XXVIII 小間使ルイザ・リヴィングストン
ようやく川沿いに宮殿が見えてきた。すっかり日が暮れてしまって建物の全容は分からないけど、灯籠が夜空に浮かび上がるのは夜景みたいで幻想的に見える。
「綺麗・・・」
4階建のかなり大きな建物みたいだけど、明かりが綺麗に揃っていないから、多分複雑な構造なんだと思う。
「君が素直に女の子らしいセリフを言うのは久しぶりな気がするね。」
男爵は相変わらず男爵節を徹底している。
「久しぶりも何も、昨日初めて会ったばっかりでしょう?」
自分で言ってみて、そういえば1日半前にはノリッジの裁判所で震えていたことを思い出した。翌日には宮仕えだなんて不思議な気分。
「それより、もう宮殿ついちゃいますけど、もう一つ言わないといけないことってなんですか。」
「橋を渡った後南側の門までまわりこむから、まだ着かないよ。さて、ルイス、二つ目だね。」
こういうときに男爵は一拍置く。間の置き方が会話を男爵のペースにしてしまうのはちょっと悔しい。
「国王陛下は君の無罪には関わったが、君がヘンリー王子付きになることについては公式には一切関知しない。ウォーラム大司教達も同様なんだ。さりげなく力を貸してくれることはあるかもしれないが、ルイスとヘンリー王子の間柄がまずい展開になった場合、責任を問われるのは私たちだけだよ。」
「その言い方だと、国王陛下は私のすることを詳細にご存知ではあるんですね。」
表立っては無理でも、いざっていうときに陛下が後ろ盾になってくれたら嬉しい。でも男爵は肩をすくめた。
「知らないことになっている、とでも言おうか。王子に魔女を近づけるなんて未知の領域だからね。当然反対する者もいるし、国王陛下はいざというときに『知らなかった』と言えるだけの距離感をとっておられる。」
「そうですか・・・」
割と孤立無援なのかしら。マッサージの後押しって変な話だけど。
「つまり表立ってこの計画を知る人間が少ない以上、魔女の件はいいとしても、君が性別を偽っていることが第三者にバレたとき複雑なことになるね。もちろん、色々と対策は考えてあるよ。」
「男爵の考えた対策って・・・」
不信感に満ちた目で男爵をみる。暗いから向こうからも見えないだろうけど。
男爵は咳払いした。
「レディという割に失礼じゃないか。さて、先ほどトマス達と話し合って、君は二つの名前で登録することにした。君はヘンリー王子の侍従ルイス・リディントンであり、宮殿の教会付小間使いルイザ・リヴィングストンだ。」
「待って、ややこしすぎて自分の名前が覚えられないわ。そもそも似すぎじゃない?」
ルイーズ・レミントンがルイス・リディントンになったりルイザ・リヴィングストンになるらしい。周りを騙す前に自分が騙されそう。
「どちらの名前で呼ばれても君が気がつくように、そしてどちらの名前で名乗っても後で誤魔化せるようにしてあるんだよ。イニシャルもルイーズ・レミントンと同じLLで統一してあるから、私物を持ち込んでも問題ないね。」
我ながらいいアイデア、といった感じで男爵の声が弾んでいる。こういう自慢げな人を信用しすぎちゃけない。
「ルイスとルイザが同一人物って、日々顔を合わせる宮殿の人なら分かってしまうのではないですか?」
「ヘンリー王子の女嫌いは徹底しているから、王子の従者達と他の奉公人達の間にはほとんど交流がないんだ。つまり王子の前でだけルイスでいればいい。王子の居住区域の近くにルイスの部屋を、教会の近くにルイザの部屋を用意するから、宮殿内は小間使いルイザとして動き回って、王子の前に出るときだけルイスの部屋で着替えて従者になってくれればいい。」
「うーん・・・」
男爵はかなり楽観的なのよね。小間使いが歩き回るのも不自然な気がするけど。
「不審に思われたらルイスとルイザは恋仲だということにするからね。審問に呼び出されたときのための偽ルイスと偽ルイザも手配してあるよ。ルイスは私が、ルイザはトマスが後見人および証人としてサポートしよう。」
「つまり、私と私が恋仲だから私と私が私の部屋と私の部屋を行き来している、ということですか。」
「そういうことになるね、ルイス。どうせならルイザと結婚するかい?」
もうちょっとシンプルにできなかったのかしら。男爵はともかく司祭様も物事を複雑にするのが好きな人なのかもしれない。
橋の石畳で馬車の車輪の音が大きくなって、私たちは一旦黙った。




