CCCXVI 証言者アンソニー・ウィロビー・ド・ブローク
アンソニーの迷惑な発言に、野蛮人とアーサー王太子は困惑した様子だった。
「今『魔女』って言ったか、アンソニー?それに『リヴィングストン』たあ一体何のことだ?」
「アンソニー、以前にミス・ラフォンテーヌと会ったことがあるのかい?」
みんなの注目を浴びたアンソニーは、なぜか誇らしげに胸を張った。
「はいアーサー様、たしかに会ったことがあります。初めて出会ったのは一昨日、王都の星室庁で」
「偶然、偶然通りかかった際にお会いしたところ、ウィロビー閣下が足のしびれを訴えていらしたので治療して差し上げたのです。そうですよね、ウィロビー閣下!」
いつも『もっとお』とか赤ちゃん言葉しか言わないイメージのアンソニーが、珍しくちゃんとしたセンテンスで話し出したのに慌てて、私は強引にアンソニーを遮った。足のしびれは私が引き起こしたけど、嘘は言っていないはず。
別人で通すことも考えた。でもアンソニーは私の本名まで知っているはずだから、ここはちゃんと設定を作っておかないと、後でアンソニーが問いただされてまずいことになると思う。
「そうなのかい、アンソニー?」
「そうです、アーサー様。すごくよかったです。俺は足の感覚がすっかりなくなっていましたが、すぐに魔法の力ですっかり良く」
「ウィロビー閣下は足が治ったことをお喜びになり、『まるで魔法のようだ』と比喩的表現を用いてお喜びになったのです。そのせいで私のこともお戯れに『魔女様』などとお呼びなったのですが、そのせいか私の本名、ラフォンテーヌは正確に覚えていただけなかったのです。」
アンソニーが余計なことを言うのを制すると、とりあえず『魔女様、じゃなかった、レディ・リヴィングストン』の言い訳を最低限カバーする。
後ろのマリアさんが『魔女?』と小声でつぶやいた。まさか疑ってないよね?
「なるほど、そのような症状をすぐに治すとは、やはりルシヨンの賢者といわれるだけのことはあるのだね。アンソニーが魔法と呼ぶのも無理のないことだろう。」
アーサー王太子は私が急造した設定に乗っかってくれた。悪い人に騙されないか少し心配になるけど、今はとってもありがたい。
「だけどよ、ラフォンテーヌとリヴィングストンを間違えるか?」
できればリヴィングストンの方は忘れてほしかったけど、野蛮人は意外にも詳細を聞いていたみたいだった。さっきから私を訝しげに見ていて、相変わらず目が怖い。とりあえずなんで星室庁にいたのか突っ込まれなくてよかったけど。
「ウィロビー閣下はひどい痺れを訴えておられたので、私も丁寧にこの異国の名を名乗る暇がなかったのです。さて、よろしければアーサー王太子殿下の診察の前に、少しばかりウィロビー閣下の足のご様子を拝見しても差し支えありませんでしょうか。この国の方はあまり治療したことがないので、ウィロビー閣下の経過観察は殿下の治療にも参考になるかもしれません。」
とりあえずアンソニーを口止めしないといけないから、頑張ってこじつけてみた。
「構わないよ、私は足が痺れているわけではないけれども。」
おおらかに許可をくれたアーサー王太子は、やっぱりヘンリー王子と兄弟だなって思う。
「ほう、ケーキを食べるっつって遅刻しといて、アーサーの診察は後回したあ、たいそうご立派なご身分じゃねえか。」
「プエブラ博士が差し上げた連絡に間違いがありました。こちらの伝達ミスにより、結果としてお待たせする形となり申し訳ありません。ちなみにケーキではなくタルトです。ではウィロビー閣下、ちょっと向こうにある椅子に腰掛けていただけますか。」
私は何時に行くって約束してなかったのに、勝手に遅刻扱いされても困る。私は野蛮人の視線を無視するとアンソニーの方へ歩いていって、少し腰を落として赤茶のタイツに包まれたアンソニーの足を手にとった。ワクワクが隠せない様子のアンソニーはそっと右足を差し出してくれる。
アンソニーはピチピチのタイツを履いていてもあんまり反感が沸かない。このほうがまた突然脱ぎだしても逃げる時間があるし。
私はアンソニーの好きなふくらはぎの裏側にあるツボを軽く押した。
「んんっ・・・そこ、いい・・・」
「(アンソニー、アーサー王太子殿下とその侍従の前で、リディントン、リヴィンストン、レミントンの名前は絶対に口にしてはいけないわ。ここでの私の名前はラフォンテーヌよ。これが守れなかったら、もう二度と魔法をかけてあげないから。)」
私は幸せそうなアンソニーに小声で警告した。
「そ、そんなあ・・・あ、あんっ・・・」
「(名前を言わないだけでいいの。いいわね?あと『魔女』と『魔法』もあんまり口にしないこと。それを守って良い子にしていたら、また魔法をかけてあげるから。)」
パブロフはそれなりに素直だから、なんとかなると思う。
「わかった、約束すりゅ・・・んあっ、これすきぃ・・・」
「おいハト女、何コソコソやってんだ?」
アンソニーとの交渉がほぼまとまったところで、野蛮人が介入してきた
「ウィロビー殿下の足には後遺症などもなく、すっかり大丈夫なようです。細かい点は口頭で確認させていただきました。」
「・・・魔女様、じゃなかった、ミス・ラフォンテーヌ・・・もっとして・・・まだやめないで・・・」
私が手を離したら、アンソニーはせつなそうな声をあげた。
「(また今度、約束守れたらね。)」
「そんなあ・・・」
アンソニーは大きな目をうるうるさせて、いじけた子犬みたいにうなだれた。
「おいアンソニー、様子がおかしいじゃねえか。治療に副作用はねえんだろうな、ハト女?」
私にはアンソニーは通常運転に見えるけど、さっきの喋り方からもアーサー王太子の前では気を遣っていたのかもしれない。
「できればラフォンテーヌとお呼びください。治療は少しくすぐったいかもしれませんが、悪い副作用はありません。そうでしょう、ウィロビー閣下。」
「はい、とっても気持ちいいんです、アーサー様。頭の中が真っ白になっちゃいます。」
「・・・真っ白だと?脳味噌が壊死してんじゃねえのか。」
野蛮人は意外とボキャブラリーが豊富だった。でも違うって文脈でわかるでしょうに。
「治療は脳に悪影響はありません。脳だけでなく、体にも悪い影響は残りません。ね、ウィロビー閣下。」
「はい。アーサー様、最初はゾクゾクってなりますけど、ちょっとしたらフワフワな気分になります。すごいんです。」
「・・・まず悪寒が来て、次に熱に浮かされんのか?やめとけアーサー。こいつは事故物件だ。だいたいこうも男に躊躇なくふれるたあ、とんだあばずれかもしんねえ。」
アンソニーは頑張って宣伝してくれていると思うけど、ちょっと不可解なオノマトペが多すぎるし、野蛮人のひねくれた解釈のせいで逆効果みたいだった。それにしてもさっきから野蛮人の女性蔑視がひどすぎると思う。
「私は医者です。男性の医者が女性に触れても仕方ないこととして見逃されるでしょう?それと同じことです。」
実は私は医者じゃないけど、今は細かいことは気にしないのが大事。
「グリフィスが先程から済まないね。リネカー医師も含めて、彼はあまり医者といい思い出がなくてね。」
さっきから黙っていたアーサー王太子は、困った顔に戻っていた。弟ヘンリー王子は困っていても堂々として見えるけど、お兄さんは顔色のせいか、それとも疲れた目のせいか、とにかく深刻に困っているように見える。
「いいえ、このようなことでアーサー王太子殿下にお気をお遣いにならせてしまい、大変申し訳ありません。」
野蛮人に目をやりながら、あなたのせいでアーサー王太子が謝っているのよ、と強調する。でも野蛮人は反省していなさそうな目で私を睨み返した。アーサー王太子が制するように野蛮人にアイコンタクトをする。
「しかし、せっかくアンソニーまで世話になったというのに、私を担当してしまってはミス・ラフォンテーヌの輝かしいキャリアに傷がついてしまいかねないよ。妃の推薦があったから受け入れることになってしまったけれど、望みのない私に深入りしないほうがあなたには良いと思う。リネカー医師もさじを投げているよ。」
王太子は寂しそうに首を横に振った。キャリアも何も、ルーテシア・ラフォンテーヌは昨日誕生したばかりだけど。
王宮でどういう育ち方をしたら、医者一人に気を遣って治療を受けない王太子ができあがるのか、少し気になった。
「やめろ、アーサー。頼むから弱気なことを言うな。これだから医者は嫌なんだ。」
野蛮人が声を上げた。アーサー王太子が悲観的になるから医者が嫌ってことかしら。だとしたら八つ当たりも甚だしいと思うけど。
じめじめしたムードを振り払おうと、私はなるべくハキハキした口調を心がけた。
「アーサー王太子殿下、どんなに優れた医師にも得意不得意がございます。私自身の腕は宮廷医のリネカー医師より優れているなどとは全く思っておりませんが、この国では珍しいルシヨン流医術を用いることで、思いがけない効果が得られるかもしれません。残念ながら症状の改善を保証できるものではありませんが、試してみる価値はあるのではないかと存じます。」
マッサージはルーテシアの出身地にちなんで『ルシヨン流医術』で通すことに決めた。ルシヨンってどこにあるのか知らないけど。
「試す、か。もう少し早いうちに試していたら助かったかもしれないのだけどね。」
「よせアーサー!!頼むから!」
「アーサー様・・・そんな・・・」
弱気な発言に、アンソニーと野蛮人は悲しそうに王太子を見つめた。アーサー王太子は服装が華やかでも見た目がメランコリックだから、悲劇感が増してしまっていた。
「殿下、ひとまずは、今の症状を教えていただけますか。」
「そうだね、どこから話したらよいやら・・・」
明らかに具合の悪そうな王太子は、遠い目をしてゆっくりと話し始めた。




