CCLXXXVIII 告解者モーリス・セントジョン
聖女様は僕たちの罪を一身に背負ったような、悩ましげながらも気高いお顔で、やすらかな寝息を立てていらっしゃいました。
「どうやらただの飲みすぎだ。幸いコブはできていない。」
スタンリー卿は聖女様の後頭部に触れることに、躊躇がありませんでした。あまり褒められたことではありません。
「スタンリー卿、紳士として、聖女様が起きていらしたら嫌がるようなことはおやめください。」
「セントジョン、私はルイーズに頼まれて彼女を抱えて運んだばかりだ。彼女自身がマッサージの使い手だから、キスさえしなければ必要に応じて体に触れられるのは嫌がらない。」
ノリッジ時代からの知り合いであるというスタンリー卿は、まるで僕に聖女様との親しさをアピールするようなことを言いました。僕自身も肩や耳以外に髪や頬を触れていただいたことがあり、聖女様がスキンシップを好まれることはわきまえていましたが。
「まあルイスらしいが、革張りの椅子に頭をぶつけて大怪我をすることはないだろうね。やれやれ、あれだけ男共をおかしな顔で失神させておいて、自分は健気な顔で気を失うのも罪深いね。」
男爵まで、聖女様のお顔を遠慮なく覗き込んでいます。彼のいつもの微笑がことさら不埒なものに見えてしまうのを禁じえません。
聖女様は美学にこだわりをお持ちで、『癒やし』及び『イケメン』を基幹とした独自の哲学をお持ちでいらっしゃるので、ご自身が安らかな顔でいらっしゃるのにほっとされることでしょう。ご無事でいらして、僕も心より安心しました。
「しかしレジナルド、これだけ大勢の男の前でこれだけ隙だらけとは、ルイザはなかなかの魔女っぷりを見せてくれているじゃないか。」
本来女性にそうした興味をもってはいけないはずのウォーズィー司祭は、ウィンスロー男爵の計画関係者のなかでも聖女様への敬意が足りないのが明らかでした。聖女様も彼との応対はあまり得意でいらっしゃらないご様子でいらっしゃいました。
「ウォーズィー司祭、聖女様に対して不敬です。」
「そんな番犬のようなことをしてもルイスは喜ばないよ、セントジョン。しかし、私もルイスは警戒心が強いのか、他人に気を許しすぎるのか、どうも判断しかねているよ。まるで気まぐれな猫のようだ。」
ウィンスロー男爵は何度か飼い猫を見るような不適切な目で聖女様を見ていたことがありました。しかし論理に重きを置く聖女様を気まぐれな猫扱いとは、聖女様のお気持ちをまったく逆なでするばかりでしょう。
「馬鹿を言うな、ウィンスロー。ルイーズは気分や状況で男に媚びを売るような安い女ではない。だが彼女は父親や兄弟と仲が良すぎたのと、家業の手伝いを通じてか妙なプロ意識がある。男への対抗心ととられることもあるが、それでたまに無理してしまうのだろう。」
スタンリー卿は恋人を見るような慈しみに満ちた目で聖女様を見下ろしていて、僕は少なからず複雑な心持ちになりました。彼は既婚だと言うのに聖女様の前で遠慮を知りません。聖女様が積極的に嫌がるご様子がないので引き下がっていますが。
彼の言う通り、聖女様は女性だからと守られることをお好みにならず、周りの男と対等であろうと精進していらっしゃいます。一方で、お酒に決して強くないのにそれを認めずにいらっしゃるところなど、男社会で苦労されている聖女様のご苦難が感じられて、涙を誘われます。
「スタンリー卿、聖女様もご家族やご友人と離れ、孤独なこの宮殿で必死に戦っていらっしゃるのです。昨日に引き続き僕にも止めきれなかった責任がありますが、多少飲みすぎてしまうのは責められないことでしょう。」
「昨日もつぶれたのか?孤独はルイーズがうちに嫁にきてくれれば解決するんだがな。だが家族と離れて頑張っているところを見ると、父親や兄弟への過度な執着はなかったようだ。まだ数日だがホームシックになる様子もない。執着心はむしろ兄のほうが発症したが。」
スタンリー卿による孤独感の見立ては控えめに言ってもずれていました。しかし聖女様のご家族については、お父上を除きほとんど僕との会話に出ていなかったので、果たしてどんな方なのか僕も関心があります。
「その件だがスタンリー、ルイスがパニックになりやすいのは知っているだろう。なぜそんなことを伝えた。」
「今回は完全に飲みすぎだ。いつもならルイーズは一通り叫べば落ち着くし、酔っているときは機嫌がいいんだ。何よりウィンスロー、ルイーズがここに居るのは決してお前の顔が良いからだけではない。次の騒動にノリッジの人間を巻き込みたくないからだ。それを考えればライオネルの件は伝えなければならない。」
スタンリー卿は聖女様を強い人間として、ある意味で聖女様がお望みのように接していました。しかしそれで聖女様にご無理がでるとしたら、果たして望ましいことなのか、難しい問題でしょう。
それにしても、聖女様のお優しい心に感化された人間が僕だけではないのは分かっていましたが、一の弟子としてお側でお使えしている身としては、『ルイーズのことは何でも分かっている』というスタンリー卿の態度は決して愉快なものではありません。
でもスタンリー卿は先程から聖女様の複雑なお心を少し単純化しすぎているように思われました。まるで悩みや弱さが存在しないように。
「なるほど、ルイスは人を巻き込むのは得意だが、巻き込む人は選ぶ、といったところなのかな。私には気を遣ってもらったことはないが。」
「お前自身がルイーズに気を遣っていないのに、よくもそんなことが言えるな、ウィンスロー。ルイーズは身分に関わらず心のある相手にはきちんと接する。」
「俺、レミントンに巻き込まれるときに気を遣ってもらったことがないんですけど。」
ニーヴェットが急に発言したので、一同驚いたようでした。
「まだいたんだね、ニーヴェット。」
「それより、捕まったルイザの兄君はどんな方なのかな。二人の仲は?」
ウィンスロー男爵とウォーズィー司祭はあまりニーヴェットに好意的でない様子です。彼は聖女様をよく知る友達であるようですが。
「ニーヴェットはルイーズのささやかな心遣いに気づいていないのだろう。ライオネルは優秀な弁護士の卵だ。リンカン法曹院を出て今はサー・トマス・モアのところにいる。ルイーズとは一見すると複雑な仲だったな。実は仲は良いのだが、表立って仲良くないように振る舞うというか・・・ルイーズはこのことを『ツンデア』と呼んでいた。」
「スタンリー卿、あれはTsundereの最後のeにアクセントを置いてéにするんです。『ツンデ・レ』と読むらしいですよ。」
間違いを指摘して得意げなニーヴェットも、きっと僕と同じようにスタンリー卿の態度に少し複雑なものを感じていたに違いありません。
「また異国情緒あふれる響きじゃないか。『ツンデ・レ』・・・それにしても、ルイザの情報をそんなに暴露していいのかい、スタンリー卿。私達のことを信用していないとレジナルドから聞いているが。」
ウォーズィー司祭はスタンリー卿を不思議そうに見据えました。確かに、聖女様の情報を勝手に流出させていることは、仲の良さをアピールするにしても行き過ぎた面があるように思われます。
「不本意だがルイーズがここに残りたいというから、最低限は知ってもらわねばならないだろう。お前たちにも、あの子を道具ではなくて一人の人間として見てもらいたいからな。」
細かい点で承服しかねるところはありますが、スタンリー卿が聖女様の幸せを願っていることだけは確かなようでした。
これはお願いしてみる価値があるかもしれません。
「スタンリー卿、聖女様はアーサー様を治癒したいとお思いでいらっしゃいます。どうかお力添え願えないでしょうか。」
僕が真摯にスタンリー卿にお願いすると、横のウォーズィー司祭から横槍が入りました。
「セントジョン、また余計なことを・・・ルイザをヘンリー王子にけしかけることで陛下と合意がなったのだ。それ以上は陛下もお望みでない。陛下のお望みに逆らうつもりなのかな。」
この司祭が教会で出世街道を駆け上がっていることを考えると、聖女様に教会をお勧めするのに二の足を踏んでしまいそうになります。
「聖女様はヘンリー王子への対応に辟易されておいでです。陛下もウィンスロー男爵の説得に折れただけだと推察しますし、ヘンリー王子とのことは陛下も聖女様も強くお望みではないのです。それでしたら聖女様が乗り気なアーサー様の治癒を陛下に掛け合うのが道理と言うものです。僕自身としても、陛下のご了承はいただきたいと思っています。」
そのためにもスタンリー卿の尽力を期待していましたが、彼の気むずかしげな表情は、あまり好意的なものには見えませんでした。
「ルイーズが体の具合が悪いアーサー王太子にマッサージをしたがるのは意外ではないが、王太子だけは駄目だ。心身になにかの異常をきたしたら、全てルイーズのせいにさされかねない。」
「しかしそれでは、聖女様がリスクを背負ってこの宮殿にいる意味がありません。聖女様のお力が、的はずれなヘンリー王子ではなく、必要とされている場で使われること、それは聖女様ご本人も願っておいでです。」
沐浴と温泉の件ではっきりしましたが、ウィンスロー男爵もハーバート男爵も、強引なヘンリー王子によって聖女様が貞操の危機に陥られてしまうのを楽しんでいるようでした。長続きすればするほどよくありません。
「セントジョン、ヘンリー王子の懐柔は成功しつつあるのだよ。この調子で行けば数日内には、ルイザの性別を暴露しても王子は離れられなくなっているはずだ。むしろどう暴露するかのほうが難しいほどだよ。」
神の道に入った人間が言っていいことではないでしょう。まさに悪漢の台詞です。
しかし、僕は先程から妙にウィンスロー男爵が静かなことに気が付きました。
「ウィンスロー男爵、ヘンリー王子に関する計画に無理があることに、あなたは気が付き始めているのでしょう。先程もヘンリー王子は聖女様に女嫌いの説明を拒否しました。王族のお世継ぎが目的なのであれば、計画を見直す段階ではないでしょうか。」
「いや、うまくいっている。むしろうまく行き過ぎているんだよ、セントジョン。」
そういうと、男爵はいつもより少しさみしげな微笑を浮かべました。聖女様が起きていらしたら大騒ぎなさったかもしれません。単なる強がりという口調ではありませんでした。
「ところでニーヴェット、ノーフォークのルイーズ・アイクメンという人間を知っているかな?捜索命令がでているのだけどね。」
ウォーズィー司祭は強引に話題を変えようとしていました。
「さあ、俺は名前を覚えるのが苦手なんで・・・」
ニーヴェットが口ごもっていると、ドアが乱暴に開かれて、先程からどこかに行っていたチューリングが姿を表しました。
「ルイス様にナプキンを持ってきたよ。よっこらっしょっと。」
彼女は肘掛け椅子の後ろに回り込むと、ぐったりともたれかかったお姿の聖女様を持ち上げました。僕よりも腕力があるかもしれません。
「あれ、あんだけ飲んでダウンしたから漏らしちゃったかとおもったけど、ルイス様大丈夫そうだね。」
「何を言っているのですか!!男性の前で聖女様を辱めるようなことはおやめなさい!」
信じられません。疑問のある男爵の人選の中でも、最も問題が多いのはこの女中でした。
「王子の前で聖女様に辱められたことは別にいいのかい、セントジョン。」
「あ、あれは・・・聖女様が僕の耳に問題を見つけられたので・・・僕の責任です。」
思わず先程の出来事が思い出されてしまって、顔が熱くなります。
「さ、あたいがルイス様を着替えさせて寝かせてあげるから、見たくない人は出てって。喘ぐ人は部屋の前で待っていてくれたら服を返すね。」
仕事はできるようですが、なぜ宮殿にこの女中を入れることができたのでしょうか。王室家令のドービニー男爵が大陸にいる今は副家令のハーバート男爵が幅を利かせているのでしょうが、この人選に躊躇する者がいなかったのか、気にかかるところです。
「誰かが見ていたと知ったらレミントンの制裁は恐ろしいものになるだろうな。制裁の中には爽快なやつもあるけどな。」
「ニーヴェット、被虐趣味があるのかい?」
ウィンスロー男爵が、独り言を言うニーヴェットを奇妙な生き物を見つめるような目で見ました。珍しくおそらくは僕も同じ気持ちです。
「違うっ!『お仕置き』と称して首の根元のあたりをぐりぐりと押されるのが、痛いが後味良かったりもするという、それだけの話です!」
「結局被虐趣味かつ魔法にかかっているのをばらしてしまっているね。しかし、痛いのもあるというのはただの脅しだと思っていたが、本当だったんだね。」
ウィンスロー男爵の顔はひきつっていました。この人は痛いお仕置きをされるべきだと思いますが、ニーヴェットのように目覚めてしまったらしつこそうです。
「だから違うんです!俺は魔法にもマッサージにもかかっていない!」
「ニーヴェットが正しい。『ボン・ノクボ』を押されるのは小手始めのようなもの。ルイーズのマッサージの本領はそんなものじゃない。」
ボン・ノクボとはなんのことでしょうか。しかし聖女様に触れていただいただけだというのに、スタンリー卿がいかにも玄人のように振る舞っているのは納得できません。
「ルイス様みたい人、こんなにいるの!?」
女中は私達を部屋から出したいようでした。考えてみれば気を失った聖女様が男性に囲まれていらっしゃるのですから、部屋を出るのが道理といえましょう。
「ルイーズが起きたときのために置き手紙をしておく。ライオネルを探しにホワイトホールに向かってしまっては困るからな。それと、ベッドの側に水とガウンを用意してやってくれ。」
スタンリー卿はチューリングに指示を出すと、慣れた様子で聖女様のインク瓶を開け、丸テーブルでなにか書き置きをはじめました。
「ルイスも沐浴の儀をあんなに嫌がっていた割には油断しすぎているね。さて、トマス、フランシス、ロアノーク、モードリン、ハーバート男爵のところで作戦会議といこうか。」
男爵が呼ばれた皆を連れて部屋を出ていき、所在なさげにしていたニーヴェットもそれに続きました。衛兵の二人はドアの近くに控えていましたが、いつの間にかウッドワードが部屋にいたのは僕も気が付きませんでした。
「(見たいの?)」
僕が部屋を出るタイミングを逃したのをからかっているのか、チューリングは僕の耳元でささやきました。
「めっ、滅相もありませんっ!服を受け取るのを部屋の前で待っていますからっ!スタンリー卿も出ましょう。」
僕は何かを書き終えた様子のスタンリー卿を誘うと、小走りで外に出ました。ドアが閉まります。
「モーリス、一応聞いておくが、ルイーズが好きなのか。」
僕の大伯母にあたる王太后様がスタンリー卿の祖父であるダービー伯爵と結婚してから、スタンリー卿は僕のことを時折ファーストネームで呼ぶようになりましたが、単純に『セントジョン』が彼の周りに多すぎるからであって、そこまで交流があるわけでもありません。
「聖女様をお守りするのが弟子としての僕の役目です。聖女様に邪な気持ちなどもっておりません。」
東棟の壁やドアは薄い作りなので、部屋の中からチューリングが聖女様を着替えさせる音が聞こえてきます。
「そうか、ありがとう。それでは、遅くともルイーズの叙任式でまた会おう。」
「いいえ、僕が望んでしていることですから。それではごきげんよう。」
手を振ってさっていくスタンリー卿に礼を言われる筋合いはなかったのですが、言い返しても大人げないだろうと思い、普通の挨拶にとどめました。
スタンリー卿が聖女様のことをよく知っていようと、ニーヴェットが聖女様に虐げられて喜んでいようと、僕は不満に思う立場にありません。やはり僕の精進が足りないのです。
随分と早くドアが開きました。
「はい、これローブね。ブラッシングだけしておいたけど、香水はかけてないからルイス様の匂いのままだよ。部屋で楽しんでね?」
面白がっている女中は、僕に聖女様お気に入りの深緑のローブを手渡しました。
「そっ、そんな事ありませんっ!何の根拠があってそんな」
僕の必死の反論は聞かれることがなく、ドアが閉まりました。
渋々自分の部屋に帰ります。また祭壇に飾ると聖女様が怒ってしまうでしょうが、お望み通りにこれを着るのもまた勇気がいります。
僕の肩を神聖な力で治癒していただいた恩人なのですから、聖人としてお仕えするのもまた自然だと思うのですが、僕の前で聖女様は一人の女の子として振る舞いたがりました。
それを心のどこかで喜ばしく思ってしまう僕はやはり修行が足りないのでしょう。
これは聖女様のせいではないにせよ、ウィンスロー男爵の『油断しすぎだ』という指摘はある意味で的を射ていました。聖女様は僕の前で人間味のあるところをお見せになります。聖女様の着たものを祭壇に飾るのは、僕の心の平穏にとって大事な儀式になりつつありました。
やはり僕は教会に懺悔に行くべきかもしれません。




