XXV 王妃エリザベス
「さてと、どこから話したら良いかな。」
男爵は少し考えあぐねているみたいで、しばらく黙ってしまった。微笑したままだけど、こういう真剣な眼差しは相変わらずよく似合う。
王都の道は舗装されていない部分も何かの整備がしてあるのか、ノリッジから来た道よりも馬車が揺れない。男爵が黙っていると、御者と三人が乗っている馬車にしてはびっくりするほど静かになった。
「男爵、テキパキしてくれないともう王宮に着いちゃいますよ。」
星室庁を出てからあまり経っていないけど、もう装飾が細かい石の塔が見え始めている。実際に見たことはなかったけど、絵や版画で何回か見たことのある王宮の尖塔。
「いや、私たちが向かっているのは、数年前に新しく建ったリッチモンドの宮殿だよ。」
「リッチモンド?じゃあ郊外なの?」
街中の王宮だったらお忍びで街へ出たり、王都で弁護士修行をしているはずの兄さんに会えたりするかなって、ちょっとだけ期待していた。リッチモンドは地図でしか見たことがないけど、市街地まではかなり距離がありそう。
「ホワイトホールの王宮は今大掃除だよ。残念そうだけど、リッチモンドの宮殿は新築で広々としているし、ネズミも出なくていい場所だ。」
「残念ってことはないですけど・・・」
古い建物だと水漏れやらネズミやら色々問題が起きることもあって、王族や大貴族は夏の間は宮殿を空けてその間に使用人が掃除や補修をするのが、現世では習わしみたいになっている。まだその時期じゃないと思っていたけど。
「それより、リッチモンドに着くまでに説明終わらせてくださいね。」
「もちろんさ。」
男爵はデフォルトの微笑を見せつけてきた。
「今の国王陛下と亡くなった王妃様は、内戦では敵同士だった家のご出身で、当然ながらご結婚は内戦の完全な終結を意図する政治的なものだった。しかしお二人は王族には珍しく愛を育まれ、非常に仲睦まじい夫婦でいらっしゃった。」
「そこまでは存じています。」
男爵が昔話みたいに話し始めたけど、国王陛下と王妃殿下の仲の良さはノリッジでも有名だった。
「それは頼もしいね。さて、国王陛下自身の親族はほとんどが内戦で滅びてしまったけれども、王妃殿下を始め内戦で敗退した勢力は王妃様の立場を重んじて王位に疑義を挟むことはしなかった。お二人の仲が良いことは内戦で傷ついたこの国にとって、とても重要なことだったんだよ。そして二人は二男二女を設けられた。アーサー王太子、マーガレット王女、ヘンリー王子、それにメアリー王女だ。」
ようやく私が出仕するヘンリー王子が出てきた。
「アーサー王太子には南の国からキャサリン妃を迎え、マーガレット王女は休戦した北の国に嫁ぎ、すべてうまくいっていたんだ。」
「ちょっと待って、そうしたらヘンリー王子が女嫌いでも誰も困らないじゃない。」
男爵はニヤリと笑った。デフォルトが微笑なので、男爵観察眼がない人なら気づかなかっただろうけど。
「そう急かすものではないよ。まず皆の期待を背に初夜を迎えたアーサー王子だったが、その翌日から体調を崩したこともあってその日以来一切床入りがない。初夜のその日も行為があったかは分からないらしい。」
「そ、そうですか・・・」
いきなり話が生々しくなって少し顔が引きつる。王族にもなると、夜の寝室で聞き耳をたてる係の人がいるらしい。
「ヘンリー王子は知っての通り女性を近づけない。マーガレット王女が嫁いだ北の国のジェームズ王は有能な人物だけど、私たちと長年敵対してきた歴史があるから、この国の貴族は同君連合を歓迎しないだろうね。有力貴族は幼少のメアリー王女の寵愛を得ようと必死なものの、メアリーと結婚する貴族が事実上の国王となるとすると、権力闘争が激しくなる。」
「そうですよね・・・」
この国の歴史では何人か事実上の女王様がいたみたいだけど、いずれの場合も女だって理由だけで抗議がすごかったみたいで、結局は旦那か息子が国王として即位するのが通例らしい。
「そうなんだ。メアリー王女の結婚相手は、王位継承権を持つ王妃様の親類が中心となってくるだろうけど、そうすると内戦中から現国王陛下に従っていた人間が黙っていない。さらに将来メアリー王女の子が即位するとなると、ジェームズ王とマーガレット王女の子供が継承権を主張して侵攻してくる可能性さえある。」
「なるほど・・・」
なんだかさっきから私はワンパターンな相槌しか打てていないけど、男爵はマイペースに続けている。
「つまりアーサー王太子かヘンリー王子にお世継ぎが生まれればそうした対立の芽をつむことができる。いわば君は大役を担っているわけだよ。わかってくれたかな。」
男爵は歌い上げるように得意げに説明を終わらせた。
全然終わってないけどね。
「色々説明が足りてないですけど、まず私がアーサー王太子ではなくヘンリー王子の元に行くのはなぜですか。」
「それはシンプルだ。アーサー王太子は既婚者で、キャサリン妃は南の国の王女だよ。子供ができないまま王太子が誰かと不倫したら外交問題に発展しかねない。ましてや魔女となんて問題外だよ。」
「しつこいですけど魔女じゃありません。あと不倫はしません。」
それにしても、体調が良くないアーサー王太子の方がマッサージを必要としているような気がするんだけど。
「それで、アーサー王太子周辺が私を逮捕しようとしたのはなぜですか。」
「アーサー王太子に子供ができないままヘンリー王子に子供ができた場合、アーサー王太子の立場は複雑になるよね。それとアーサー王太子は聞き分けの良い好青年だが、だからこそか王太子に近い勢力は外部の人間が王太子にもつ影響を過度に恐れている節があるね。王太子領を管理するバッキンガム公爵やサリー伯爵を筆頭に、未知のものを嫌う保守的な人間が揃っているよ。」
ややこしい。狙われるとか危ない目にあうとか、そういうことは事前に教えて欲しかった。ノリッジでは追い込まれていたから条件が悪くても結局は飲むしかなかったけど。
でもその保守的な人たちがアンソニーにあの黒服を着せてけしかけてきたと思うと変な感じもする。
「それで、国王陛下は再婚されないのですか。」
「王妃殿下を愛していた陛下は再婚を躊躇われておられるし、政治的にも誰が後妻に収まるかで激しく揉めるだろうね。それに陛下と亡くなった王妃様の子供は内戦の両側の血を引いているという意味で望ましいんだ。」
そうだよね。確かにこうしてみるとヘンリー王子の女嫌いが一番くだらない悩みに見えてくる。マッサージはきっと役に立たないけど、できることはしてあげたくなってきた。
「状況は大体わかった気がします。ありがとうございます男爵。」
「飲み込みが早くて助かるよ。それと、あと二つ言わないといけないことがある。」
男爵の微笑が少し引きつった。
嫌な予感がした。