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CCCXXIV 観察者マリア・デ・サリナス


ドアの外のマリアさんの声に、アーサー王太子もアンソニーも反応しなかった。


「殿下、マリアさんを部屋に入れてよろしいですか、お湯をもってきて頂いたので。」


「・・・はっ・・・はっ・・・」


さっきまでマッサージを受けていた王太子は息を整えるので精一杯みたいだった。


「アーサー様・・・」


アンソニーも王太子の『長生きしたら困る』宣言で混乱したみたいで動かない。野蛮人は離れた場所の床に横たわっているし、私がドアを開けるほかないと思う。


「礼節に反しますが、マリアさんのために扉を開けさせていただきますね。」


本来なら部屋に選ばれた人だけをいれるのは従者の重要な役目だし、客人の私が扉を開けてはいけないのだけど、部屋にいる三人とも機能不全になっているみたいだから私が代行してもいいよね。そういえばスザンナは何も考えずに扉を開けていたけど。


私はアーサー王太子の足をそっと下ろして靴をはかせて差し上げると、立ち上がってドアを開けに行った。


「重い・・・警備の都合かしら・・・」


鍵はかかっていなかったドアをゆっくり開けると、小さな湯桶をもったマリアさんと、扇子を広げたドナ・エルヴィラが控えていた。ふたりともびっくりした顔をしている。


「あはや!!」


声を上げたマリアさんがしずしずと、品位を失わない限りで最速のスピードでアーサー王太子に近づいて、しげしげと顔を見つめた。これも本来はマナー違反だけどもう誰も気にしていないと思う。


「色形よし・・・!!!」


少し顔が赤いドナ・エルヴィラが小声でつぶやいて息を飲んでいる。王太子の顔色が良かったのにふたりとも驚いたみたい。


「・・・そんな・・・婦人の前で・・・こんな情けないところを・・・」


アーサー王太子は恥ずかしそうに顔をそむけた。


めぐし・・・」


王太子の様子はマリアさんの目に可愛く映ったみたいで、思わず小声でつぶやいた言葉が私のところまで聞こえてきた。王太子に『かわいい』っていっていいのかどうかわからないけど。


確かに見るからに青白かった顔は化粧の上からでも紅潮しているのが分かるし、薄黒かった目の周りも赤くなっていて、さっきとは随分印象が違うと思う。なぜか元気いっぱいというよりは色っぽい感じになってしまっているのは王太子の挙動のせいだと思う。


「情けなくなど全くございません、殿下!」


ちょっと危なげな今よりも、あからさまに具合が悪そうだったさっきのほうが情けない感じだったと私としては思うのだけど、それは個人の見解かもしれない。


「日嗣の御子の君、たひらけくさきくませる御姿、ここにこときて、よろこび奏する。」


「我らが姫様の代に、寿を奏する。願はくは我が南の薬師ルーテシア・ラフォンテーヌの働き、ほめて遣わされむことを。」


さっきまでキャアキャア言っていた二人は一瞬で佇まいを整えると、フォーマルな挨拶をした。ふたりとも私やアンソニーと違って王太子の嘆きを聞いていないから、顔色がよくなっただけですっかり祝賀モードみたい。


「・・・どうもありがとう、でも祝うようなことはなにも・・・」


「殿下、病気の治療法がみつかったのですから、これは祝うべきことです。政治は一旦忘れましょう。」


私は逡巡しているアーサー王太子を押し切った。


アーサー王太子が譲位した場合、姫様の立場がどうなるのか、南の国との同盟が続くのか、というのは大きな問題だとは思うし、ここで南の二人に勝手に知らせるべきだとは思わないけど、とりあえず今はお祝いをしてもいいかなと思う。


「・・・そうかな。・・・それもそうだね。」


王太子はやっぱり流されてくれて、少し淡い笑いを浮かべた。


「あはや・・・」


この顔はマリアさんのタイプだったみたいで、私の横でほっぺたを赤くしている。アーサー王太子は主張の強い顔立ちではないけど、目鼻立ちも整っているしすこしあどけなさが残っていて、顔色の悪さと目の元気のなさが改善した今はなかなかのイケメンだと思う。


「さて、殿下、お湯が冷めてしまう前に、御御足を湯桶に入れていただければと思います。」


「・・・靴を履いたままかい?」


そういえば王太子は恥ずかしがりだった。そもそもアンソニーみたいに女性の前でタイツを脱ぐのは重大な禁忌で、さっきみたいに靴を脱ぐのもタブーだから、この質問は意外ではないのよね。


「殿下、私達は部屋から出ておりますので、アンソニーにタイツを脱がせていただいて、素足をお湯に浸からせていただければと存じます。服装を戻していただいた後で私達を呼び戻していただき、感想等お聞かせ願えましたら、今後の全身浴について指導させていただいて、今日の診療は終了とさせていただきたいと考えております。よろしいでしょうか。」


「・・・ミス・ラフォンテーヌ、私はさっきの貴方のスピーチに感銘を受けてね。」


アーサー王太子はまた遠くを見る目をした。さっきより目の周りが赤くなっているからそんなに憂鬱な感じではないけど。


「もったいなきお言葉でございます。」


「私は、私自身がノーといえないものだと思っていたのだけれど、でもそれは場数を踏まなければ治るかもしれない。その第一歩を今踏み出したいと思う。」


「殿下・・・?」


雲行きが怪しくなってきた。



「風呂は恥ずかしいからね。清潔を保つ上で最低限は入るけれども、治療で頻繁に入るというのは気が進まなくて・・・だから私は貴方の提案にノーと言おうと思うよ。厚意からの申し出を断ることになって申し訳ないけれども、これは私が変わろうと思う決意の現れだと思って、どうか祝福してほしい。」



王太子はノーといえる人間を目指し始めたみたいだけど、私が最初の標的になるなんて思わなかった。


「・・・殿下、足湯はあくまでトライアルですので、それで様子を見て全身浴をご検討いただければと・・・」


「理屈はわかるけれども、私はこういう部分的な譲歩を重ねて流されてきたと思う。だから今回はイエスかノーかの二択で、強い決心を持って臨みたいと思うよ。」


アーサー王太子は、いかにもヘンリー王子が言いそうなセリフを口にした。


「殿下、私やマリアさんが殿下の裸を見るわけではありませんよ?アンソニーですよ?」


「ア、アンソニーも好き好んで私の肌に触れたいわけではないのだし・・・」


「そんなことないわよね、アンソニー?」


「えっ、えっと・・・」


少しモジモジするアーサー王太子、オロオロするアンソニー、なぜかちょっと息が荒くなっている気がするマリアさん、扇子を掲げてじっと見守るドナ・エルヴィラ、寝そべったままの野蛮人。


カオスになりつつあるから、私は戦略を変えることにした。


「殿下、入浴は私が医者として、プロとして申し上げた治療法です。殿下の健康のために有効な方法なのです。よろしければ食わず嫌いをせずに、ぜひとも試していただきたいです。どうしても嫌とおっしゃるなら、次善の策として、先程のルシヨン式治療をこの場で再開させていただきます。」


「待って、婦人の前で・・・」


慌てるアーサー王太子の片足の靴紐を解く。さっき中途半端に打ち切っちゃったから、ちょうどいいと思う。


「お忘れでしょうか、私も婦人ですが、さきほど殿下のご様子を拝見し、問題ありませんでした。」


「いや、十分に問題が・・・ぁ・・・・・・ぁ・・・っ・・・・・・待っ・・・ん・・・ぁ・・・」


私が強引に足裏マッサージを始めるとアーサー王太子はとっさに口を抑えた。、マリアさんとドナ・エルヴィラに見られているのに気づいて今度はうつむいて顔を隠そうとした。


「・・・見ちゃ・・・んっ・・・ぅ・・・・・・だ・・・・ぁ・・・」


「殿下、足湯を選択いただければ、婦人は皆部屋の外に出ます。ルシヨン式医術をこのまま続けるか、プライバシーのある環境で足湯に浸かるか、どちらがいいですか。」


アーサー王太子の目は一瞬困ったように私を見たけど、マッサージが気持ちよかったのかまた閉じてしまった。


「・・・私は、・・・ぁ・・・・・・ノーとっ・・・っは・・・ぅ・・・」


「殿下、私はイエスかノーを強要しておりません。これは殿下ご自身の決断です。そうです、足湯をお選びいただければ、それは殿下が現状にノーと言ったことになり、ひいてはイエスかノーかの不毛な二択から独立することになるのです。これは殿下ご自身の意思を大事にするための第一歩、最初のノーなのです。」


私は頑張って足湯を宣伝した。


「・・・ぁ・・・・・・あ、足湯で・・・ぁ・・・ぅ・・・っん・・・」


口を抑えるのを諦めたのか、手をだらんとした王太子は、最終的には足湯に同意してくれたみたいだった。


「ありがとうございます!それでは、後はアンソニーに任せますので、こちらの湯桶に素足で15分ほどお浸かりになったら、タイツと靴を履き直していただいて、別室の私達をお呼びください。アンソニー、王太子殿下が元気になるための大事な役割だから、頑張ってね!」


「わかったぜ魔女様!アーサー様、大丈夫ですよ!さあ脱ぎましょう!」


オロオロしていたアンソニーも、目標があるおかげか少し元気が戻っていた。


「待って、ミス・ラフォンテーヌ、一体どうやってアンソニーを・・・アンソニー、まだ早いから・・・」


アーサー王太子は何か言いたそうだったけど、アンソニーに早速脱がされていたので私に都合の悪い質問が来ることはなかった。


「では、ドナ・エルヴィラ、マリアさん、しばらく隣の部屋で控えていましょう。」


私は二人を連れて部屋を出ると、自分で重い扉を閉めた。


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