CCCXXI 文化人アーサー王太子
アーサー王太子は走ってはいなかったけど、それなりにしっかりした足取りで奥の間に退去しようとしていた。私はブーツの片方だけ外履きを取り外していたから、バランスが悪くて追いかけられない。
「アンソニー、アーサー王太子殿下をつかま・・・お引き止め差し上げて!」
適切な表現がわからなかったけど、部屋の隅に控えていたアンソニーの対応が早かった。
「分かったぜ魔女様!アーサー様、怖くありませんから。」
俊敏さには自信がある様子のアンソニーは、王太子にスマートな動きで近づくとふわっとした動きで引き止めた。
「・・・アンソニー、お前も、か・・・」
アーサー王太子は歴史上の偉人みたいなことを言うと、観念したように玉座に補導された。
「王太子殿下、治療に際して痛いことはございませんし、足を使うこともいたしませんので、ライス様のようなことにはなりません。ご心配には及びません。」
あんな惨状を見たらショックを受けるのは分かるけど、私は王太子にリラックスしてほしかった。痛くないという言質はとられたくなかったけど、これくらいの譲歩は仕方ないと思う。
「そうです、アーサー様、すごい気持ちいいんです!怖くないです!」
アンソニーは営業に貢献してくれている。
「・・・私は満足な豚であるよりも、不満足な人間でいたい・・・」
今日のアーサー王太子は格言を言いたい気分なのかもしれない。アンニュイな文化人の雰囲気がでている。男爵もぜひ真似してほしい。
「殿下、満足な人間を目指しましょう。では、よろしければ手を貸していただけませんか。」
「・・・私の手に、何をするんだい?」
戦々恐々としたアーサー王太子が、恐る恐るといった感じで尋ねた。
「軽くもみほぐしていきます。痛くありませんよ?」
「そんな・・・手は・・・どうか手だけは・・・許してくれないだろうか。遺言状がかけなくなってしまうから・・・」
この世の終わりみたいな顔をする王太子。そう言えば初めてマッサージをする前の男爵も遺書を書こうとしていた気がする。
「殿下、ちゃんと元気になりますから遺言状の必要はございません。冷え性は致死性の病気ではないのです。ほら、『治さんと願うは治ることの鍵なり』と申しますでしょう?前向きに治してまいりましょう。」
私は対抗して、昨日リディントン家の家訓に設定した格言を使ってみた。
「それでも・・・手が揉まれて変形してしまうのは・・・耐え難くて・・・」
「変形はしません!人体は思われているより頑丈ですよ?それほど怖いようでしたら、では足を先にもみほぐしてまいりましょう。」
もみほぐすっていう言い回しが良くなかったかしら。マッサージという文化がないからか、『もみほぐす』って陶芸かパン焼きの文脈でしか使わないのよね。
「そんな・・・足は・・・足だけは・・・」
「ではどこならよろしいのですか!?治らなかったらお困りになるのは殿下と殿下の大切な方々ですよ?」
優柔不断さが溢れ出るアーサー王太子に、私は少し声を大きくしてしまった。
「・・・ご、ごめん・・・そうだね・・・私の髪を少し切り落として、それを好きにもみほぐしてくれれば・・・」
「殿下!!私が用いるのは呪術ではありません!医術です!」
まさか魔女だと思われていたりしないよね。
「しかし・・・」
「殿下、どうか手と足、いずれかをお選びください。二択です。」
私はずいと玉座のアーサー王太子に迫った。マリー・アントワネット風の格好をしているせいか、なんとなく自信が出る気がする。ブーツを直すタイミングがなかったから足元は不安定だけど。
「・・・・・・足で・・・」
消え入るような声でつぶやいたアーサー王太子は、観念したように目をつむった。
「承りました。ついでに足湯も紹介いたしましょう。アンソニー、お湯を用意してもらえる?」
私が王太子の従者に指示を出すのも本来ならおかしいけど、さっき『アンソニー、捕まえて!』と言ってしまったからもう遅いと思う。
「うーん、俺が奥の部屋に取り次がないと行けないけど、グリフィスが伸びちゃっているからアーサー様がお一人になっちゃうし、奥の人間は会話の内容が聞こえない場所に控えているから、ちょっとむずかしいぞ。」
アンソニーはアーサー様を私に預けてお湯を取りに行くのは躊躇するみたいだった。マリアさんもドナ・エルヴィラも南の人間だし、確かにアンソニーの判断は自然かもしれない。
でも仮に私が暗殺者だったとしたら、二人倒せば誰も王太子を助けに来ないってシステムは欠陥があると思う。もちろん玄関でのチェックはあったし、王太子妃の推薦がなければこんなスムーズに人払いしなかっただろうけど。
「ルーテシアや、そなたの大声を以て・・・」
「マリアさん、私そんなに声は大きくないですよ?」
きょとんとしたマリアさんのアドバイスを断ると、私はドナ・エルヴィラのところを向いた。
「ドナ・エルヴィラ、湯桶、湯のたぐひ、姫様の許に持給ふや?」
「論無う!マリアや、桶などこしらへ持ちて来なむ。」
ドナ・エルヴィラは力強くうなずくと、マリアさんを送り出した。距離は短くても階段を降りたりするから、ちょっと手間をかけて申し訳ないなって思う。でも入浴に忌避感のあるアーサー王太子は、まず足湯に慣れてもらうのがいいと思う。
マリアさんを見送った私は、アーサー王太子のほうを向き直った。
「では、早速靴紐をほどかせていただきます。」
「そ、そんな・・・ふ、婦人の前で・・・失礼な真似をするわけには・・・」
確かに異性の前で靴紐を解くのはルール違反ではあった。
「私は医者なので大丈夫ですが・・・ドナ・エルヴィラ、沓を踏み脱くに、日嗣の御子の恥ぢらひ世をはばかるは、しばし次の間にて待てかし。」
「・・・心得。ことあるときに呼び給へ。」
ドナ・エルヴィラもしずしずと退出して、部屋に残ったのは私とアーサー様、アンソニーの三人だけになった。正確には四人だけど野蛮人は戦力外。
「それでは殿下、ドナ・エルヴィラもマリアさんも見ておりませんので、靴を脱ぎましょう。」
「待ってくれないかい、ミス・ラフォンテーヌ・・・男の医者ならともかく、女性であるあなたの前で足をさらすわけには・・・」
「私は医者ですから、どうかお気になさらず。」
私はアーサー王太子の履いている、割と柔らかい革の靴を脱がせた。サイズが今ひとつあっていなかったのか、完全に靴紐を解く前に靴が脱げた。
履いているタイツも必ずしもピッタリではないみたいだった。採寸したときよりも足が痩せているのかもしれない。
「待って・・・待ってほしい・・・話せばわかるから・・・」
「ご心配はご無用です、殿下、それでは施術を始めて参りましょう。」
私は強引にことを進めている自覚はあったけど、アーサー王太子が覚悟を決める展開は想定できなかったから、とりあえずそのまま足のマッサージに取り掛かることにした。




