CCCXXIII 為政者アーサー王太子
アーサー王太子は突然かなり深刻な発言をしたのに、顔はさっきと同じで、困ったように笑ったままだった。私は思わず横にいるアンソニーを見たけど、こちらはびっくりした顔で固まっている。
どんな意味で『それは困ってしまう』のかはわからないけど、とりあえず王太子の真意を聞いてみたかった。
「殿下、私には殿下のお考え全てが分かるわけではありませんが、長生きはほぼ例外なく良いことです。殿下のみならず、キャサリン王太子妃殿下、王族の方々、殿下の臣下たち、医療スタッフ、はては国民に至るまで、すべての人を幸せにするのです。殿下の長生きが誰かを不幸せにすることはまずありません。」
「残念ながら、私の場合は必ずしもそうではないよ。」
トピックの深刻さに比して、王太子の話し方は不思議なくらい淡々としている。
「アーサー様、そんな・・・」
ショックで呆然としているアンソニーが隣で泣きそうになっていた。
私がどうにかしないと。
「殿下はまさか、殿下の不幸を願う一部の悪漢達のために、ご自身の早死を願うとおっしゃるのですか?」
「彼らは決して悪人ではないよ。理由があってのことだから。」
否定しないアーサー王太子に、私は少し違和感を覚えた。
「彼らの理由とやらをおっしゃってみてください。私が論破してお見せしましょう。」
アーサー王太子は困ったような苦笑いを浮かべると、おもむろに口を開いた。
「この国を治める人間が、統治の才能ではなくて世襲で選ばれる理由は唯一つ、終わりのない権力争いを起こさないためだよ。でも私はもう起こしてしまっている。」
「それは殿下の健康不安説が強かったためではありませんか。殿下が健康となれば、ヘンリー王子即位を望む勢力もおとなしくなるでしょう。すべて丸く収まります。」
ついでに私はヘンリー王子子作りプロジェクトから解放される。どのみち辞任するつもりだけど、プロジェクト自体に需要がなくなれば安心できそう。
「健康はあくまで一つの側面でしかないよ。私は統治する能力も意欲もかけているのは、周りに知られてしまっていてね。ただ健康不安のほうが、より客観的だから議論になりやすかっただけだよ。」
「・・・能力と意欲とおっしゃいますが、殿下ご自身が全てを司る必要があるのでしょうか。現国王陛下も政策の細部については重臣たちに委任している部分が大きいと思いますが。」
それにヘンリー王子の放漫財政と領地経営を考えると、アーサー王太子から代わっても五十歩百歩な可能性もあると思うけど。でも弟のほうが意欲というかエネルギーはあるかもしれない。
兄弟比較にはしたくないから、思ったことは黙っておいた。
「ミス・ラフォンテーヌ、権力がほしい人間と、権力を善く使える人間は別だよ。私は前者に迫られたとき、どうもノーといえない。強引に後者を引き立てることもできない。卑近な例で恐縮だけど、現に私はミス・ラフォンテーヌの治療を断るつもりだったのに、結局強引に押し切られてしまったね。」
王太子はまた困ったように笑った。
確かに・・・
「それは・・・強引に迫ったのはお詫び申し上げますが・・・その、結果的には満足いただけたかと・・・えっと・・・ですが、ですが殿下、きっと場数を踏んでいけばノーといえるようになるのではないでしょうか。」
「お医者さんにしては、随分と楽観的な見立てだね。」
アーサー王太子は妙に達観していたけれど、私は少し焦りを覚えていた。
強引な臣下に抗いきれず流されるアーサー様。それは男爵が今朝話していた内容と全く同じだった。
でも、国王に不向きだからといって王子が若いうちに死にたいと思うのは間違っていると思う。とにかくなんとかしないと。
「殿下、このうるうるしたアンソニーの目を見てください!この子犬のようなかわいい目を見つめて同じことが言えますか。」
「うう、アーサーさまあ・・・」
私はとっさに隣で泣きそうになっていたアンソニーを人質にとった。
「アンソニー、済まないね・・・でも私は・・・」
流されやすいアーサー王太子は多少動揺したみたいで、アンソニーと私から目をそらそうとする。
「殿下、目をそらさずにアンソニーの純粋な目を見てください。捨てられた子犬のように目をうるませたアンソニーを!この子を置いてあの世にいってしまうのですか!?そんなひどいことができるのですか!?」
「アーサー様・・・」
「・・・アンソニー・・・私が不甲斐ないばかりに・・・」
アンソニーを見るアーサー王太子の目には、さっきよりも感情がこもっているような気がした。
いける。
「殿下、殿下がこのさき不甲斐ないかどうかは、殿下の意欲次第で変わるのです。アンソニーを笑顔にできるのは、殿下だけです。」
「だけど私には、アンソニーや臣下たちを見守っていくための力が足りないから・・・」
さっきまで淡々としていた王太子は、少しうつむきがちになった。
アーサー王太子は自分に厳しすぎる。それが私の感想だった。
「殿下、あなたがあなたでいるだけで、どれだけの人がホッとするか、考えたことはおありですか。完璧な殿下を求めているのは、おそらく殿下だけでいらっしゃいます。ちょっと力を抜いて、何かご自身の好きなことをしてみてください。そんな殿下を見るだけで幸せになる人が、きっとご自身で思っているよりもいるはずです。」
私だって素のアーサー王太子が名国王になるかと言われればそうではないと思うけど、でも理想の国王になれないから死にたいというのは、どうにかしてひっくり返したいと思った。
「ミス・ラフォンテーヌ、それはごく稀に、ごく少数の人間が喜んでくれるかもしれない。でも私がいないこの国と、いるこの国を考えたとき、トータルで考えれば・・・」
「・・・殿下、それでは左足にも施術していきますね。」
私は少しやりたいことがあったから、アーサー王太子のネガティブなスピーチを遮った。
「待って、まだ話が終わって・・・ぁ・・・っ・・・」
「殿下、今回は力を加減しています。心地よいでしょう?」
アーサー王太子の足の具合は右足のマッサージでだいたい把握していた。びっくりしないように足の指を回したりそらしたりするのは避けて、指の腹でやさしく押していく。
「・・・そ、それは・・・っはっ・・・でも・・・ぁ・・・ぅ・・・」
「殿下、商会や銀行は大赤字になったら黒字に戻るのは難しいでしょうし、倒産するかもしれません。でも人間はすごく不幸になったからって二度と幸せになれないわけではないし、人生が終わるわけでもありません。トータルで考えても、いいことはありませんよ。」
アーサー王太子の発言からは少し論点をすり替えちゃったけど、さっきからポイント制みたいな考え方で命を考えていた王太子に、私は少し反論したかった。
「・・・っふ・・・待っ・・・あっ・・・ぁ・・・」
「殿下、ほんのちょっとの、くだらない幸せかもしれませんけど、幸せか幸せじゃないかと言われれば、今この瞬間は幸せでしょう?現に幸せそうな顔をしていらっしゃいます。それでよろしいのでは。生きていれば不幸もあるし、幸せもあります。亡くなったらこの小さな幸せは体験しようがないですよ?」
私は少しペースを緩めた。
「・・・これが・・・っ・・・幸せ・・・?」
「そうです!不幸のほうが多いとか大きいとか、そういうことに関係なく、幸せな瞬間は来ますよ。長生きしてみたくなりませんか?どうしても国務がつらいとなれば、命を諦めずに譲位されることだってできるでしょう。」
「・・・譲位は・・・んっ・・・妃が・・・ぁ・・・」
そういえば姫様は南の国の王女で政略結婚したわけだから、アーサー様が譲位した場合立場は困ったことになるかもしれない。現世では離婚はご法度だし。
でもその心配よりも自分の命の心配をしてほしい。
「殿下、殿下が不幸だ、不幸だと言っていると周りも不幸になるのと同様、殿下が幸せなら周りもきっと幸せになります。まずはご自身の幸せを目指しましょう。ほら、不幸な人に幸せにしてもらっても、なんだか後ろめたいでしょう?」
「・・・それは・・・んっ・・・妃は・・・っは・・・」
王太子は何か言いたそうだったけど、話を聞こうと私が手を止めたのと同時に、誰かがゴンゴンとドアの金具を叩く音がした。
「湯桶を持て来てり!」
部屋の外から意気揚々としたマリアさんの声がして、お湯の到来を告げた。