CCCVIII 相談役マリア・デ・サリナス
作者注)この章は『古典語』が多めですが、複雑な内容はないのでサラッと読んでいただけると嬉しいです。
中庭は昨日の火事の後も片付けられなかったみたいで、壊れたビール樽や燃えた木片が焦げた土の上に散乱していた。考えてみれば昨日の火事は夜だったから、今までに片付いている方が不自然だったかもしれない。まだ朝も早いし。
さすがに水は止まっていたけど、スカートの裾を汚さないように地面に気をつけながら、私はスタスタと西棟へ帰っていくドナ・エルヴィラを追いかけた。
帽子から覗いているダークブロンドの後ろ髪は、調度品みたいに複雑に結われてある。けっこう高価そうな生地のイエローのドレスを着ているけど、地面は気にせずに歩いているみたい。声をかけて止まってもらわないと追いつけない。
「タル・・・ドナ・エルヴィラ!!待てかし!」
私の声を聞くと、ドナ・エルヴィラは優雅に反転して、私に笑いかけた。タルトは無事。
「あな、ルーテシア!こは幸ひなり!然るにては、今日の汝こそ綺麗なる様なれ!」
少しつり目気味の凛とした顔立ちだけど、笑顔は素敵だった。
えっと、とりあえず私の格好を褒めてもらったのよね?『今日の汝は』って、ドナ・エルヴィラは派手なお化粧が好みなのかしら。昨日の侍女としての格好も私としてはある程度満足だったけど、思い出してみると南の人はみんな衣装とお化粧が派手だった気がする。
「えっと、かたじけなし。然れば、吾が君、いかなる要事にて、我を尋めるや?」
ドナ・エルヴィラは確かこの国の言葉ができなかったはず。私は法律で古典語を学んだかから敬語表現とかはできないけど、昨日会った南の国の人達はみんな色々ルーズだったし、そこらへんは大丈夫よね。
「誇らしきことぞ。日嗣ぎの御子、ルーテシア・ラフォンテーヌの見舞ひ、繕ふことを許されたり。これも姫様とプエブラ博士の解文のあればこそ!とく今朝にも参ぜむ!」
クールな印象のドナ・エルヴィラはテンションが高かった。なんだか姫様が誰かに私のマッサージを薦めたみたい。そういえば姫様はマッサージ大喜びだったよね。
でも情報量が多かったから、私は全部はプロセスできなかった。
「え・・・日嗣ぎの御子?」
戸惑っていると、ドナ・エルヴィラは私が『日嗣ぎの御子』を知らないのに驚いた様子だった。
「更にも言はず、アーサー王太子殿下なり。」
「アーサー様!?」
王太子!!男爵が妨害していた、王太子のマッサージができる!!
一瞬嬉しくなった私だけど、すぐ冷静に戻った。
私の命を狙っているのは王太子の周りの侍従達だった。ヘンリー王子の子作り計画と違って、せっかく私のマッサージが役に立てそうな機会だったけど、結局無理なのよね。
私はゆっくりと辞退の文面を考えた。
「うれしく、面立たし序なり。姫様の心向け、勿体無きこと。なれども、我が身は日嗣ぎの御子の御侍に狙はれたり。物騒にて、無念なれど、返さひ申さむ。」
割と上手に言えたと思う。キャンセル文は法律関係でよく出てくる。
「あはや、心苦しげなり。いかにせむ・・・」
心底同情してくれているドナ・エルヴィラは、なぜ私の身が狙われているのか追及しなかった。意外とよくあることなのかしら。
「くれぐれと無念なり。されど、我は其のタルタのほしければ、姫様あるいは侍女を治さむ。礼にて」
「そよや!!異様ないでたちにて、我とマリアが行き連らむ。さすれば御侍もルーテシアとは思ひ及ぶまじ!マリア!マリアや!」
私の交渉をスルーしたドナ・エルヴィラは変装プランを提案して、離れた場所にいた侍女の方を呼んだ。あの人は前回名乗ってくれなかったけど、マリアって名前だったのね。
多分私はドナ・エルヴィラが思っているよりも変装に慣れているからそれは別にいいけど、いくら南の人が付き添ってくれていてもバレたときが怖い。一応命がかかっているし。
「・・・悔しきも、なほ危ふければ・・・」
「マリアや、ルーテシアは日嗣ぎの御子が御侍に狙はれ、安げ無し。なれども、振りを立ち装へば操なりけると鑑みる。いかが思ふか。」
私達のところに駆け寄ってきたマリアさんは、今日は赤茶色のドレスを着て赤いショールをしていた。相変わらず主張が強いけど、この人は顔立ちが派手で髪の色が濃いから、前回のふわっとしたオレンジのドレスよりもこういう色のほうが似合っていると思う。
マリアさんは派手な目元で私を見回して、納得したようにうなずいた。
「物ならず。畏れることなかれ、ルーテシア。いと易きことなれば。今日の主殿は気色華やかなればなほのこと。プエブラ博士より眼鏡をば借るべし!」
「然り!髪を上げてみむ。髪粉をば用ひらむ!」
「ちょっと・・・」
二人は私の変装計画に自信があるみたいだった。でもプエブラ博士の眼鏡っていかにも悪役みたいな片眼鏡じゃなかったかしら。現世の眼鏡は高価な割に度は合わないし目が疲れるから、あんまりかけたくない。あと髪の色を変える髪粉はけっこう使われているけど、原料が怪しいのよね。
二人が私の変装計画で変に盛り上がる前に、一旦退却したい。
「まづ我が主ヘン・・・ウィンスロー男爵に言ひ合はせることを要ず。」
この格好でヘンリー王子に仕えているっていったら、色々問い詰められそう。
「ことならず。のちプエブラ博士より知らせむ。」
「善は急ぐべし。いざ打ち早まむ!」
まったくヘンリー王子といいスタンリー卿といい、高貴な人って強引な人が多いのかしら。この二人は姫様の側仕えのはずだけど。
でもブランドンの行き過ぎた愛から避難中のヘンリー王子を、男爵の部屋に放置したままで来ちゃったから、このまま連行されても困るよね。
「我、任の為止すところなれば・・・」
「いま行かむ。のちに許しを乞うべし。姫様の一筆たまわせむ。」
姫様のお詫び文があれば王子は許してくれるとは思うけど、それでも職務放棄はしたくない。
「なれども・・・」
「とくとく、いざ参らむ!」
マリアさんとドナ・エルヴィラが私の両腕を取って、西棟に引きずっていこうとした。
「ああっ、ドナ・エルヴィラ、タルタが危ふし!!」
ドナ・エルヴィラがか細い左手で持っているフルーツタルトが心配でしょうがなかった。私はドレスの裾とタルトの安全を気にしながら、なし崩し的に西棟に拉致されていった。




