CCXCVI 魔女候補ルクレツィア・ランゴバルド
「ヒャアアアアッ!!」
二度目の耳を裂くような悲鳴で、私は事件の現場を特定することができた。南棟から南に伸びる渡り廊下に、二人分の影が見える。
少し力んだ様子で剣を構えているシルエットは、見覚えのある男のものだった。
「フィッツジェラルドか・・・一体何をやっている。」
奴が斬ろうとしている相手は暗くてわからないが、ローブを着た小柄な男だろうか。
なにか無理やりといった様子で剣を振り上げたフィッツジェラルドに、不自然さを感じてしまう。
「御免!」
果たして本気で斬るつもりなのか。無茶苦茶な太刀筋で、下手をしたら大怪我をさせておしまいだろう。
とっさに走り寄ると剣を抜き、フィッツジェラルドが狙いを定めきれないまま振り下ろそうとする剣を下から制した。
力比べになるかと思ったが、思ったほどフィッツジェラルドは押そうとしてこない。
「なんのつもりだ、ラドクリフ。」
こちらのセリフだが、怒りと当惑が入り混じったような声から、フィッツジェラルドの混乱が伝わってきた。
「なぜ宮殿で剣を振るおうとする。」
とりあえずは落ち着かせるのが最優先だろう。宮殿で刃傷沙汰など起こされては困る。
「ラドクリフ、そいつは大陸の魔女、ルクレツィア・ランゴバルドだ。アーサー様をたぶらかす女を今から血祭りに上げる!」
ランゴバルド?
ルイーズ・レミントンではなく?
とっさに逃げ去ろうとする影に目をやるが、暗い中で人相は確認できない。
仮にレミントン以外の魔女が潜伏しているとして、大陸の魔女など、そんな仰々しいタイトルを名乗るだろうか。フィッツジェラルドは騙されているのではないだろうか。どう見ても頭に血が登っている。
「ここは宮殿だ。令状もないまま、丸腰の女性に暴力を使う気か。弁明する機会さえ与えずに。」
仮にこの影が魔女だとしても、裁判無しで殺害する権限は我々にはない。魔女だと証明する必要がある。
さらにいえば、フィッツジェラルドの人質という立場から、刃傷沙汰を起こしても重い罪に問えない。必然的に陛下とアーサー様が擁護する形になり、そうなるとただでさえ危うくなっているアーサー様の評価に傷がつく。
「このままじゃ魔女に逃げられる、正義漢ぶっていないでそこをどけ!」
まともな言葉が通じなくなっているフィッツジェラルドは、私の剣をすり抜けるように剣を構え直した。
埒が明かないと判断した私は、剣を叩き落とすことにした。
案外無抵抗に剣が床に落ちる。
「く・・・」
暗い中で表情は見えないが、声から察するに悔しさとも怒りとも違う、複雑な表情を浮かべているのだろう。この展開を予想していたような反応だ。
「フィッツジェラルド、これ以上アーサー様に不利な状況を作るな。側近が火事の後で殺人事件を起こすと、アーサー様の評価に致命的な打撃が与えられる。」
「評価?殺人事件?一体何を言っている?お前は危険な魔女を成敗する機会を見過ごしたんだぞ?大体火事はラドクリフが・・・」
火事についてはフィッツジェラルドより私の責任が重いのは確かだが、それは人を殺めて良いということにはならない。たとえ魔女候補でアーサー様の敵だとしても、魔女と認定されていない以上は一般人を殺すのと変わりない。ヘンリー王子派に付け入る余地を与えてしまう。
「よく聞け、敵にとって魔女は駒でしかない。目先に惑わされるな。私達の目的はアーサー様が追い落とされることを防ぐ、そこにある。」
「ラドクリフ、結局お前は大事になるのが怖いんだろう。事なかれ主義者め!本土の人間はいつもそうだ。」
事なかれ主義?そうだとしても構わない。私はアーサー様の身に何事も起きないことを望んでいる。魔女退治で名を上げたい島男とは違う。
本土の貴族は、この国を次世代に守り抜くことを考えている。事件は少ないほど良い。旅の恥はかきすて、と言いながら短慮で剣を振り回すのは感心しない。もちろん、危機とあらば我々は行動を起こすが。
私が本物のことなかれ主義者だったなら、ヘンリー王子の追い落としなど始めなかっただろう。
「フィッツジェラルド、島への差別に敏感な割に、本土の人間に偏見を持ちすぎだろう。魔女を殺せば解決すると考えるのが短絡的だと言っている。私は『島の人間はいつだって短気だ』などという気はないがな。」
「言ってくれるじゃないか。なんなら剣を構えた島男がどれだけ短気が見せてやろうか。」
島の短気さを証明することのどこがほまれ高いのかわからないが、フィッツジェラルドは私に対して剣を構えた。
中庭でもニーヴェットの相手を私に任せたように、腕の違いは理解しているはずだが。また例の島の誇りとやらだろうか。
「グウゥ・・・」
残念ながら、フィッツジェラルドの堪忍袋よりも胃袋の方が先に音を上げた。
「・・・フィッツジェラルド、火事の後に何も食べなかったのか。」
「・・・手当を受けているうちに色々閉まったんだ。仕方がないだろう。ビスケットを持っているならよこせ。」
なげやりな態度でビスケットを要求するフィッツジェラルド。つい今まで剣を振り上げた相手にとる態度だろうか。島では普通なのかもしれないが、理解に苦しむ。
「そこまで言うならくれてやる。」
「施しのような言い方はやめろ。」
施しであることに違いはないのだが、本人としては恐喝しているつもりなのかもしれない。
「いらないのか?」
「・・・いる・・・」
私がビスケットを投げ渡すと、フィッツジェラルドは猟犬のようにジャンプをして受け取った。そのまま袋を開け始める。
「フィッツジェラルド、そのランゴバルドについて何を知っている?魔女裁判で起訴できそうか?」
「うるさい、お前には教えるようなことは何もない!」
フィッツジェラルドはビスケットを守るように大事そうに持ち替えると、剣をさやに収めてどこかへ逃げ去っていった。
奴のことだから信頼できる情報ではないが、もし魔女が二人いたとすると、アーサー様の護衛の仕方も考えなければならない。
フィッツジェラルドを追って問い詰めても良かったが、非生産的だろう。私は心配であたふたしているであろうホーデンのいる、門に戻ることにした。
東の空には日が上り始めていた。
注)作者間の都合もあってしばらくルイーズ視点がありませんでしたが、次話からしばらくルイーズのターンです。お楽しみに!




