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CCCXI 護送責任者サー・エドワード・ネヴィル


夜勤を終えホーデンと別れた私は、朝のうちに南棟のサー・クリストファーと話を終えた。ひとまず西棟に戻った際に階段でサー・エドワードの姿を目にすると、急いで駆け上がった。


「サー・エドワード!先ほどサー・クリストファーとの交渉がまとまりました。もしアーサー様が今日中に出発できるなら、王太后殿下付きの護衛をアーサー様のために借りられます。エルサム宮殿までは半日の距離ですから、さらに王太子妃殿下の出発を二日遅らせて彼ら付きの護衛にも今日同伴を願い出ます。急ではありますが、そうすれば、アーサー様の車列に王族三人分の護衛をつけることができます。」


魔女ルイーズ・レミントンの行方が知れず、二人目の魔女候補ルクレツィア・ランゴバルドまで現れた今、アーサー様をヘンリー王子から離れたエルサムに移すことは最優先課題となっていた。私は機先を制すべく、迅速で最も安全な避難を考案したところだった。


サー・エドワードは振り返るやいなやまくし立てた私に少し気圧されたようだったが、余裕のある笑みを浮かべた。


「朝早くからお疲れさまです、フィッツウォルター男爵。なるほど急ですが、アーサー王太子殿下の付添いは人数を絞れますから、それだけの護衛があれば心強いでしょう。しかし明日は日曜日です。今夜到着となると、エルサムでの日曜礼拝の準備が整いません。残念ながら週明け以降の移動が現実的かと。」


ラドクリフ姓ではなく男爵位を用いてくれるサー・エドワードの気遣いは嬉しいが、安全のための提案を些細なことで却下されては引き下がれない。


「アーサー様はこの頃ご体調がお優れにならないため、ミサにはご出席されておりませんが。」


食い下がる私に、サー・エドワードは肩をすくめて首を横に降る。


「今までは気分が優れず残念ながらご出席できない、としてきましたが、今回の移動計画では最初から礼拝に出席しないつもりかと思われてしまいます。エルサムまで移動できるほどの体調でいらしたとなればなおのこと、アーサー王太子殿下のご評判にかかわります。」


同じ欠席でも心の持ちようが違うと、サー・エドワードは建前論を論じたが、王侯貴族にとって建前は確かに重要になる。


私としても護衛や荷物の輸送に気を取られていて、教会のスタッフは手配できていなかった。教会のトップであるウォーラム大司教はヘンリー王子とやや距離が近く、そもそもルイーズ・レミントンを無罪にした星室庁裁判の裁判長を努めている。あまり魔女から逃げる我々に手を貸すような予感はしない。


「エルサムに近い司教区から司祭を派遣していただけるよう、直接交渉できませんか。」


「さすがに今日お願いして明日の朝来ていただくのは難しいでしょう、彼らの教会に代理を招くのが間に合いませんから。また、明日は国王陛下が一時的にグリーンウィッチからこちらへ戻られ、ミサに出席されます。アーサー王太子殿下はご欠席の予定ではありますが、エルサムに移動されているとなると立場上複雑になる恐れがあります。」


陛下がリッチモンドに来るというのは寝耳に水だった。火事の被害を自ら確認しに来るのだろうか。


「陛下が?せっかく避難なされているのに、なぜそのような二度手間になることを?」


火事の晩からグリーンウィッチに既に避難中の陛下が、避難開始直前のリッチモンドにやってくるのは混沌を呼ぶことが必至だ。行き交う馬車の列が門で混乱する光景が目に浮かぶ。


「ミサの直後にバス騎士一名の叙任が予定されています。あのルイス・リディントンです。」


「リディントン!?昨日の今日で叙任なのですか?祝いの席に一族郎党を呼ぶ暇もないというのに?」


姿をはっきりとみたことはないが、歓声に応える小柄な影と、レディ・グレイを誘惑する高い声を思い出す。どうみても騎士叙任は早いのではないか。


鎮火の功労が大きかったことは確かで、発火原因に関係した者として彼を貶めるようなことはできない。しかし翌々日の叙任とは異例中の異例だ。騎士には一回の幸運な活躍でなれるようなものではなく、彼の功績の検証も終わっていない。まだ火事の原因と再発防止策をまとめたサー・アンドリューのレポートさえ書き上がっていないだろう。


「ええ、前例のないことですが、戦場にて戦功をあげた戦士をその場で叙勲する例に準じたかと思われます。」


「そうですか、しかし、たしかにそうなると今日の移動は外聞が悪くなりかねない・・・」


国王陛下が、ヘンリー王子自慢の従者を騎士に叙任する輝かしいイベント。そこにアーサー様が欠席どころか別の宮殿に移動したとあっては、悪い噂を立てようとするものには格好の材料を与える。たとえ移動の理由が中庭の荒廃と水道の故障であったとしても。


残念ながら、私とフィッツジェラルドが発火のきっかけを作ったのは確かだった。それを鎮火した従者の晴れ舞台に出席しないわけにはいかないだろう。だが、騎士叙任となるとリディントンの一族郎党を名乗って魔女が出入りしやすくなる恐れがある。


「ところでフィッツウォルター男爵、お顔色が悪いように見えますが、具合は大丈夫ですか。目元に隈ができているようにも見受けられます。」


サー・エドワードは眠気を殺しきれない私の様子に気がついたようだった。


「いえ、気にかかることがあったので、正門の夜勤を代わらせてもらっていたのです。さすがにこの状態でアーサー様の御前には出られませんから、今日の出発を断念せざるをえないのであれば、少し仮眠を取らせてください。今日のアーサー様に大きな予定はなかったはずですが。」


「はい確かに予定らしい予定はありません、キャサリン王太子妃殿下とプエブラ博士が推薦する女医ルーテシア・ラフォンテーヌによる診察くらいでしょうか。おそらく形式的なものに終わるでしょう。先方がケーキを食べたいと言い始めたらしく予定より遅れているようですが。・・・ですが困りましたね。フィッツジェラルド閣下の負傷で侍従不足はますます深刻です。」


南の国の出身者の傍若無人さには嫌気がさすが、外交問題にならないよう、女医は迎え入れるほかないだろう。


「フィッツジェラルドは今朝見かけましたが、すこぶる元気な様子でした。到底火傷が深刻なようにはみえませんでした。」


魔女疑惑のある少女を斬ろうとし、結局は踏ん切りがつかずに立ちすくんでいた島男を思い出す。私の放り投げたビスケットを受け取る仕草からは、負傷の影響を微塵も感じなかったが。


「ルイス・リティントンの指示の下、迅速なけが人の手当が行われたと聞いています。またフィッツジェラルド閣下の火傷は本来深刻なものだったと伺っていますが、本人は気丈に振る舞っている様子です。今朝も『今日は婚約の申込みをする』、などと豪語されていましたが、本当は痛むのでしょう。」


リディントンの多才さに改めて驚いていると、それよりも衝撃的な言葉が続いた。


「婚約!?まさかアンソニーと・・・?」


島の制度は知らないが、この国では禁断の間柄だ。世間知らずの島男がアンソニーを法的に絡め取ろうとすると、ウィロビー家は大騒動になってしまう。


「ウィロビー閣下がどうしたのですか?フィッツジェラルド閣下が考えているのは、ルイザ・リヴィングストン嬢とお聞きしています。」


ルイザ・リヴィングストン?聞かない名前だが、アンソニーに加え、島にいる許嫁のド・ラ・ズーシュ嬢、それに最近まで口説いていたレディ・グレイを含めれば、奴は四股していることになる。いくら島の豪族とは言え、節操がなさすぎるのではないだろうか。


「この話はアンソニーにしないでください・・・アンソニーには目を覚ましてほしいが、傷ついてほしくもない、複雑な気分です。・・・そう、人手不足ならアンソニーを招集すればいいでしょう。現に昨日の避難ではアンソニーがアーサー様に付き添っていました。」


「あれは非常事態措置でしたが、本来は枢密院のほうからウィロビー閣下に謹慎の要請がきています。ひとまずはヘンリー王子殿下と交渉して、セントジョン様を召喚されるのがよろしいかと。」


謹慎の要請はダドリー議長の名で発令されていたはずだが、気を遣ったサー・エドワードは父の処刑を決定した人間の名を使わなかった。


サー・エドワードが続いてモーリスの名前を出したとき、私の頭の中に昨日聞いたモーリスの断末魔とヘンリー王子の高笑いが響き、思わず目を強く閉じた。


「モーリスは・・・彼は大きな試練に直面し、自分の身に起きたことと信仰の折り合いをつけることに苦悩するでしょう。今はそっとしてやりたいと思っています。極論を言えばモーリスの立場はアンソニーのそれと同じなのですが、モーリスはきっとアンソニーよりも自分の運命を受け入れることに躊躇するでしょう。その遠因をつくってしまった私としても、彼の力になりたいのですが・・・」


なんとも歯切れの悪い答弁になってしまった。私の身代わりを買って出て、ヘンリー王子に汚されてしまったモーリスのことを思うと、どうしても感情的になる。


モーリス・・・必ずや仇は取る。今は癒やしを考えなければならないが。


「・・・詳細はわかりかねますが、ウィロビー閣下のほうが好ましいということですか。」


混乱した様子のサー・エドワードだったが、ダドリーの言うことは絶対ではないようだった。


「ええ、今のモーリスは広い空を眺めながら、手触りの良い猫と戯れてくれればいい。それにダドリー議長はアーサー様の有力な後援者でありますが、従者の配置を統括する立場ではありません。アンソニーをお願いします。彼は信頼における上、謹慎していた理由を考えてもアーサー様に危険はお呼びません。万が一の場合も私が責任をとりますから。」


私はアンソニーがアーサー様を裏切らないことについて、全幅の信頼を置いていた。いくらフィッツジェラルドに襲われて恋仲になったからといって、その忠誠に変化はないはずだった。


「承りました。ではラフォンテーヌ女史が到着する前に、ウィロビー閣下をお呼びしましょう。それでは、既にお疲れでしょうから、ゆっくりお休みください。」


「ありがとうございます。どうぞよろしくおねがいします。」


手を振るサー・エドワードと別れると、私は従者の個室に向かった。



心の中に何かひっかかるものがあったが、眠気による気の迷いかとも思い、私はそのまま寝台に倒れ込んだ。


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