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CCXLV 女官ジョーン・ヴォー・ギルドフォード


しばらく暗い部屋にいたから、やたらとロウソクの多い王女様の部屋は眩しかった。


「ようやくいらしたのですね、ミスター・リディントン!」


私の前に立ちふさがったのは、やたらと存在感のある中年の女性だった。厳格な感じの目つきをしていて、眉の部分が前に突き出た感じがあるせいか、かなり怖い。顔立ち自体はあんまりきつくないくてやや丸顔だけど、顎がすこし出ているかもしれない。とりあえず目が怖い。


不思議な五角形をした帽子を被っていて、今の流行とは違って髪の毛は完全に隠れていた。茶色の装飾の入った黒いドレスに、ところどころ茶色と黒のチェックがあしらわれている。太っているという感じではないけど、全体的にふっくらした体型をされている。女性にしては大柄だと思う。


全体的に威圧感があるけど、とりあえず、誰なのかしら。


「・・・おまたせしました。ええと・・・」


「リディントン、なんでドアの前でじっとしていらしたの?」


興味津々といった感じでメアリー王女が近づいてきた。


「メアリー様、殿方には人前に出る前に静めないといけない高ぶりがあるのですわ。」


「たかぶってなんかいません!」


私はレディ・ブラウンに向かって声をあげた。なんでこの人達に、『女性に手を出した責任』を取らされそうになっているのかしら。彼女たちは男性に手を出しても責任とっていないと思うけど。


まわりを見回すと、メアリー王女、威圧感のある女性、シルバーブロンドと黒髪のアン二人に、さっきアグネスと呼ばれていた女中が控えている。


「あれっ、その、男爵は?」


「フィッツウォルター男爵はつい先程逃げるように退出なさいました。まさか殿方同士で話を合わせようとでもなさったのですか、ミスター・リディントン?」



嘘でしょう!?



結局誰だったのよ!?



私の当初のプランであるモーリス君の証言、次善の策だったフィッツウォルター男爵へのマッサージ実演がつぎつぎと不可能になって、私は焦りを感じた。


「そうですか・・・失礼ですがあなたは?」


「わたくしはジョーン・ヴォーと申します。宮廷の会計監査官サー・リチャード・ギルドフォードの妻にして、マーガレット王太后殿下の付き人、亡きエリザベス王妃殿下の筆頭侍女にして、メアリー王女殿下の家庭教師でございます。」


「はあ・・・」


家庭教師を言われれば納得するけど、付き人にこんなに威圧感があったらたまに困ると思う。王太后殿下と再婚したダービー伯爵に感想を聞いてみたい。


現世では結婚しても通称は旧姓で通すことは珍しくない。私のお母様もたまに旧姓のオードリー・クレアで名乗ることがあった。クレア家の方がレミントン家よりも家格が高かったから、その方が色々と都合が良かったんだと思うけど。


ヴォー家は聞いたことがないけど、旦那さんの名前には聞き覚えがあった。


「ギルドフォード・・・ひょっとすするとヘンリー・ギルドフォード君の親戚の方ですか?」


なんとなく丸っこい感じや全身の雰囲気がくまさんに似ているなと思った。刺すような目つきはぜんぜん違うけど。


「ええ、あなたの同僚であるヘンリー・ギルドフォードはわたくしの息子でございます。」


テディ・ベアを彷彿とさせるくまさんにたいして、お母様はツキノワグマみたいなイメージかしら。体型は同じようにまったりしているけど、どうしても目が怖い。


でもくまさんは背中のマッサージを気に入っていたから、後で親御さんの前で実演すればきっと『はふっ、はふっ、きもちいいっ!』とか言ってくれるだろうし、案外スムーズに誤解を解けるかもしれない。


「そうでしたか、息子さんにはお世話になって・・・」


「そんなことより、この証書を御覧なさい。」


夫人は2つの証書を堂々と掲げた。なんというかこの人は何をしても『堂々』という形容詞が似合う。ヘンリー王子も大抵はそうだったけど、耳かきでふやけていたからいつもってわけじゃないと思う。


さっきから夫人に圧倒されている気がするけど、たぶんお腹が空いて少しエネルギー不足なのかもしれない。エリーのクッキーは美味しくなくて一枚しか食べなかったし。


さっと書類を見ただけでは全部の条件は読めなかったけど、証書は私が過ちを犯してエリーに手を出したことと、責任をとってエリーと婚約することが書かれているみたいだった。


でも一見して法律の素人がつくった文書だと分かった。全然なってない。


「この証書は無効ですよ。」


「言いがかりをつける気ですか?」


憮然とした表情で睨んでくる夫人にすこしひるんだけど、私は冷静さを保てていた。


「いいえ、当事者よりも先にサインができるのは当事者の認める代理人だけです。証人のギルドフォードさんとフィッツウォルター男爵は当事者のサインが入ってからサインするものです。あらかじめ証人のサインがあるこの書類は法的に無意味です。」


「しかし、少なくとも行為の方の証明は問題ございませんでしょう?」


「問題あります。まず、その場に居合わせなかったあなたと、そもそも実在すら怪しいフィッツウォルター男爵がどうして『愛のあまり』私がレディ・グレイに手をだしたと証言できるのですか。知り得ないことを証言するのは、場合によっては偽証罪に問われます。」


本当に、こういう文書は勢いで書かないでちゃんと弁護士を雇ってほしい。お父様とか、王都だったら兄さんの修行先のサー・トマス・モアとか。いざ使うことになったとき、読むのは弁護士なんだから。


「愛があると書いたのは、エリーが遊ばれたという悪評を避けるための配慮にほかなりません。それともあなたはエリーの評判を貶められることを望まれるのですか?」


夫人は感情論が先行していた。理詰めで論破できると思う。怖いけど。


「そんなことを望みはしませんが、証書はいつどこで何が起きたかを証明するためのものです。そういった情状酌量を作成者が認めた時点でこの文書は信用性を失います。」


「まあ白々しい!大体『きれいな体』などと、あれほど口説いていたのに全部ウソだったというのですか。」


エリーの体幹がしっかりしているなと思っただけだったのに、間違った解釈をされているようだった。


「口説いていません。レディ・グレイの心身を褒め称えたのは認めますが、客観的に述べたまでです。ダンスの社交辞令でも言うでしょう?」


「社交辞令?ではすべて遊びだったとおっしゃるのですか。初心なエリーと一線を超えたというのに。」


夫人はなんだか浮気を追求するようなことを言ってきた。


「違います。さらに文書にある『一線を越えた』という表現は曖昧で、どうとでも解釈できます。こんなめちゃくちゃな書類に私はサインできません。」


私も魔女裁判で、スタンリー卿と一線を超えていないから不倫に相当しない、だから大丈夫、と言い張ったのに、結局相手にしてもらえなかった。


「そんなことは文脈で分かるでしょう。」


将来の陪審員に『文脈・常識で分かるでしょう?』というのがどれだけ不興を買うか、夫人はしらないのね。


「いいえ、この文書を読む人は私達の一連の流れを知りません。書いてあること以上でも以下でもありません。ですから腰に触れただけだということを過大に解釈されかねません。」


「まあっ!」


夫人は怖い目を見開いて口に手を当てた。


「よくもまあぬけぬけと、腰をふれただけ、などと嘘をおっしゃいますね。」


「嘘はいっていません。治療のために体を触っただけです。」


「まあ・・・」


「嘘ですわ!!」


今まで横で私達のディベートを見ていたレディ・ブラウンが、頭を勢いよく横に振りながら参戦してきた。侍女は髪をまとめるのがマナーなのに、この人のシルバーブロンドの長髪は振られた頭で勢いよくなびいている。


「エリーは『指よりすごいのっ』っと言っておりましたわ!つまり男性の・・・」


「あれは肘です!」


私が叫ぶと、場がシーンと静まり返った。



レディ・ブラウンがなにか言おうとしたまま、ぽかんと固まっている。



夫人の方をみても、言葉を失っているようだった。



反論が尽きたのかしら。ここらへんで畳み掛けたいところね。


「どうやら誤解が解けたようですね。そうした事情なので、この件は完全にいいがかりです。」


「リ・・・リディントン様、肘だなんて、その言い訳はさすがに無理が・・・」


今まで静かだったレディ・スタフォードが恐る恐るといった感じで発言した。


「なぜですか?こうやって腰にぐりぐりと・・・」


「おぞましい!神の創りたまえし神聖な女性の体に、肘を入れたのですか!?フィッシャー司教様に頼んで、宗教裁判にかけて差し上げます!」


恐ろしい目をカッと見開いた夫人が私に迫ってきて、私は思わず二歩後ろに下がった。


「宗教裁判!?」


法律には明確に違反していないけど倫理や教義に違反した人をさばく場合に、たまに宗教裁判が開かれる。


民事訴訟と行政訴訟はお父様の手伝いでたくさん関わったことがあるし、ピーター・ジョーンズ少年の事件で刑事裁判も体験した。魔女裁判と、普段なら貴族限定の星室庁裁判にもかかったから、縁がなかったのは宗教裁判くらい。


つまり宗教裁判があったら、私は現世で行われている全種類の裁判をコンプリートしたことになる。


「って、そんなこと考えてる場合じゃないからっ!」


「錯乱している場合ではありません、ミスター・リディントン、さっさとサインなさい!肘だなんて、子供の責任を取りたくない無理な言い訳なのは目に見えています!」


夫人は私との距離を詰めてきていた。


考え事が思わず無意識に口に出る、って前にもあったけど、私はひょっとしたらエリーをマッサージする前からずっと酔っているのかもしれない。お腹が空いていたところにシェリーなんか飲んだから・・・


でもいくら酔っていたって素人には負けないんだから。


「サインはしません!とにかく、誰がなんと言おうと、私は指と肘しか使っておらず、かつ足を除けばエリーの体に直に触れていません!」


「嘘おっしゃい!」


「そうですわ!リディントン様の技巧自慢などいりませんわ!」


なんだか訳のわからないことを言っているレディ・ブラウンは、気のせいかだいぶ顔を赤くしているみたいで、シルバーブロンドとのコントラストが面白い。


とりあえず、議論は膠着状態だった。実演したいけど、この場で受け入れてくれるひとはいなさそうだし、どうしよう。


「あっ、エリーが姿を見せましてよ!」


今までのんきな表情で見守っていたメアリー王女の声で、私は救世主が現れるのを感じた。


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