CCLXXV 叛逆者フィッツウォルター男爵
モーリスの部屋がどこだかわからないが、三階だっただろうか。警備の衛兵に案内してもらえば良いだろう。
「(全然大丈夫じゃない!!)」
先程メアリー王女の部屋で聞いたルイス・リディントンの声が塔の階段まで響いてきたが、なにか揉めているのだろうか。それにしても、声は嫌というほど聞かされたが、まだリディントンと面と向かって会っていないのは不思議な気分だ。
そのまま二階を通過しようとした時、驚くべきものが目に入った。
「屍か!?」
布に覆われたうつ伏せの男の体が床に転がっている。見たことのある体格だ。
「まさかギルドフォードか?」
近くに駆け寄って布を剥ぎ取ると、姿を表したのはやはりヘンリー王子の従者、ヘンリー・ギルドフォードだった。
「ギルドフォード!しっかりしろ!」
「・・・ふひ・・・」
どうやらきちんと生きているようだ。目立った外傷もない。
「なぜこんなところで寝ている。何があったのか。」
「・・・ふい・・・」
駄目だ。言葉が通じない。
こういうことが夕方にもあった。不自然な格好で、不可思議な場所で寝ているスタンリー卿を回収した際も、同じような違和感があった。
「ルイーズ・レミントンにやられたのか?」
「・・・ひ?・・・」
状況の類似性から考えて、東棟に潜伏しているレミントンの毒牙にかかったと見て間違いないだろう。ギルドフォードはレミントンを知らないままやられたのかもしれないが。
もちろん若干の相違点はある。スタンリー卿は仰向けになって穏やかに寝息を立てていたが、ギルドフォードはおぼろげながらもかすかに目を開け、どちらかというと夢見心地の酔っぱらいといったような風体だ。口元もだらしない。
以前にもレミントンに手を出されていたスタンリー卿と違い、抵抗虚しく結局力づくで寝取られたのかもしれない。着衣の乱れは最小限だが。
「ギルドフォード、立てるか?」
「・・・はふ・・・」
言葉になっていないが、ギルドフォードは一応私の呼びかけに反応を見せていた。気の毒ではあるが、実際に魔女の手にかかった男がその後どうなるのかという貴重なデータだ。
「ギルドフォード、いくつか尋ねたいことがある。イエスは首を縦に・・・振れないか。イエスは瞬き一回、ノーは瞬き二回で返事をしてほしい。」
「・・・ひへ・・・」
私がギルドフォードの同意をとっている最中、二人が階段を駆け登ってくる音がした。
「ギルドフォード様を発見した。どなたかが付き添われている。」
ギルドフォードがそこで倒れているのを予め知っていたかのように近づいてきたのは、ゴードン・ロアノークだった。衛兵をもうひとり連れている。考えてみれば、魔女はトマス・ニーヴェットをスタンリー卿の回収に向かわせていた。ロアノークも魔女に手にかかっているのかもしれない。
「ロアノーク、ギルドフォードの身に一体何があったのか?」
何もしらない風を装って尋ねる。
「ラドクリフ様でしたか。私には分かりません、しかし見た所怪我はないようですし、ギルドフォード様も意識があるようですから、幸い大きな問題はないでしょう。」
馬鹿な。普通はこのように謎めいた位置で従者が人間をやめていたら、たとえ怪我はなくともそんな楽天的な回答が帰ってくるはずがない。ましてや明かりも満足でないのに、一見して判断している内容が多すぎる。
ロアノークはやられていると見ていいだろう。昨日のスタンリーやニーヴェットも合わせると、魔女は数日前には裁判にたっていたはずなのに、どれだけ精力的なのだろうか。
「ロアノーク、私は友人としてギルドフォードの身を案じている。私に任せてもらえないだろうか。」
「いえ、我々は二人おりますし、ギルドフォード様を回収するようにとの指令でしたので。」
本来なら面倒が減るのは歓迎すべきことのはずだ。明らかに何かをごまかしている。
「それはヘンリー王子直々の命令か。私よりも高位の者の指令でないなら、持ち帰って交渉して欲しい。ギルドフォードが風邪を引かぬよう、私がここで見守っていよう。」
「いえ、侍従長ウィンスロー男爵の指令です。」
ウィンスローか。やはり魔女とつながっていたようだが、魔女との力関係が気にかかるところだ。しかしウィンスローも寝取っているとしたら、魔女は一体何人の相手をしたというのだろうか。裁判に出た魔女が偽物だった可能性もあるが、国王陛下が魔女を無罪にするまでは派手な動きはとれなかったはずだ。むしろウィンスローやロアノークがヘンリー王子の意を汲んで行動しているだけで、まだ魔女にやられていない可能性もある。
それにしても、こんな怪物を跋扈させるとは、陛下は本当に何を考えているのか。
「侍従長のウィンスロー男爵となると、私は引き下がらざるをえないな。ところでロアノーク、私は以前、魔女裁判で無罪になったルイーズ・レミントンにやられたスタンリー卿の姿を見たことがあるが、今のギルドフォードの状況と酷似しているように思う。魔女を疑うのは不自然だろうか。」
「さあ、私は魔女裁判に注意を払っておりませんでしたので。」
ウィンスロー男爵があれだけ関わっていた裁判にロアノークが注意を払わなかったはずはない。しかし追い詰めるだけの材料がないのは確かだ。
ここで東棟にレミントンがいることを私が知っていると示唆すると、どこかの隠れ家に移動されてしまって不確定要素が増えるかもしれない。
しかし我々では手出しのできない東棟ではなく、どこかに避難させたほうが魔女を攫うには都合が良いだろうし、魔女も自由に男を襲えなくなるはずだった。どの道、中庭の修復中は皆が避難する。私が東棟のどこかに魔女がいると知っていたところで、メリットはあまりない。
「ロアノーク、茶番はやめよう。今、東棟にルイーズ・レミントンがいることは皆が知っている。」
相手の位置がわからなくなるのは問題だが、相手に盤石の守備体勢を準備させてしまった以上、ここは撹乱するのが優先だ。ロアノークやニーヴェットを含め多くの人間を支配下においている東棟から、魔女がでてきてくれれば儲けもの。万が一東棟にこもってしまっても、アーサー王太子に近づくような、派手な行動は自制するだろう。
東棟はヘンリー王子の城だが、正当な理由を持って入り口を突破すればこうして部外者が入れるのだから、魔女は牽制されることを恐れてより注意深くなるだろう。アーサー様はより安全になる。
「そんなはずはありません。ヘンリー王子は御存知の通り女性を寄せ付けませんから。」
「そのとおり、ヘンリー王子が女性に興味がないからこそ成り立つパートナーシップだろう。」
少ないカードを切りすぎただろうか。だがあの口先だけは達者なウィンスローよりは、こういう中間的な役回りの人間の方が与し易い。
「おっしゃっていることが分かりませんが。」
「ロアノーク、アーサー様の安全を守るのが最優先だ。魔女がおとなしくしている限りは手が出せないが、東棟の出口は見張っていると思って欲しい。魔女にも伝えておくように。」
ロアノークの目が少し動揺の色を浮かべるのを、私は見逃さなかった。
そのときだった。
「(んっ・・・だめです!そんなところを触っては!!・・・こんな・・・こんな不健全なことは許されません!)」
モーリス?
声が聞こえた次の瞬間に、私は走り出していた。
「(怖がることはない、モーリス。じっとしているだけでいい。すぐに天国が見えるようになる。)」
今度はヘンリー王子の声だった。
何事か。まさかヘンリー王子の前でルイーズ・レミントンがモーリスに手を出したのか。
ヘンリー王子の部屋に近づくにつれ、声ははっきりとし始めた。
「そんな・・・だめです!・・・あ・・・そんなに擦ったら・・・んっ・・・いけませんっ・・・」
「いけないことなどない。何も考えず、快感に身を委ねるのだ、モーリス。」
嘘だと言って欲しい。
モーリスを救わなければ。本来は私があの場にいるはずだったのだ。私の身代わりを狩って出たモーリスを、悲惨な目に合わせるわけにはいかない。
「・・・あっ・・・そんな場所に入れたら・・・ううっ・・・僕はもう・・・」
私はとっさの勘違いに気づき、廊下に崩れ落ちそうになった。
モーリスに手を出しているのはレミントンではない。ヘンリー王子だ。
「これでモーリスも私達の仲間入りだ。どうだ、耐え難い快感だろう。私とお前に繋がりができたことを嬉しく思う。」
モーリス・・・
『僕が行きますよ、ロバート。』
あのとき、モーリスは困ったように笑っていた。
『しかし、シュールズベリー伯爵から私に直接来た話だ。』
『ロバートがヘンリー王子周辺とうまくやっていけるとは思いません。デメリットが大きすぎると、自分でもわかっているのでしょう。』
私もモーリスが代わると言い始めたとき、一筋の光明が差したように思った。だが、私の身代わりとしてモーリスを生贄にさせることは、騎士としてのプライドが許せなかった。
『それは確かだが、お前のような美少年があの王子のところに行っては確実に狙われる。』
『心配しすぎですよ、ロバート。そういう方々の好みはわかりませんが、ロバートも十分狙われると思います。それに僕はほぼ産まれたときからヘンリー王子と付き合いがあるのです。なにかあったならすでに手を出してくる予兆があったはずです。それに僕は、実はヘンリー王子はとある女性を慕っているのではないかという気がしていますよ。何も根拠はありませんが。』
モーリスは冗談のように軽く笑い飛ばしたが、不安はあっただろう。本来モーリスは希望的観測で判断するような人間ではない。王族とは長い付き合いとはいえ、モーリスとヘンリー王子の折り合いが良くないのは私も知っていた。
『冗談だろう。仮に女性を慕っていたとして、王子がしていることは操を立てるどころか逆に不誠実だ。しかし、万が一あの屈強な王子に迫られたら、モーリスは全く抵抗できないだろう。』
『ロバート、確かにロバートなら力で抵抗できるかもしれません。しかしそれが問題になるのですよ。お父上のことがありましたから、王族にノーと言いづらいでしょうし、断ったときの評判も気にかかるでしょう?僕の方は、はっきり嫌と言うことができますし、強引な王子も野蛮人ではありません。セントジョン家は従兄弟が継ぎますし、王子との仲が多少ギクシャクしても失うものは少ないのです。』
モーリスは私を安心させようとしていた。実際には、王室傍流のセントジョン家としてもモーリスが王室に歯向かわないよう、最深の注意を払っていたと思うが。
『私にとっても、誰にとっても茨の道であることは確かだろう。だがそもそも私に降り掛かった危険な運命を、すこしばかり私より耐性があるからとモーリスが引き受けるのは割に合わないだろう。』
『ロバート、お父上にあったことを考えても、財産の面でも、ロバートの前途は多難です。名門を再建しなければならないというのは、下手をすると一から作り上げることよりも難しいのです。一度傾いた家には負の遺産がありますからね。貴族に関心の薄いヘンリー王子のもとでは、難しいことも多いでしょう。その点、僕は気楽なものです。家族も教会に行くことに反対していませんから。』
男爵家の再興を図っている私には、ヘンリー王子のもとへ行くことは負の側面が大きかったのは確かだった。だからこそモーリスに相談したのだが、まさか代理を買ってでるとは思わなかった。
『モーリス、わかっているのか、私の身代わりを買ってでてくれても、今の私ではなにか相応の対価を保証できない。モーリスを守ることもできるか分からない。』
『ロバート、アーサー様の車列が狙われたときに、馬車が避難する間、ロバートだけが残って殿軍を務めてくれましたね。あれはアーサー様だけでなく、私達従者全員の身代わりとなってくれたのです。友達の役に立つとき、それは身代わりと言い換えても問題ないでしょう。』
モーリスはまた宥めるような淡い笑いを浮かべた。
『あれは私が望んでやったことだ。今回は、私がモーリスに相談したことが、間接的にプレッシャーをかけてしまっているだろう。失うものが少ないというのは、不幸を買って出る理由にはならない。』
『ロバート、助けを頼むことは決して恥ずべきことではないのですよ。ロバートが僕に相談しようがしまいが、きっと僕は喜んで手をあげたでしょう。もちろんアーサー様のお側を離れるのは辛いですし、ヘンリー王子のお世話は気が進みません。でもロバートが孤独になり絶望するのを見るよりは、僕がヘンリー王子のわがままをいなしている方がいいと思ったのです。だから、たまには肩が痛いという僕の愚痴でも聞いてください。それで十分です。』
十分なはずがないだろう。神経質なモーリスが日々不満を溜め込む姿は十分に想像できた。
『しかし、私は友人を踏み台にして一人だけ幸福になるわけにはいかない。』
『ロバートはもう一人ではありませんね。あなたが公爵令嬢と、いえ、好きな方と結婚できて本当に良かったです。いままで苦労してきたロバートは、家族のためにも少しは幸せになるべきなんです。ロバートのプライドからくる自己犠牲に巻き込まれる人が増えたことを、よく考えてください。逆に言えば、ロバートの栄達を喜ぶ人も増えたということです。そこには僕も含まれます。』
モーリスはどうやらもう決心が固いようだった。妙に頑固なところがあるモーリスは、こうして一度決めたらなかなか譲らない。
そうあのとき私は思ったが、今思えばそれは私がモーリスの好意に甘んじる言い訳だっただろうか。
私がモーリスの申し出を固辞していたら、彼は助かっただろうか。
『モーリス、この恩は忘れない。』
『構いませんよ。改めて、結婚おめでとう、ロバート。』
あのとき珍しく心から笑ったモーリスを、今も覚えている。
モーリス・・・
追憶にさまよった後、気づいたら私はヘンリー王子の部屋から遠い場所まで歩いていた。無意識にモーリスの喘ぎ声を聞きたくなかったのかもしれない。もはや戻ってギルドフォードを尋問したいとも思わない。
モーリスにとって、教会が自死を禁じていなければ、自ら命を断ってもおかしくないほどのショックだったろう。モーリスが廃人にならないか、つくづく心配になる。
私にはモーリスのためにできる限りのことをする道義的責任がある。仇討ちをしたいが、相手は王子だ。何ができるだろうか。
自身と配下の魔女を使って、臣下を次々と性的に蹂躙していく王子。
これに忠誠を誓えというのか。
否。
だが、そもそも天涯孤独だった私は、なにかの決行部隊として最適だったが、今不用意に動けばベスや義兄上にも類が及びかねない。血気盛んになることはなく、もっと冷静な手段が必要になる。
この国には、悪王を廃位できる伝統がある。間違った王子から王位継承権を取り上げることも不可能ではないだろう。実際には王位を狙うものが裏にいる、怪しく血なまぐさい廃位が多かったのは確かだが、このヘンリー王子以下の候補はそうはいないだろう。
そもそも、現国王は赤軍派王族の最後の生き残りというだけで、血統の上での継承順位が高いわけではない。ヘンリー王子に深刻な問題があれば、ことさら特別視する理由はない。これはヘンリー王子に肩入れしアーサー様に譲位を迫る勢力が使っていた論理であるから皮肉だが。
そのためにもヘンリー王子に対する水面下の不満を糾合する必要がある。まずは情報を集めよう。協力者を増やした後、ヘンリー王子の横暴をできるだけ公な形で見せつけ、廃嫡にもっていくのが最も現実的なルートだろう。アーサー様も、体だけは丈夫なヘンリー王子の即位を望む勢力から誹謗中傷を受けずに済むようになる。
しかし、こうして二代続けて王族に逆らうとは、やはり血には逆らえないのか。
父上は白軍派のサフォーク公爵が王位を狙ったクーデタに連座して処刑された。公爵は今、低地諸国に亡命しているはずだが、フィリップ大公の訪問で身柄の引き渡しが議題にあがるだろう。
アーサー様にお子様ができないままヘンリー王子が継承権を返上した場合、ジェームズ王子とトマス・ハワード・ジュニアが継承権を争うことが考えられる。そうした中で、男の嫡子がいないサフォーク公爵の存在はバランサーとしても万が一の裁定役としてもプラスではないのか。
父が事実上の身代わりになって死んだからか、会ったこともないサフォーク公爵には複雑な感情を持ってきた。しかし彼が王室の安泰に役割を果たすとすれば、天国の父上も浮かばれるかもしれない。
低地諸国に手紙を送る必要がある。王太子妃の姉上がフィリップ大公に嫁がれているから、周辺がコンタクトを持っているだろうか。さっき避難の課程で怒らせたばかりだが。
いずれにせよ、これからヘンリー王子の暴虐を訴える相手を慎重に見極める必要もある。父上の仇とは言え、国のためにはダドリー議長らアーサー様に近い政治家にも近づく必要がでるかもしれない。
もはや魔女におびえて暮らしている場合ではない。人形ではなく人形師を直接狙うのだ。
我々貴族は王室を守るのが役目。ただし王室も貴族も時代に沿って変わっていかねば取り残される。
横暴な王が廃位された先例はある。私は貴族としての役割を全うするだけだ。
モーリスの犠牲を無駄にしてはならない。
私は決意を新たに、呪われた東棟を後にした。




