CCCXIX 被征服者グリフィス・ライス
注)この章の登場人物の言動の一部には、女性やマイノリティを蔑視・差別するものが含まれますが、これは作者一同の見解や小説のスピリットを代表するものでは決してありません。ご不快に思われた場合は申し訳ありません。気になる方は飛ばしていただいても、概ね前後の章の展開からこの章の内容は推察できます。
この小説は『小説家になろう』のガイドラインを守っています。
カーテンの奥にある王太子の仮眠ベッドは意外と簡素だった。木のフレームに黒いベルベットのクッションみたいなものが積み並べてあって、そこにリネンのシーツがかかっている。
王族のお昼寝場所はもう少し豪華でもいいと思うけど、寝室が奥にあるだろうから、あくまで緊急時のためなのかな。このベッドあまり使っていないって言っていたし。
「カーテン閉めろよ、ハト女!」
野蛮人はアーサー王太子の簡易ベッドに遠慮なくドサッと座った。
別にマッサージを『毒味』するだけだったらカーテンを引く必要はないと思うけど、ドナ・エルヴィラとマリアさんがカーテンの内側に入ったのを確認すると、私はカーテンを引いた。
「それではライス様、ルシヨン流・・・って、ちょっと、えっ!?」
野蛮人は急に私の腕をとった。急に体を引き寄せられる。
私はバランスを崩して、寝そべった野蛮人の胸に手をついてしまう。
ムスクみたいな香水でごまかしてあるけど、お風呂入ってないんだろうな、っていう感じの香りがする。馬ほどの匂いじゃないけど同系統。
「俺がおとなしく揉まれるとでも思ったか。」
ギョッとするほど鋭い目が、私を睨みつけた。
「最後にお風呂入ったのいつで・・・って何しようとしているんですか、ドナ・エルヴィラもマリアさんもいらっしゃるんですよ!?」
野蛮人の手が怪しい動きをして、私は危機感を強めた。
「けっ、南の人間なんざ透明人間と同じこった。なんなら順番にお前の次にかわいがってやるさ。」
「こは!?失礼きはまりなし!!」
「げに!断じて許すまじ!!」
野蛮な発言に、さすがに南の二人は怒ったみたいだった。言葉がわからないはずのドナ・エルヴィラは雰囲気で判断したのかしら。
「・・・ライス様、私はキャサリン王太子妃殿下に派遣されてきた、いわば名代です。私への失礼は殿下への失礼になります。」
「はっ、あっちのほうが揉みがいがありそうじゃねえか。ん?お前のはなんか不自然な形してんな。」
信じられない。
「今の発言は王太子妃殿下、及び南の国への冒涜です!」
「はっ、女が治める国なんざ怖くねえ。なんなら俺の手で征服してやらあ。」
「ルーテシアや、成敗いたせ!!姫様の名のもとに誅せむ!!」
憤怒したドナ・エルヴィラの司令を受けて、私は行動に移った。
取られていた私の腕をぐるりと回すと、自由な方の手で野蛮人の肘に刺激を与える。
「ンガッ!!・・・なっ、なにしやがるっ!!」
そのまま関節をキメる。
「ツッ!・・・てめえ、バカにしやがって!!」
上腕を体の後ろから押し上げるように動かす。
「おわっ!!・・てめっ・・・グアっ・・・」
体が反転した野蛮人は、そのままドサッと簡易ベッドから落ちた。
右手首の関節をもったまま右肩を足で制する。
「・・・クッ・・・覚えていやがれ・・・許さねえ・・・」
怒りでフルフルと震えている野蛮人だけど、この状態なら攻撃できないはず。
「あっぱれルーテシア!!」
「いと無様なるや!かたはらいたし!!」
姫様が侮辱されて怒っていた南の二人は歓喜している。マッサージのためにしっかり関節と筋肉を勉強したから、寝そべった相手ならこれくらいはできるけど。
でもここからどうしよう。いつまでも取り押さえているわけにもいかないし、こんなにお風呂に入っていない人マッサージするのは気が進まない。
それに必要に応じて肩を踏んでいるけど、この野蛮人の頭の向きによってはスカートの中が見えちゃうかもしれない。それは避けないと。
ふと私は自分の足の方に目を転じた。
私が履いているブーツは現世によくある二重構造で、足が入る柔らかい革の部分から、その下の木をつかった外履きが取り外せるようになっている。
「マリアさん、お願いがあるのですが・・・」
「なんなりと。」
「てめえら全員、地獄送りにしてやる・・・」
私は負け惜しみを聞き流しながら、ある可能性を考えていた。野蛮人の高そうなマントをめくって、足の方をチェックする。
「この野蛮人、足がちょっとむくみ気味ですね。」
「おいハト女、野蛮人たあまさか俺のことじゃねえだろうな・・・」
散々野蛮な発言をしておいて、この男は文明人のつもりだったのかしら。
見た感じだと、ヘンリー王子と同じで体はかなり剛直そうだったから、私の指でできる範囲は限られるかもしれない。獣臭のするこの人に顔を近づけてマッサージをしたいとも思わない。
足、使ってみようかな。せっかく地面にひれ伏しているし、姫様の名のもとで成敗の許可が降りているから特に遠慮する理由もないし。
私は現世で足踏みマッサージを一度もしていない。前世でもそんなにしなかったけど。結構うまい方だったと思う。
なんでしていないかといえば、現世だと人前で靴を脱ぐのがご法度だから。靴を脱いでいると襲われても『誘っていた』と判断されて裁判で負ける。私も家族の前で裸足になったことはほとんどないと思う。
でもこの人の場合は靴を脱がなくていいと思う。
足踏みマッサージは本来、ピンポイントの指と比べて広い面を使うやんわりとしたマッサージ。でもそれは文明人相手の話。
「マリアさん、ご覧のとおり動けないので、外履きを外してもらえますか。」
「承らむ。」
本来身分が高いはずのマリアさんに頼むことじゃないけど緊急事態よね。
「何企んでやがる・・・さっさと離しやがれ・・・」
一応はプライドがあるのか、他の人は呼ばない野蛮人。
「ルシヨン流医術を体験するはずだったんでしょう?お望み通り今からしてあげますよ。マリアさん、ドナ・エルヴィラ、申し訳ないですけど野蛮人の頭の方を抑えていてもらえますか。」
マリアさんが手際よく靴をつなぐ紐を解いたのを確認すると、私は上半身を二人にまかせて、腰より下のツボに焦点を合わせた。
二人とも広がるスカートを履いているから躊躇するかと思ったけど、行動は早かった。私も素早く足の位置を移す。
少しだけ力を入れる。
「てめえら全員許さね・・・オガッ!!!てめっ・・・なっ・・・エグア・・・ちっ・・・まちやが・・・ウオッ!?・・・」
「えいっ・・・えいっ・・・」
足踏みマッサージは本来こんな凄惨なものではないけど、私は必死で効きそうなツボを押していった。やっぱりこの人硬い。
「アグッ!・・・バカヤロ・・・ギッ・・・ナメやがって・・・ウギッ!!・・・」
「これ結構体力いるわ・・・」
足で踏むから施術師側もあんまり体力を使わないはずなんだけど、硬い上に抵抗してくるこの野蛮人はなかなか手強かった。
「ええと、アーサー王太子殿下への施術はもっと穏健なものになる予定ですけど、とりあえずほら、体の血の巡りが良くなったことがわかりますよね?」
「・・・てめえふざけん・・・フガッ!・・・今に見て・・・ムガッ!!・・・」
「ルーテシアや、誉めなすぞ!」
ドナ・エルヴィラは満足そうにしているけど、野蛮人はいくらツボを押してもダウンしそうにはなかった。
私としても足踏みマッサージがしてみたかったからしてみたけど、考えてみればそのあとのことはあんまり考えていなかった。とりあえずこうしているうちは目立った抵抗はされていないから、交渉するしかないと思う。
「ええと、多少痛かったり屈辱的を感じてしまう部分もおありかとは思いますが、これを止める代わりにいくつか約束していただきたいことがございまして・・・」
「・・・グ・・・ウオッ!・・・てめっ・・・やめたらただじゃおかねえぞ・・・」
「交渉中なのにそんなことを言われたからってやめるわけな・・・」
ん?
「・・・すみません、もう一度おっしゃっていただけますか?」
ちょっと空耳が聞こえた気がした。
「・・・オフッ・・・だから止めたら承知しねえぞって言ってんだよ!・・・いぎっ・・・み、耳遠くなっちまったのかっ!・・・ウオ・・・」
「まさか・・・気に入っちゃったの?」
本来の足踏みマッサージを気に入る人はいた。でも私はさっきからけっこうツボを狙っていて、良い子は真似してはいけないマッサージをしているんだけど。
「キッ・・・キモチイイって言ってんだろうがこのアマっ・・・ガッ・・・ンハッ!!・・・」
赤くなっている頭のほうを見ると、野蛮人が熱に浮かされたように目を細めている。さっきギラギラしていた目がすっかり怖くなくなっていた。口が開いていて、狼男みたいだった顔からすっかり威厳がなくなっていた。
「えっと・・・すみません想定外なので・・・どうすればいいのかな。とりあえず一旦やめて、落ち着いてから・・・」
「やめんなって・・・オハッ!!・・・やめんなっつってんだろうがっ!!・・・オオウッ!!!」
無茶なことをいいながら、野蛮人は気持ちのいいところに私の足を当てようと体をずらしていて、そのもぞもぞした動作があまり美しくなかった。
「どうしようマリアさん、変態がいる・・・」
「・・・なっ!?ヘンタ・・・グッ・・・バカ言うな・・・オハッ・・・たっ・・・たまんねえ・・・」
床で体を震わせた野蛮人の振動で、簡易ベッドが少し揺れた。
「致し方なし。かくなる上はルーテシアが僕にすべし!!」
「諦めるのが早すぎ!!あとこんな下僕ほしくない!!」
「・・・てめっ・・・イギッ・・・ク、クセになっちまう・・・」
野蛮人の不穏な言葉に私は戦々恐々とした。アンソニー一人でも手に余っているのに、この人がまとわりついてきたら本気で困る。
「ドナ・エルヴィラ、此の変態、島流しに為置くこと能うや?」
「口惜しくも能はず。しても、此の罪人の家畜が如き様こそ興あれ。」
ドナ・エルヴィラは軽蔑と満足に満ちた目で野蛮人を見下ろした。私が足でコントロールしているように見えるのが家畜みたいなのかしら。ドナ・エルヴィラもマリアさんももう頭を抑えていないけど、野蛮人は私の足踏みに抵抗していなかった。
「・・・カ、家畜・・・フッ。悪くねえ響きだな・・・」
「えっ何その斬新な発想!!こんなに簡単に野生を失ってどうするのよ!さっさと森へおかえり!」
私もわけがわからなくなってきていた。怒涛の展開についていけない。
「・・・オっ・・・お前に選択権はねえ・・・ンアッ・・・」
「ちょっと仮にも自分で家畜を名乗るならそれなりの謙虚さを見せたらどうなの?」
思わず足に力が入る。
「ウガッ!!・・・イイッ!・・・ほんっとたまんねえ・・・」
「家畜っていうことは売れるの?マイナスでもいいから売り払いたいけど、でもそれって奴隷と一緒じゃない?この国で奴隷は違法だし、私ほんとどうすればいいのよ!」
復讐を誓われるのも困ったけど、従属を誓われても困る。とりあえず私にとっていいことはなさそうだった。
「・・・オフッ・・・家畜になってや・・・アッ・・・やるんだから・・・責任持もちやが・・・ウオオオッ!!・・・ア、アタマ溶けちまうっ!・・・」
「とりあえずそのまま溶けてくれたほうが、話がシンプルになっていいわ。だいたい家畜って法律でも、人の生活に役に立つ動物が定義なのよ?領地のリスは餌をあげていても家畜じゃないから!羊は羊毛がとれるけど、あなたの無精髭なんて価値マイナスじゃない!というわけで家畜のステータスは辞退してもらうわ。」
そういえばウルスラの実家は地主だったけど、あの子は領地の羊が好きだった。カルソープ家の羊がロヴェル家の領地を荒らして裁判になったときは涙ながらに羊をかばっていたのを思い出す。
でも野蛮人は私にそんな現実逃避をさせてくれなかった。
「なっ・・・ウグッ・・・ナメやがっ・・・ウガッ・・・斧なら使える・・・ンハアッ!!・・・」
斧?
「あっ、ひょっとして、火事のとき水道管を切ってくれたのはあなただったの?」
なかなか言うことを聞いてくれなかったけど、最終的には不承不承といった感じで水道管を切ってくれた大男を思い出す。
「・・・そうだが・・・フグッ・・・なんで知って・・・ウハッ・・・」
私の足元でヒクヒクしている人があの鎮火の立役者っていうのも変な感じだけど、そういえばルーテシア・ラフォンテーヌがなんで知っているのかは考えてなかった。この人は自分の手柄を宣伝しなかったみたいだし。
「えっと・・・噂で聞いて・・・うーん・・・とりあえず溶けていてもらえます?」
私はちょっと面倒になった。ペースを早める。
「なにをっ・・・アッ・・・アアアアッ!!・・・イイッ・・・フハッ・・・たまんねっ・・・オッ!?・・・オオオオオアアッ!!・・・・」
野蛮人は声だけは野蛮だったけど、体を震わせるだけでされるがままになっていた。
「ルーテシアや、今こそ隷属の契を結ぶべし!」
ドナ・エルヴィラが恐ろしいことをいっているけど、ご主人様になんてなりたくありません。
それでも私は、くまさんに対する成功体験を思い出した。
「グリフィス・ライス、汝はキャサリン王太子妃殿下及びその配下にあるルーテシア・ラフォンテーヌ、マリア・デ・サリナス、ドナ・エルヴィラ・マヌエル・・・とりあえずドナ・エルヴィラに危害を加えないこと、求められれば協力すること、必要であれば便宜をはかることを誓うか。あと、女性を尊重すること、入浴を欠かさないこと、それと・・・」
「ルーテシアや、長過ぐ!」
契約文書は抜け道がないのが大事なのにマリアさんが止めに入った。確かに・・・
「・・・・オッ・・・オオッ!?・・・ウッ!オッ!・・・」
この野蛮人が聞いていると思えないのは確かだった。
「じゃあ、キャサリン王太子妃殿下に忠誠を誓いなさい。」
とりあえずこれでいいかしら。
「・・・オッ・・・この俺が・・・ンハッ・・・あの女なんかに・・・裏切ったあの女に・・・」
さっき家畜を名乗っていた割には粘るのね。
裏切りって何のことかしら。
「二人の間に何があったか知らないけど、家畜よりずっといいでしょう?どうなの?誓うの?」
さすがにドナ・エルヴィラ達の前で詳しく聞く気にはなれなかった。
「先程からグリフィスのおかしな声がしたので、少し様子を見に・・・グリフィス!?」
後ろでカーテンが開かれた。アーサー王太子がやってきたみたい。
最悪のタイミング。
「・・・クウッ・・・ムッ、ムリだっ・・・オガッ・・・フ、服従するっ・・・ウオオッ、たまんねえっ!・・・ずっと踏まれててえ・・・オウッ!・・・アッ、アアアウッ!!・・・」
「あの、服従までは求めてないんだけど・・・」
「・・・グ、グリフィス・・・そんな・・・」
吠えている野蛮人に足を載せたまま、私は恐る恐る振り返る。
そこには恐怖で固まったアーサー王太子が立ち尽くしていた。