CCLXIX 画伯モーリス・セントジョン
*注 基本的にみんなでリディントン家の家紋を考えているので、この章はさらっと読み流していただいても大丈夫です。
私の身の振り方を巡ってしばらくみんなでわめいていたけど、結局一番強引だったのは男爵だった。
「ルイス、儀式の詳細は置いておいて、まずはリディントン家の家紋を考える必要があるよ。騎士団のリストにも入るし、任命式の装飾に間に合うように旗と盾を準備しないといけないからね。」
「男爵、なし崩しで入浴させようと思っていないわよね?」
男爵はさっきからごまかしが多かった。
「いや、入浴は正直駄目だろうと思っていたけど、一応ふっかけてみただけだから心配ないよ。安心していい。」
「全然安心できる要素がないんだけど。」
男爵は呆れる私をスルーして、懐から紙と羽ペンを取り出した。とりあえず本気で覗くつもりじゃないみたいだから良かったけど。
「紋章の細部、ヘルメットや飾りの部分は階級で決まるから、中央の意匠と配色だけ決めてしまおうか。こだわりはあるかい?」
いきなり家紋を考えろと言われても、とくに意見があるわけでもないのよね。
「そうね、レミントン家は白地に緑の熊、上から青い楔が入っていて閉じ込められているみたいだけど、そこまで愛着があるわけでもないし、あんまりこだわりはないわ。」
「聖女様、熊は強さの上に治療のシンボルでもありますし、楔は保護という意味があります。きっと聖女様の実家の紋章が聖女様のお力にちなむものだったことは、何かの運命なのでしょう。」
モーリス君がしみじみと語っているけど、私は熊にも意味があったと知ってびっくりした。たぶん『熊谷』みたいな感じで、熊が出る土地にご先祖様が住んでいたと思っていたけど。
「そうなのね。でもどうせ一代限りだし、私は可愛いやつがいいわ。犬とか猫でいいじゃない。そういえば、犬も猫もあんまり紋章で見かけないわね。」
「ルイス、猫は自由、犬は従順のシンボルだからね。王室に仕える騎士の身であれば、気まぐれな猫は紋章に使いづらい。一方でプライドの高い名家であれば犬をシンボルにするのも屈辱的なんだよ。」
「ややこしいのね。」
男爵は紋章に詳しいみたいだけど、まったく逆の理由で犬も猫もタブーだったのはちょっとおもしろかった。確かに『国王の犬!』とか言われるのは嫌だと思うけど。
「聖女様、猫よりも勇気を示すライオン、犬なら武勇のシンボルである狼を使うべきかと。同じ系統では鷲なども人気があります。」
「どれも私には勇ましすぎるわ。お母様の実家は鷲だけど。そういえば王室の紋章はライオン三匹よね。でも犬や猫が駄目なのに、マージのところはカラスだった気がするわ。あんまり強そうじゃないけど。」
「そうね、そういえばうちは青と白のボーダー柄で、左上の四角にカラスよ。意味は考えたこともなかったけど。」
うちやマージの家は貴族と違ってあんまり紋章にこだわりがないと思う。馬車とかには紋章がはいっているけど、アピールされるのは結婚式くらいかしら。従軍するわけじゃないから、盾も旗も使わないのよね。
「鳥は家族愛を象徴するので、紋章としても人気があります。僕の同僚のグリフィスも紫のカラス3羽に黒い楔が家紋ですね。」
「そうだね、ルイス、もし勇ましくないインテリジェントな感じを出したいのであれば、知識の象徴であるカラスは悪くないよ。他には蛇が知恵、フクロウは用心、カタツムリは熟考のシンボルだね。ちなみに紫は染料が高価だからできるだけ避けてほしい。」
家紋もいろいろな要素で決まるのね。染料のことは考えたこともなかった。
「カラスは個人的にあまりすきじゃないし、カタツムリは弱そうだわ。熟考と言うより鈍重な感じがするじゃない。その中ではフクロウかしら。他にないの?スタンリー卿のところは鹿だったかしら。」
「はい聖女様、鹿は平和、狐は機転、馬は俊敏、ロバは忍耐、ヤギは外交、リスは倹約、ハチは勤勉、魚は商売を象徴します。」
割とイメージ通りで面白かった。リスが倹約って、多分どんぐりを埋めるからだと思うけど、埋めて忘れちゃうのは別にいいのかしら。あと、魚だけ多分生きていないのがちょっとかわいそう。
「狐はなんとなくせせこましいイメージがあるのよね。リスが一番かわいいけど、やっぱり選ぶならフクロウかしらね。夜行性な感じがするけど。」
「聖女様、なにも生き物にこだわる必要はありません。羽は静穏、花は希望、果物は幸福、鍵は加護、錨は救い、城や柱は安全と安定、ロウソクや星は神聖のシンボルです。ちなみに僕の家の紋章は、赤と白の横二色で、赤い部分に黄色い星が二つです。こちらに。」
モーリス君がペンダントみたいなものを取り出して、セントジョン家の紋章をみせてくれた。あんまりかっこよくもかわいくもなかったけど、そう言うと落ち込んじゃいそうだから黙っておこうと思う。
「ありがとうモーリス君。花が咲くとか、果物が実るっていうのは確かにいい意味ね。なんだか子供の名前をつけるみたいで楽しいわ。」
「長男の名前はエドワードで決まりだよ、ルイス。」
「男爵は黙っていて。男爵、ちょっと紙と羽ペンを貸して。」
現世の紙も羽ペンもチョークと違ってイラストには向かないのだけど、レイアウトぐらいは考えてみたいと思った。
「絵がかけるのかい、ルイス。」
「男爵の似顔絵を描いてあげたの、覚えていないの?・・・あれはスザンナにあげたんだっけ。とりあえず、盾のフレームにりんごを描いても、なんだか間が抜けてしまうわね。逆三角形に3つ配置しても違和感があるわ。やっぱり花がいいかもしれない。バラ、百合、チューリップ、アイリス・・・」
「聖女様、百合は東の国のシンボルですね。あと、バラはこの国の象徴でもあります。」
モーリス君は意匠に詳しそうだった。部屋が地味だったから、デザインに興味があるとは思わなかったけど、上流階級の人はみんな分かるのかもしれない。
「そういえば男爵の家紋はどういうやつなの?」
「ウィンスロー男爵家の家紋は、黄色に赤いた(ベ)す(ン)き(ド)、たすきの中に白のダイヤが数珠繋がりになるよ。」
もっと渋いやつをイメージしていたから意外だった。
「ふうん、いつも黒服なのにかなり派手な家紋なのね。ちなみにダイヤの意味は?」
「ダイヤは『正直』を表しているかな。私にぴったりだよね。」
これほど家紋があっていない人は珍しいと思う。ことごとく男爵自身と正反対。
「・・・よく真顔で話せるわね。あいかわらずちょっとニヤついているけど。えっと、気を取り直して、青いアイリスにしようと思うわ。シンプルだけど、フクロウよりかわいいし、花言葉は『メッセージ』だったかしら・・・」
そういえば、フィッツジェラルドの送ってきた警告の花束にアイリスが入っていた気がする。ちょっと気が進まなくなってきた。
「待ってルイーズ、しおらしいアイリスなんてルイーズらしくないわ。もっとこう詭弁を弄する感じがあなたらしいと思うの。」
「マージ、さっきから私の味方はしてくれないし、私のことをバカチキンって呼ぶし、もうはるばる嫌がらせにきたとしか思えないわ。」
マージは多分露出狂騒動で気が立っていると思うけど、レミントン家の稼業をもうちょっと尊敬してほしいと前から思っている。
「モーリス様、もう少しルイーズらしい意匠はありませんか。片っ端から相手を論破しそうなものです。」
「僕としては、状況を鑑みても、神の加護を表す鍵をおすすめしたいのですが・・・聖女様のお人柄にちなみますと、宣誓する右手が信頼、天秤は公平、人魚は雄弁、ハートは誠実、ユニコーンは純潔、白鳥は美、ハープは冷静の象徴ですね。」
モーリス君の中で私は意外にも冷静なキャラクターだったらしい。
「モーリス様、悪い女に騙されるタイプでいらっしゃいますね。」
「だまってマージ。ねえ男爵、人魚に天秤を持たせたらどうかしら。人魚と鏡とか人魚と剣はみたことがあるけど、組み合わせもオリジナルだと思うわ。」
雄弁と公平って組み合わせは弁護士らしくていい気がする。右手もそれっぽいけどデザイン的にパス。
「ルイス、あれだけ全裸を忌み嫌っておいて、家紋はでこれみよがしに裸をみせるのかい。」
「そんなつもりはありません!天女の羽衣みたいなのを着てもらうわ。あと、人魚姫みたいに座ってもらって・・・」
人魚ってけっこう体勢が難しい。みたことのあるやつだと大体Jを反転させた「し」の字の姿勢をしているけど。
「駄目だよルイス、人魚はただでさえ描くのは大変なのに、スタンダードな裸の人魚じゃないとなると、今夜工房に頼んでも明後日に間に合わない。人魚はサポーターにしていいから、もっとシンプルな意匠を中央にもってきてほしい。」
サポーターは正式な紋章で中央の盾を両脇で支える何かで、普段はよく省略される。
「しょうがないわね。じゃあ天秤で。でも天秤ってあんまり盾の形と相性が良くないきがするわ。」
「聖女様、天秤の中央部分を、ほかのものと組み合わせる例があります。そうするとバランスが良くなるかもしれません。例えば下向きの剣はどうでしょう。少し羽ペンを貸してもらえますか。」
モーリス君は羽ペンを手にすると、豪華な天秤と、中央に格好いい剣を描いた。絵が上手。
「モーリス君、すごいわね。デザインのセンスがあるんじゃないかしら。」
実家の紋章はぱっとしないのに、モーリス君の描いた意匠は綺麗だった。かわいくはないけど、天秤だけよりもバランスがいい気がする。
「お褒めいただいて嬉しいです。」
照れるモーリス君は見目麗しかった。
「オリジナリティを出したいから、じゃあ剣の持ち手は花風の装飾を入れておきましょう。想定より勇ましくなっちゃったし、やっぱりフクロウを載っけようかしら。」
「欲張り過ぎだよ、ルイス。遠目で見ると聖ヤコブ十字みたいにみえるけど、まあ剣に花の意匠を加えるくらいならいいんじゃないかな。配色はどうする?」
天秤の竿と剣がクロスしているから、十字に見えないこともないと思う。お皿がぶら下がっているけど。
「そうね、色は紺色の地に金かしら。」
「紺は駄目だよ、ルイス。そもそも紋章は遠くからの識別が目的だから、配色に使える色は限られているからね。オレンジや紺、臙脂といったはっきりしない色は使えない。青と金でいいかな。」
さっきからややこしい。別に戦場にでるわけでもないから、いいと思うんだけど。
「そうなの?青と金はちょっと主張が強すぎるかしら。青地に銀でお願い。花は白い百合で。」
結局人魚もリスも登場しないから、色もあってなんだか無機質な紋章になっちゃったかもしれない。アイリスはなんとなくやめた。
「わかった。天秤も剣も花も形としてはスタンダードだから、明後日までに盾と旗を用意できると思うよ。後は急がなくてもいいけど、一応はサポーターとモットーを用意しておこうか。」
「サポーターは人魚でしょ。裸にされないようにデザインを指定しておくわね。」
モーリス君の描いてくれた家紋の周りに人魚を描き込んでいく。少数派だけど男の人魚が使われることもあるから、指定は大事よね。
「ルイス、美しい人魚だけど、ルイスの家紋のサポーターにしては胸がありすぎる気がするね。」
「男爵、さっきの鞭、回収してくれた?」
覗き込んでいた男爵は素早く二、三歩後ろにさがった。
「やっぱりすばらしい人魚だ、何も異論はないよ。モットーはどうする?」
「そうね、レミントン家は家訓なんてなかったし・・・」
貴族とか一部の武家はモットーがあるみたいで、家紋の下に古典語で書き込まれるけど、うちみたいな普通の家は柄だけしか決まっていない場合が多いと思う。
「叙勲されてから家訓を設置することも多いからね、騎士になるこの機会にルイスが考案したことにしていいよ。」
「じゃあ、『今すぐ生き始め、毎日を別個の人生として生きよ』でお願い。」
要は『毎日を充実させたい!』という雰囲気のある、お気に入りの格言を言ってみたけど、男爵は苦笑いで肩をすくめた。
「猫と同じで、騎士にしては気まぐれだね。他に案はないのかな?」
「男爵の家はどうなの?」
男爵はさっきから注文が多かった。選択肢がかなり多いからそこまで困りはしないけど。
「うちのモットーは、『愚者が最後に行うことを、賢者はまっさきに行う』だよ。」
「なるほどね、家紋と違って、家訓の方は見切り発車の多い男爵にぴったりね。」
男爵が色々準備不足なのは家訓のせいではないことを願うけど。
「でも今回はちゃんとじっくり家紋を作っているよね?」
「時間制限で人魚がだめになったから、全然じっくりじゃないけど。じゃあ、家紋が法律寄りになってマッサージの要素が入っていないし、家訓は『治さんと願うは治ることの鍵なり』でお願いするわ。ヘンリー王子の保健担当としてちょうどいいでしょう?」
考えてみれば宣誓する右手はマッサージ的にもありだったと思うけど、どうしてもデザインが好きになれない。
「よし、完成だね。セントジョン、色の指定がわかるように柄を入れてくれないかな。」
「・・・わかりました。」
モーリス君はやっぱり男爵の指示を受けるのはあまり気が進まないみたいだったけど、3人で描いた絵に丁寧に柄を描き込んでくれた。白黒で活版印刷したときのために、それぞれの色に対応する柄があるみたい。
「よし、スザンナ、これを南棟のハーバート男爵のところまで持っていってほしい。明日の早朝には工房で作業を始めてもらうよう頼んでくれないかな。」
「わかった!行ってくるね男爵様!」
スザンナが駆け出していく。なんとなく一仕事を終えた気分になった私は、ちょっとした満足感を噛み締めた。
没になった人魚と天秤のデザインはリヴィングストン家の紋章にしようと思う。多分使わないけど。




