯のためにタイツは脱いでいたけど、例によって丈の長いシャツを着て座っているし、アンソニーが気を利かせたのか膝の上には布がかけられていて、とりあえず『もうお婿に行けない!』なんていう水準ではないと思う。アーサー王太子は既婚だけど。


「殿下、それよりも症状を教えて下さい。」


「・・・ぐっ・・・見ないでほし・・・うう・・・」


つらそうなのに何が辛いのかわからないのがもどかしい。


「殿下、アンソニーの布のおかげで何も見えませんし、積極的に見たくもありませんので心配ありません。ヘンリー王子殿下と違って、私は美少年の入浴シーンを見たがったりしませんので。」


「・・・う・・・噂で人を判断してはいけないよ・・・弟は・・・そんな人間では・・・」


苦しそうなのに弟を弁護するアーサー王太子は、ヘンリー王子の噂がデマだと思っているみたい。噂じゃなくて実体験を基にした情報です、って言ったらさすがにまずいと思うけど、私の沐浴の儀にかけるヘンリー王子のしつこさを見たら、王太子はどう思うかしら。


そんなことを考えもしたけど、とりあえず目の前の苦しそうな人を楽にしてあげたい。


「それは申し訳ありませんでした。改めまして、何がおつらいのですか?」


「・・・か・・・うっ・・・」


アーサー王太子は何か言おうとして、また苦しそうに体をふるわせた。


「アーサー様、しっかりしてください、魔女様がついてますから、アーサー様!」


隣でアンソニーがパニックになっている。


「どうかおちついて。お願いですから症状を教えて下さい。」


私の嘆願に、アーサー王太子は涙の浮かんだ目をうっすらと開けて私を見た。




「か、痒くて・・・死んでしまいそうで・・・」




・・・


「・・・あ、なるほど。」


血が通っていなかったところに急に血が通ると、すごく痒くなるケースがある。足裏マッサージをしたからそうはならないと思っていたけど、王太子は足湯デビューで痒くなってしまったみたい。


てっきり何かの発作かと思ってヒヤヒヤしたから、少し拍子抜けだった。


「痒みは体に悪くありませんし、すぐに治りますが、すこし楽になるようにいたします。」


私がふくらはぎに触ろうとすると、王太子はビクンと体を跳ねさせた。


「待って!女性が直に触ってはっ!」


「大丈夫です、私は医者ですから。」


さっきから医者じゃないのに医者の肩書を濫用しているけど、今はかゆみを抑えてあげるのが大事だと思う。


「待って、婦人がそんな、あっ、」


「それではふくらはぎの血行を良くしていきますね。」


私は、鳥肌がたっている少し青白いふくらはぎをさすった。血流を良くするように、血管とリンパに注意しながら。


「待って、待ってほし、あっ・・・はっ・・・・・・んんっ・・・・・・ぁ・・・」


王太子は足裏マッサージのときと同じように、口頭では抗議しても無理に抵抗することはしなかった。


「かゆいのはこのあたりですか。」


「・・・そ、その下の・・・あっ・・・はあぁ・・・・・・ん・・・」


かゆいところを掻かれるのはきっと心地いいはずで、辛そうだった王太子の表情もどんどん緩くなっていった。痒かったときのせいか涙目だけど、嫌がっているようにはみえない。


「どうですか、気持ちがいいですか?」


「・・・ぁ・・・まだ、痒いけど・・・・・・ん・・・・・痒いところが・・・ぁ・・・き・・・きもち、いいよ・・・」


王太子のマッサージの好みはアンソニーに似ているみたいだった。目を細めてほんとに気持ちよさそうにしている。


「まだ痒いですか、すこしペースを上げてみますね。」


血行を良くするにはテンポのよいマッサージが一番。私はふくらはぎから膝裏にかけて擦っていく動作を加速させた。


「待っ・・・ぁ・・・そんな・・・駄目、駄目になってしまっ・・・ふっ、ぁ・・・は・・・はあああああっ!!・・・」


痒いせいもあってか王太子は体を震わせたけど、駄目という割には幸せそうな顔をしていた。


「殿下、どうです、かゆみはだいぶ治まりましたよね。」


「・・・はあぁっ、はあぁっ・・・痒みは・・・ぁ・・・いいけど・・・ふうっ・・・ふっ・・・目の前が・・・ぅ・・・あっ・・・チカチカして・・・はあっ・・・これ以上は・・・ぁ・・・やめ・・・はっ・・・っは・・・やめて・・・ん・・・」


思ったほどポジティブな感想が返ってこなくて、私は少し慌てた。ペースを抑える。


「お辛いことがありましたか?体にはわるくないはずですが、もっとゆっくりにしますね。」


「・・・いや・・・はあっ・・・きもち、よかったよ・・・すごく・・・ぁ・・・ただ、・・・痒いところを掻かれるのが・・・っ・・・よすぎて・・・ん・・・駄目になりそうで・・・」


殿下は涙を少し拭うと、困ったように私を見つめた。ヘンリー王子と同じように赤の強い金髪だから、ちょっと赤くなった今の目と頬はバランスがいいと思う。逆に初対面のときの青白い感じはレッドゴールドの髪と相性が悪かった。


「殿下、大丈夫です、駄目になんてなりません。むしろ生気のなかったときに比べてイケメン・・・いえ、駄目でなくなっています。殿下、それでは足湯は気に入っていただけたということでよろしいですか。」


「・・・ぁ・・・・このルシヨン式医術は・・・んっ・・・気持ちがいいけれど・・・でも、湯でまた・・・痒くなってしまったら・・・っ・・・」


確かに、王太子の足湯のたびに私に出動命令がでても困るかもしれない。


「殿下、足が痒くなってしまったのは、日頃足を使わなかったからですね。きついタイツと靴も影響しています。きちんと歩いて、よく寝て、ゆったりしたものをお履きになる。これらは殿下のご病気を治すのに必要な手順ですが、それだけで入浴時の痒みもはだいぶ軽減します。心配はございません。」


「・・・なるほど・・・んっ・・・ぁ・・・・・・ぁ・・・」


ゆっくりしたマッサージが気に入ったのか、またうっとりと目を閉じていたアーサー王太子だったけど、私はさっきから入浴については言質をとれていなかった。


「殿下、足湯よりも全身浴のほうが効果的ですので、慣れてきましたら、可能であればヘンリー王子と同じように、温泉に行かれるのがよろしいかと。」


気が進まないからと日頃からお風呂を避けていても、温泉にいったらさすがに『せっかくだから浸かろう』ってなる気がする。『湯治』といえば周りの人も積極的になるかもしれないし。


「・・・温泉・・・ぁ・・・しかし、弟と・・・ん・・・かぶってしまったら・・・」


「全く問題ありません。かえって警備を集中投入できますし、古代には裸の付き合いという言葉がございました。ヘンリー王子の大好きな言葉で・・・文脈によっては危険もありますが・・・何事も包み隠さずに話し合う、そのためには、着飾らないことが一番かと思います。ご兄弟で温泉に浸かられ、体を癒やしつつ腹を割って話し合うことも大事かと思います。」


私は前世でそこまで温泉ファンじゃなかったからあんまりわからないけど、少なくともヘンリー王子は大喜びだと思う。


「・・・弟に・・・ぁ・・・やけに詳しいね・・・ぅ・・・は・・・裸の付き合い・・・?・・・恥ずかし・・・そうだけれども・・・・・・ぁ・・・」


「えっと、チャペルで偶然モーリス君の知己を得まして、そこからヘンリー王子の情報が入るのです。ヘンリー王子は裸の付き合いが大好きだそうで、アーサー王太子殿下もきっと慣れるかと存じます。現に足湯を恥ずかしがっておられましたが、慣れてきましたでしょう?」


温泉を薦めようとヘンリー王子を引き合いに出したけど、ルーテシア・ラフォンテーヌが女嫌いの第二王子と交流があったら確かに不自然かもしれない。


「・・・ぁ・・・恥ずかしい・・・けれども、・・・んっ・・・・・・この治療は・・・ちゃんと効果が・・・?」


「もちろんです!申し上げたとおりすぐにすべてが治るわけではありませんが、現に顔色が良くなっていらっしゃいますから。」


冷え性は急に治らないから実感は湧きづらいかもしれないけど、マッサージは気に入ってもらえたみたいだから今後も地道に続ければ・・・




あれ、私、今日付で辞任するはずじゃなかった?




「・・・ア・・・アンソニー・・・ぁ・・・鏡を・・・」


私が去った後にアーサー王太子は生活習慣を改めてくれるか気になり始めたけど、アーサー王太子自身は顔色のほうが気になるみたいだった。


「アーサー様、こちらに。」


アンソニーは手早く、すこし重そうな鉄のフレームの鏡を手渡した。こういうときは意外と仕事が速いのね。


「・・・え・・・こんな・・・ぁ・・・こんなだらしない、・・・っ・・・ふやけた顔を・・・」


アーサー王太子はショックで顔を青く、したかったのだと思うけどまだ顔が赤いまま、目だけを大きく見開いた。


「殿下、問題ございません。確かにちょっと艶っぽい感じにはなっていらっしゃいますが、ルシヨン式治療ではみんな表情をお崩しになりますし、殿下は相対的にましな表情をしていらっしゃいます。むしろ青白かったときよりも魅力的でいらっしゃいますよ!そもそも私とアンソニーしか見ていないのですから、どうぞ恥ずかしがらないでください。」


アンソニーやくまさんやヘンリー王子の『ふやけっぷり』に比べれば、アーサー王太子は穏健な感じだと思う。三人のほうがなんとなく健全だった気がするのはきっと気のせいだと思う。


「・・・そ、そうかな・・・ミス・ラフォンテーヌ以外には・・・ぁ・・・誰も・・・あれ・・・え・・・ぁ・・・そこに・・・いるのは・・・」


涙で赤くなった王太子の目が、部屋の角の一点を見据えて固まった。


私が振り返ると、ドナ・エルヴィラとマリアさんがいつの間にか部屋に入っていて、じっとこちらを見ている。ふたりともさっと扇子を広げたから表情はわからない。


勝手に部屋に入るのはマナー違反だけど、さっきからもう宮廷儀礼は誰も守っていないし気にしていないと思う。


「・・・そ、そんな・・・こんな・・・あっ・・・こんなはしたない・・・ぁ・・・格好を見られて・・・んっ・・・私は・・・私はもう・・・生きていけ・・・あっ・・・あああっ!!・・・」


王太子が恥ずかしさのあまり死を覚悟しないように、私はマッサージのペースを上げた。膝裏から下に、線を描くようにさすっていく。


「大丈夫です、生きましょう、殿下!ほら、ルシヨン式医術は気持ちいいでしょう?幸せな気持ちになるでしょう?」


「・・・はあっ、はあっ、・・・・あっ・・・ふうっ、・・・気持ち、いいっ・・・ぁ・・・けどっ・・・んんっ・・・あっ・・・これが・・・ふっ、ふうっ、・・・幸せ?・・・」


口頭では疑問形だったけど、目を閉じて全身を震わせている王太子のご様子はそこそこ幸せそうだった。ちょっと強引だけど、『恥ずかしくて生きていけない』どころではなくなったみたいでよかった。


「そうですよ、低俗だとか邪道だとか思われるかもしれませんが、これも小さな幸せの形なのです。殿下の場合、きっと自分が幸せだと信じられればもっと幸せになるのです。たとえば、今のご自身が幸せだと言い聞かせてみてください。」


「・・・今が・・・・ん・・・し・・・ぁ・・・しあわ・・・せ?・・・はあっ、はあっ、・・・あっ・・・し・・・しあわ、せ・・・」


「・・・そう、その調子です!あとキーワードは温泉ですよ、覚えておいてくださいね?」


ぼおっとした目でうわ言のようにつぶやく王太子を見て、ドナ・エルヴィラ達から見てなんだか洗脳しているように見えないか心配に思ったけど、でも私のマッサージは王太子をちょっとだけ幸せにしていると思う。


「・・・し、しあわ・・・・・・はあっ、はあっ、・・・ん・・・あっ・・・も、もう・・・だめ・・・・・・・はっ・・・はあああああああっ!!!・・・・・・ぁ・・・ぅ・・・・・・ぁ・・・・・・」


「大丈夫ですか、殿下?」


王太子はカクカクと体を動かしてから、天井を仰ぎ見るような体制で動かなくなったけど、すぐに呼吸は安定し始めたし、脈をとっても体や心臓に無理をさせすぎた感じはなかった。


「大丈夫そうね。アンソニー、リネンを貸して。殿下の御御足を拭いて差し上げましょう。あとマリアさん、その角度から覗き込むと殿下がまた恥ずかしくて死ぬとおっしゃると思うからやめてさしあげてください。」


私は足湯から王太子の足をそっとどけると、様子を見に来たドナ・エルヴィラとマリアさんを制しながら、後で冷えないようにさっと拭いていった。



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