CCLXXXIX 連絡将校ダンカン・フォレスター
注1) この章は少し硬い内容ですが、さらっと読んでいただければ嬉しいです。固有名詞をいちいち気にしなくても大丈夫だと思います。
注2) 作者二人共すこし大変な時期となってしまい6月中旬まで更新頻度が下がります。申し訳ありません。この先のプロットは決まっているので、再開後は停滞しないと思います。今後とも『指魔法』をよろしくお願いします。
この国の王都では木炭の代わりに石炭を使いことが多いらしく、馬で通りを駆け抜けると独特に重い匂いが鼻をつく。深夜になれば漆黒に包まれる北の都と違い、羽振りがよいのかこの時間でも軒先に明かりをともしている家が多かった。
「(馬を頼めるか、ドナルド。)」
「(はい、キンカーディン様。)」
馬を降りると、横丁を少しはいったところにある鄙びた長屋にたどり着いた。少しひしゃげたような木組みに年季を感じさせる漆喰がぬられている。
「夜警団だ。松明の火を分けてほしい。」
深夜だが、近所に聞こえる程度の声を出しながら、ドアの金具を叩く。
「何本お持ちで。」
「一本だ。」
「一本・・・お入りください。」
ドアから入り込む前に周囲の借家を見回したが、窓から何事かと様子を見るような物好きはいないようだった。向かいの借家はこの家より数段立派なものだ。
そのまま装飾のない殺風景な空間に入る。
「良くお一人でここまで来られましたね、キンカーディン様。」
ダンカンは驚いた様子であった。確かに前回フリート通りの酒場で待ち合わせたときはドーセットの手のものが追尾してきていた。
「火事の後始末で現場が混乱しているのでな、ドーセットは南の連中に呼ばれて動けなかった。今日は厄介な暗号を使わずに済みそうだ。」
我々にとって火事は天の恵みであった。まさに戦乱が現状維持を望まない人間にチャンスを開くように。
「あのドーセット侯が彼らを振り切れないとは珍しいですね。それに南としても我々の動向は気になるはずですが。」
「なんでも避難による混乱の中、どこかの馬鹿がプエブラの輩に紛失書類の再発行を約束したらしい。またやっこさん得意のでっちあげ書類が作られるだろう。そちらも大事だが、まずは喫緊の課題がある。これを読んで速やかに燃やしてほしいが、暗号が面倒だろうから口頭で解説する。」
私は主だった指示をまとめた紙をダンカンに渡した。
「やれやれ、暗号を使わないでいいとなると、拍子抜けするほど簡単ですね。」
「ああ。誘拐犯から助けた後保護したい人間がいる。あくまで健康な形で、誘拐犯には危害を加えないよう指示してほしい。男の名はサー・ルイス・リディントン。おそらくはウィンスロー男爵の愛人で、現実にヘンリー王子を虜にしている魔性の男だ。本人の詳細は追って連絡するが、必要な手配に動き始めてほしい。」
人相を指定できないのが残念だが、私が騎士叙任の機会に列席すれば問題ないだろう。
「フィリップ大公の到着を待たずに、こちらで取り調べて白状させるのですか?」
「いや、北が何を言っても信用されないだろう。フィリップ大公訪問時の準備は着々と進んでいるが、今は少し貸しを作って泳がせたいと思っている。この男もウィンスローもどうやら王子の寵愛が目的ではない。ただの寝室の共として槍玉に上げるのは勿体ないといえよう。」
林檎はまだ青い。熟すまで可愛がって手のひらを返せば、衝撃も信頼性も上がる。
「ゆするのですね。しかしウィンスローは手強いと聞いていますが。」
「カードにするのもあるが、今はやつの目論見を邪魔せずに事態を大きくしたい。王子は快感に狂わされている上、騎士叙任を含めてほとんど言いなりに身をやつしている。これは教義云々を超え、大きな政治的なスキャンダルになる可能性を持っている。」
極端に言えば王子が論功行賞意外の、領地経営に関するなにかを、リディントンの差し金でしてくれるだけでいい。成功しようが失敗しようが、統治が男の恋人の言いなりになるという実例をつくることが重要だった。実際はウィンスローの考案であろうと、味方の少ないリディントンをなじる人間には不足はしないだろう。
「なるほど、丁重な取り扱いが必要そうですね。サー・ルイス・リディントンが宮殿を離れる機会は把握できますか。」
「すぐにだ。火事でリッチモンドの宮殿は一旦留守になる。中庭しか被害がなかったというのにつくづく贅沢な連中だ。そして素晴らしいことに、ヘンリー王子一行の避難先はエイヴォンの湯治地だ。リッチモンドに残される人間や、王太子に付き従う勢力を考えると、警備は薄くなる上に現地で雇われる人間もいるだろう。」
惜しむらくは、私自身は王都方面に残らざるを得ないだろう。一国の大使が第二王子の湯治に参加するのは不自然極まりない。
「西海岸のエイヴォンですか、アダム・ヘップバーン海軍長官が海賊退治を名目に小規模な船団を南下させていますが、東岸のヨーマスの方面に向かっています。エイヴォンまで南から回り込むとしたら何日か必要かもしれません。」
「出港が予定より早いんじゃないのか。グレート・マイケル号の完成は遅れたと聞いているが。」
人口や国力で劣る我が国は、この国に対抗するためにも大砲や戦艦といった武器には力を入れていた。世界最大の戦艦であるグレート・マイケル号も示威行動には最適だった。ヘンリー王子がジェームズ王子への禅譲を示唆した今、この国でトマス・ハワード・ジュニアを担いでジェームズ様に牙を剥こうとする人間を沈黙させるのが主目的だったが、工期が長引いていた。
「グレート・マイケル号は出港しません。旗艦はイエロー・カラベル号です。当初の計画より実用的な艦隊構成となっています。」
「実用?戦端を開かないのに、軍艦を何に使う?」
北の海軍を率いるアダムは勇敢だが短気なところがあり、ジェームズ様の許可なしにこの国のド・ウィアー卿の船団といざこざを起こさないか、やや不安があった。
「この国は秘密裏に、聖女と噂される少女を島から護送しています。王太子の回復祈願かもしれませんが、万が一神託と称して王位継承者を示唆されたら厄介です。しかし秘密任務とあって当然旗を掲げていません。そこで我々が『海賊と間違えて』聖女一行を退治します。」
「ここは東の英雄を魔女として処刑した国だからな、利用価値があると思えば、民衆の扇動にでも『聖女』を使うだろう。しかし秘密任務なら救援も来ない。その戦線は手堅いな。」
秘密任務であることが露見してしまった秘密任務ほど脆弱なものはない。
「しかし、そうなるとアダムは誘拐には期待できないか。他にエイヴォンに向かうことができる人間はいるか。」
「表向きは外交使節としてパトリック・パニター国務長官が、通訳と称する特殊部隊を率いて陸路でおいでになります。」
「パトリックか・・・」
アダムよりずっと落ち着いた、信頼のある紳士の顔を思い浮かべる。
「奴は確かに交渉もできる上砲兵を率いれば敵なしだが、特殊部隊を差配するタイプではない。パトリックに工作部隊をつけるとは。アーチボルドもどういうつもりだ。」
「宰相閣下としては、パトリック・パニター使節団はあくまでスタッフを送るための入れ物でしかありません。東の国のアントワーヌ・ダルセ様を訪れているガヴィン・ダンバー式部長官のトレジャラー号が『帰路に故障する予定』でして、その修理のため臨時でこの国に立ち寄ったダンバー長官が指揮をとればよいかと。」
ようやく悪巧みの得意な名前があがった。
「ガヴィンが寄ってくれるのか、それなら良かった。『故障で舵がおかしくなった』なら多少不自然な航路でも許されるだろう。ガヴィンの手勢は?」
「船員を含めて300人です。多少の汚れ仕事はつとまりますが、誘拐犯第一陣には念の為ヘンリー王子領のケルノウに跋扈している、ならず者達を雇いましょう。身代金目当ての誘拐に慣れているので、むやみにリディントンを傷つけません。費用も手頃です。」
治安の悪い自分の領地の人間が部下をさらいにくるとは、ヘンリー王子も何を思うか。我々の目的を考えれば反省しないでほしいが。
「今回は特殊だからな、信頼できる人間に『誘拐に失敗』してほしいが、数に限りがある以上は贅沢を言えないか。誘拐の詳細についてはガヴィンの到着を待つことにする。今のところはそれだけだ。」
「承りました。話は変わりますが、これが宮廷に出仕している金髪・赤髪の人間のリストです。帽子屋の顧客リストの形式を取って、髪の毛の詳細を記してあります。」
ダンカンに渡されたのはいかにも帳簿のようなリストだった。
「ありがとう、昨日の今日で仕事が早いな。ウィロビー男爵のように何人かあの日リッチモンドにいなかった人間がいるが、こちらで消しておこう。」
「お願いします。ただ一点不安なのですが、アーサー王太子が引きこもって表にでない以上、王太子妃の赤ん坊が彼に似ていなくても誰も文句は言えないのでは。たとえば今いる王太子が影武者で、『誰にも姿を見せずに即位直前に急死』した場合、南の手配した謎の赤ん坊が王位を掌中に収めます。」
難病から治ったという王太子が実際はもう生きていない、という噂は根強い。嘘をつきとおしたい人間が多い以上可能性がゼロとはいいきれないが。
「ヘンリー王子と同じ髪色、というのは病気前からよく知られている。それ以外の身体的特徴はほとんど知られていないが、それだけは撤回できないだろう。南も不倫相手の選定には気をつけるはずだ。」
今の状態の王太子に子供ができれば誰もが本当の父親かどうか疑う。攻める材料があればあるだけ良い。
「王太子妃のご懐妊があればすべてが狂いますが、我々も邪魔するのは難しいですね。不倫と言えば、北からの連絡ではマーガレット妃殿下はジャネット様が気になられるようで、ジェームズ様と隙間風が吹いているとか。」
ジェームズ陛下の三人の愛人はマーガレット妃のお輿入れの前に手切れとなっていたが、社交で顔を合わせる機会もあるとなれば気にもなるだろう。
「ジャネット・ケネディは自分の結婚直前に縁を切った愛人だからな、それは気になるだろう。だがそもそも彼女はアーチボルドの愛人だったから、分をわきまえている。でしゃばることはしないだろう。やれやれ、この秘密の会合でなぜ下半身の話ばかりになるのか。」
「まあ、金や剣では手に入らないこの国を、相続でいただこうという訳ですから、多少の痴話喧嘩には付き合わないといけませんね。」
ダンカンはまだ若いが達観していた。単身南に来ていて思うところはないのだろうか。
「痴話と言えば、リディントンはウィンスローの見た目が気に入っていたようだった。ダンカンのような見た目の整った人間を『白馬の騎士』役に手配できると都合がいい。ガヴィンの手勢の中から選ぶとしよう。」
「その役目、私では務まりませんか。」
あっさりとした返事に虚を疲れる。
「貴族の誇りはいいのか?いけるかもしれないが、ウィンスローの代理には少し爽やかすぎるかもしれない。そもそも、男を誘惑した経験などないだろう?」
「経験はありませんが、全部の条件が当てはまる人間などいないでしょう。北の栄光に貢献できるのなら、男の一人や二人落としてみせますよ。」
ダンカンは淡々と語るが、百戦錬磨のリディントンに太刀打ちできるだろうか。候補は多いほど良いのだが。
私がダンカンの見た目をウィンスローと比べていると、私やドナルドの馬とは違う鳴き声が聞こえた。
「追手か?」
思わず身構える。あえて複雑なルートをたどってきたはずだが。
「ああ、大丈夫ですよ、キンカーディン様。向かいの住人が、最近妹が魔女裁判にかけられたとかで荒れているんです。」
「聖女の次は魔女か。北を後進国扱いしておいて、この国のほうがずっと迷信に浸かっている。さて、ここに泊まると宮殿への報告がややこしくなるからな、そろそろ宮殿に戻るが、次回の『水道管の配置図』を楽しみにしている。今回は迷わなかったからな。」
「わかりました。次回は追手がいても言い訳のできる場所でお会いしましょう。」
向かいの住人が厩舎に向かうのを確認すると、私は夜の通りに出、ドナルドに合図を送った。
注) この章で出てきた北の国の人名は覚えていなくともこの先問題ないかと思います。ややこしい『指魔法』を読んで頂き、どうもありがとうございます。
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参考: 北の国の高官リスト (半数は登場予定はありません)
君主: ジェームズ国王
王配: マーガレット王妃
皇太子: ジェームズ王子
宰相 アーチボルド・ダグラス
大蔵長官 デイヴィッド・ビートン
式部長官 ガヴィン・ダンバー
国務長官 パトリック・パニター
王璽尚書 アレクサンダー・ゴードン
法務長官 リチャード・ローソン
検事長官 ジェームズ・ヘンダーソン
海軍長官 アダム・ヘップバーン