CCCXVIII 征服者グリフィス・ライス
「冷え性・・・?」
冷え性にあまり馴染みがない様子のアーサー王太子は、困惑したように首をかしげた。
考えてみると、現世で冷え性の人に出会ったことがない気がする。人種的な違いはあるだろうし、気候も違うから体が寒さに慣れているのかもしれない。
「はい、体の一部が低体温になってしまう症状です。血液の巡りが悪くなることなど、様々な要因があります。冬場に症状が出る方が多いのですが、夏でも冷え性になる方はいらっしゃいます。」
エアコンのない現世で初夏の冷え性は少し驚いたけど、この部屋は少し薄暗くて涼しいし、ここからめったに出ないのならありうると思う。
「なに自慢気になっていやがんだ、ハト女。まさか治せるとでもほざく気か。」
「ええ、すぐにというわけには参りませんが、症状はゆっくり改善することが可能です、殿下。」
野蛮人はできるだけスルーしたかったけど、ここは大事だから強調しておく。
「つまり・・・私の余命はどれくらいかな。改善といっても、寝たきりの状態が長くなるだけなのなら考えものだけれども。」
王太子はアンニュイな気分から抜け出せていないみたいだった。
「その件についてはリネカー医師が正しいと思います。冷え性で命を落とす方はほとんどいらっしゃいません。他の病気につながるケースもあるかとは思いますが、根気強く治していけば普通の生活が可能です。そんな重く考える必要はございません。」
「てめえ、アーサーが苦しんできた病気を一笑に付す気でいやがんのか!!冗談じゃねえ!俺たちの気も知らねえで、この無礼者が!!」
野蛮人が怒鳴った。アンソニーよりも語彙が豊富そうだけど、内容が支離滅裂。
「あなたは王太子殿下に完治してほしいんですか?それともずっと病気でいてほしいんですか?思ったほど悪くない、というのは喜ぶニュースのはずでしょう?不敬、不忠はあなたのほうよ!」
「なんだとっ、さっきから好き勝手言わせておけばしゃあしゃあと」
「グリフィス、抑えて。」
王太子はまた野蛮人を制した。欲を言えばもう少し早く介入してほしかったけど。
「ミス・ラフォンテーヌ、そうすると、私はどうすればよいのかな。」
「そうですね、冷え性の原因は運動不足、生活習慣、食生活、ストレス過多などがあります。まずお伺いしたいのですが、アーサー王太子殿下はいつもこのお部屋でお過ごしになられているのですよね。」
この部屋はあまり日光が差さない作りになっている。多分警備上の理由だけど。
「安静にするようにとのことだったからね。どのみち動く元気もなかったけれども。」
「それが悪いスパイラルを起こします。筋肉が衰えると熱を発さなくなり、体が冷えるのです。そうして気だるいからと体を動かさないとますます筋肉が衰えます。スポーツをする元気がなければ外を歩くだけでもいいかもしれません。全身を動かすことが大事です。もちろん無理のない程度で結構ですよ、汗をかいた後に冷えるのはよくありませんから。」
手軽にシャワーが浴びられない現世だと、スポーツには結構覚悟がいる。トマスみたいに汗を気にしない人もいるけど、王太子殿下にはああなってほしくない。
「なるほど、歩くならできると思う。」
「それはすばらしいと思います。座ってばかりだと血の巡りが更に悪くなりますからね。次に生活習慣も大事です。ご就寝のリズムはいかがですか。」
王太子は疲れたような目で下を見ると苦笑した。
「近頃は病気のせいか朝がつらいので、目を覚ましたまま寝床にいるよ。夜は眠れない日が多くてね。足が冷えるので、温めるようにはしているのだけれども。」
「まさか、タイツをはいたままお休みですか。」
前世でもたまに靴下を履いたまま寝る人がいたのよね。
「・・・それではよくないのかな。」
王太子は図星だったようで、すこし不安そうに答えた。
「はい、寝汗をかいてしまってかえって冷えるので逆効果です。よろしければ今日からおやめください。それと早めのご就寝、それが難しければ、朝に日光に当たると良いかと思います。目が覚めますよ。」
「おいハト女!!アーサーに対して何傲慢なこといいやがんだ!!」
なにか喚いている野蛮人の方をみると、この人もタイツとコッドピースのセクハラ衣装だった。上半身の野生な感じであんまり気にならなかったけど。
「殿下、ここは思い切ってタイツもやめましょう!このピチピチのタイツを三人とも履いていらっしゃいますが、タイツは血管を圧迫しますのでよくありません。療養中はゆったりしたものをお履きください。私見ながら、そうしたデメリットを上回るほど見た目上の利点があるようには思えませんし・・・」
「見た目だあ!?この男らしさがいいんだろうが!第一ゆるい履物は服がまとわりついて動きづれえじゃねえか!アーサーのがずり落ちたらどうしてくれんだよ!」
確かにタイツはずり落ちないというメリットは有るのよね。ゴム素材がないのはしょうがないけど、現世のベルトがイマイチなのはなぜかしら。前世の革ベルトも別に先進技術を使っているようには思わなかったけど。
「きちんとしたベルトと履物を仕立てれば大丈夫です。男らしいと言われましても、正直、男性の下半身をアピールするべきかどうかについては、大いに議論の余地があるかと思われます。また、がっしりした足に惹かれる少数派がいたとしても、殿下、ご自身の足が万全の状態でないことについて、ご自身でもお思いになる点がおありかと存じますが。」
これを機会にタイツを宮殿の流行から追い落としたい。別にアンソニーは履いていてもいいけど。
「・・・それは否定できないね。」
アーサー王太子は少し寂しそうに自分の足を見下ろした。
「アーサー・・・落ち込むなよ・・・てめえハト女あ!お前の暴挙、ぜってえ許さねえ・・・」
「殿下、食生活の方はどうされていらっしゃいますか。」
私は別に野蛮人の許しを求めていなかったけど、この人は姫様の周りの人に敬意を払っていないみたいだから、マリアさんやドナ・エルヴィラがいても無遠慮になにかしてくるかもしれない。すこし動向に注意しようと思う。
「健康に良いと聞いて、野菜を食べているよ。舌だけは弱っていないのはありがたい。今の時期はきゅうりが美味しいね。瓜なども食べるかな。」
殿下はまだ疲れた顔をしているけど、さっきより表情が柔らかい気がした。意外だけど、現世できゅうりは高級野菜扱いなのよね。
「殿下、きゅうりや瓜は体が冷えてしまいます!タンパク質をとりましょう、肉、魚、豆などですね。あとは玉ねぎ、にんにく・・・南の国の料理に相性がよいのではないでしょうか。姫様とお食事などされては?」
私はニンニクまみれのタコ料理を食べさせられたことをまだ根に持っているけど、どうせなら王太子が奥様のお食事会に招待されれば楽しめると思う。しんみりしたこの王太子の部屋と違って、姫様のところは明るい雰囲気で盛り上がるし。
「タンパク・・・?いずれにしても、今の情けない私を妃に見せたくはないね。心配もかけるだろうけど、心配してもらったところでよくなるわけでもないからね。」
アーサー王太子はもう少し自信を持ってほしい。目に生気がないのは、ひょっとしたら内面的な問題もあるのかもしれない。
「姫様は姿を見せない殿下をご心配された上で私を送られたのですから、少しずつ治っていくアーサー王太子殿下を直にご覧にいれれば、さぞかしご安心なさるでしょう。」
「そのとおりにございます!」
今まで黙っていたマリアさんから応援が入った。
「おいハト女、それが目的か。治療を名目にアーサーを連れ込むたあ、いい度胸してんなあ。俺が許すとでもおもってんのかよ。」
連れ込むも何も姫様はアーサー様と結婚されているはずだけど、何が問題なのかしら。もちろんプエブラ博士がまたなにか企んでいても驚かないけど。
「グリフィス、喧嘩腰はよくないよ。ミス・ラフォンテーヌ、妃の件は今後検討するとして、私は頻繁に歩き、ゆったりしたものを着て早めに床につき、肉や魚や豆を食べればよいのかな。」
アーサー王太子は私の言うことをよく聞いてくれていたみたいで、手短にまとめてくれた。
「はい、そうした地道な改善が重要ですね。すぐに効果がでるわけではありませんが、少しずつ様子を見ながら・・・」
「おい、そのうち良くなるってごまかし続けながらアーサーにたかる気かハト女!それこそ詐欺師の手口じゃねえか!」
野蛮人は大嫌いだけど、その不安はわからないでもなかった。
「心配はわかりますが、日頃の原因を断たないと再発するかもしれないでしょう?もちろん、完全ではないものの即効性のある治療法も二つほどございます。まず入浴、それも全身浴ですね。」
「全身浴?」
アーサー王太子はまた首をかしげた。お風呂の主眼が体を洗うことにある現世だと、全身湯船に浸かるってことはあんまりないと思う。
「ええ、お風呂に入られときは半身浴が普通ですよね。それでは上半身の汗で冷えてしまうので、首までお湯につかるのです。長くなくてもいいので、5分くらいでどうでしょうか。」
「風呂なんざ、女々しいじゃねえか。水にあたるかもしれねえし、体を乾布で拭いてりゃいいんだよ。」
あんまり清潔な水が大量に手に入らない現世だと、この野蛮人のような態度は珍しくない。
「お湯は一回沸騰させれば、完全ではないですがだいぶ安全になりますよ。それにそこの方、お風呂に入られていないせいかここまであなたの匂いが漂ってきますが、獣らしさは男らしさとは違いますので。」
「てめえ・・・半島の征服者、グリフィス・ライス様を『そこの方』呼ばわりたあ、いい度胸だな・・・こっから五体満足で帰れると思うなよ・・・」
野蛮人はけっこう恥ずかしい二つ名を持っているみたいだけど、私もちょっと言い過ぎたかもしれない。ちらと後ろのドナ・エルヴィラの様子を見るけど、堂々としていて心配そうな感じはなかった。
「脅すようなことはやめようか、グリフィス。ミス・ラフォンテーヌ、風呂は・・・少し気恥ずかしくて、あまり好きではないのだけど・・・」
アーサー王太子の羞恥心とヘンリー王子の堂々っぷりを足して2で割るとちょうどいいかしら。
「浸かるだけでしたら、お湯を運んでもらったあと人払いをすることもできます。そういえば、ヘンリー王子殿下が温泉に行かれるそうですが、アーサー王太子殿下も一度お考えになられては。」
「はっ、湯にヘンリー王子たあ暑苦しい組み合わせじゃねえか。そんなとこにアーサーを入れたら火傷しちまうな。」
不覚にも野蛮人に笑わせられそうになったけど、私は耐えた。
「温泉か・・・湯治は薦められたこともあるのだけど、踏ん切りがつかなくてね・・・」
「では今日、足湯だけでもお試しになってみてはいかがでしょうか。」
お風呂は前日から準備がいるけど、足をつける分のお湯くらいは簡単に手に入るはず。
「足湯?」
「はい、足を湯につけるのです。心地よいですよ。それと、よろしければもう一つの治療法であるマッサージ、つまりルシヨン流医術も同時に行わせていただきたく思います。」
そう、貧血と違って、冷え性なら私のマッサージが大活躍するはず!
「そのルシヨン流医術というのは・・・」
「簡単に言うと、体を揉みほぐします。殿下の場合は血行をよくして、冷たくなっている箇所に熱を送るのです。」
私の発言に、アーサー王太子は明らかに不安そうな顔をした。
「もみほぐす・・・そんなことをされてしまったあと、私の体は原形をとどめていられるのかな。」
「壊しません、大丈夫です!」
粘土みたいにされるイメージだったのかもしれない。痛くない、と言おうと思ったけど、保証はできないから黙っておく。
「アーサーの体を揉みしだこうっていうのか、この色狂いが!!」
またこのパターン?
「キャサリン王太子妃殿下もルシヨン流医術を体験され、お気に召した上で私をアーサー王太子殿下のところに送られたのです。ね、マリアさん。」
「そのとおりです!」
さっきからそのとおりしか言ってないマリアさんだけど、こういうときは心強い。
「ふん、じゃあアーサーより先に俺にそのルシヨン流医術とやらをかけてもらおうじゃねえか。アーサーにやましいことをしやがる気かどうか確認してやる。」
野蛮人はまたわけのわからないことを言い出した。仮に私がやましいことを考えていたとしても、野蛮人がこの宣言をした時点でごまかすに決まっているけど。
「グリフィス、ミス・ラフォンテーヌ、私の仮眠用の寝台が、カーテンの奥に設置されているから、使うといいよ。あまり使っていないからね。もみほぐす役に立つかはわからないけれども・・・」
まだもみほぐされるのが怖いみたいなアーサー王太子は、野蛮人が先に施術されることに賛成みたいだった。紋章みたいな柄の入った海老茶色のカーテンの奥は、暗くてよくみえない。
まあ、昨日のコンプトン先輩と同じで、この野蛮人もいわゆる毒見役なのよね。
「・・・承りました。それではライス様もこちらへ。差し支えありませんでしたら、マリアさんとドナ・エルヴィラもぜひご一緒させてください。」
「構わないよ。私にはアンソニーがついていてくれるから。」
「ありがとうございます、それでは一度失礼いたします、アーサー王太子殿下。」
私の身の安全を考えて、南の二人に同行してもらった私は、まだ顔の引きつっている王太子と物欲しそうに私を見つめているアンソニーを残して、カーテンの奥に向かった。