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CCXLIII 愛妻エリザベス・スタッフォード


警告: この章は、直接的な描写は一切無いものの、性的な表現及び強く示唆的な表現を含みます。ご留意ください。飛ばしていただいても、前後の展開からこの章で何が起きたかは推察できるので、苦手な方はスキップしても問題ありません。なおこの小説は「小説家になろう」のガイドラインを遵守しています。




作戦会議とやらに向かったギルドフォード夫人との会話が途切れると、否応なく隣の部屋の様子に注意がいってしまう。アンはあまり多弁なほうではないので、非常に気まずい。


「(それではうつ伏せにもどってください。もう一度指を入れていきます。)」


「(リ・・・リディントンさま・・・あの・・・できればその・・・いちいち宣言しないでいただけると・・・)」


それは思った。さっきから明らかに不自然だった。動作を解説する様子は心が通い合う感じがせず、欲を満たすだけの作業に聞こえる。


「そうだ、レディ・グレイにとっても、いちいち言われたら反応に困るだろう。つくづく無粋な男だ。」


「あら、一度ずつ確認をとるというのは紳士的で良いことではありませんこと?特にエリーははじめてなのですから。」


アンは先程から妙にリディントンへの好感度が高い。不慣れな乙女から純潔を奪っているにも関わらずだ。


「アン、一体どうしたのだ。友人のレディ・グレイが強引に丸め込まれているというのに。」


「あら、リディントン様はエリーに引き返す選択を何度も提示していますし、エリーも承知で受け入れているのです。理想的な大人の男女の関係ではありませんこと?」


さっきから聞いていれば合意があるのは分かる。今や介入するわけにもいかなくなった。しかしそれで本当にいいのだろうか。


「(・・・あ・・・我慢・・・できませ・・・あっ、ああんっ・・・)」


「(まだつらいですか?)」


「(・・・ほんと・・・きっ・・・きもちいいのっ・・・やあんっ・・・リディントンさまあっ・・・)」


「アニー、はじめては気持ちよくならないという話ではなくって?」


「メアリー様・・・私も驚いていますわ。個人差や相性もあるかもしれませんが、よほどリディントン様が手練なのか、エリーに素質があるのか、おそらくその両方ですわ。」


レディ・ブラウンが唖然としている。その横でギルドフォード夫人はなぜか感心している様子でうなずいていた。


「エリーは恋多き乙女でしたから、東の国の名高い色男たちに引っかかってしまうのを心配しておりました。しかしリディントン様はどうやらその面でも逸材だったようですね。エリーを満足させられるのであればこれに越したことはありません。」


そういうものと割り切れるのだろうか。私には東の国の色男とリディントンの間に差異を見いだせないが。今までの人生でこれほど倫理観が混乱させられたことはない。


とりあえず作戦会議はどうしたのだろう。


「(・・・あんっ・・・やあっ・・・そこだめえっ・・・)」


「(わかりました。止めますね。)」


そこでやめるのか?さっきからリディントンの冷静さに恐ろしいものを感じる。


「(やっぱり痛かったですか?)」


「(や・・・やめないで・・・素直じゃなくてごめんなさい・・・)」


「アニー、これではエリーが手玉にとられているようではなくって?」


「メアリー様、二人のレベルが違いすぎますわ。素人のエリーを相手に本気を出すリディントン様はやはり鬼畜ですわ。」


レディ・ブラウンが珍しく顔を赤くしている。いくら彼女といえども、さすがにこのような状況に置かれることはそうないのだろう。


「まさかこれほどとは・・・リディントン様なら東の国の名だたる間男たちと互角以上に渡り合っていけるでしょう。まさに我が国を代表するにふさわしい色男、自信を持って輸出できるというものです。」


先程からギルドフォード夫人の感性がわからない。そんな色男にこの国を代表してほしくないのだが。チーズのほうがまだ輸出品として無害だろう。


「ですがレディ・ジョーン、リディントン様は『それなりの覚悟で臨む』という巧妙な言い方で、結局責任を取ると明言していませんわ。このままではエリーは遊ばれて終わりですわ!」


「落ち着きなさい、アニー、わたくし達の手で責任を取らせればよろしいのです。そのための作戦会議を開くのですから。万が一のために、ウェストモアランド伯爵にも別室に控えていただいています。」


私がモーリスから引き継いだ任務はリディントンの弁護も含まれるとみるべきだろう。その場合、この作戦会議は妨害するべきだろうか。


「ですがリディントン様は弁論が得意なようで、わたくし、先程も言いくるめられてしまいましたわ。きっと逃げ口上も上手ですわ。」


「怯むことはありません、アニー。女性の口説き方で殿方の性格は大体わかります。リディントン様のような少しくどいタイプには勢いで対処するのが一番ですわ。こういう男はたとえ表面上ではあってもこちらの言うことに丁寧に対応しようとしますから、たとえ論理的に破綻しようとも先手先手で、相手のペースを崩すことです。」


夫人は羊皮紙を取り出すと、メアリー王女とレディ・ブラウンの前でさらさらと何かを書き始めた。女性ほど怖いものはないな。天女のようなベスは例外だが。


「よろしいですかメアリー様、アニー、分の悪い論点は無視して、水掛け論になったら勢いで押し通すのでございます!そして相手の質問に関わらず自分の言いたいことを言うこと、あとは勢いでなんとかなるでしょう。」


理論的な相手には勢いか、なるほど参考になる。


「(・・・あ・・・これ、きもちいいですっ・・・やあっ・・・もうすごいのっ・・・)」


「(素敵な体をお持ちですね。では、次はすこし横向きに寝転んでもらますか。)」


「(ふあ・・・は・・・はい・・・)」


だんだん自分の男としての自信にヒビが入り始めていた。まだ正気のうちにここから脱出したいというのが本音だ。


モーリスとの約束は破ってしまったが、リディントンはモーリスとの約束に違反してレディ・グレイに手を出した。つまり私にはどうしようもなかった。情状酌量の余地があるというものだ。


「アン、私はもう退出しようと思う。もはやここにいても意味は・・・アン?」


アンは急に背中に抱きついてきた。柔らかい感覚に戸惑う。


「お義兄さま・・・」


気のせいか耳元の息が荒い。


「アン、具合が悪いのか?」


「お義兄さま、ウォルター様が亡くなられてから、わたし、わたし・・・」


嫌な予感しかしない。アンが嫁いだペンブローク伯爵家のウォルターは生水にあたって亡くなる前は豪遊家として知られていた。


「ご主人のことは残念だった。だが、アンとヘイスティングス男爵との話が進んでいると聞いている。」


「ジョージ様ですか・・・それがスタンリー卿とジョージ様のお姉さまとの裁判沙汰を通じて考えを変えられたのか、結婚にも男女の仲にも慎重なのですわ。もう私、久しく満足できていなくて・・・」


そういえばルイーズ・レミントンの魔女裁判を起こしたきっかけはヘイスティングス男爵家だったか。伯爵家に約束を反故にされたあと、公爵令嬢との結婚に二の足を踏むのは無理もない。


だが今は困る。首筋が暖かいのは気のせいだと信じたい。


「落ち着こう、アン。ベスは私にとっても、あなたにとっても大切な存在だ。彼女を裏切るようなことは、たとえ戯れであってもしてはいけない。」


「ベス姉さまから届く手紙に幸せな夫婦の営みが垣間見えて、私は一人でもんもんとしていたのです!」


一体何を書いたんだ、ベス。


「きっと、おそらく誇張がある。リディントンと違って、そんな特殊なことは何も・・・」


「私も、『今夜は寝かさないからな』とか言われてみたいです・・・」


ベス!!


「(この体勢では・・・失礼します。)」


「(ひゃん!)」


「(なるべく痛くないようにしますね・・・)」


「(やっ・・・んっ・・・い・・・いたいです・・・リディントンさま・・・)」


隣の部屋の二人はこれ以上のない最悪のタイミングで余計なことをしてくれた。


「アン、よく聞いてほしい。きっと今、異常な環境に置かれて、混乱しているだけだと思う。外の空気を吸おうか。きっと落ち着けるだろう。」


「外ですか・・・でも人がいませんこと?」


「・・・人がいようと関係ないだろう。」


「まあ、大胆・・・」


いくらリディントンとレディ・グレイに当てられたとはいえ、こんな義妹は記憶にない。


「アン!頼むからしっかりしてくれ、アン!」


「あのロバートお義兄さまが、アンアン言っていらっしゃる・・・」


「曲解するんじゃない!」


もうだめだ。私の手に負えない。


「ミセス・ギルドフォード、どうかアンを落ち着かせてください。」


遠くで作戦会議をしていたギルドフォード夫人に救いの手を求めた。情けないが、貴族の令嬢を強引に振り払うことはできない。


「分かりました。ではこちらの二枚の書類にサインをお願いいたします。そうすればアンを引き離して差し上げましょう。」


「サインですか・・・」


アンに後ろから抱きつかれたまま、さっと書類を読み通す。一通は二人が愛のあまり一線を超えてしまったことを確認する文書、もう一つはその責任を取って婚約することを約束する文書だった。おそらくは双方の親御さんに見せる書類だろう。


気のせいかもしれないが、ルイス・リディントンとエリザベス・グレイの名前だけインクの色が違う。おそらくはほとんど書かれた書類が事前に用意してあって、今さっき名前だけ入れたんだろう。多分侍女に手を出す男向けに大量生産された書類に違いない。


ベス以外の女性は、つくづく恐ろしい・・・


「ミセス・ギルドフォード、行為の証明はサインできますが、婚約は本人か家の同意があってからでないといけません。まだ存在しない婚約の証人にはなれませんから、本人が承諾してからまた伺いましょう。」


「では待っている間に、アンのお相手をできる部屋を用意して差し上げましましょうか。」


「・・・少し考えさせてください。」


モーリスがこの場にいたらサインはしなかっただろう。リディントンを弁護する役割を私が引き継いだのだ。実現してもいない婚約、本人の同意もなく、しかも私が賛同しない婚約に、サインをするのか・・・


「(やめますか?)」


「(・・・や、やめないで・・・やあっ・・・戻って・・・あっ・・・指よりすごいのっ!)」


「ロバートお義兄さま、わたしもう、熱くて・・・」


耳元でのアンの囁きが耳の中で響く。




貴族と庶民との差、それは責任だと考えている。貴族はなぜ実力ではなく世襲で選ばれれるのか。それは過去の世代、将来の世代について責任を負うことで、自分を律した行動がとれるからだ。死ぬまでに散財したり、土地を酷使したりせずに、前の世代から受け継いだものを次の世代に残していく。それは土地であり、家であり、血筋であり、伝統であり、文化である。



前の世代の責任を負うこと。次の世代に責任を負うこと。



私は父の罪を背負い、子孫のために名誉の回復と蓄財に励んできた。それをしがらみと感じることもあるだろう。しかしそれは必ずしもマイナスとは限らない。個人にとっては時にそうかもしれないが、自分の世代を超えた時間軸で物事を見る人間が、責任のある立場にいることは、社会のためになるはずだ。


翻ってリディントンはどうだろうか。なるほどカリスマはあり、余計なものも含めて多方面に才能はあるのかもしれない。しかし彼はレディ・グレイが発した『責任をとる』という社会的な意味を持つ言葉に『それなりの覚悟で臨みたい』という、リディントン個人の意思表明で答えた。完全な責任逃れだ。



責任を取るべき相手は、自分自身ではない。



「分かりました。サインしましょう。」


優秀な人間が登用されるのは大いに結構だ。しかしそれによって貴族が長らく護ってきた誇りが失われ、弱肉強食の、刹那を楽しみ将来を鑑みない世界になってはならない。まさに今、レディ・グレイを籠絡し、将来の心配などせずに楽しんでいるリディントンのように。



無名の英雄は、一度栄誉のしがらみに縛られてみるべきだ。



私は二枚の書類にサインした。ギルドフォード夫人は私にぎこちない笑みを向ける。


「ありがとうございます、ラドクリフ様。ところでアン、先程チャールズ・ブランドン様が全裸に白いレースという姿で外を走っていたそうです。見てみたくはありませんか。」


「まあ、そ、それは・・・」


アンのホールドが弱くなった一瞬をつき、私は部屋の出口まで走り抜けた。


さすがにアンにあれは見せたくないが、ともかく夫人の手助けに感謝する。


「それではお暇申し上げます、メアリー王女殿下。」


「まあラドクリフ、結局あなたは何をしにいらしたの?」


何をしに来たのかなど、もはやどうでもいい。覚えていない。


「それについては後日また。それどころではないようですので。」


礼儀にもとるが、メアリー王女の返答を待たないまま私は外に飛び出した。


「はあ・・・はあ・・・」


暗い外の冷たい空気に、私がはいた息が白い湯気をつくる。こ


れほど焦ったのは久しぶりだった。


「ラドクリフ様、どうなさったのですか。幽霊でも見たようなお顔をされていますよ。」


少し安心感のある声がした。普通の環境に戻ったのだと実感させられる。


「モードリンか、幽霊だったらどんなによかったか・・・」


まだ背中にアンの熱が残っている感じがある。身震いする。


「それよりも、至急モーリスを探さねばならない、手伝ってもらえないだろうか。」


「しかし、私はリディントン様をお待ちしている身でして・・・」


メアリー王女たちはもはや二人を好きなようにさせるようだったから、リディントンはしばらくかかるはずだった。モーリスに対応を仰ぐのが先決だ。


「リディントンは取り込み中で、しばらく寝室から出ないはずだ。モーリスが早く見つかることは彼のためでもある。どうか手伝ってほしい。私は西棟を探すので、東棟をお願いできるか。」


「・・・分かりました。素早く捜索して、セントジョン様及びリディントン様の部屋にいらっしゃらない場合、こちらのメアリー王女殿下の局に戻ってまいります。」


「ありがとう。」


東棟に向かうモードリンを見送ると、私は踵を返して西棟に歩き始めた。


今日は月明かりのない暗い夜だ。懐からベスの髪が入ったお守りを取り出すのに、少し苦労した。


「ベス・・・」


今の混乱で、ベスを裏切るようなことは一度として頭をよぎらなかった。しかし、私自身が聖人君子でいられたとは思えない。


ベスのことを考えれば、アンにより厳しくあたるべきではなかったか。抱きつかれたときの感覚を、ベスと比べなかっただろうか。



本物の魔女に誘惑されたとき、私はベスに対して誠実でいることができるだろうか。



「(できるわけないでしょおおおおおっ!)」


後ろから聞こえるリディントンの意味のわからない叫びに思考を遮られたが、縁起の悪い内容に私の気分は浮かなかった。


夜風はまた少し冷たくなっていた。


私はマントを羽織り直すと、西棟に歩を速めた。





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