CCLXII 機密保持者スザンナ・チューリング
私が廊下でアンソニーを窘めていると、目の前のドアが開いた。
「ルイス様、なに騒いでるのさ?その声だと廊下中に響いちゃうよ?」
スザンナがキョトンとした顔をして部屋から姿を表した。いつの間にかVネック気味で胸の強調される濃い紫のワンピースドレスに着替えていて、真っ赤な髪は薄紫のスカーフでまとめてある。いつもより少しメイドっぽく見えるかもしれない。
「スザンナ、戻っていたのね。良かったわ。アンソニーはよく知っているわよね。この子は私の友人のレディ・マージョリー・ヘイドン。ちょっとの間私の部屋で休んでもらうことになるわ。」
「うん、掃除もしたし、その女のお客さんとむせび泣く人だったら休めるスペースがあるよ。はじめまして。あたいはスザンナ・チューリング。ルイス様付の女中なんだ。よろしくね。」
スザンナはフレンドリーに笑いかけた。女中のとる態度でないからマージは混乱するかもしれないけど、本来は宮殿の女中だったらそこそこ身分は高いだろうから、とりわけ失礼ということもないかもしれない。スザンナだと王子にもこの態度を取りそうだから油断できないけど。
マージは案の定、私がスザンナに会ったときと同じリアクションをとっていた。体の一点をじっとみつめている。
「こちらこそどうぞよろしく・・・ねえ、ルイーズ、私、あなたがノリッジにいたとき以上に体型を気にしている理由がわかったきがするわ。」
「ね、ひどいでしょう?あてつけ人事としか思えないじゃない?」
同郷の同志がいてくれて嬉しい。これならスザンナの非礼もどうでもよくなるし。
「これは凶悪ね。服装からいって、悪気なさそうにしつつアピールする魂胆よね。」
「そうなのよ、コルセットをつけるときなんか、さりげなくその話を振ってきたりするの。悪質よ。」
「どしたの?それより、さあ入って、入って。」
スザンナはこういうとき関心がなさそうに振る舞うから、どこまで狙っているのかはよくわからない。
「魔女様、東棟は女中まで戻っているんだな。復旧がはやいな。」
「ほんとね。」
アンソニーの言う通り、部屋の中もきれいにしてあって、明かりも灯されていた。丸テーブルの近くのアームチェアを二つスザンナが引いて待っている。夕方に男爵がマッサージを受けながら寝ちゃったやつ。私は化粧棚の前にある椅子を使えばいいかな。
マージも部屋に感心したみたいだった。
「まあ、ルイーズ、立派な部屋をあてがってもらっているじゃない。ベルベットのベッドが王侯貴族っぽいわ。」
「そうでしょう?私の好みには木目と赤茶色が重厚すぎるんだけど、でも上等な部屋であることには間違いないわ。一応男性の部屋という設定だからついたての裏に隠してあるけど、化粧棚も素敵なの。」
ついたてをどかしてマージに自慢の化粧棚を見せると、その隣の小さな棚の上に、男性者のタイツが丁寧に畳んで置かれていた。
「ルイーズ、確かに素敵な化粧棚で、鏡も優美だけど、そんなタイツまで履くの?さすがに性別ばれちゃうでしょう?」
「私はこんなのは履かないわ。これが流行しているのだっておかしいと思っているくらいよ。スザンナ、一体なんでこれがこんな場所に置いてあるの?」
私がこの部屋を出たときにはこんなのなかったし、近くで見ると私が履くにしてもサイズが大きすぎた。
「あ、それ、チャールズ・ブランドンのやつだよ。」
「・・・なんでチャールズ・ブランドンのタイツが私の部屋にあるのよ。」
スザンナの返答は全く回答になっていなかった。
「さっき脱いでもらったんだ。あの人、あたいが脱げば自分も全裸を見せてくれるって言うから、もらえるものはもらっておこうって思って。結局あたいは脱がなかったけど。」
「スザンナ!!!何しているの!!!反省しなさい!!!」
私は怒った。アンソニーが半裸で迫ってきたときもそうだったけど、スザンナはこういうとき一切悪びれないのよね。
いくらなんでもプロとしてひどすぎる。ブランドンも少しはヘンリー王子に操を立てたらどうなのかしら。
「まったく、どういうことなの!?あなたのライフスタイルに干渉する気はないけど、ここは一応私の部屋よ?主人の部屋に男を連れ込んでストリップさせるっておかしいでしょう?女中失格よ?しかも脱いだ服をそのままって・・・」
「ちゃんと畳んで香水もかけたよ?」
「清潔ならいいって問題じゃありません!!」
後ろ姿だけどブランドンも泉で見てしまっているから、部屋にいたところがなんとなく想像ができてしまって、気分が少しげんなりする。
私が呆れて首を振っていると、隣のマージが涙目になっているのが分かった。
「ごめんねマージ、トラウマ刺激しちゃったかしら。でも露出狂に苦しむ女性がいる一方で、こういう裸を見たい変人もいるわけだから、世の中の需給のミスマッチって理不尽よね。えっと、つまり何が言いたいかっていうと・・・」
マージをなぐさめようとしたけど、あまり成功しなかったと思う。
「ルイーズ・・・ルイーズはこういう爛れた宮廷文化に染まってしまったのね?」
「いいえ?マージ、さっきから色々勘違いをしているわ。無理もないけど。でも私はスザンナに影響されるくらいだったら修道院に入るわ。」
マージはまた勘違いを重ねているみたいだった。
「だってそうでしょう?この部屋でアンソニー様を脱がせて、縛って、犬にして、むせび泣かせているんでしょう?その汚れた部屋で女中が男を連れ込んで脱がせたところで、今更なんの違いがあるというんでしょう?」
スザンナがアンソニーをむせび泣く人って呼ばれていたことまで、マージは拾っていたみたい。
「全部間違っているから訂正させて。アンソニーは自分で脱いだし、縛られたのは安全のためだし、犬っぽいのはもともとで、むせび泣いたのは事実だけど・・・」
「ルイーズ、何一つ訂正できていないわよ!」
こうして言ってみると不健全に聞こえるかもしれない。でもマージはさっきマッサージを目撃しているから、アンソニーがむせび泣いているところは想像がつきそうなものだけど。
「・・・百聞は一見にしかずよね。これからアンソニーにマッサージをするから、それで実態を把握するといいと思うわ。さっき見たくまさんと大して変わらないと思うけど。」
「魔女様、くまさんって誰だかしらないけど、俺には特別にそいつよりもっといい魔法をかけてくれよな。」
アンソニーは楽しみにしているみたいだった。さりげなく上着を脱ごうとしているけど、何か対抗心があるのかしら。
「アンソニー、ボタンを外さないで。覚えているわよね、私の前で脱いだら一生マッサージ禁止よ?」
「でも、ブランドンは脱いだんだろ?俺もちょっとだけならいいよな?」
さっきから何を聞いていたのかしら。
「関係ないわ!!ブランドンはスザンナと見せっこをしようとしただけで、私は不在だったしマッサージもしていないわよ!スザンナもスザンナよ!あの男を前に、脱いだだけで無事で帰してもらえるはずがないでしょう!?」
「暗かったけどけっこうすごかったよ。でもやっぱり脱いでる途中が緊張感があっておもしろいよね。」
スザンナは頬を赤らめているけど、何を思い出して頬を赤らめているかと思うと気分が悪くなる。
「感想なんてきいていないの!!!マージの前で何を言っているのよ。だいたいスザンナの任務を考えれば、こんなところでブランドンに襲われたら失敗もいいとこじゃない。」
「ルイーズ、その子の任務ってまさか・・・」
さっきから表情の浮かないマージがなにか勘付いた顔をして私を見た。
まずいかも。ふざけた内容のミッションだけど、一応は極秘任務のはず。
「ええと、広義には、ヘンリー王子にも女性に触れ合えるようになっていただく、みたいな感じなの。」
「うん、あとできたら王子様の子供がほしいの。」
スザンナはなぜ、ほんとになぜ、秘密を守るはずのこの任務を担当しているのかしら。
「ルイーズ・・・それってあなた・・・犯罪・・・」
「違うわ、その、それは大司教様達にとって十年単位の最終的なゴールで、一年契約の私が目指しているのはその数段手前のハグまでで、それに子供に関する仕事は全部断らせてもらっているわ。無害でしょう?犯罪なんて・・・そんなんじゃないのよ。」
よく考えると、そういえば私が耳掃除をした後にスザンナが王子の胸を弄っていたときがあってけど、あれって前世ではグレーゾーンかしら。現世では男性を誘惑する女性に関する法律が少ないから違法とは言えないけど。
でもあのときは男爵のやり方が間違っていると私も思った。やっぱり、私はこれからまだ見ぬアーサー王太子の健康促進に軸足を移すべきだと思う。
「魔女様、ヘンリー王子は女嫌いって公表しているのに、それはちょっとひどいぞ。」
「そう・・・やっぱりアンソニーには王子の気持ちがよくわかるのね。私にできるのは王子の肩の力を抜かせるだけで、スザンナが王子を襲う手伝いをする気は一切ないのよ?」
スザンナに迫られるときの嫌悪感って、私もなんとなく想像できるけど、アンソニーならもっと共感できるのかも知れない。
「それならルイーズじゃなくてもいいじゃない。道化師だっていいわ。」
「そうね、男装した女性なら気づかれないっていうのも、私が来る前に分かっていたみたいだし、今更よね。でも、王子の女嫌いの原因も誰にもわからないらしいの。私に耳掃除をさせるくらいだから、生理的な嫌悪感とかではないはずね。それを探りたいっていうのもあるみたいだわ。」
いくらヘンリー王子がブランドンと恋仲だからと言って、異常な女性排除の理由にはならないのよね。女性の話題がでるだけで気分が悪そうな割に、女性かどうかの判断は部下に一任しているし、考えてみると解けていない謎が多い気がする。
「ルイーズ、深入りしないうちにノリッジに帰りましょうよ。誰も秘密なんて守れていないじゃない。今まで無事なのが奇跡なくらいよ。」
「ルイス様、火事のあとで大変だったけど、明日の朝早くにお風呂の準備をしてもらってるんだよ?今帰ると損しちゃうよ?」
マージとスザンナが対照的な勧誘をしてきた。
「うーん、マージの言い分も分かるけど、後ろ盾もあるしなんとかなる気もするのよ。ノリッジで誘拐騒ぎになったら家族も大変だし、あと、火事で煙に囲まれて大変だったから、お風呂には入りたいし・・・」
「ルイーズ、わからないわ。私、あなたのこと分かっていたつもりだったけど、今は色々わからないのよ。」
マージはさっきから落ち着きがなかった。心配してくれるのは嬉しいけど、すこしは肩の力を抜いてほしいと思う。
どのみち、マージの誘いはタイミングが悪くて、私は乗れそうになかった。周期的にそろそろだから、馬車で長旅をしているうちにあれが来ると辛いどころじゃない。
「マージ、落ち着いて。慌てて逃亡しても騒ぎが大きくなるわ。きっと露出狂に遭遇したばかりで気が立っているのよ。私は裁判前から変わっていないつもりだけど?スザンナ、蜂蜜酒は手に入るかしら。」
こういうときにお茶でも飲んで落ち着けたらと思うんだけど、現世ではお茶は高いし薬膳扱いなのよね。
「うーん、確かめてくるね。」
結局はそんなに反省していない様子のスザンナが、ドアの方に向かっていった。
「ついでにこのタイツを処分してきて。ほしければあげるけど、二度と私の目の前には出さないで。」
「はあい。」
私はブランドンの私物を追放すると、ベッドの方にフラフラ歩いていくアンソニーを止めた。
「アンソニー、まさかベッドにダイブするつもりじゃないでしょうね?」
「え、でもベッドでするんだよな?いつもそうだろ?」
アンソニーは足のマッサージが大好きだったから、お互い座ったまま足だけ伸ばしてくれればいいと思う。前回フランシスくんのベッドはアンソニーの涎の被害を受けていたし。
「アンソニーの場合はアームチェアに座ったままでいいわ。私のベッドがアンソニーに汚されるのは許せないの。」
「ルイーズ・・・」
マージがまた何か勘違いをしているみたいだけど、もう実物を見せたほうが早いなと思って、私は弁明しなかった。
「ま・ほ・う!!ま・ほ・う!」
「落ち着いて、いい子にしていればマッサージくらいはしてあげるから。そうよ、アンソニー、私をルイス・リディントンかルイザ・リヴィングストンとして、アーサー王太子にマッサージできるように取り計らってもらえないかしら。」
アンソニーがなんだかモダンな掛け声をかけ始めたけど、私は取引を持ちかけることにした。男爵が渋っているから、協力者は多いに越したことはないわよね。
「うーん、魔女様に便宜は図ってあげたいけど、俺、近いうちに新大陸に行くからさ、アーサー様のお世話には役に立てないかもしれないな。」
そういえばアンソニーが新大陸送りになる話がでていたけど、とうとう決まっていたのね。
「ほんとに大丈夫なの、アンソニー?危険な旅路なんでしょう?航海の経験もないんだし。ご家族も反対していたって聞いているわ。辞退ならできるんでしょう?」
「うん。でもうちは領地を兄弟で分けてきたし、平和が続いて俺が受け取る領地が残ってないんだ。新大陸なら開拓したぶんだけ俺の領地になるんだ。ずっと寝室の警護をしているわけにもいかないし、夢があっていいだろ?」
そう言われてみると、ウィロビー家は分割相続だったし、官吏や司祭になる感じでもないから、領地がないと平和な時代のキャリアパスがあんまり残っていないのかもしれない。でもアンソニーに開拓事業ができるとも思えないのだけど。
「そう、開拓となると1年以上は不在になるわよね。アンソニーが帰ってきたときには私は任期が切れて宮殿にいないと思うわ。じゃあ出発前には最後のマッサージ、張り切ってやってあげるから。あと新大陸のお土産を貰えるんだったらジャガイモでいいわ、ノリッジの旧ハーブ農園で育ててみようと思うの。」
色々振り回されたけど、アンソニーの旅立ちは少しだけさみしいかもしれない。
無事を願ってしんみりする私の前で、アンソニーはきょとんとしていた。
「最後?何をいってるんだ?魔女様も来るんだぞ、新大陸。」
はい!?




