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CCCVII 捜索者ドナ・エルヴィラ・マヌエル・デ・ヴィレナ・スアレス・デ・フィゲロア


避難している割には危機感の薄い私達が男爵の執務室の前で立ち往生していると、中庭の方から女の人の声が聞こえてきた。



「(ルーテシアや、ルーテシア、いずこ?)」



どこかで聞いたことのある声。


「たしかこの声は・・・・ドナ・エルヴィラだわ。」


キャサリン王太子妃の近くに控えていた、少し疲れた感じの美人を思い出す。確かこの国の言葉があまりできなかったと思う。中庭で猫のルーテシアを探しているみたいだけど、また逃げたのね、あの子。


「昨日の火事の後、中庭は立入禁止になっているはずですが、キャサリン様の周辺には伝わっていなかったでしょうか。」


ヒューさんが少し心配そうな表情を見せる。


「ドナ・エルヴィラ・・・」


急に思索にふける顔になったヘンリー王子が、なんだかしんみりとつぶやいた。会ったことはあるのかもしれない。女払い発動前の知り合いかもしれないけど、聞いたらまずい話かしら。



「(来ませ、ルーテシア!来ませばタルタをばたてまつらむ。)」



ドナ・エルヴィラ、猫にタルトあげてどうするのかしら。タルトは昨日プエブラ博士のせいで食べそこねちゃったから、私が食べたいのに・・・




待って、探されているのって、私?




ルーテシア・ラフォンテーヌはとっさに考えた偽名だって姫様周辺は知っているはずだけど、せめてルイザ・リヴィングストンを呼び出そうとは思わなかったのかしら。


というか、私はタルトに誘われて現れるとでも思われているの?なんだかペットのリスかレア度の低い妖精さんみたいな扱い・・・


「・・・殿下、少しだけ様子を見てまいります。」


「よろしく頼む。」


ヘンリー王子の了解を得た私は、一階の小さな窓に顔を近づけた。大きな一枚ガラスは技術的に難しいみたいで、宮殿でも小さなガラスをつなげたような窓も見かける。そのときは外の様子は窓に寄らないとわからない。多分こういう窓があるのは採光のためだと思う。


窓に顔を近づけた私に見えてきたのは、淡い黄色のドレスを着て、小さめの帽子をちょっと斜めに被ったドナ・エルヴィラと、昨日私が食べたかったフルーツタルト。



柑橘のフルーツタルト。



「(とくとく来ませ、ルーテシア。さもなくばタルタの消ゆることもこそあれ。)」



ドナ・エルヴィラがフルーツタルトを人質にとっていた。もちろん、もらえるなら食べたい。今朝は日の出前に中途半端に早く起きちゃったから、私のお腹も空いていた。


でも、ここで出ていって『タルトください』って言ったら犬みたいじゃない?そんな落とし穴にひっかかったみたいなこと、私のレディとしてのプライドが許さない。一応、ヘンリー王子の貞操を興奮した恋人から守る任務の途中だし。


そういえば中庭じゃないけど、さっき私は屋外で斬られそうになったばっかりだった。辞任を決意したきっかけだったけど、なんだか今も実感がない。さすがに時間帯的にはさっきより安全でも、やっぱりフルーツタルトに命をかけたくない。



「(・・・よしや、また苺のタルタにてこころみむ。)



ドナ・エルヴィラは私の捜索を一旦切り上げたみたいだったけど、不穏なことに次はタルトをベリー系に切り替えると宣言した。


ちょっとまって。


私は苺も好きだけど、この国ではレアじゃない。でも柑橘系は気候に合わないから、ノリッジでも手に入りづらいし、きっと王都でも高価だと思う。


オレンジタルトがベリータルトに切り替わるのは、私の好みだけで言えばそれほど気にならない。でも苺と違ってオレンジタルトはこの機を逃すとなかなか食べられないし、辞任して北のスタンリー卿の領地に行ったらなおさら。


そう、今食べないと私はきっと後悔する。それに中庭は見通しもいいし人の目もあった。窓から見た感じだとドナ・エルヴィラは一人で、少し離れた場所には見たことのある姫様の侍女の方がいる。さすがに南の国の要人がいるところに、誰かが斬りかかってきたりはしないよね。



「・・・殿下、私はドナ・エルヴィラの捜し物に心当たりがあります。一時的とはいえ殿下を従者なしにしてしまうのは大変申し訳ないのですが、少しお話をしてきてもよろしいでしょうか。



今すぐにタルトをもらうのはペットみたいで嫌だけど、文化的に交渉して優雅に私の分を確保したい。後で姫様のところにお邪魔して、一切れいただこうと思う。


「分かった、行ってくるといい。付添はモードリンがいればいいだろう。」


いつもはコメントの多い王子だけど、今は口数が少なかった。女性の話が出て機嫌が悪くなったのかと思ったけど、そんなに悪い表情はしていなかった。何か考え事をしているみたい。


「では、お言葉に甘えて、失礼いたします。」


「待て、その格好でいくのか?」


王子は戸惑ったように、白いフリルのついたすみれ色のドレスと、ちょこんと頭に乗った白いフェルト帽を順に見た。


「それが・・・キャサリン様御一行とはルイザ・リヴィングストンとして知り合ったのです。ええと、チャペルで。」


チャペルにはまだ行ったこともないけど、さっき『ルイザ・リヴィングストン』が教会付小間使をしているってウォーズィー司祭が説明していたし、姫様たちが礼拝に来るって話も誰かがしていたと思う。


「義姉上と!?義姉上はリディントンの本当の・・・いや本当と言うべきではないな・・・生まれつきの性別を知っているのか?」


なぜかすごく驚いた様子のヘンリー王子は気を遣ってくれているけど、これはどうやって答えたらいいのかしら。また『だから生まれつき女です』、っていうのも変な話だけど。


「ええ、ご存知です。いずれにしても問題はないのではないかと。」


姫様のスペースにはプエブラ博士や男性使用人も出入りしていたし、とくに『男払い』はしていなかったはず。実際には私は寝室に入ってマッサージしているから男だと問題だけど、教会で会うならどっちでもいいはず。


「そうか・・・いや・・・しかし・・・そうなると・・・つまり・・・」


ヘンリー王子は難しい顔で悩み始めた、のだと思うけど、やっぱり顔があんまり悩ましげじゃないのよね。


とりあえずヘンリー王子のご機嫌は顔じゃなくて声音で分かるという発見ができた。無事に辞任ができたら一切役に立たないけど。


「殿下、恐れながら、タル・・・ドナ・エルヴィラが立ち去ってしまいますので、一度お話をしてきてもよろしいでしょうか。」


窓から見えるドナ・エルヴィラとフルーツタルトがさっきより小さくなっていて、私は焦っていた。


「構わない。引き止めてすまなかった。」


「ありがとうございます!では一度失礼します!」


王子の快諾をいただいた私は礼をしてしずしずと辞去すると、頭の中でざっとタルトのカロリー計算をしつつ、あくまでレディとしての尊厳を保った形で、フルーツタルトのもとに向かった。



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