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CCLXXII 騎士ヘンリー王子


ドアが開いてまず目に入るのは、私達を見下ろす例の鹿の剥製。真鍮のシャンデリラにはすごい数のロウソクが置かれていて、部屋に所狭しと置かれる壺や花瓶や骨董家具を明るく照らしている。


タペストリーの豪華絢爛な壁掛けなんかは燃えやすそうだけど、さっきの火事の教訓を学んでいない気がするのは気のせいかしら。


「リディントン、よく来てくれた。」


見覚えのある赤い革張りのソファに座ったヘンリー王子が、奥から声をかけた。


「もったいなきお言葉で・・・殿下、そのご格好は?」


一瞬派手なソファと一体化しているように見えたけど、よく見ると王子はすごい格好をしていた。


ダークレッドのガウンのようなものに身を包んではいるけど、かなり大きなV字から立派な胸筋が覗いている。ゆったりしたガウンを着ているのにむしろ体格が強調されていて、この姿でもやっぱり肩幅が広い。いつの間にかお風呂に入ったみたいで、燃えるようなレッドゴールドの髪は少し乱暴に掻き上げられたまま、まだ少し湿っているように見えた。相変わらず張りのいい肌をしている。ローブが長いせいか足は隠れているけど、引き締まった足がガウンの上からでも分かる。平和のためにも下になにか履いてくれていると信じたい。


とりあえず、未成年は見てはいけないやつだと思う。フェロモンがすごい。昼にちらっと見えた素肌のほうがむしろ健全だった気がする。


「ああ、楽な格好で済まない。リディントンが治療しやすいようにと思ったのだが、裸が逆効果だとは思っていなかった。」


「殿下、いくら部下の聖・・・リディントン君を迎えるとしても、見苦しくない格好をするという、人間として最低限の礼節があるのではないでしょうか。」


モーリス君はヘンリー王子のレディーキラーな格好に気分を害したみたいだった。


「モーリス、もちろん私はリディントンに治療をお願いする身であり、それなりの礼節は踏まえたいが、そんな服を治療のためにリディントンの前で脱ぎだしても時間を浪費するだけだろう。そもそも華麗な服を着るのは、謙虚に願いを乞うときではない。アッシジの聖人フランシスコは日頃質素な布一枚の姿だったが、それは通り掛かる人々にとって失礼だっただろうか。いや、そんなことはないだろう。古代の行政官や神官も大きな布一枚の姿だったという。それは果たして」


「殿下、モーリス君も私も驚いてしまっただけで、殿下のご格好が私の手間を考えていただいた上でのものであること、大変ありがたく存じます。」


王族の話を遮るのはかなり失礼に当たる。でも前にも遮ったけど多分ヘンリー王子なら怒らなかったし、日頃から遮られていると思う。


「わかってくれたか。さてリディントン、夕方の火事を鎮火したのは実に見事だった。リディントンのおかげで助かった命は多く、王族を代表して改めて礼を言わせて欲しい。私は心を動かされた。バス騎士への推薦がきまったこと、心より嬉しく思っている。」


「もったいないお言葉でございます。」


ヘンリー王子はつぶらな瞳を感動したように輝かせていた。火事現場では王子を見かけなかったと思うけど、誰かから報告がいったのかもしれない。


「さて、騎士への叙任に先立って、沐浴の儀式がある。身を清めながら先輩から騎士の心得を学ぶ、重要な儀式だ。」


「はい、誉れ高いガーター騎士団のメンバーである、ハーバート男爵にお願いすることになりました。」


名目上ね。入浴シーンをおじさんに見られるなんて冗談じゃない。


「ハーバートか。確かに立派な騎士ではある。ところで、私もガーター騎士団のメンバーなのは知っていたか。」


「いいえ、存じ上げませんでした。不学をお詫び申し上げます。」


最近は反乱のニュースもないし、ヘンリー王子が従軍したとは思えないから、多分名誉職的なものだとは思うけど。


「私に実戦経験はないが、しかし騎士団における馬上槍試合では無敗を誇っている。」


リアルテニスと同じで周りが気を遣っているだけだったりして。体格から考えて、強いのは本当だと思うけど。


「それはすばらしい。ご立派だと思います。」


「そこでなのだが、同じ年齢で先輩ぶるのも変な話ではあるが、私も騎士の心得を常日頃実践していると身として、それを新任の者に伝え聞かせることもやぶさかでないと思う。」


さっきから雲行きが怪しかったけど、警戒警報発令。


「殿下がいずれ後輩騎士に心得を説いたとしたら、それはすばらしいことだと思います。ところで、ハーバート男爵の爵位は奥様のものと聞いています。私は庶民の出身なので、貴族嫡流の生まれでもないのに最高位の騎士に上り詰めたハーバート男爵の訓戒を聞けることを、心より楽しみにしております。同じような境遇からスタートする者として、大変参考になるかと思います。」


追い込まれる前に先手を打つ。


「しかし、王族騎士が直々に訓戒を与える、というのは栄誉なことだと思うが。またハーバート男爵と比べて、今後私と過ごす時間のほうが長いだろう。」


「殿下、私はまだひよっこに過ぎないわけですから、殿下が私に特別に目をおかけになると、いろいろなやっかみがあるでしょう。僻む者もあれば、逆に身内贔屓だと殿下の評価を貶めようとする者まで現れるかもしれません。私はそれに耐えられません。」


目線でSOSをモーリス君に送る。そろそろ話題を変えたい。


「リディントンは騎士になるのだから、そのような風評被害を気にする必要はない。心身ともに強くあらねばならないのだ。」


「騎士はヘンリー王子殿下を始めとする王族に忠誠を誓うものかと思います。そんな殿下の名誉に傷つく可能性は、可能な限り排除したいと思っております。」


殿下のためアピールを必死で続ける。男爵もチラッと見るけど援軍はくれそうにない。


「私は贔屓が激しいと言う者が多いのは知っている。しかし、私のために働いてくれた者に報おうとすることに、私は間違いを認めない。更に今回はリディントンの功績は誰の目にも明白で、親しい私が先輩騎士の役に就きたがることも不自然ではないだろう。それでも私を批判する者は、放っておけば良い。」


私は追い込まれつつあった。


「恐れながら・・・」


ようやくモーリス君が参戦してくれた。


「殿下のために働いた者、といえば、明日はケルノウの領地代官との会合が予定され、さらにマウントジョイ男爵による数学のご進講が予定されています。いずれも先方が宮殿を訪れる都合上、今の段階で変更は効きません。殿下が王族としての仕事を、責任を持って遂行される限り、明日予定されているリディントン君の儀式に立ち会うことは難しいと思います。」


スケジュールで攻めるのね。いい選択だと思う。日頃からヘンリー王子に振り回されているモーリス君の哀愁を感じる作戦。


「モーリス、代官との会合や数学の授業は今後も幾度となくあるだろうが、リディントンがバス騎士を授爵するのはこれきりだ。どちらを優先すべきか、自明だ。」


「殿下、リディントン君に訓戒を述べる先輩騎士が先約を守れないとしたら、彼の説く心得は説得力に欠けるでしょう。」


モーリス君はヘンリー王子との論戦を優勢に進めているように見えたから、私は少し気を抜いていた。


「リディントン!」


「はい!?」


急に部屋にヘンリー王子のテノールが響き渡って、私は慌てた。


「本当はリディントンから頼んでほしいと思っていたことは否定できないが、誠心誠意、直接お願いするとしよう。リディントンの先輩騎士として、沐浴の間訓戒を説く栄誉を、私に与えてくれないだろうか。」


とうとう直接頼まれちゃった。モーリス君はスルーされて憮然としているけど、そんな表情も美しかった。


「・・・私にはもったいなさすぎることで」


「遠慮する必要はない。」


遠慮じゃないけど。


「・・・代官の方に会われる方が重要かと。」


「それは私が決めるから問題ない。」


大いに問題だけど。


「・・・持ち帰って検討させて頂いても」


「儀式は明日だ。今決めて欲しい。」


ノーって言っていいのかしら。ヘンリー王子の人柄だとノーって言っても処分はされないだろうけど、それ以前にノーをノーと認めてくれない気がしていた。




なんでそこまでして入浴中の後輩にお説教したいのかしら。意味がわからない。




でもなんとなくヘンリー王子がやりたがりそう。


「(助けて、男爵。)」


うつむいたまま男爵とモーリス君にだけ聞こえる声でつぶやいた。モーリス君の論理攻撃はスルーされてしまったから、男爵がごまかしてくれることに賭けるしかない。


「(大丈夫だよ、ルイス。なんとか上半身しか見えないようにするから。)」


「全然大丈夫じゃない!!!!!!!」


私が思わず男爵に言い返すと、男爵がとっさに耳を抑えて飛び退いた。


「一体どうしたのだ、リディントン!?」


ヘンリー王子が当惑した声で私に声をかける。


「すみません、難しい判断を迫られて錯乱してしまいました。やはり殿下に訓戒をいただくには私は修行不足かと・・・どうしたの、モーリス君!?」


気がつくと、隣でモーリス君が耳を抑えてうつむいていた。顔色が良くない気がする。


「リヴァートン、お前、馬鹿なの?」


コンプトン先輩の失礼なコメントが部屋に響いた。


私はモーリス君の背中を擦りながら、体調の悪くなったモーリス君を休ませる口実で、付き添って退出できないかと戦略を練った。


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