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CCLXXXV 政治家サー・ジョン・ヘイドン


マージと同じタレ目気味の優しそうな目で、マージのパパが私を見つめていた。


「やあルイーズちゃん、しばらく見ないうちにすっかり男らしくなったじゃないか。」


すこしいたずらっぽそうな声が響く。善くも悪くもストレートなマージと違って、マージのパパは飄々として油断のできない人なのよね。ウェーブの掛かった長い髪はマージと共通だけど、色合いはすこしダーク。


「ご無沙汰しています、サー・ジョン・ヘイドン。これは友達の服を借りていて、ウィッグを付けているので、それを除けば見た目は変わりません。もちろん、ちょっとは成長していると思いますけど。」


「ルイーズ、勝てない試合は挑まないほうがいいわよ。」


外野がうるさかった。


「はは、サー・ジョンでかまわない。もっとも、それだと亡くなったサー・ジョン・パストンと被ってしまうか。それにしても、ルイーズちゃんだと聞いていたから分かったけど、別人で男と言われれば確かに信じてしまいそうな変身だ。」


「そうでしょうか。あまり実績はないんですけど。」


アンソニーには一瞬でバレたし、ルイスとルイザとして直接騙せているケースはあんまりないと思う。


「さあ、これはいいシャンパンだから、たんと飲むといい。ところで、サー・ルイス、次の庶民院議員選挙に出てみないかい。」


「このシャンパンは美味しいですね。でもサー・ルイスは実在しませんよ。そういえば、バーグさんが次の選挙に出ないと聞きました。後任は誰になるのかしら。私の騒動があったからお父様はやめてほしいけど。」


ノリッジ選挙区は定数が2で、バーグさんとサー・ジョン・ヘイドンが今の代表になっている。


「私も出ない。後任にクリストファーを誘いに来たけど、さっき断られてしまってね。ノーフォーク選挙区のサー・トマス・ロヴェルとヨーマス選挙区のサー・トマス・モアが王都の選挙区に移るから、うちの地方の6議席のうち4議席が空く事態だ。」


「なにかあったんですか?王都にそんなに空きが出るなんて。」


地元と往復しなくて済む王都の選挙区は人気があるけど、いつもなら競争が激しいはず。空きができるのは珍しいと思う。


「知っての通り、ダドリー枢密院議長と庶民院議長のサー・リチャード・エンプソンは今まで内戦に負けた旧白軍派貴族から搾り取り、軍や宮殿の支出を圧縮することで財政を再建してきたね。その分、私やルイーズちゃんのような市民層や騎士階級には甘く、議員としてはやりやすかった。」


「そうでしたね。うちやヘイドンさんのところは優遇されました。」


ノーフォークの白軍派貴族の領地は、トマスの家やお祖父様みたいな地主だけじゃなくて、うちやヘイドン家みたいな市民にも細かく分割された。内戦後の弱った国では広い土地の管理ができなかった、というのが理由みたいだけど。


「ただし、失敗したサフォーク公爵のクーデタ以降は静かにしていた旧白軍派が、サリー伯爵やバッキンガム公爵を筆頭に、ここにきてアーサー王太子の周りに集まって力を取り戻しつつあるらしい。それをこれ以上刺激しないよう、次の会期は彼らの代わりに都市や騎士階級に重い税金が課される見込みで、誰もそんな会期に都市の代表になりたくない、というわけだね。」


「火中の栗を拾えない、ということね。サリー伯爵が暗躍しているらしいのは男爵から聞きました。でもアーサー王太子が白軍派に寄っているなんて知らなかったけど。」


王太子と王子の仲が派閥争いに巻き込まれたら困ったことになりそう。


「これは噂だけど、赤軍派貴族の従者のうち、モーリス・セントジョン殿がヘンリー王子のところに左遷され、アンソニー・ウィロビー・ド・ブローク閣下は新大陸に飛ばされるとか。一方でクーデタに関わった白軍派のフィッツウォルター男爵は側近として残っている。王太子はもともと我が弱いと言われているから、白軍派の巻き返しに利用されてしまうかもしれない。」


モーリス君の異動は左遷扱いだったの?アンソニーは多分左遷だったけど理由は全然違うし。


「どちらもまったく偶然だと思いますけど。この服を貸してくれたのはモーリス君ですが、彼はヘンリー王子の粗雑な領地経営を手伝いにきただけで、アーサー王太子との仲は良好そうです。アンソニーは新大陸に行かないってさっき言っていましたし。」


「さっき?アンソニー?」


サー・ジョン・ヘイドンはタレ目がちな目を丸くした。アンソニーはあれでも一応高位貴族だから、私と知り合いなのに驚いたのかも知れない。


「ええ、さっきまでアンソニーはこの部屋にいたんです。友達、と言っていいのかわからないけど。そういえば、アンソニーと奥様が遠い親戚でいらっしゃるんですよね。せっかくだからアンソニーと会いますか?」


アンソニーのことだからまた明日の晩あたりに出没するかな、なんて考えていると、サー・ジョン・ヘイドンが目頭をおさえた。


「どうかしましたか?」


「いや、私も感極まってしまって・・・よかったねルイーズちゃん。同年代の男子にモテるという夢がかなって。しかも貴族。さあ、グラスが空だ、このお祝いに飲んでくれ。」


マージのパパはいつの間にか空になっていた私のグラスに並々とシャンパンを注いだ。このひとは本気なのか冗談なのか時々わからないのよね。


「マージ、またパパさんになにか余計なことを言ったでしょう?」


「だから私が言わなくても、顔に出ているのよ?」


マージが私の顔を好き勝手に解釈するのをやめてほしいと思う。


「よし、ルイーズちゃん、宮廷貴族にモテた次は、選挙民にモテよう。ヨーマス選挙区からサー・ルイス・リディントンとして出馬するんだ。ルイーズちゃんが尊敬するお父様と同じキャリアが積めるチャンスだよ?」


「ちょっとまって、戦況が悪くてご自身が逃げるのに私に勧められても困りますよ?そもそも私は女だし、サー・ルイスは来年消滅する予定だし、ヨーマスだったら私の顔を知っている人もいると思いますよ。」


ヨーマスには行ったことがないけどお祖父様の屋敷と近いし、ノーフォークの社交の中心はノリッジだったから、ヨーマス出身者とは何人か会っていると思う。


「いいかい、元気で可愛いルイーズちゃんはノーフォークの高齢者の癒やしだった。マッサージ経験者の数は少なくとも、それ以外のお年寄りも今回の裁判が余所者の手でこれみよがしにノリッジで行われたことに怒り狂っているよ。だからノーフォークの有力者はみんな味方だとおもっていい。もう一杯いこうか。」


シャンパンは美味しかったから、私のグラスが空になるスピードが早い。


「高齢者・・・でもそんなよくわからないシルバー票で私が選挙に勝っても、対抗馬が女性だって嗅ぎつけて絶対に無効を申し立ててくると思うけど。」


「いやいや、宮廷で活躍して、異例のスピードでバス騎士にまで上りつめた、ヨーマスの英雄。宮廷に記録があるなら反証もだしづらい。さらにサー・ルイスは弁舌がさわやかで、声も通る。これを追い落とそうという輩はヨーマスできっと嫌われるだろうね。大体バーグのキャンペーン・スピーチを書いていたのはルイーズちゃんだろう?」


マージのパパが言うように、この国の議員は演説が重視される。政党とかはないしメディアもないから、王都で何をしているかは地元にあんまり伝わってこないし、評判とイメージが大事なのよね。


「選挙活動はお父様も含めてレミントン家総出だったわ。でもヨーマスの選挙区でルイス・リディントンだったらレミントン家の力があんまり頼れないし。」


「ヨーマスは名家の少ない、流動性の高い港町だから、地盤のある対抗馬なんていない。さあ、もっと飲もうか。」


さすがに体がアルコールを受け付けなくなってきた。


「さすがにもう遠慮しておくわ・・・しておきます。改めてお祝いありがとうございました。」


「そうかい。それじゃあ、とりあえずヨーマス選挙区で立候補の手続きをしておくよ、もちろん後で取り下げられるから。」


『それじゃあ、とりあえず』って何よ、『それじゃあ』って。


「ストップ!私は何も同意していませんから。一期だけのスケープゴートがほしいなら他にやりたい人もいると思います。マージも黙ってないで止めて!」


「うーん、飲ませたりなかったか。期間限定で王都にコネもあるサー・ルイスはぴったりだと思ったのだけどね。」


「私としては、ルイーズがどうしても男でいたいんだったら宮殿から離れるほうがいいと思うわ。」


マージは必要悪みたいに言うけど、社会科見学もさすがに欲張りすぎると良くないと思う。議員はちゃんとした人になってほしい。


「この酔った状態でサインするほど甘くはないわ・・・甘くないです。ヒクッ・・・あれ、急にしゃっくりが出始めちゃ・・・ヒクッ・・・」


お酒が入ってしゃっくりが出るのは、私としては珍しいのだけど、けっこう苦しい。


「これはお開きか。ルイーズちゃん、私とマージは明日まで居るから、変えたい法律がないか考えておいてほしい。スタンリー卿の一件があったから、離婚に関する法律なんかは興味があるだろう。今回のようにいわれのない魔女裁判に苦しむ女の子を減らせるかもしれない。」


「一人で変えられるほど・・・ヒクッ・・・甘く・・・ヒクッ・・・」


頭は働いているけど、しゃっくりのせいで私はまともな応対ができなくなっていた。恨めしい目でマージ父娘を見送る。


「サー・ルイスが出来上がってしまったので、今夜の会はこれまでにしよう。順次、帰路についてほしい。」


ハーバート男爵が音頭を取って、解散する流れになった。


待って、まだ沐浴の儀の文句をいっていないのに。


「待っ・・・ヒクッ・・・ハーバー・・・ヒック・・・お風呂・・・ヒク・・・」


「ルイス様、お風呂は明日の朝一番で来るから安心してね。」


「聖女様、お水をどうぞ。どうかおちついて。」


スザンナとモーリス君が私をあやしにきたけど、ハーバート男爵は私が文句を言う前に帰ってしまった。


「ああん、もう・・・ヒック・・・」


ちゃんと沐浴の儀は名目のみってことになっているのかしら。男爵に確認しておかないと。


「ルイーズ様、一件だけ報告させていただきたいのですが、フィッツウォルター男爵が・・・」


ゴードンさんが近寄ってきて耳元で囁いた。ゴードンさんの名前と顔にマッチした重低音なのよね。


「ゴードンさん・・・ヒック・・・イケボ・・・」


「イケボ?・・・無理のありませんよう、また明日、落ち着かれてから改めて報告させてください。」


そこまで酔っていないのに気を遣われちゃった。結局何だったんだろう。


「大丈夫か、ルイーズ。鎮火の功績を労えなくてすまない。」


今度はこの宴会で影が薄かったスタンリー卿が私のところにやって来た。火事のときは抱えて運んでもらったり、シャベルを出してもらったりとだいぶお世話になったのよね。最前線で水道管を持ち上げてくれていた気もする。


「スタンリ・・・ヒック・・・肩は・・・抱えて・・・」


スタンリー卿は満面の笑みを浮かべた。


「肩は大丈夫だ。ルイーズも水道管も軽かったからな。どういたしまして。どうだ、まさに以心伝心だろう?結婚しないか?」


「そんな軽・・・ヒック・・・ちょ・・・ヒクッ・・・」


スタンリー卿といつものやりとりをするほど肺に余裕がなかった。


「しゃっくりで揺れているところもかわいいな、ルイーズ。そうだ、私と結婚してくれるなら縦に首を振ってくれないか。」


「趣味わ・・・ヒック・・・小賢し・・・ヒク・・・」


けっこう辛い、しゃっくりって。


「この調子なら結婚してくれそうだな。しかし苦しそうなルイーズを見るのは忍びない。そういえば、ルイーズが昔、驚くとしゃっくりが止まるって言っていたが。」


スタンリー卿は私の昔の発言をたいてい覚えている。油断できない。


「言ったけ・・・ヒック・・・言っちゃったら・・・ヒクッ・・・驚かな・・・」


今から驚かせます、っていってびっくりする人なんていないでしょう?




「ああ、さっききいた話だが、ライオネルがルイーズを探してホワイトホールの宮殿に侵入しようとして、逮捕されたらしい。」




!?!?!?!?!?




「兄さんぎゅあっ!?」


驚いた弾みで、私は椅子の背もたれに頭を思い切りぶつけた。



グラっとくる。



「にいさ・・・ヒク・・・えう・・・」


「聖女様!!」

「ルイス様?」

「ルイス!」

「ルイザ!?」

「レミントン!」

「ルイーズ様!!」

「ルイーズ!大丈夫か!?ルイーズ!!」


後頭部の鈍い痛みに視界が歪んで、そのまま暗転した。


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