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CCXLIX 調査人サー・アンドリュー・ウィンザー


焦土と化した中庭を水の膜が覆い、浮かんだ油が妙に怪しげな光を放っている。煙の匂いと、切れた水道管から水が流れ落ちる音。


地獄絵図のような景色は、不思議なほど静まり返っていた。


「ロアノーク、本当にあのルイスが消火を指揮したのかな。」


「はい、男爵。消火はもちろん、避難の呼びかけからけが人の手当に至るまで、獅子奮迅の活躍でした。」


ルイーズの手柄を報告するロアノークは、妙に誇らしげに聞こえる。


まさか、半裸のウィロビーに迫られたときにパニックで固まっていたルイーズが、炎を前に衛兵たちを指揮するとは思わなかった。


「おや、自分の副官の実力を把握されていないとは、侍従長ともあろうお方も修行が足りないようですね。あれほど実力のある若者があなたのもとにいるのは果たしてどうなのだろうか。」


サー・アンドリューがいつもの皮肉を込めた口調で嫌味を言ってきたが、ここは言い返せない。この気難しい人物にルイーズが気に入られるとは思わなかったが。


ただし、副官とはどういうことだろう。いつ彼女は私の副官になったのだろうか。


「ルイスが赴任したのは火曜日でしたが、私も彼には驚かされてばかりですよ、サー・アンドリュー。」


「あのカリスマはただの侍従では役不足になるでしょう。近衛連隊のバウチャー子爵に彼をご紹介されては。」


ややこしい事態になりつつあった。ルイーズが男装してルイス・リディントンを名乗るのはヘンリー王子周辺の閉じられたサークルだけになるはずだったが、まさか外に出て名を上げてしまうとは。


頼まなくてもできる限り女性の格好をしたがるだろうと思っていたのだが、男装して人前にでることにすぐ馴染んでしまったのは計算外だった。いろいろな意味で期待を裏切ってくれる子だ。


「連隊に話をするのは早すぎます。私も人のことを言えませんが、まだ彼も修行がたりませんよ。」


「まだ早いと言い切れるほど、リディントンの能力を把握していらっしゃるようには見えませんが。」


サー・アンドリューは色々性格上の問題はあるが、時折鋭いことを言ってくる。


ここ数日一緒に過ごしている私も、ルイーズ・レミントンのことをよく分かっているわけではないのかもしれない。父親の手伝いをしていた経験が、世間知らずのようでいて妙に世界が広い、度胸のある小動物のような人物像をつくっているのだろうか。それだけではない気がしているが。


「はは、いずれにせよもう少し様子を見ますよ。ところでサー・アンドリュー、グリーンウィッチの離宮にいる陛下に報告にいかれるはずでは。」


「第一報を知らせる馬は出しましたから、私の報告は陛下の疑問に答えられるよう、正確さが重要になります。被害は集計しましたが、火の原因が不明瞭なのでね。」


ルイーズの魔法で意識を失ってしまっていた私には、火事の前半の情報はまったくなかった。火が始まる前後に乱闘騒ぎがあったことは聞いていたが。


「騒ぎがあって、照明の灯籠が倒れたという話でしたが。」


「危険な位置に相当数の灯籠を置いたのは、王太子殿下の侍従ジェラルド・フィッツジェラルドの指示によるものと調べがついています。しかし誰の責任かについては目撃証言がいまひとつ一致しない。」


サー・アンドリューは頭を掻いた。


「現場には大勢の人がいたと聞きましたが?」


「はい、王太子殿下の別の侍従が、ヘンリー王子殿下の侍従と乱闘になった末倒したことを何人かが証言していますが、どうも腑に落ちない部分がありましてね。部下に当事者の証言を取らせようとしても、フィッツジェラルドは怪我をし、残りの侍従はばらばらに王族に報告に向かってしまったので、肝心の陛下への報告書がまとまらないという皮肉な事態です。」


病弱な王太子に付き添って西棟から出ない従者たちと、女嫌いのヘンリー王子に従って東棟から出ない従者たちは、今まであまり接点がなかったはずだった。出会った途端ここまでの騒ぎになるとは、第三者がどう解釈するか気にかかる。


「それなら、アーサー王太子殿下のところへ行ってみたらどうですか。いずれは侍従たちも彼のもとに揃うでしょう。宮殿は月曜から修理工事に入りますから、王太子殿下もそれまでに離宮に動く必要がある。従者たちは関係者への報告が済み次第真っ先に準備にかかるはずです。」


「なるほど、それでは西棟にいってみますよ。しかし・・・」


ロアノークと事態の確認をとるため、早くサー・アンドリューを追い払おうとする私の意思に反して、彼はその場から動こうとしなかった。


「どうしましたか。」


「王太子の侍従が設置した灯籠を、王太子の別の侍従が倒して、ヘンリー王子の従者がそれを消し、さらにヘンリー王子自身が果敢にも消火に携わっている。火事の規模に比べて犠牲が小さい。妙にヘンリー王子を担ぐ連中に都合が良すぎるとは思いませんか。」


サー・アンドリューは明らかに疑いに満ちた目で、『ヘンリー王子を担ぐ連中』の私を見た。ヘンリー王子が消火に関わったというのは初耳だが、いったいどうしてそんな危険な真似をしたのだろうか。


「偶然でしょう。人間は不可解なことがあると一見して筋の通るストーリーをでっちあげたくなるものですよ、サー・アンドリュー。でも世の中筋の通ることばかりではありませんからね。すべての出来事の裏に陰謀を疑っていたら気が狂いますよ。」


「念の為、責任者のあなたが火事の最中何をしていたのか、陛下へのご報告のために伺ってもよいでしょうか。」


また聞かれたくない質問がきた。魔法で気を失っていたといったらどうなるだろうか。


「私は陛下をお迎えする際に報告します。あなたが間に入る必要はありませんよ。さて、あそこでダービー伯爵家の馬車が、ぬかるみにはまって動けなくなっています。ロアノークと手伝ってくるので、ここで一旦お別れしましょう。明日の朝、あなたが陛下とともにこちらに来たとき、また話す機会があればそこで。」


ロアノークに合図を送り、サー・アンドリューから歩き去る。しばらく後ろから見られている感覚があったが、やがて彼も西棟方面へ歩いていったようだった。


中庭は場所により足元がひどくぬかるんでいる。伯爵家の馬車に近づくのは少し気が引けた。


「ロアノーク、ルイーズは終始男の格好だったのかな?」


「はい、さすがに小間使姿では消火の指揮はとれなかったでしょう。セントジョン様の緑のローブを着ていらっしゃいました。暗かったので顔はあまり認知されていないかと思います。声ばかりは全員が知っていると思いますが、ルイーズ様は大声を出すときに少し声音が変わりますから、ごまかしが効くかもしれません。」


ごまかし、か。東棟を出ればルイザ・リヴィングストンになる計画だったというのに、こんな大掛かりなことになるとは計算外だったが。


話しているうちに、動けなくなっていたダービー伯爵家の馬車の近くに来ていた。見覚えのある丸いシルエットを見つける。


「セッジヒル、久しぶりだね。スタンリーはどこにいるのか知っているかい?」


「その声はレジナルド坊っちゃんですか!?お久しぶりです。相変わらず男前でいらっしゃいますね。」


「その呼び方はやめてくれないかな。」


セッジヒルは伯爵家でも古参の侍従だった。私が世話になっていたときにも既にスタンリーに付いていた。


「若様も先程までこちらにおられたのですが、ルイーズ様を探しにどこかへ行かれてしまいまして。若様は後でヘイドン様御一行とルイーズ様と落ち合う予定でしたが、レジナルド坊っちゃんもご一緒されますか。」


「そうだね、スタンリーがいいと言えば、その場にいさせてもらえたら面白いかな。しかし、私も肝心のルイーズが見つからなくてね。」


ルイーズはスタンリーの脱走計画を自分から断っていたはずだが、スタンリーの心中はどうなっているのだろうか。


「あのお二人が揃うと面白いですからね。ルイーズ様でしたら、先程『できるわけないでしょおおおおっ』と絶叫される声が北棟からしました。決して辛そうなお声ではありませんでしたが。」


「北棟?棟のどの辺りからか覚えていいるかな?」


国王陛下が不在な中、ルイーズが行くような用事もない場所だった。メアリー王女の区画以外は警備が厳重で、誘拐犯がルイーズを囲っておけるような場所はない。まさかサー・アンドリューがルイーズを気に入って無理やり勧誘しているのだろうか。


できるわけない、というと無理な頼みでもされたのかもしれない。


「たしか、西棟寄りの端の方だったでしょうか。」


「それならメアリー王女の区画だね。」


ルイーズとは何の縁もないはずだが、避難の誘導でもしたのかもしれない。明かりが堕ちている北棟でも、王女の区画だけは暖かそうに光っていた。


普段私が控えている北棟に入るのは容易い。メアリー王女周辺の侍女はあまり得意ではないが。


「ありがとう、セッジヒル。私はルイーズの様子をみてくるよ。」


「レジナルド坊っちゃん、ではお礼にこの馬車を助けていただけますか。」


ぬかるみにはまった馬車ほど厄介なものはなかなかない。


「私の腕力では戦力にならないよ。代わりにロアノークが手伝ってくれるから。」


「私がですか?ルイーズ様のご様子を見に同行させていただこうと思っていましたが。」


ロアノークは少し不満そうだった。数日前に比べてやたらとルイーズの心配をするようになっている。


「すぐそこだから、見てくるのは私だけでいいと思うよ。ここに連れてくるから、合流したら東棟で身支度をして、モードリンを呼んでちょっとした慰労会でもしようじゃないか。」


「・・・わかりました、では後ほど。」


馬車の扱いはロアノークに頼み込むと、私は王女の区画に向かった。


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