CCLXXXVII 情報統括官ハーバート男爵
私の格好を見て唖然としていた門番を説き伏せて中に入ると、二人共早足でハル王子の部屋に向かった。
「ハル王子、至急耳に入れたいことがある。」
部屋をノックしたが、返事がない。
「ハル王子?」
もう一度ノックすると、ドアが少しだけ開き、ノリスが顔をだした。
「(しいっ、静かに。王子様はようやく寝付いたんだ。)」
「ようやく寝付いた?やけに早くないか?」
たしかに、鞭で痛めつけられた上、芝生の上を転がされた私は、回復するまでにかなりの時間を要していた。アニーは薬をもらいにいってくれたし、色々合わせればそれなりに時間は経ったのだろう。
しかし、ハル王子は朝に弱いが夜は元気だ。この体質で女払いをしているのはつくづく勿体ないことだが、今はそれ以前に、珍しく早寝した王子のことが気にかかる。
「(心配ないんだ。でもせっかくだからコンプトンを回収してほしいんだ。とにかく静かに。)」
ハル王子の部屋については絶対の権限を持つノリスがドアを開けると、私とゲイジは言われるがまま黙って部屋に入った。照明は落とされて、骨董品を倒さないか少し不安になる。
奥で穏やかな寝息を立ててハル王子が眠っているのがすぐに分かったが、見覚えのない長椅子に横たわったコンプトンには驚かされた。
「(ノリス、コンプトンは具合が悪くなったのか?)」
「(ううん、違うんだ。リディントンにおかしくされちゃったんだ。これが鍵だから、部屋まで運んでほしいんだ。)」
コンプトンもやられたのか・・・
リディントンは鞭で押さえつけて食べようとした私に逃げられ、色々溜まっていたのかもしれないが、王子の『中の従者』まで手を出されるとますます話がややこしくなる。やはり私には、自分が汚されないうちに亡命する道しか残されていないのか。
悩みながらもノリスから鍵を受け取ると、とりあえず私が肩を、ゲイジが足を抱えて部屋から出る。その時点でノリスに中から鍵をかけられてしまった。
「リディントンを追放できそうな大事な日に限って・・・更にコンプトンまでやられるとは・・・つくづくついていない・・・」
リディントンに夢中になっているハル王子も、さすがに鞭の跡を見れば危機感を覚えると思っていたが。残念だがハル王子の部屋のことについてはノリスに権力は絶対だ。明らかにおかしい制度だがハル王子が決めたことなので逆らえない。
部屋の中より明るい廊下で見ると、コンプトンは我にもあらずという顔をしていた。満足そうに溶けていたハリーと比べると、男に襲われたショックが抜けきれていない様子だ。痛々しい。
「おい、コンプトン。聞こえるか。」
階段の近くでゲイジと持つ位置を変えながら、声をかける。
「・・・ん・・・ブランドン・・・」
意識はあるようだ。
「・・・俺、王子様守れなかった・・・悔しい・・・」
おや。
王子やハリーはすっかり雌になってしまってリディントンに手玉にとられていたが、コンプトンの傷は浅いようだ。
「何があったのか話してみてくれ。」
「その・・・リディントンに・・・気持ちよくされて・・・俺あんなの初めてで・・・わけわからなくなって・・・うう・・・王子様逃げてっていったのに・・・」
コンプトンはハル王子の防波堤になろうとしたようだった。私もこの忠誠心だけは買っている。
「なんでリディントンにスキを見せたんだ。あれほど忠告しただろう。」
リディントンを避けるようにと、泉でコンプトンには知らせていたが。
「・・・王子様が、腰を治療してもらえっていうから、俺は嫌だったけど断れなくて。」
ハル王子が勧めたというのか。意味がわからないが、王子の博愛精神が無駄なところで現れてしまったのかもしれない。
それにしても『腰の治療』とは服を脱がせるとんだ婉曲表現だ。治療というよりはむしろ負担になるはずだが。
「ハル王子はどうした?」
「・・・俺がやられた後、王子様もやられてたみたいだ。俺も意識が飛んでたからわからなかったけど・・・」
コンプトンの次に王子の相手をしたのか。あの小さな体にどれだけのエネルギーを蓄えているというのだ。
「ハル王子が早寝というのはそういうことだったのか・・・コンプトン、リディントンに何か要求されたか?」
ハリーは詳細を話したがらなかったが、口止めをされているようだった。コンプトンになにか見返りを要求しているかどうかは、リディントンがただの変態か狡猾なスパイか判断するために重要だ。
「・・・俺には何も言われなかった。でも王子様には騎士叙任がどうのこうの言ってたと思う。・・・俺、わけがわからなくなってたから覚えてないけど。」
騎士、だと?
子供のころからハル王子に仕え、武芸を極め、苦楽を共にしている私でさえ、騎士の称号はまだ授かっていない。簡単に称号が手に入る王太子の周りの貴族子弟を恨めしく思ったこともあったが、まさかあの庶民出身の変態に、先を越されるとは・・・
「許せん・・・体を売って騎士の位を手に入れるとは。しかもこの私よりも先に。」
「・・・ブランドンなにか功績あったっけ・・・いたっ・・・手首握るの強すぎっ・・・」
コンプトンは失礼なことをいったが、確かにこの太平の世の中、亡命までに騎士たりうる手柄を上げるのは難しい。
待て、このリディントンと北の国が起こしている騒動を解決すれば、私にも叙爵のチャンスがあるだろうか。しかしうかうかしていると亡命のチャンスを失いかねない。とりあえず両睨みでいくか。
コンプトンがハリーと比べてリディントンに食われた後も無事なのを考えると、今後の対策を練るためにも味方にしておく必要がある。
「コンプトン、お前はハル王子の誇り高き御手洗係だ。次回はその程度の快感に負けたりはしないよな。」
「・・・がんばるけど・・・でも・・・・・・すごいよかった・・・」
コンプトンは恥じらう乙女のように身を捩った。
「そこで顔を赤くするな、馬鹿者。」
「公共の場で何をしているのかね。」
聞き慣れない声に振り向くと、ランタンを手にした副家令のハーバート男爵の姿があった。東棟に居るのはかなり珍しいが、火事の後の調整でもしているのだろうか。しかし王子は寝ているのに、従者しかいない三階から降りてくるのはいかにも不思議だ。
「ハーバート男爵こそ、こんな時間に東棟で何をしているのですか。ハル王子は既に休まれている。」
「リディントンの騎士叙任に関する事務手手続きがあってな。今は宴会になっているが。」
もうそこまで話が進んでいるのか。
「ハーバート男爵、コンプトンがリディントンに辱めを受けたので、リディントンは処分するべきです。」
自分の鞭の跡を見せようかとも思ったが、あの小男に倒されたという話を吹聴されたくない。
「辱め・・・そうとも言えるか。少しコンプトンの顔を見てもいいか。」
何かを知っているらしいハーバート男爵は、有無を言わずにコンプトンの顔を照らした。さっきの流れで乙女の顔になっていたコンプトンは、ハッとしたように赤い顔をそむける。
「見っ・・・見ないでっ・・・」
「なるほど、『蕩ける』と聞いてはいたが、こうなるのか。ブランドン、誤解があるようだ。リディントンは必要な者に『腰の治療』をしていると聞いている。多少男の尊厳が踏みにじられることもあるかもしれないが、取り立てて問題があるとは思っていない。」
いや、問題ばかりだろう。『腰の治療』というのは、王子が手を染めてしまった行為をぼかす言い方なのだろうか。そして『男の尊厳』ということは、何が起きているか知っていて静観しているのか。
「多少どころではない。一体何をおっしゃっているのか。大の男があんなことをされて蕩けていたら大問題でしょう。リディントンは変態かつ危険人物だ。ハル王子と確実にスキャンダルになる。即刻排除すべきです。」
「ブランドンのその格好も大いに変態で危険なように思うが。その格好で王子のところに行ったのか。」
ハーバート男爵は私の格好を指差した。気がつけばアニーのマントは前がはだけていて、前がさらけ出されていた。
「ハル王子はこの程度のことは気にされない。私達は裸の付き合いだ。今更晒せないものなどありません。」
ハーバート男爵はなぜかひどく困惑した顔をした。
「報告を受けたときはなにかの間違いだと思ったが・・・ブランドン、それは隠さないのか。」
「隠す必要を感じない。俺は・・・私は私自身に誇りを持っている。ハル王子もそうです。」
一回見られたのなら、別に今更隠すのも女々しい。ハル王子だっていつも堂々としている。
「まさか・・・女好きのブランドンに限ってそうではないと思っていたが・・・」
堂々と晒すのはむしろ私らしいと思ったが、夜会でたまに見かける程度のハーバート男爵からすれば、女官達に甘い言葉を掛けるイメージが先行しているのかもしれない。
「私は素性を隠すことには慣れているのでね。馬丁という生まれや育ちが表に出さないよう、日頃から気をつけているのだから、女性の前で本性をださないことくらい、朝飯前ですよ。」
夜会でがっついてしまったら趣がないだろう。狼になるのは明かりを消してからだ。
「そうか・・・差別が激しいのは理解するが、私の知り得ぬところで苦労していたのだな・・・ブランドン、ライバルの登場に焦るのは分かるが・・・」
ライバルとはなんのことを差しているのか。まさかとは思うが、ベッド上の技能のことか?
「ライバル?まさか。私とリディントンは種目が違う。奴は男、私は女だ。私の方が自然でしょう。」
「・・・生々しいな・・・主君と臣下という関係を考えれば、ある意味自然ではあるが・・・リディントンの誤解は別として、ヘンリー王子の寵愛が移ることは不安にならないのか。」
ハーバート男爵は意味がわからないことを言った。
「私とハル王子が切磋琢磨してきたものに比べれば、リディントンは物珍しく思われているだけだろう。敵ではない。だがスキャンダルになれば一大事です。」
「・・・切磋琢磨してきたのか・・・」
なぜかランタンで照らされるハーバート男爵の顔が青かった。
「さっきからどうしたんですか、ハーバート男爵?」
「・・・私が聞きたい。とりあえず、王子とのことは、リディントンを含め秘密ということでいいだろうか。」
「当然。だが、リディントンは北の国と繋がっています。公表されるのは時間の問題だ。」
ハーバート男爵までハル王子とリディントンの密通を把握しているとは、もはや知らない人間はいないのではないだろうか。リディントンは昨日今日と二日連続で王子を寝取ったわけだから、壁の薄い東棟では隠すのは無理があるか。
「それについては心配ない。詳しくは言えないが、リディントンの素性はよく分かっている。その誤解は杞憂だ。」
あの謎の多いリディントンの正体を、ハーバート男爵が知っているというのか。やはり一味なのだろうか。ウィンスローだけでなくハーバート男爵も敵となると、さすがに分が悪すぎる。
「とにかく、リディントンを排除するよう、私は全力を尽くします。」
「・・・スキャンダルが怖いのは確かだ。むしろブランドンこそ、嫉妬に狂ってヘンリー王子に迫ったりしないようにしてほしい。そちらの方が心配だ。」
嫉妬?一体何を言っているのか。リディントンのことは私の感情抜きに要求していく必要がある。
「嫉妬などしませんが、リディントン問題は今や深刻。多少無理矢理でも王子には迫ります。」
「その方がスキャンダルでは・・・いや、もういい、痴話喧嘩に理性的な会話はできないからな。早くコンプトンを部屋まで連れて行ってやるといい。私は少し戦略の変更が必要なようだ・・・」
顔色の悪いハーバート男爵は、首を振って階下に降りていった。
「結局なんだったんだ。とりあえずいくぞ、ゲイジ。」
ゲイジに号令を掛けると、三階のコンプトンの部屋まで進んでいった。
「(ルイーズ、しっかりしろ、ルイーズ!)」
どこからかスタンリー卿の声がする。東棟にいるとは珍しい。
スタンリー卿とハーバート男爵は、人の少ない東棟三階で密会していたのだろうか。リディントンの危険性を相手にせず、『腰の治療』などとふざけたことを言っていたハーバート男爵。やはり北の国とスタンリー卿と通じているのかもしれない。
ハーバート男爵はベテランだが、アーサー王子にもヘンリー王子にも嫌気が差して北の一歳児に走ったのか、それとも自分が権力を握るのにちょうどいいと思ったのか。
とりあえず伯爵に報告する必要がある。
「やれやれ、今日はひどい一日だった。」
気が抜けたせいか、ムチで叩かれた場所の痛みがまた気になり始めた。全身を蝕むような痛さだ。薬は気休めにしかならなかったか。
しかしハル王子に報告するのは延期されたため、後で時間ができていた。コンプトンを放り投げたらアニーに一日頑張ったご褒美をもらいにいこう、と私は胸に誓った。




