CCCXIV 兄アーサー王太子
衛兵ばかり立ち並ぶ物々しい部屋をいくつか通り過ぎて、私達はアーサー様が待っているという謁見の間のドア前で止まった。
ギリギリになって一応プエブラ博士の眼鏡をかける。でも私を狙っている二人がいないならそこまで神経質にならなくても良かったかしら。度はそんなに強くないけど、慣れないから少し目がまわる。
「ルーテシア・ラフォンテーヌ、マリア・デ・サリナス、及びドナ・エルヴィラ・マヌエル・デ・ヴィレナ・スアレス・デ・フィゲロアの三名、これより殿下に拝謁いたします。」
衛兵の掛け声でドアが開く。ドナ・エルヴィラのフルネームがそんなに長かったなんて知らなくて、少しびっくりする。
部屋の中がちょっと眩しいけど、逆光にならなくてよかった。
さあ今こそ、ノリッジで三番目に綺麗と言われた、私のカーテシーを披露する時ね!
外側のスカートをそっと掴んで軽く左右に引く。
右足を左足の左後ろに引いてつま先立ちにする。左足に体重をかける。
右足は膝を外側に折るようにして、上体を倒さずに両膝をゆっくり曲げる。
背筋はまっすぐ伸ばしたまま、二秒静止!
首はまっすぐでもいいはずだけど、今回はすこしだけお辞儀気味にしておく。
もとに戻す。
後は声がかかるまで目を合わせずに待つ。王族には話しかけられるまで話さないがルール。
王族より先に食べたり座ったりしない、王族から求められるまで握手の手をださない、とか色々あるけど、王族に続いて同じような行動すればいいのよね。使用人じゃないから、先回りして気を遣うようなことはしなくていいはず。
ヘンリー王子や姫様やメアリー王女の前だと実践する機会がなかったから、初めて王宮らしいことができて、一人で少し感動した。
「ミス・ラフォンテーヌ、ドナ・エルヴィラ、そしてデ・サリナス嬢。わざわざの来訪、どうもありがとう。妃と素晴らしいレディ達がこの機を私のために申し出てくれたこと、私は心から嬉しく思っているよ。残念ながら気分が優れず座ったままで失礼するけれども、診察に必要なことは何でも言ってほしい。」
ヘンリー王子より少しだけ落ち着いたテノールが部屋に反響した。これは顔をあげてもいいのかしら。
ゆっくり顔をあげていくと、さっき眩しく感じた部屋は思ったより落ち着いたインテリアなのに気がついた。少しダークグレーの入った木目の家具に黒石の暖炉、グレーやワインレッドの上質なヴェルヴェットが張られた椅子が壁際に並んでいる。アーサー王太子は部屋のかなり奥にある玉座に座っていて、眼鏡に慣れない私にはまだぼんやりとしかわからない。
ヘンリー王子の部屋がきらびやかな壺や花瓶やシャンデリアで埋め尽くされているのに比べると、モノが少ない印象だった。洗練された感じではあるけど、若い王族の部屋にしては華がないかもしれない。
「アーサー王太子殿下におかれましては、待ち遠しい夏の訪れを感じられていらっしゃる今日この頃かと存じあげます。此の度は、私にお声をかけていただいたこと、心より御礼を申し上げます。」
一応は初診に来ているのに『お変わりなく』とか『ご活躍のことと』なんて言えなかった。部屋にこもっているらしいけど初夏の感じは肌でわかるよね、きっと。
前世の日本と比べると、この国は冬が厳しくて夏は過ごしやすい。でも雪国と言うほど雪はふらないし、北海道みたいな感じかもしれない。
「素敵な挨拶をありがとう。この国の言葉に全く不自由がないようで、改めて感銘を受けているよ。もちろんルシヨンの賢者の評判は、遠くここリッチモンドまで聞こえ及んでいるからね。」
王子は私の言葉遣いをそんなに不審視しなかった。正確に言えば『ルシヨンの賢者』の評判はここリッチモンドの同じ西棟でつい昨日発生したのだけど、プエブラ博士は仕事が早かった。
「恐れ多いことにございます。この国の言葉は旅の医者に学びましたゆえ、瑕疵がございましたらどうかお許しください。」
ルシヨン出身者として古典語を話すことも考えたけど、私の古典語にこの国独特の癖があるとバレてしまうから、便利な旅の医者をまた使うことにしていた。
優しげな声が来る方向をじっと見つめていると、眼鏡のピントがあったのか急にアーサー王太子の顔が鮮明になった。
もったいない!!
アーサー王太子の骨格はイケメンのポテンシャルを感じさせるのに十分だった。つばを巻き上げた優美な帽子から覗く、ヘンリー王子と同じ赤の入った金髪は、優雅に撫でつけられていてしっとりしたイメージ。弟よりも目は大きくパッチリとしているけど、シュッと筋の通った形のいい鼻と、そこまで主張の強くない口元は兄弟で共通している。ヘンリー王子はゴツゴツこそしていないけど割と角張ったフォルムの顔だったのに対して、アーサー王太子の輪郭は自然な曲線を描いている。
それでも、病人だから仕方ないのだろうけど、元気あふれる弟に対してこの人は本当に、わざとらしいくらい具合が悪そうだった。まず目の周りがつかれた感じにたるんでいて、たぶん実年齢より老けて見える。男性が化粧をするのは珍しくない現世で、アーサー王太子も何か使っているようだけど、ひどい肌荒れとカサカサの唇は隠せていない。ごまかしているけど、顔色も悪いと思う。
首から下は王族しか着てはいけない決まりの金糸を使ったシャツに、やっぱり王族限定のジャコウネコの毛皮で縁取られた焦げ茶色のガウンをしていて、細かく宝石が散りばめられた大きめの十字架を首から下げている。華やかな格好だけど、今は首から上に華がないから衣装負けしているし、少しなで肩気味のアーサー王太子が着ると違和感があるかもしれない。
そういえばヘンリー王子のときも『惜しい!』と思ったのよね。向こうの問題は脂っぽさと無精髭だったからすぐなんとかなったけど、こっちは手強そう。でも具合は悪そうではあるけど、姿勢は問題ないし、病気がそこまでひどかったら部屋の奥から私のところまで声が届かない気もする。
「どうか言葉は気にしないでほしい。私が古典語を使うより、きっとこのほうがいいだろうからね。しかしこの距離で話しているとお互い疲れてしまうかもしれない。グリフィス、椅子を用意してはくれないかな。」
王太子を凝視していた私は、ここに来て初めて他の従者に気を取られた。




