CCLXXXIV 演者マージョリー・ヘイドン
私が椅子に座ったタイミングで、マージが曲を弾き終わったみたいだった。拍手と歓声があがる。
マージは礼をすると私の所へやってきた。
「せっかくのパーティーなら音楽があったほうがいいかしらって言ったら、あなたの同僚の男装の女の子が、すぐにヴァージナルを運んできたわ。ほんとにお姫様みたいな生活をしているのね。」
マージは私の待遇に驚いているみたいだった。さっきはプロジェクト関係者が男爵しかいなかったから、祝賀会が大規模でびっくりしたと思う。
「フランシス君は男の子よ。お姫様ってほどじゃないけど、リクエストはだいたい叶えてもらえるわ。それはそうと、素敵な演奏だったわ、ありがとうマージ。」
せっかく演奏してくれたらから、お礼は言わないとね。
「どう?前より上達したでしょう?悪友が裁判に忙しくて相手をしてくれなくなったから、家のクラヴィコードで地道に練習したんだもの。」
縦ロールの亜麻色の髪が上機嫌に揺れている。会心の演奏だったみたい。
「そうね、お世辞抜きで上手だったわ。寂しい思いをさせていたらごめんなさい、マージが寂しがるところは想像がつかないけど。でもわざわざしんみりしたムードにしたって、合言葉の件は許さないわよ?」
マージのペースに流されて危うく忘れるところだった。危ない。
「あら、やっぱりお見通しなのね、ルイーズ。でもあなたらしい発言として周りが記憶しているんだから、ルイーズの部屋への合言葉としてはちょうどいいでしょう?」
「本人が嫌がっているんだからよくないわよ!それにマージ、一度しか言っていないことが一生ついて回っていたら、みんな何をするにも億劫になってしまうわ。これが裁判だったらもう時効なんだし、忘れましょう。」
この国で名誉毀損の時効は慣例的に出版から1年。大陸法だと3年。私のあの発言は忘れられるべき。
「ルイーズ、一度しか言っていないっていうけど、夜会のたびに顔に出ていたのよ。『なんで私に気の利いた褒め言葉の一つもくれないのかしら?この人達の目は節穴なの?私こんなにかわいいのに!きっと胸のことしか考えていない馬鹿どもなんだわ!そうよ、男どもはみんなそうなんだから!』って。」
今日のマージはなぜか挑発的だなって思っていたけど、冗談にも限度があると思う。
「顔でそんな長文を表現できるわけないでしょう!?解釈が強引すぎるのよ!悪意を感じるわ!それをいったらマージだって、たとえば・・・たとえばほら、うちのパーシーに向かって『かわいい、たべちゃいたい、ふふふ』って言っていたじゃない。それを聞いてから、マージがパーシーを見る目が純粋に見えたことはないわ!」
「完全に文脈を無視しているわ!それでも弁護士の娘なの?私は『かわいい、桃みたい、桃だったらたべちゃいたい、ふふふ』って言ったの!全然意味が違うわ!文脈を気にしなくていいんだったら、『トマスは将来頭がつるつるになりそうだからパス』って言ったルイーズの方が重罪だわ!」
「桃を挟んだところで大差ないじゃない!そもそもあの発言は部外者が強引にトマスとセットアップしようとしたから、そのときの苦し紛れの言い訳で、ほんとにそう思っていたわけじゃないわ!トマスだったら、マージこそ『九頭身は美的には素晴らしいけど、話すと脳のサイズが小さいのがわかってしまうわね』って言ったじゃない!あれはひどかったわ!」
「ほんとのことじゃない!それにサー・ウィリアムはあなたの暴言さえなければ、あなたたちのカップリング乗り気だったのよ?あれで髪の毛の寂しいサー・ニコラスとの遺伝論争に火がついちゃったんだから。どっちにしてもルイーズ、あなたが『トマスは海軍よりも先にお風呂に入るべきだわ』って言ったのよりはましよ!」
「マージ、トマスはそこまで馬鹿じゃないし、お父様は同年代のニーヴェット家男性に比べればまだ髪の毛はあるし、お風呂の話はトマスがトレーニング直後に私に駆け寄ってきたから言ったの!いつもじゃないわ!それに比べたら、マージが『トマス・ニーヴェットはレディの扱いよりも牝馬の扱いのほうがはるかに上手だから、この分だとニーヴェット家はケンタウロスが継ぐわ』って言ったのは文脈関係なしにひどいわ!」
「・・・盛り上がっているところ邪魔して悪いんだが・・・」
ヒートアップしていた私とマージが顔を横に向けると、話題の人物が気まずそうに立っていた。
「トマス!いつの間に来てたの?娘さんのお世話をしにお家に帰るんじゃなかったの?」
いつもより元気のない前髪をしたトマスは、力なく首を振った。
「レミントンを中庭から逃した後、安否を確かめないまま帰れるわけないだろう。無事で何よりだ。」
そういえば、騒ぎが起きていた中庭から、トマスが『逃げろ、レミントン』って言って強引に逃がしてくれたのを思い出す。結局火事の混乱だったみたいだけど、トマスのスピーディーな判断には助けられたと思う。
数時間前のことなのに、なんだか随分昔のことに感じる。
「ありがとう、トマス!」
椅子に座ったままだと流石に失礼なので、私は立ち上がった。
「風呂に入っていないから汗臭いと思うが。」
一歩後ろにさがるトマスは、すっかりいじけていた。
「ごめん気にしないで、マージは私の昔の発言を都合よく切り取っていただけだから。ほんとにありがとうね。私もこのモーリス君のローブで消火にあたったから、土埃とか煙の匂いがすると思うし、お互い様ね!」
「ルイーズ、そんなことより娘ってどういうことなの?」
ちょっと申し訳ない気持ちになっている私と違って、九頭身を馬鹿にしたことは反省していないマージ。
言われてみればトマスの頭身バランスは美しいかもしれない。今まで顔しか気にしていなかったけど。
「マージ、トマスはもうパパなのよ。ケンタウロスじゃなくてちゃんと人間の女の子よ。」
「まあ、あのレディと三言以上会話できないって評判だったトマス・ニーヴェットがこんな早く・・・でもそんな張り切ったらまた前髪の後退が加速しそうね。」
「二人揃って、レディを名乗るならそれらしい言動をしろよな。あと俺はまだ禿げてない。ちょっと額が広いだけだ。」
継父であることよりも前髪のほうが訂正する順位が高かったみたい。
「大丈夫、エドマンド・ジュニアに比べたらトマスは髪の毛が残りそうな気がするの。」
「それでなぐさめたつもりなのか、レミントン。」
「あら、ルイーズのニュアンスに気がつくなんて、前よりも頭が大きくなったのかしら。ニーヴェット家の次男坊は。」
「サイズは関係ないだろう、多分。」
この二人の間で交流はあったけど、どちらかというとマージがトマスを一方的にいじっていたから、ファーストネーム呼びをするほど仲良くはないのよね。
「でもなんだか懐かしいわ、マージ、トマス。気の許せる友達とこういうどうでもいい話をするのなんて久しぶり。」
「でしょう、ねえルイーズ、やっぱりノリッジに帰るべきなのよ。パパもそう思うでしょ?」
「そうだね。」
私の後ろでマージの勧誘にうなずく人がいて、少しびっくりした。
振り返ると、悔しいけどレミントン家とニーヴェット家の誰よりも髪の毛が豊富なサー・ジョン・ヘイドンが、いつのまにか近くで私達を見守っていた。
参考:言及された家族とその髪の毛の概況
サー・ニコラス・レミントン: ルイーズの父で開業弁護士・元庶民院議員。職業柄カツラを被ることが多く、髪の毛は寂しい。
サー・ウィリアム・ニーヴェット: トマスの祖父で地主・元海軍軍人。禿頭。ニーヴェット家の男性は前髪の後退が激しいらしい。
エドマンド・ニーヴェット・ジュニア: トマスの兄で海軍軍人。まだ若いが、ルイーズによれば前髪の後退が始まっている。
サー・ジョン・ヘイドン: マージの父で現庶民院議員・金融業者。髪の毛は豊富。




