CCLIV 魔導師ルイーズ・レミントン
ルイーズの魔法が効力を持つのは、他の男に触れた場合だけだと、私はそう思っていた。だから王女の局から軽快に走り出していくほろ酔いの少女を追いかけながら、彼女は露出狂を倒すために、自ら触りにいくつもりなのかと首をかしげていた。
彼女が例の事件をほのめかしたときも、鞭はウィロビーを縛ったときのように、単純に相手を制止してから魔法をかけるための道具ではないかと思っていた。
今思えば、手元にある資料だけで判断したのは軽率だった。しかし、ここ20年以上は魔女の存在どころか噂さえなかったのだから、彼女の潜在能力を推し知る術など、だれももっていない。
それでも、まさか、この少女が我々の想像を絶する魔力をもっていたとは。
「イン・フラグランテ・デリクト!」
ルイーズが魔法の呪文を唱えると、鞭はまるで自らが意思を持つかのように、きれいな弧を描くと露出狂の体にまとわりついた。
まるで相手の体中に蔦を生やすかのように、動きを封じている。
凶悪な魔法だが、いくら月の出ない夜とは言え、こうもどうどうと魔法を使って良いのだろうか。酔いが回っているのかもしれない。
「男爵、こっちの鞭を持って、私よりも斜め前に移動して?」
ルイーズから酔っているとは思えない、テキパキとした指示が飛んだ。一応は私が上官のはずだが、そんなことを言っていられる空気ではない。
「・・・ノーとは言えなさそうだね。」
今の彼女に逆らえる人間がこの国にいるだろうか。それに今のルイーズはいつもよりも可愛らしい、丁寧な口調で頼んでくれていた。無下にはできない。
だが魔力を持った鞭を触るのには少し勇気が必要だった。慎重につかむ。
「ヴィム・ヴィー・レペレーレ・リセット!」
違う呪文を唱えたルイーズ。今度の鞭はさっきよりも直線的な動きをして、露出狂の腹を直撃した。
「フゴアアアッ!!!グオオオッ!」
地響きのような悲痛な叫び声が夜空を切り裂く。
想像を絶する痛さだろう。思わず目を瞑る。
「スィーレ・ファーシ・セ・デフェンデンド!」
ルイーズは手を緩めることなく魔法を繰り出し続けた。今度はルイーズはダンスのような動きをして、下半身を掬うようにシャープな一撃が発する。
「美しい・・・」
私は思わず息を呑んだ。閉じた体を開くようなルイーズの動作も含めて、恐ろしいのに、妙な美しさのある術だ。魔女の必殺技が美しく見えてしまうとは、私の頭はどれだけやられてしまっているのか。
「ウグアアアアアアアッ!!!」
手負いの熊の断末魔のような叫びが宮殿に響く。露出狂の影は生まれたての子牛よりもおぼつかない足取りになっていた。
「ヴィス・インプレッサ!」
さすがにもう許してやったらどうだろうか、と私が同情を禁じ得なくなってきたときに、ルイーズは止めの一撃を放った。天から振り下ろすような、渾身の一撃だ。
「ウグオオオッ・・・!」
鞭は稲妻のように露出狂の脳天を直撃した。頭部を巻き込むような形で、巨体を軽々と地面にはたきこむ。
ピシッ、ピシッという小気味よく軽快な音が、超現実的な不気味さを醸し出していた。
生きているだろうか。
「男爵、女性に危害を加えようとし、さらに現行犯逮捕から逃れようとした犯人に対して、私は必要最低限かつ相応の暴力しか行使していない上に、事前に警告を発しました。覚えておいてね。」
隣でルイーズがハキハキとした弁論をこなしていた。少なくとも最後のやつは余計だったのではないだろうか。それにしても、彼女は魔力をいくら使っても体力や精神力を消耗する様子が一切ない。
「・・・警告って、あの呪文のことかな?」
ルイーズは呪文の前にも合理的云々と一応なにかを言っていたが、私はあまり聞いていなかった。露出狂があれを聞いていたとしても、意味を理解しようとするうちに攻撃が始まっていただろう。
「訴えられたらブリーフィングするから。じゃあ、後はお願いね。レディーは露出狂に近づけないし、私はマージのところにいかなきゃいけないから。」
ルイーズはついに私に魔法の概要を説明してくれる気になったのだろうか。そして彼女がレディーとしてのアイデンティティーを大事にしている様子なのに、今のように魔王のごとく戦うのをためらわないのはなぜだろうか。魔王にしては可愛らしすぎることは否定できないが、私と違い魔法にかかっていない人間が見たら真の魔王なのかもしれない。
とりあえず、友人を慰めに行きたい気持ちはわからないでもない。
「それは分かるが、『後』って、どこからどこまでだい?」
地割れのような声を出していた露出狂のことを考えると、何があったか多方面への説明が必要となるだろう。暗いとは言え、目撃者がいたらどうするのか。
「ゴードンさんが現れたら連行してもらって。私からの伝言は『法廷で会いましょう』でお願い!」
ルイーズは裁判ばかり気にしているが、その前にやることは多い。しかしルイーズは返事を待たずに友人のところへ駆け出してしまった。
「やれやれ、魔女の世話係は大変だな。」
走り去るルイーズを見送りながら、私は一人つぶやいた。
だが、魔女の不気味さを一切感じさせないのは彼女の美点だろう。ルイーズは論理的で、わがままだが話の分かる少女だ。この国第二の都市のノリッジで、社交界にも実業界にも顔を出していた洗練された教養人でもある。森の奥で不気味な薬を作っているような魔女像とはかけはなれた彼女に、私はいつもいい意味で驚かされてばかりだった。
どうしても魔女を味方にしなければならないとしたら、彼女が魔女だったのは私達にとって幸いだろう。ルイーズに多少振り回されても、苦笑いだけで許してしまえる自分がいる。
「かっけえ・・・」
私の考え事を遮るように、誰かの声が響いた。
見られていたのか?どこから、どこまで?
「誰かな?」
私が暗い庭を見回すと、茂みから少年のシルエットが立ち上がった。
作者注:
『この国』は慣習法を使っていますが、現代日本でルイーズの真似をした場合有罪になる可能性が極めて高いです。くれぐれもご注意ください。




