CCXLVI 証言者エリザベス・グレイ
隣の部屋からゆっくりと登場したエリーは、サイズの合わないガウンを羽織っていて、なんだかぼうっとしているみたいだった。ショールを被っているけど、王族の前に出られる格好ではない気がする。
「まあエリー、まだ歩くのがつらいでしょう?無理せず座っていらっしゃい。」
夫人は驚くほど優しそうな笑顔をエリーに向けた。この目つきでも優しそうな顔って作れるんだなと感心する。
「ええ、でも、痛みは減った気がしますわ。体がとっても楽なんです。」
さっそく援護射撃。ありがとう、エリー!
「ほら、聞きましたか、みなさん?レディ・グレイの治療の効果が早速でています。これは私のしたことが純粋な医療行為だったことの証明になります。」
「でも体のほとんどがふわっと軽く感じる一方で、一部分が妙に重く感じて・・・」
「あっ・・・」
中断された最後のマッサージは右半身しかやらなかったから、逆に左半身が重く感じているんだと思う。
「・・・きっとここに新しい命を授かったのですわ。」
「授かってない!授かるようなことしてないからね!」
いきなり爆弾が落とされた。まだ『赤ちゃんできちゃう』から脱却していなかったエリーにびっくりする。
「まあ、責任逃れをされるのですか、ミスター・リディントン!」
「リディントン様!男なら認めないといけませんわ!」
ちょっとまって、この人達だって流石に『体の一部が重い』イコール『妊娠』だなんて思っていないよね。
そう、世間知らずのエリーと経験豊富なみなさんの間では認識の乖離があるはず、そこをじっくりあぶり出していけばいいだけ。
「エリー、確認ですが、私がエリーに触れたのは、指と肘だけでしたよね。」
「それが、あまりにも気持ちよくて、頭がぼうっとしてしまったので、実は後半は細かいことは覚えていなくて・・・」
「細かくない!全然細かくないでしょ!」
エリーはもっと常識人だと思っていたのに。頓珍漢な回答に私は困り果てた。
「あ、でも、たしか、足をお広げになったときに、その、リディントン様の体が入ってきたのは、ぼんやり覚えていて・・・」
「あっ・・・」
そういえば筋肉を張らせないように、エリーの足の間に私の足を入れたことがあった。すっかり忘れていたけど。
「まあミスター・リディントン、さっきの証言と思い切り矛盾しておられます!」
「リディントン様!それはもう思い切り子供を作っていらっしゃいますわ!」
「違います!!」
レディ・ブラウンの暴論には反論できそうだけど、私の以前の答弁が真実と違ったことは痛手だった。
「あれは、筋肉を緩めるためにレディ・グレイの両足の間に私の足を入れただけです。ご想像されているようなことはありません。」
「さきほどは指と肘だけと言っておられましたのに、このままだと全身が全身に触れたことになるでしょうね。」
「リディントン様はもう降参されるべきですわ!」
降参なんてするわけにはいかなかった。でも私の手元のカードが減ってきていた。
「さあ、ここにサインをなさい!いい加減婚約を認めるときです!」
「私はサインしません!」
「サイン・・・していただけないのですか・・・?」
きょとんとしたエリーが私に尋ねてきた。
え、婚約したかったの?
「レディ・グレイ、私がするのは医療行為で、それ以上でもそれ以下でもないと最初に申し上げました。」
「でも、責任をとっていただけると・・・」
そういえば責任の話が出ていたけど、私は医者としての話だと思っていた。
「あれは私の施術で腰の状態がなってしまった場合の責任です。医者が診察した女性に責任を感じて全員結婚するようなことはないでしょう?」
エリーの目が急に潤んだ。
「な、泣かないでください!」
「それじゃあ・・・この子はみなしごに・・・」
「そんな子いません!!」
さっきから会話のキャッチボールが、エリーが360度どこへでも投げるボールを私が必死で追いかける展開になっていた。
「でも・・・あんなに情熱的に・・・愛を語っていただいたのに・・・」
たしかに情熱云々の話もあった気がする。
「ええと、あれは他の侍女お二方と比べてあまりにも純真でいらっしゃったのに感動したのであって、他意はないといいますか・・・」
「そんな・・・そんなことって・・・ベッドではあんなにお優しかったのに・・・」
「誤解を招く言い方をしないで!!あっ、強く言ってしまってすみません、どうか泣かないでください!」
エリーは泣き崩れて、私は肩を支えてオロオロしてしまった。
「エリー、殿方は女を手に入れるとすぐ手のひらを返すのですわ・・・」
夫人はがっしりと泣いているエリーを私から引き剥がして抱き寄せると、私を殺人的な目で射すくめた。
エリーには申し訳ないけど、もう私の心臓が持たない。
「そういう話ではありません!レディ・グレイ、落ち着かれたら弁明に伺います。大きな誤解があるようですから。しかしながら、この場では冷静な議論ができませんから、私は一旦退出させていただきます。」
逃げます。
「逃げる気ですか、ミスターリディントン!」
「リディントン様、軟弱者ですわ!」
リアルテニスで鍛えた私は現世の大半の女性よりも俊敏だと思う。彼らに捕まる気はしないし、ドアは鍵を閉められていなかった。
「みなさまが落ち着かれてから弁明にまいります!それではごきげんよう!」
私はドアに一目散で走った。
「今こそウェストモアランドの出番ではなくって?」
後ろでのんきそうなメアリー王女の声がした。
「ウェストモアランド伯爵はドアの前に控えていらっしゃいます。わたくし達の最後の砦でございますわ。」
よく通る夫人の声が聞こえた後、私が開けようとするより先に、ドアが少し開いた。