CCLXXIV 弟分アンソニー・ウィロビー・ド・ブローク
モーリスはあの女好きのルイス・リディントンに騙されているに違いなかった。だがメアリー王女の間でモーリスと交わした約束を守れなかったのも事実で、その弁明をしなければならない。また、結局取り逃がした魔女ルイーズ・レミントンは東棟に跋扈している恐れがあり、モーリスの無事を確認しないわけにはいかない。いずれにしろ、早急にコンタクトを取る必要があった。
モーリスはあの後迅速に王太子妃への報告を終えていたようで、東棟に向かったと思われた。モーリスに用があると言えば、男の私が東棟に入ることを邪魔する者はいないだろう。
未だに怪しげな煙を上げる中庭を通過すると、私は南棟と東棟をつなぐ塔の入り口から屋内に入った。
凄まじい勢いで階段を駆け下りてくる小柄な影とすれ違う。
「何者だ!?アンソニーか?」
「え、その声はロバートなのか?何しに来たんだ?」
よく見ると、見覚えのある黄金色の髪がベレー帽の下から覗いている。
「私はモーリスに会いに来た。アンソニーこそ、ここで何をしている。そんなに慌ててどこへ行くのか。」
「えっと、詳しくは言えないけど、その、気持ちよくしてもらってたんだ。でもなんか機嫌が悪くなってみたいで、鳥の羽で恐ろしいことをされそうになった。」
暗い階段でも分かるくらい赤くなり、ついで青くなったアンソニー。鳥の羽をどう使えば恐ろしいと言うのだろうか。
それにしても、フィッツジェラルドはアンソニーに捨てられたのか。東棟から出てきた時点で、アンソニーが気持ちよくなっていた相手は同性とみて間違いないが、それでもあの島男でないという一点において正しい方向への一歩だと言える。
「・・・詮索はしないが、脅されたりしていないんだな?強引に迫られたり、不本意なことはないな?それだけが心配だ。」
「うん、まあ、そんな感じだ。」
歯切れの悪いアンソニーから帰ってきたのは、不安の残る回答だった。
「辛かったら私に言ってくれて構わない。フィッツジェラルドには何も言わないから安心しろ。」
「辛いことはないぞ。でもありがとな。ジェラルドかあ。ジェラルドはなんだか全部知っているみたいなことを言っていたけど。」
アンソニーの美点は多いが、浮気を隠すことは全く得意ではないだろう。あの鈍感なフィッツジェラルドでもアンソニーを問い詰め始めるかもしれない。
「私もアンソニーが一人の女性と落ち着いてほしいと願ってはいるが、もしフィッツジェラルドが逆上して乱暴してきたら私を頼るといい。ベスと我が家で匿ってやる。」
痴話喧嘩に巻き込まれるのは御免だが、アンソニーを横暴な島男から助けてやりたいという気持ちは本物だ。なぜかアンソニーだけが謹慎になる前、二人は同室だったはずで、逃げ場がないと悲惨に違いない。新婚の私達としてはプライバシーも欲しいが、いかんせん友情は大事だ。
「うん?よくわからないけど、ロバートの家は一回お邪魔してみたいな。でもロバートの性格からいってすごい質素そうだな。」
見るからに上等な格好をしているアンソニーを見ると、質実剛健な我が家に誘うのも気が引けたが、アンソニーは身だしなみにあまりコストをかけられない私を一度も見下したことはなかった。
この天真爛漫として夢を追う騎士に似合う、しっかりした女性を紹介したかったが、まさか島男に手をだされてしまうとは・・・
「贅沢は性に合わないが、アンソニーがいるだけで場も華やぐだろう。ベスもたまには客人がいたほうが楽しかろうと思う。遠慮なく訪れて欲しい。それにしても、こうして話すのも久しぶりな気がするな。」
考えてみれば、私が新婚旅行から帰った時期とアンソニーがフィッツジェラルドに手を出された時期はほぼ重なる。その後アンソニーはダドリー議長の命で謹慎に入っていたので、食卓を共にしたこともほとんどなかった。
「そうだな、そのまま俺が新大陸に行っていたら、ロバートの家を見ることもなかっただろうな。」
「新大陸か?本気で行くつもりだったのか?」
新大陸は気候こそ悪くないようだが、我々に免疫のない病気も蔓延しているらしく、現地の住民との諍いもあり、この国の植民団は成功していなかった。南の国はすでにいくつもの植民地を持っているらしいが。
「俺には領地が残っていなかったからな。新大陸の広大な土地を開拓するのは憧れだった。」
「無茶を言うな。勇気と強さだけではどうにもならない場所だ。ご家族も反対しただろう。」
未知の要素が多い新大陸で成功と失敗を分けるのは、結局は運だろう。せっかくのアンソニーの才能をそんなギャンブルで失ってはならない。
「うん、結局はやめたんだ。詳しくは言えないけど、連れていきたい女の人がいて、その人が首を縦に振ってくれなかったから。」
「女?」
「ああ、たぶん。」
光明が差した気がした。
「そうか・・・いい心がけだ、アンソニー。新大陸につれていきたいほどの純愛か。そしてきちんと相手の話がきけるとは、それでこそ素直なアンソニーだ。」
アンソニーは芯があるが、頑固というわけではない。状況に適応し、相手の懐に取り入る才を持っている。
そんなアンソニーが一人の女性を愛しているようであることに、そしてすでに進路の相談をするほど心を開いていることに、私は心を打たれた。
「いいか、アンソニー。私も新大陸行きには反対だが、その女性とアンソニーが一緒になることには協力しよう。もちろん無理強いはするべきではないが。」
あの忌々しい島男によって狂わされたアンソニーの進む道を、もう一度軌道修正できるかもしれない。それはもちろんアンソニー次第だが、私も微力ながら手伝いをしたい。
「そっか、ありがとなロバート。ちょっと事情があってその人の細かいことは説明できないんだけど、頼みたいことがあったら、遠慮なく頼むことにする。」
「任せて欲しい。約束は・・・守る。」
ふと私はモーリスとの約束を守れなかったことに思い当たった。
「すまないアンソニー。積もる話はあるのだが、私は至急モーリスと話さねばならないことがある。今は行かないといけない。」
「ああ、俺もアーサー様のところに頑張って復帰しようと思うんだ。そうしたら記念にいいチーズでも食べような。ロバートの家に行くのも楽しみにしてる。」
アンソニーは私に手をふると、中庭に飛び出していった。
モーリスとの問答を想定してやや気が重かった私は、少し肩の荷が降りたような気がして、軽快に塔の階段を登った。