CCXLIV 逃亡者モーリス・セントジョン
エリーは年頃のレディだから、男という設定の私がマッサージをすると、『もうお嫁に行けない』と騒がれる心配はそこそこあった。だからこそ事前に体に触れる必要があって、そういう風に騒がないようにと周りにもエリーにもお願いしておいたのだけど。
でも残りの二人の侍女もだいぶ奔放な感じだったし、エリー本人の同意もあったから、まさか結婚しろと言われるとは思わなかった。マッサージくらいで結婚を強要していたら、あの二人は一体何人と重婚すればいいの?
「さっさと服を着て、いらっしゃいなさい!ミスター・リディントン!」
隣の部屋から見知らぬ女性のきつい声がする。
とりあえず、男性と女性の仲が疑われた場合、男女双方の証言が揃えばある程度乗り切れる。もちろん不倫なんかが疑われた場合は、逆に当人たちが言い逃れようとしているグレーなケースもよくあって、本人の証言だけでは不十分なこともある。でも私は医療に従事する者という設定だし、定義上は『密室で二人きり』でもない。体に触れたのは確かだけど、『必要最小限』だったということにすればいいはず。
暗い部屋で、まだぼうっとしているエリーに声をかける。
「レディ・グレイ、なにか聞かれたら、誤解のないようできるだけ具体的に話してください。恥ずかしい場合は女性にだけ話していただければ結構です。あとは確認ですが、私は服の上からしか触っていませんし、触った場所は腰だけで、当然、子供ができるようなことは一切していませんよね?」
「えっ、でも・・・」
「ミスター・リディントン!はじめてで事態を飲み込めないエリーを丸め込もうとするとは何事ですか!紳士の風上にも置けません!恥を知りなさい!」
隣から女性の怒鳴り声が聞こえた。困惑しているエリーも含めて、私は情勢が厳しいことを感じ始めた。
でも、まだ大丈夫。マッサージ経験者と目撃者が隣にいるんだから。それと同じだと証明すればいいはず。なんなら実演してもいいし。
「レディ・グレイに確認をとりたかっただけです。モーリス君と衛兵のヒューさんはそちらにいますか?」
「モーリス・セントジョン様はフィッツウォルター男爵と交代されました!衛兵はこの部屋に入っていません!口裏を合わせようとしたって無駄です!」
だからフィッツウォルター男爵って誰なの?
私は大声を出したくなるのを我慢して大きく深呼吸した。
ヒューさんはその場にいない気がしていたけど、なんでモーリス君は待っていてくれなかったのかしら。私はけっこう追い込まれているかもしれない。マッサージの実情を知っている人がいなくて、ノリッジ魔女裁判の二の舞になる恐れだってあった。謎の男爵も登場しているし。
でもあの魔女裁判と違うのは、『魔法で誘惑された』ことになっていたスタンリー卿の証言が一切使えなかったのに対して、今回は曲がりなりにもエリーが味方になってくれるかもしれないこと。モーリス君がなぜか逃走しちゃったのは誤算だけど、後で証言してもらってもいいし、だからエリーに誤解があったら解いておかないと。
「レディ・グレイ、今一度確認ですが・・・」
「早くお越しなさい、ミスター・リディントン!ホースを履くのに手間取っているなら、アグネスを着替えの手伝いに向かわせます!さもなければ引きずり出しますよ!」
「そもそも脱いでませんっ!今参ります!」
私、一応王子の従者なんですけど、引きずり出されるってどういうことかしら。
「事情を説明しに、一緒に参りましょう、レディ・グレイ。」
「わたし・・・少し落ち着いたら参りますわ・・・」
「ミスター・リディントン!慣れない動作で体に負担がかかった後の女性を引っ立てるなんて、一体何のおつもりですか!一人でお越しなさい!」
隣の声に追い立てられるように、私は開けっ放しのドアの方に向かった。
「・・・ではレディ・グレイ、また後で。」
「はい・・・」
ドアの向こうに出る前に息を整える。
裁判と違って、私からエリーに質問するチャンスがあるはず。そうしたらそのなんとか男爵を実験台にさせてもらって、私がエリーにしたことが男爵にしていることと同じであることを確認してもらう。その場合、医療とはひと目でわからなくても、少なくともいやらしい行為でなかったことは分かってもらえるはず。
後は、侍女二人は色々な相手と遊んでいるみたいなのに、なんで結婚ルールがエリーにだけ適応されるのかというダブルスタンダードをつけばいいはず。
法廷と違って相手は弁論の素人なんだから、私なら勝てる。
「よしっ。」
自分に気合を入れると、私は明るい王女様の部屋に入っていった。




