CCLXVIII ガーター騎士ハーバート男爵
例の秘密の扉から現れたフランシス君が後ろに来たのを確認すると、男爵は私達を見回した。椅子でリラックスしているアンソニー以外のみんなが丸テーブルの周りに集まっている。マージがこの場にいるのは、男爵としてはいいのかしら。
「さてルイス、叙任の件はハーバート男爵のアイデアなんだが、説明は少し長くなるね。いいかい、まずハーバート男爵が、ルイーズ・レミントンが新大陸植民団にされそうになっているとの情報を手に入れた。」
「聖女様が!?そんな、なぜ!?」
モーリス君は顔を蒼白にして動揺しているけど、あとのメンバーはさっきのアンソニーと私のやり取りを見ていたからか冷静だった。
フランシス君は目を大きくしたけど、無表情でないにしろなんとなく感情が読みづらいのよね。
「それは私もさっきアンソニーから聞いたわ。どうやら一緒に行きたいっていうアンソニーのリクエストだったらしいけれど。」
主犯のアンソニーに冷たい視線を送ったけど、本人はとうとう『うひ』とも言わなくなって、気持ちよさそうに寝息を立て始めていた。
「でも男爵、自由人が新大陸送りになるなんて、この国の法律が許さないわ。強引にそんなことを命じたらダドリー議長は失脚するに違いないもの。」
「そうです、聖女様!そもそも無罪が確定した女性を拘束するような権限は議長にはありません。」
「甘いよ、ルイス、セントジョン。スタンリーが君の修道院入りを妨害したせいで、今ルイーズ・レミントンは裁判が終わって王都滞在中の一少女に過ぎないね。実質的に行方不明と一緒だ。『盗賊』にさらわれてもおかしくないし、君だったらその『盗賊』を誰が雇うか大体想像がつくよね。でも裁判になったら誰が誰を雇ったのかはきっと表にでない。」
ダドリー議長って脱税する人を追い詰めているイメージはあったけど、そこまで汚れた仕事もするのかしら。
「でも大法官のウォーラム様は私の事情を知っているわけだし、いくら盗賊が攫ったことにしようと、結局は植民団の人事に関わっているダドリー議長が追及されるのは避けられないわ。」
「たとえば暗殺であればさすがにダドリー議長は失脚するだろうけど、『部下の手違いで誤って』ルイーズ・レミントンが新大陸に送られたなら、レミントン家に謝罪するくらいで幕引きを図ろうとするんじゃないかな。」
男爵が淡々と『暗殺』という言葉を使ったことに、すこし背筋が寒くなった。実感は湧かないけど、スタンリー卿のお父様の事件をうちのお父様が担当したから、現世で『暗殺』と完全に縁がなかったわけじゃない。
モーリス君が気遣うように私の表情を伺うのがわかった。
「ウィンスロー男爵、どうか間接的に聖女様を脅すような表現を使われないよう。」
「ありがとう、モーリス君。私は大丈夫。それに増税のせいでダドリー議長は政敵が多いって聞くから、そんな簡単に行かないと思うけど。万が一狙われても、探検隊が出港するまでルイス・リディントンでいればいいんでしょう?」
「不用意な事を言って悪かったね。だけど、その意味ではルイス・リディントンも軽量級だよ。鎮火で名を上げヘンリー王子にも気に入られているとは言え、庶民出身の新人の従者が一人失踪しても、王子が心配して捜査を命じるくらいだよね。鎮火に関わった皆が疑問に思うには違いないにせよ、宮殿の外まで響くスキャンダルにはならない。」
「宮殿のみんなが騒ぐだけで十分だと思うけど?それに騎士になってもタイトルがもらえるだけで状況は変わらないわ。」
お父様は庶民院議員の時代に『サー・』ニコラス・レミントンになったから、領地がもらえるのかと思ったけど、基本的に騎士は名誉称号で無給らしくて、結局呼び名以外は変わらなかったのを覚えている。
「宮殿の去り方が不自然であれば、騒ぎにもなるかもしれないね。でもややこしいことに、そこにルイスの例の婚約が絡んでくる。騎士叙任が重要なのはそのせいでもあるよ。」
「婚約?」
今度は珍しくフランシス君が喋った。
「フランシス、ルイスは女性のエリザベス・グレイ嬢になぜか魔法を使ってしまい、そのまま婚約する羽目になったんだよ。」
「聖女様、僕がお役にたてなかったばかりに・・・」
「マッサージをしたのは腰を治すためだったし、そもそも魔法じゃないし、婚約は破棄できるから大丈夫。モーリス君はそんなに気にしないで。」
さっきは置いていったモーリス君をちょっと根に持っていたけど、悪意はなかったと思うからそんなにシュンとしないでほしい。見た目が良すぎるからシュンとしても映えるけど。
「そうもいかないんだよ、ルイス。エリザベス・グレイ嬢はメアリー王女殿下の輿入れに伴う、東の国への随行要員に決定している。男性の随行要員は成り手不足に悩んでいるからね。婚約者のルイスは当然『強く要請』されるよ。」
「『要請』でしょう?当然断るけど?私、軍人でも役人でもないし。でも、そういう事情があったってことは、モーリス君の友達は私をお払い箱にしようとあんな証言をしたのかしら。」
そういえばエリーのバックグラウンドをあまり知らないまま婚約しちゃったけれど、婚約の契約で発生する義務がそもそも少なかったから、そんなに縛られないと思う。
ただ追放を狙って虚偽の証言をしていたとすると、なんとか男爵はかなりの策士か、あるいは私を追い出す大きな計画の末端にいるか、どちらかだと思う。
「申し訳ありません、聖女様。ロバートはそんな悪巧みに加担するような人間ではないのですが、ひょっとすると彼自身の思惑があるのかもしれません。僕が今度それとなく聞いてみます。」
「ルイス、婚約を軽視しているようだけど、君はギルドフォード夫人の恐ろしさを知らないね。まあ断れるかどうかとは別として、我々としてはルイス・リディントンが宮殿から退去してもおかしくない状況がつくられる、ということは非常に都合が悪い。」
そう言われてみると、『結局断れずに東の国にいってしまった』、と『失踪した』はあまり変わらないかもしれない。そんな頻繁に東の国と交流があるわけでもないし。
「でもそういう言い訳みたいな事情だったら、いろいろでっちあげられると思うけど?騎士になると何が変わるの?サーって呼ばれるだけでしょう?」
「それにはまず騎士の種類の説明が必要だね。この国の騎士はガーター騎士、バス騎士、バネレット騎士、バチュラー騎士の4つ。ルイスのお父様や母方のお祖父様のような、一定の貢献をした政治家に与えられるのはバチュラー騎士、戦場で武勇を示した兵士にその場で与えられるのがバネレット騎士だね。この二つは数も多いし、儀式自体は合同で短いものだから、軍や政府の皆が覚えているわけではないよ。」
たしかにレミントン家とノリッジの社交界にとっては一大イベントだったけど、国中がお父様を祝ったわけじゃないと思う。
「一方で、バス騎士と騎士たちの互選が必要なガーター騎士は、儀式も大規模な上に、騎士団に所属することになる。平和な時代だから年次総会に出るくらいしか活動はないだろうけど、簡単に新大陸や東の国に送られるような存在ではなくなるよ。」
とりあえず男爵のモチベーションは理解したと思う。ルイス・リディントンが目立つほど、手出ししづらくなるとのパターンね。
でも、ルイス・リディントンとルイーズ・レミントンが同一人物だって、どこまで知られているのかはっきりしないと、このまま余計な心配ばかり増えていくような気がする。ダドリー議長が狙っているのはルイーズ・レミントンで、フィッツジェラルドが警告の花束を渡してきたのはルイザ・リヴィングストンだったから、少なくとも今まではルイス・リディントンが狙われた形跡はないと思う。怪しいとしたらモーリス君の友達。
「でもそんな大勢の前で儀式だなんて、私の性別がばれるかもしれないでしょう?みんながブランドンみたいに都合よく騙されたりはしないかもしれないし。」
「いや、バス騎士になってしまえば、ルイスは男の中の男だよ。そもそもルイス・リディントンは女子禁制の東棟限定の人格だったはずなのに、中庭でルイスが目立ってしまったから逆に男アピールが必要になったんじゃないかな。その意味でもバス騎士はぴったりだよ。」
「目立ったのは不可抗力よ。それより男爵、その儀式ってどんなものなの?」
男爵はここに来てようやく羊皮紙を指差した。リストみたいなものが書いてある。
「いいかい、ルイス。儀式は明日の夕方から始まり、明後日の昼に終わる。入浴、断食、ビジリア、告解、ミサ、睡眠、そして陛下のもとでの任命式の順だ。入浴はハーバート男爵が、ビジリアと告解はトマス・ウォーズィーがそれぞれ指揮をとって、ミサは日曜のミサをそのまま活用するよ。」
ビジリアは夜明けまで徹夜で祈りを捧げること。でもそれより前に怪しげな項目があった。
「入浴って?」
「清めの儀式だよ。ルイスが入浴する間、先輩騎士の訓戒を聞くことになる。」
ん?
「先輩騎士?」
「ああ、ハーバート男爵は、一見そうはみえないかもしれないけど、ガーター勲章を受賞した一流の騎士だよ。意外だったかな?」
ハーバート男爵の少しのっぺりした顔を思い出した。初夏なのに毛皮の豪華な服をきていたのが印象に残っているけど、たしかに騎士感はあんまりなかった。
大事なのはそこじゃない。
「いや、普通に駄目に決まっているでしょう?いくら入浴用のガウンを着たって・・・」
「清めの儀式だから、何も身につけてはいけないよ?そのあと白い衣一枚で教会のビジリアに望むわけだからね。」
男爵は当然というふうに、淡々と語った。
はい!?
「なんなの!?なんで上流階級は全裸になりたがるの!?みんな露出狂なのかしら!?どっかのビーチに隔離されればいいんだわ!!」
ノリッジにいたときは『全裸』なんて単語ほとんど使ったこともなかったのに、こっちにきて数日で一生分発している気がする。
「落ち着くんだ、ルイス。これは特殊な事例だよ。沐浴騎士団というくらいだからね。上流階級が露出癖を持っているわけじゃないよ、ヘンリー王子は知らないけどね。でもこの儀礼を通ったら性別を疑われることはないよね。女性はこの儀式を通過できないから。」
「ええ、おっしゃるとおり私は女性だから、この儀式を通過できないわ。つまり私じゃ騎士になれないから、他の手段を考えて。」
男爵二人のセクハラ度合いには目に余るものがあった。
「そうはいっても、鎮火の活躍はルイスの大声のおかげで避難した皆も知っているからね。ハーバート男爵は既にヘンリー王子とアーサー王太子、キャサリン王太子妃とマーガレット王太后の推薦を集めているよ。ヘンリー王子は特に熱心だったし、その調子だとメアリー王女も喜んで推薦するだろうから、ルイスが辞退すれば彼らの顔に泥を塗ることになるよ?」
マーガレット王太后にはお会いしてもいないし、姫様は『ルイス・リディントン』を知らないはずだけど、鎮火の責任者というだけで推薦したのかしら。
「そもそも推薦頼んでないのに!勝手にすすめないで!それにヘンリー王子なら泥くらい被ってくれると思うし、これで揉めても早まったハーバート男爵の責任よ。そういえばハーバート男爵は副家令なんだし、イベントのスケジュールくらいでっちあげられるでしょう?誰も知らないうちに入浴したことにすればいいじゃない。ついでに教会はウォーズィー司祭に一晩立ち入り禁止にしてもらって、私が夜通しお祈りしたことすればいいわ。」
そもそも騎士になりたいと全然思わないけど、ハーバート男爵に見られるのは当然それ以上に嫌だった。あと徹夜は肌に悪いし。
「ルイス、これは騎士として生きていくことを誓う大事な儀式で、私も含め証人がいないと・・・」
「そんな覚悟なんてあるわけないでしょう!?というか男爵も見に来るつもりだったの!?ひどすぎるわ!!変態!!」
アンソニーよりも余罪が大きいから、特別なマッサージをしてあげようかと思ったけど、さっきから男爵は私から一定の距離をとって掴みかかれないようにしている。
「男爵!とにかく、私の性別上どのみち証人を味方で固めることになったはずで、だったら実際に見ても見なくても一緒でしょう?ハーバート男爵に、入浴を見られるのは絶対にお断りすると伝えて。それと儀式は大幅に簡素化すること。そうしないとハーバート男爵とウィンスロー男爵にいじめられたってヘンリー王子に泣きつくから、部下に甘い王子が理不尽な人事異動を命じてきっと大変なことになるわ。」
「ルイス、都合のいいときだけ女の子になるのは・・・」
「いつも女の子です!!あと泣きつくのは女の子っていう発想が古いの!!」
ヘンリー王子には美少年として泣きつかないといけないのよね。ノリス君を参考にするのはちょっとハードルが高いけど。
「さっきから男爵と私の会話になっているけど、モーリス君とマージはどう思う?」
おとなしくしているスザンナとフランシス君は多分男爵に忠実だろうと思った。マージはほとんど口を挟まなかったし。
「ルイーズ、結局このプランに乗っかったら、なし崩し的にノリッジに帰って来られなくなるわ。立場を安定させるって、つまりはその立場から動けなくなるのと一緒だもの。危険なのは一緒だったら、今のうちに味方のいるノリッジに帰るべきなの。」
「聖女様、ノリッジの有志の皆さんでは安全の保障に心配があります。もちろん聖女様の清らかな御姿を男性陣に見せるわけには絶対にまいりません。ここは教会で正式に聖女として認定していただきましょう。そもそも男性のふりをする必要がなくなりますし、身分と安全が保証されつつ偽の設定を減らすことで破綻を防ぐのです。」
マージやモーリス君の立場は基本的に騎士騒動の前と変わっていなかった。
「うーん、やっぱりノリッジのみんなに迷惑をかけるのも気が引けるし、一生聖女として生きていく覚悟も足りないのよね。」
ここは聖女が一番安全なのかもしれないけど、安全を選ぶんだったらスタンリー卿とダービー伯爵家にかくまってもらうのとあまり変わらない気もする。ノリッジに誘拐犯がきたら血を見るかもしれないし、私の周りの人が人質にとられたらどうしよう。
入浴パートを省略できるなら騎士体験をしてみるのも悪くないかしら。
「ルイス、とりあえず我々とヘンリー王子のところへ行こう!」
「ルイーズ、あなたは私とノリッジに帰るの!」
「聖女様、まずは僕と教会へいきましょう!」
「魔女様、俺と新大陸へ」
「その話は終わったでしょパブロフ!!いつ起きたの!?」
けっこうややこしいことになっているけど、なんとなく『モテ期』みたいな展開で、気分は悪くなかった。
ーーー
参考: ヘンリー王子女性慣れプロジェクト メンバー
ウィンスロー男爵
国王付侍従長。計画の総責任者で、ルイーズの世話と『指導』、および彼女をヘンリー王子と引き合わせることを担当している。なりゆきで従者ルイス・リディントンの上官になった。
ハーバート男爵
王室副家令。家令が不在のため、宮殿の人事を司る。ルイス・リディントン及びルイザ・リヴィングストンの公式設定や役職を管理しているほか、部屋割や配置転換などによりチャンスを提供する。
トマス・ウォーズィー司祭
宮殿付司祭。ウィンスロー男爵の悪友で、教会付小間使ルイザ・リヴィングストンの世話係。ヘンリー王子の元教育係としてヘンリー王子を誘導する役目も担う。
ゴードン・ロアノーク 及び ヒュー・モードリン
近衛連隊の衛兵。東棟に配属され、ウィンスロー男爵の配下としてルイーズの護衛を担う。
フランシス・ウッドワード
ヘンリー王子の従者で伝令係。ウィンスローの小姓のような役回りをする。ルイーズの部屋と秘密の扉でつながった隣の部屋で寝起きし、有事には駆けつける役回り。
スザンナ・チューリング
ルイス・リディントン付女中。ルイーズの服飾や化粧を担当し、ウィッグを含む変装を引き受けるほか、時と場合によってはルイーズの業務を代行する。
ーーー
協力者
ベンジャミン・タイラー
宮殿付き御者。馬車を二つ用いる陽動作戦で、ルイーズを宮殿まで無事に護送した。
アンヌ・ポーリーヌ夫人
針子。ルイーズの男装用の礼服を作っている。
東棟の衛兵数名
ウィンスロー男爵の指導の下、ルイーズが女子禁制の東棟に入ることを黙認している。
ウィリアム・ウォーラム大司教
大法官。ルイーズに5分で無罪判決を下したほか、ルイーズがウィンスロー男爵にマッサージすることを認めている。
シュールズベリー伯爵
宮内卿。直接登場はしていないが、ルイーズの滞在費用を教会と折半している。また、ルイーズを養女として迎える用意がある。
シュールズベリー伯爵夫人
宮廷女官長。直接登場はしていない。マッサージで茫然自失となったアンソニーを保護していた。アンソニーの従者として家の人間を送り込んでいる。
国王
ルイーズの裁判を星室庁に移管し、無罪放免を容認した。ウィンスロー男爵から計画の細かい報告を受けているが、「公式には何も知らないことになっている」らしい。